天皇陛下万歳
体育の日は、言わずと知れた昭和39年(1964)10月10日の東京オリンピック開催を記念して定められた祝日である。当時畏くも天覧の下開会式が挙行され、戦後20年目の節目とそれに至る復興の道のりへの思いを国民誰しもが噛み締めたのである。
尚、今日は「最後の体育の日」である。体育の日は来年から「スポーツの日」と名称が変更される。この改正法案は昨年6月に国会で可決成立して公布されており、令和2年(2020)1月1日施行の運びである。
オッサンは生きている。
私は右翼であるので、朝鮮人、とりわけ韓国人が日本の国旗に文句を言うのには我慢がならない。
だが反面、旗の用法には一定の注意が必要であるとも思う。
日章旗と旭日旗は異なる。
日章旗の方は、これは日本の旗だ。国民皆のものだ。日本国民は誰でも、この旗を誇りとし、慶祝に応援に、これを掲げ用いる権利があるはずのものであり、それでこそ国旗の尊厳が生じ、発揚され、維持され、向上される。与国、他国、第三国からケチをつけられる筋合いのものではない。否、ケチをつけたければ勝手につけるがよい。コッチは勝手にこれを無視し、日章旗を用いるだけである。
他方、旭日旗は、これは違う。これをスポーツの応援に用いるのは
というのは、旭日旗は、8条のものは自衛隊の部隊一般の、16条のものは海上自衛隊の自衛艦の旗であり、すなわち日本の国家としての軍事機関の標章だからである。
こういうものを非暴力、平和、楽しみの場であるスポーツ会場へ持ち込むのは不適切であるし、上述の理由から、知らず知らずのうちに国の機関の地位を詐称してしまっている疑いもある。
8条、16条とも、古くから用いられてきたもので、一般的なデザインのものでもあるから、著作権がどうとか意匠登録がなんとか言うような筋合いのものではない。ただ、これは軍事機関、軍事機関と言って差し支えがあるならば、自衛隊の部隊や自衛艦と表現するが、これらそれぞれの標章であり、そのことをもって、これらの旗を自衛官でもなんでもない一般人がスポーツの応援に振り立てて用いるのは不適切なのである。自衛官が固有の公務として執行する国防の任務は、スポーツとは異なる。本物の命のやり取りと、点数が入って勝ち、というようなものは異なるのだ。
スポーツの応援とは別だが、同様の理由で、軍人であったことなど一度もなかったような
ただし、
そのような理由で、私の意見は、スポーツの応援や、祝日や慶祝時に一般人が掲げる旗としては、「日章旗は〇、旭日旗は×」である。
天皇陛下万歳
秋分の日は彼岸の中日であるが、古くは「秋季皇霊祭」という皇室祭祀に関連して休日となっていた。また、併せて「秋季神殿祭」といって、皇祖神のみならず、国中の神への祭祀も行われる。
現代に至って、今日も畏きあたりにおかせられては、古式ゆかしく装束に身を改められ、祭祀をお執りあそばされている。
面白い記事が出ている。
その展覧会のページがこちらである。
オーケストラの指揮者で女性は珍しいが、沖澤のどか氏という方が国際コンクールで活躍し、優勝したそうな。
喜ばしい。
「♪ おお~きな~XXXXをください~ッ!!」と連呼するというネタだ。下ネタを
不覚と言うと、コッチのほうも、本当に「不覚にも」笑ってしまった。
私は右翼なのでよく君が代を歌うのであるが、実際、「苔の~~む~す~…… ラ↑ド~レ~、ド~レ~↓ラ~ソ~……」というところなど実に難しく、大抵のおっさんは声が出ない。
ま、その点、世間の
暦の上では既に初秋とは言うものの、依然暑さは厳しい。家々の
今日は終戦記念日である。自宅に半旗を掲げる。
