(かた)月見

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 うっかりしていて、十三夜が過ぎてしまった。

 天文学上の「望」は今夜だが、月見、なかんづく「(のち)の月」、俗に「栗名月」は去る10月11日の金曜日、旧暦九月十三日であった。

 忘れていた。

 昔の人は仲秋の名月だけを楽しんで後の月を見ないのを「(かた)月見」と言い、縁起が悪いとしたものだそうだ。

 確か金曜日の夜は台風が近づいていて、良い天気とは言えなかったがチラホラ月が見え隠れしていたのではなかったかと思う。だが、接近する巨大台風19号に気を取られ、とてものことに月を見ようかという気はしなかった。

名月

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 今朝の天気予報では「曇天」とあった。

 やむなし今夜は無月かな、それもまた良からん、と思いのほか、深更に至って中天に青い月が見事に昇った。

 虫の声が高い。いい夜である。

かと思えば

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 今日は無月かな、と思い込んでいたら、見事な月が昇った。

 名月だ。

無月(むげつ)

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 このところ涼しく、まことに秋らしくなった。ご近所の柿がうっすらと色づいている。ようやく秋も半ばというところか。昨日はお彼岸、秋分であった。

 今夜はお月様だが、私の住む埼玉県越谷市の天気予報はあいにくと曇りで、今夜はどうやら無月(むげつ)となりそうだ。

 妻に「今夜はお月さんだよ」と言うと、「15日頃なんじゃないの」と言う。ああ、旧暦のな……、と答えると、ふうん、と興味もなさそうである。

 天文学上の満月は明日の昼頃だが、暦法上は今日が旧暦八月十五日、夜は十五夜で、いわゆる「仲秋の名月」である。しかし、七夕同様、季節の変わり目で天候不順、また二百十日も過ぎたばかりで嵐が来ることもよくあり、月が隠れていることも多い。

 そこで、「雨月(うげつ)」「無月(むげつ)」というような言葉が生まれた。雨月は誰にでもすぐわかる言葉だが、無月というのはなかなか味わい深い言葉で、少し難しい。出ていない月がそこにある、ということで、「ないものが、ある」と言っているわけだ。

 富安風生に

いくたびか無月の庭に()でにけり

……という名句がある。単に「月」と言えば秋の季語だが、「無月」も秋の季語で、しかも月の傍題ではなく、れっきとした「見出し季語」である。

 無月のたびに、その昔理論物理学の泰斗(たいと)アインシュタインとインドの大哲人タゴールとの間で交わされたという対談のことを思い出す。

 目をつぶろうと人類が死に絶えようと、原子の集まりである月はそこにあることは科学が証明している、とするアインシュタインに対し、タゴールは、人間がそれを月であると認めなくなれば月はなくなる、人間の意識の中にしか月はない、と述べて譲らなかったという。

 私は科学者でも哲人でもないからどちらが正しいのかはわからない。それより、この対談をどちらが正しいとかどうとかいう評論の的にするのもあたるまい。しかし、名月の価値は人間が決めたものであろうし、反面、雲の裏に見えない月がある、というのも真実ではあろう。

 してみると、無月と言う言葉は、詩人タゴールの側にあるようにも、アインシュタインの側にあるようにも思える。ないものを認める、というのは、死者の霊魂をどう扱うか、ということにも似ている。

仲秋の名月

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 仲秋の名月である。

 ベランダに出て、写真を一枚。

 本当の月の朔望は、明後日6日の未明に望となるのだが、今日が旧暦の八月十五日であるため、仲秋の名月・十五夜は今日なのである。

 去年の旧暦八月十五日は9月15日だったが、今年は今日にまでずれ込んだ。旧五月が閏月だったためでもある。

図書館~蕎麦屋~雷電為右衛門~月~焼肉~ラーメン屋

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国会図書館

 国会図書館へ調べものに来た。

 そのついでに、旧陸軍・二式複戦「屠龍」のパイロットであった樫出勇大尉の書いたものがないか探した。

 「陸軍戦闘機隊―私は愛機と共に青春を賭して戦った!」というのが見つかった。多くのパイロットの戦記集成だ。その中に樫出大尉の文章が収載されていたのでそれを読む。

 (かね)て、光人社の文庫本で一冊、樫出大尉の著書を持っている。読んだ時その内容に非常に驚き、本土防空戦について認識を大いに改めさせられたものだ。

 読んだのは6年ほど前のことだ。当時、Amazonのレビューに読後感を書いたが、今日はそのことを思い出し、他に樫出大尉の文章があればと思って探してみたのだ。

 内容は光人社文庫とだいたい同じで、どちらかをもとに推敲して使ったものと思われる。

室町砂場 赤坂店

 今日も蕎麦を手繰る。砂場蕎麦の名店「室町砂場 赤坂店」は国会図書館から歩いて行ける。

 14時過ぎあたり、そろそろ空いたかなという頃合いを見計らって行ったのだが、(あに)(はか)らんや混んでいる。少し並ぶ始末だった。今日偶々(たまたま)混んでいただけか、いつもそうなのかはよくわからない。しかし、小体(こてい)な店なので席が空くのも早く、10分とは待たなかった。