長年の習慣で、終戦記念日は靖国神社へ参拝に行くことにしている。長年、と言っても、20年にはならない。私が東京勤めになったのは20年前、平成11年のことだが、参拝は東京勤めになってしばらくしてから始めたことだ。だから、15~6年ほどは参拝していることになろうか。仕事があって参拝出来なかった年もあったが、そんな年は別の日に参拝している。
靖国神社は英霊を顕彰するところだ。これはなにも
加うるに、あまり知られていないが、日本の軍人のみならず、世界の戦没者をも鎮霊している。正面の大鳥居からではなく、靖国通りを西(市ヶ谷駅方向)へいくと、社域の中ほどに「南門」という鳥居がある。その近くにひっそりとある「鎮霊社」に、こうした世界の戦没者が祀られている。
したがって、靖国神社を参拝するに当たり、何も
例えば
もっと言えば、英霊の顕彰は、自宅で心に深くそれを思うことでも可能である。玄関先に出て靖国の
8月15日の靖国神社境内の雰囲気を嫌う
しかも最近の終戦記念日の、大鳥居から地下鉄九段下駅までの状況ときたらどうだ。チベットの救済や、中国の宗教結社の保護を訴える国外勢力、あるいは胡散臭い政治結社の宣伝場と化しているではないか。言いたいことはわからぬでもないが、中共によるチベットや法輪功の弾圧と英霊の顕彰は簡単に短絡はできない。いや、はっきり言えば無関係だ。
そして、上に
だがしかし、それでもなお私は、長年にわたり終戦記念日に靖国神社を参拝してきた。
なんとなら、8月15日は、昭和聖帝の
英霊は、きっとそのことを受け止めたい筈だ。そう思いたい。だから私は、やはり終戦記念日に靖国神社を参拝するのである。
A級戦犯の合祀云々としつこく言い
「A級戦犯」の「A」というのを、「より重罪の、エース級の悪人だ!」などと思い込んでいる向きもあろうかと思うが、このネット時代、少し検索すれば、これも誤りであることがわかる。誰にでもできることだから、その詳細をここにくだくだしく書くことはすまい。
戦争犯罪が気に障るなら、東京大空襲・都市無差別爆撃の明確な戦争犯罪人であるカーチス・ルメイ大将に対して、日本が
書いたところで
年々、政治家や閣僚が終戦記念日に靖国神社を参拝しなくなっていっているのは、
だからこそ、私のような貧者、無名の一個人が、終戦記念日に、なんの批判も受けずに堂々と参拝することには少しばかりとはいえ意味もあろう。私如きサイレント・マジョリティが参拝者の一人として数え上げられ、統計上の数字になることは、いわば選挙の一票のようなものだ。私と同じく、もの言わぬ黙々たるどなたかが、九段下の駅や大鳥居の下や境内の片隅で、カチリと数取機のスイッチを押してくれるだろう。
さて、そんなわけで今日は、例年と違って相当朝早く出かけた。さすがに空いている。
粛々たる気持ちで参拝する。
参拝後、いつもは立ち寄らない「鎮霊社」のほうにも回ってみた。
しかし、事前に情報を得ていたところではあるが、数年前に爆破未遂事件を起こした韓国人テロリストのせいで立ち入りが制限され、参拝できないようになっていた。
少し離れたところから遥拝して代わりにする。
左の写真は立ち入ることのできるぎりぎりのところまで寄って撮った写真だ。わかりにくいが、画面の奥の柵の向こうに鎮霊社がある。私が来た時には、ちょうど二人の神職が拝礼しているところであった。
今年は千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも立ち寄ってみることにした。ここは軍人・軍属にとどまらず、戦難に殉じた多くの方々を祀るところである。靖国神社からは歩いて5分ほどだ。千鳥ヶ淵を左に見て、お堀端に沿って歩いていけばすぐ右手にある。
誰でも献花・焼香できる。献花は一輪100円である。
心から合掌・
今年は御創建150年の記念の年であるため、特別展も150年にちなんだものをやっている。
常設展示は何度も見ているが、改めてじっくり見る。3時間ほどかけた。
そうするうち、武道館の全国戦没者追悼式の様子が館内放送される。天皇陛下御光臨、国歌斉唱の後、まず安倍総理の式辞がある。
それから
黙祷のあと、天皇陛下の御聖旨を拝する。
全国戦没者追悼式が終わったあたりでちょうど常設展を全部見終わり、特別展の方をじっくりと見た。
遊就館を出て、社殿の裏にある庭を散策した。これは「神池庭園」と言い、小さな滝があり、錦鯉が飼われている。茶室があるが、茶室の建物は、戦前、いわゆる「靖国刀」の鍛冶場があったところだそうである。
庭園から社殿の方へ戻り、歩きながら掲示物をぼんやり見ていたら、御創建150年記念奉賛事業ということで、一口5千円を募っていることが分かった。1年限定で奉賛会員扱いしてくれるという。一口奉賛させてもらうことにして参集殿へ申し込みに行った。
参集殿に入ろうとしたら、上がり框の、人々の邪魔になるところに、何だか知らない代議士とその取り巻きが幟を幾つも押し立ててうろうろしている。入り口の狭いところに陣取って、巨体で人を押しのけるので、迷惑極まった。名前も知らない代議士だ。腹が立ったので今ここに名前を書いてやろうとしたが、名前を忘れてしまった。終戦記念日に参拝は結構なことだが、時と所もあろうに派手な白い背広など着て来て、周りを
そんなことはあったものの、5千円を払い込み、御創建150年奉賛事業に一口のることができた。
奉賛記念ということで、お茶を一袋頂戴した。写真の右下に写っているのがそれで、掛川の深蒸し茶だそうだ。
ほどほどに疲れ、帰宅した。
いつも通りかかるご近所の瀟洒なお宅の庭に、大きな芙蓉が咲いた。華やかだ。そのお宅は庭の手入れがよく、毎年大輪を咲かせている。
梅雨が長引くが、まあ、こんなものだろう。
ほんと、病人にキビしいよな。オバマなんちゃらの時も、日本の医療事情と比べて、いやはや、と思ったものだったが。
アメリカに出張した時、車にはねられたりしなくてほんとによかった、と、帰ってきてから安堵したものだったが。アメリカで大怪我して病院に担ぎ込まれると破産するんだそうで。
もっと困るのは心臓や脳の急病で病院に担ぎ込まれ、治療したが甲斐なく死亡した、なんて場合だそうだ。死んでしまったわ、莫大な請求書を突き付けられるわ、遺族はえらい目にあうらしい。
仁德天皇陵が世界遺産に登録されたそうな。
私は大阪府堺市生まれである。仁德天皇陵は子供の頃から見慣れた大古墳で、当時は世界最大の墳墓と言われたものである。実際、投影面積では始皇帝陵やクフ王プラミッドをもしのぐ大きさだ。
仁徳天皇の実在を疑うような学説も多いが、そんなこと、気にしなくてよろしい。
しかしそれにしても、「世界遺産なんだから直ちに暴け!」みたいな変な学者の声を大きく報じるのもどうなのかね。むしろ、世界遺産だからこそ、これまでより以上の管理と静謐、平穏と安定が求められるのと違うか?
いやまあ、ほんと、こんな逆
「むしろ日本が」て、ハハハ……。
ま、整斉粛々淡々と、貿易コントロールは続くんだろうね。韓国企業の社員さんたちもご苦労なこって。自分たちが悪いわけでもなかろうにな。
しかし、例の射統レーダ照射された時だって、難船を救助していたとか言ってるけど、さしずめ、こういう戦略物資でも横流ししてたんじゃねえの?