img_4863 とりあえず菊正宗を一合。通しものは浅蜊の時雨煮だ。薄味の出汁で煮てあり、旨い。

 いつもは肴に焼海苔をとるが、今日は「梅くらげ」を頼んでみた。以前、室町砂場の日本橋本店で通しものに出され、旨いなあ、と思っていたからだ。菊正宗によく合う。

img_4864 いつものとおり、まだ盃に一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。

 旨い。やめられない。

梅くらげ 350円
菊正宗 750円
もり 600円
合計 1,700円

 しかも、「砂場蕎麦」は、虎ノ門にしても室町にしても、結構安いのである。

雷電為右衛門墓所

 img_4867 砂場蕎麦を出てうろつくうち、赤坂三分坂(さんぷんざか)というところの途中で珍しい練塀のある古刹に行き当たった。山門に「報土寺」とある。

img_4866 その脇に由来書きなどの案内看板がいくつかある。読むと、そのうちの一つに、「ここがかの大力士、雷電為右衛門の墓所だ」と言う意味のものがあった。

%e9%9b%b7%e4%bc%9d%e7%82%ba%e8%a1%9b%e9%96%80%e5%a2%93%e6%89%80 これが墓石なのかどうかはわからないが、手形を刻んだ自然石がある。

 雷電為右衛門と言うと、「小田原遺恨相撲の一席」などという題で、講談や浪曲、また河内音頭などにもなっているくらいで、伝説は数多い。

 生涯326試合中254勝、預かりや引き分けを除くと黒星はわずか10敗という驚愕の戦歴を誇る。勝率にすると96%だ。因みにレジェンド・千代の富士の勝率が71%、白鳳でも89%だから、これと比べても雷電がどれほど異様な強さを誇っていたかがわかる。格闘家中の格闘家だ。

 また、文武両道で頭もよく、多くの文章を書き残しており、その日記(『諸国相撲控帳』(俗に『雷電日記』)、『(よろず)相撲控帳』)は当時の風俗などを知る一級品の資料だという。

img_4870 今日は旧九月の十五夜で、天文学上の望ではないがすばらしく大きな月が出た。

 今年はたまたま、先月と今月の日付が旧暦も新暦も同じなので、わかりやすい。旧九月十五日は新10月15日である。

 「後の月」は旧九月十三夜なので、一昨夜にあたる。昔の人は仲秋の名月(旧暦八月十五夜、先月)だけ月見をして、この「後の月」を見ないことを「片月見」と言い、縁起が悪いとして嫌った。今年は、先月(旧八月、新9月)の間、次々と台風が襲来したこともあって天気が悪く、無月であった。どうしたって片月見である。

 仲秋の名月の事を「芋名月(いもめいげつ)」と言うが、後の月のほうは「栗名月」「豆名月」などと言う。子供の頃は三方に豆や栗を載せて縁側に出したものだった。周りに平屋しかなかったから、月もよく見えた。

焼肉屋

img_4872 妻が出かけているので、娘二人連れて近所の焼肉屋で晩飯にする。

 多少食い足りない程度で焼き肉を切り上げ、近くのラーメン屋に連れて行ってやると、娘二人大喜び。旨い旨い言って食っている。

後の月

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二心(ふたごころ)()むる臥処(ふしど)(のち)の月   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha 

 ……そういや今週は木曜が十三夜で後の月だったな、と思い出しました。仲秋は無月だったから、晴れたって後の片月見。

二日ずれ望

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 仲秋の名月は旧暦八月十五日で、今年は一昨日の9月15日だった。

 だが、天文学上の朔望は、完全なものは日本では夜ではなかったり、日の境を超えたりするので、最大2日弱ずれる。

 このため、旧暦八月の本当の「望」、すなわち満月は、仲秋の名月から二日後の今日である。

 このあたりは国立天文台の暦要項に計算の上で端的に記載されている。

 これによれば、本当の望は今朝の未明4時5分なので、いつの夜に近いかと言うと今夜と言うより昨夜に近い。

 今、外に出てみれば、秋らしくもなく(おぼろ)の月が、丸く大きく出ている。