稀代のプロデューサー、ジャニー喜多川氏が死去したそうな。
今52歳の私などが子供の頃から、ジャニーズ事務所のタレントは、例えばあおい輝彦やフォーリーブス、田原俊彦、近藤真彦など、多くが活躍していたものだ。
なんで「アベ謝れ」みたいな筆致の記事にするのか、サッパリわからない。
もちろん、いわれなき差別を受け、言語に尽くしがたい苦難にあってきた原告の人々に対して、当時の社会や政府になりかわり、国を代表して謝罪するとすれば、安倍総理が適任と言うことにはなるが、それはやむなくそうなるのであって安倍総理が悪いわけではない。悪いのは当時の社会や政府や行政、医学、ひいては科学技術である。もっと言えば、悪いのはアナタであり、私である。アナタや私の代わりになって、代表で内閣総理大臣に謝ってもらうということである。
ところが、記事やそのタイトルはまるで「アベ謝れ」である。
多分、記事と記事の書き手が変なのであって、原告もこれだけを言い立てたわけではあるまい。ほかにもっといろいろな思いを述べたのだろう。それをバッサリ切り捨てて、「アベ謝れ」みたいに見える記事を書いて人々の目に見えるところにぶら下げる。もちろん、記事に「アベ謝れ」などと書き込まれているわけではない。だが、そのように見えてしまう。
つまり、朝日新聞としては「いえいえ、弊紙は『アベ謝れ』などとは一言も書いていませんでございますヨ(冷笑)」と逃げおおせてしまえるわけだ。卑怯で悪辣な記事である。
考えてもみれば、このハンセン氏病問題は民主党政権時代もずっと存在していたわけである。だが、それなのに、「解決に至らなかった旧政権の関係者は謝れ」なんてことを書く新聞が一紙でもあるか?
まあ、選挙の前だし、ねえ。ホンット、新聞ってイヤだよ。……って言ってて、新聞がなきゃ今の社会の構造はやっぱり成り立たないんだけどさ。
こ、これは……!
日本企業が立派に業績を広げていて、よいことだ。
標記のように思うので、ブログに書いたりもしたくないのだが、下の記事などは、まだしも良心的な方であるので、貼ってみた。
他の報道など不敬極まるものばかりだ。しかも、どこの誰が言ったのかもわからないような「なんちゃら関係者」などという無責任なニュースソースばかりで、「そんなことを部外者に漏らすなど、どこの糞役人だ」と怒りすら覚えるが、多分、そんな役人などいないのに違いない。週刊誌の記者の
最近、皇嗣家に対して「悠仁親王殿下の事件で世間を騒がせ、他の生徒を不安にさせたのだから、謝れ」などとする、まるで頭の
どうしてそんな理屈になるのか、サッパリ理解いたしかねる。
国民全体に謝らなければならないのは、どんな理屈があろうと、逮捕された犯人である。
なぜ犯罪の被害者が謝らなければならないなどと考えるのか。よくもまあ、そんな屁理屈を公表できるものだ。こんな記事の書き手は、自分が不敬を働いた
そうしたブログのURLや、その記事への参照をここに書いたりして、そんなおかしなサイトへアクセスを誘導することになどなると
エベレストは登山家で混雑し、そのせいもあってか今年も、はや遭難死者が出つつあるという。
エベレスト山頂付近の「ヒラリー・ステップ」と呼ばれる場所の手前から撮った写真が上掲の記事にある。まるで、どこかの観光地の混雑のようだが、ここは間違いなく、たった1日ほど過ごすだけで酸素不足による死が待ち受ける「デス・ゾーン」である。
デス・ゾーンでは遭難死した遺体の回収も困難を極めるため、通常遺体は放置され、山頂までの至る所に文字通り死屍累々と点在しており、その数たるや百数十体になんなんとするという。遺体は極彩色のクライミング服装や装備を着けたままだから、点在する様子は色とりどりに見えるそうで、一帯の現地名を「虹の谷」と称するのは、この遺体の極彩色と無関係ではないらしい。
遺体は酷寒と乾燥のため腐敗することもなく固着し、ベテランのクライマーなどは、例えばその遺体が目立つ有名登山家の遺体で、緑のブーツを履いていたりするのを「例のグリーン・ブーツ」などと呼び慣らし、「グリーン・ブーツが見えてきたから、もうすぐ右だ」などとくらいに言うのか、「道標」がわりにすらしているという。
エベレストで遭難した人の遺体は、吹きっ
「そこに山があるからだ」という名言を残し、100年近く前にエベレストで行方不明になったイギリスの著名な登山家、ジョージ・マロリーの遺体が発見されたのは今から20年ほど前のことで、遭難後70年以上が経過していた。その遺体は
左の動画は、そのマロリーの遺体が発見された時の記録フィルムである。
去年の記事だが、こんな記事もある。