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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の最後、「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(E・ウィンパー Edward Whymper 著・石一郎訳)を帰りの通勤電車の中で読み終わった。たまの気晴らしで「THライナー」の座席指定券を買い、ゆっくり座って読み終わることができた。

 本書は、ヨーロッパ・アルプスに於けるアルピニズム黎明期の第一人者、ウィンパーその人が記した名著である。

 著者は職業的登山家ではなく、本職は画家であるが、かのマッターホルン初登頂をはじめとして数々の輝かしい登山歴を誇る。厳しい山岳記を想像して読みはじめたらこれが思いの(ほか)、本巻の2書めの「エヴェレストへの長い道」の簡潔な筆致とは異なり、情感豊かに、かつ、3書目の「山と渓谷」の几帳面さ、真面目さとも違い、洒脱で軽妙、面白おかしくアルプスが語られていて、読んでいてとても楽しかった。

 さすがは画家だけあって、本書の挿絵は著者本人の手になるものであるが、人物画などは実に精緻に描かれていて美しい。山の絵もつぼを得ていて、見やすい。

 なお、この第22巻の解説は、一書ごとではなく、巻末に4書まとめてつけられており、その筆はかの「日本百名山」の深田久弥によるものである。

 次は第23巻に進む。第23巻は「シルク・ロード The Silk road」(S.ヘディン Sven Hedin 著・長尾宏也訳)・「ベーリングの大探検 Vitus Berings eventyrlige opdagerfærd」(S.ワクセル Sven Waxell 著・平林広人訳)・「暗黒大陸 Through the Dark Continent」(H.M.スタンレー Henry Morton Stanley 著・宮西豊逸訳)の3書である。

 この巻は「探検の巻」ということになるのだろうか。

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の3書目、「山と渓谷」(田部(たなべ)(じゅう)()著)を帰りの通勤電車の中で読み終わった。

 本書は、明治時代から昭和まで活躍した登山家、田部重治氏の山行記録である。日本アルプスを中心として、まだ地図もないような時代に山野を跋渉しているが、冒険というようなこととは趣が異なり、山野の美しさや山を行く深い情緒に心底惚れ抜いていることが滲み出るような文章である。

 この「山と渓谷」は色々な編集のものがあり、私は別に昭和26年(1951)の角川文庫のものを所有しているが、他に岩波からは新編のものが出ている。それぞれに収録されていない作品があり、配列も多少異なるようだ。尚、この世界教養全集では仮名遣いがすべて現代かなづかいになっている。

 「山と渓谷」という戦前から刊行されている山岳雑誌があるが、この誌名は本書の題を田部重治氏が山と渓谷社の社長に譲ったものなのであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第22巻「山と渓谷」より引用。p.200より

十八世紀末から十九世紀の初めにかけての、イギリスの批評家ウィリアム・ハズリットは、旅をする心を論じて、旅は一人でやらなければならない。そうしてはじめて、気ままに瞑想することも、のびのびと歩くこともでき、また、面白くもないことに共鳴を強いられる必要もなく、他人に同情を求めて得られない不愉快を感ずる必要もないといっている。

 この部分にはまったく同意するが、誤解のないように書き添えておくと、この文章を含む章は、良い友と喜びを分かち合う山行がどんなに快いかを記したもので、田部重治氏は加藤文太郎氏のような単独行を事としていた登山家ではない。

 引き続き第22巻を読む。次は3書目、「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(E・ウィンパー Edward Whymper 著・石一郎訳)である。著者ウィンパーは元から有名な挿絵画家であったが、登山界でも著名となった人なのであるという。

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の2書目、「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)を読んだ。携帯電話が故障したので、秋葉原の修理店へ行き、修理の待ち時間、万世橋「マーチエキュート」の神田川に面したテラスで午後のひと時を過ごし、そこで読み終わった。

 本書は、幕末の江戸時代(嘉永5年(1852))に、当時名前もなく「ピーク15」と番号で呼び過ごされていたエベレストが、その実世界一の高峰であったことが英印測量局によって確認され、大正10年(1921)に最初の英遠征隊が送り込まれて以来(このかた)、昭和28年(1953)に遂に初登頂が成し遂げられるまでの、苦闘の登頂史を迫真の筆致で(しる)したものだ。

 著者のエリック・シプトンは、エベレスト登攀路開拓の第一人者であり、戦前からほぼ30年にわたってエベレスト登頂チャレンジを続け、昭和28年(1953)の、シェルパのテンジン・ノルゲイとニュージーランド人登山家エドモンド・ヒラリーによる世界初登頂の(いしずえ)を築いた人物である。ただ、惜しい(かな)、世界初登頂がなされる前年までは遠征隊長であったが、テンジンとヒラリーによる初登頂時は遠征隊から外されており、一般にそのことを「悲劇」であるとしている世評があるようだ。

 ところが、本書の筆致はそれとは違う。自身が隊長を務めたときの遠征を誇るでもなく、また、世界初登頂成功時の遠征を妬むわけでも貶すわけでもなく、実に正確かつ淡々とこれを記録し、岳人らしく成功を深く喜んでいる様子が行間から伝わる。どうも「悲劇の登山家」とするような世評とは違うように思う。

 むしろ迫真の筆致が胸に迫るのは、自身が頂上アタックメンバーとして昭和8年(1933)・昭和9年(1934)・昭和10年(1935)・昭和11年(1936)・昭和13年(1938)、戦争を挟んで昭和26年(1951)・昭和27年(1952)という驚くべき回数にわたってエベレストの山懐に入り、8000メートルを超える地点で頂上を指呼の間に望みながらついに登頂を果たせず、苦闘する様子である。

 また、自身は参加していないが、大正13年(1924)のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンの遭難について、同時代の登山家として克明に記しており、興味深い。また、この時のアーヴィンのものとみられるピッケルが、昭和8年(1933)に自身も参加した遠征隊により発見されたことが記されている。この逸話にも胸を打つものがある。なお、余談、知られるところであるが、マロリーの遺体はその後75年も経った平成11年(1999)にエベレストで発見されている。

 さておき、本書は翻訳もよく、簡潔な記録となっていて読みやすい。おそらくは、原文も岳人らしい簡潔な文章なのであろう。

 引き続き第22巻を読む。次は3書目、「山と渓谷」(田部重治著)である。著者は戦前に活躍した登山家で、この書は岩波文庫にも入っていて有名だ。

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。先日から第22巻に入った。第22巻は「山行」(槇有恒著)「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)「山と渓谷」(田部重治著)「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(エドワード・ウィンパー Edward Whymper 著)の4書である。

 まず1書目、「山行」(槇有恒著)だ。行きの通勤電車の中、乗り換えて北千住の駅を出たところで読み終わる。

 著者の槇有恒と言えば、「世界のユーコー・マキ」と言われ、ヒマラヤ・マナスルの日本隊による世界初登頂を指揮した登山家である。マナスルの時は登山隊長であって、当時既に62歳であったから自らはマナスル山巓に足跡を刻してはいないが、彼自身はヨーロッパ・アルプスでアイガーの東山稜初登攀や、カナディアン・ロッキーのアルバータ初登頂など、若年の頃は赫々たる世界的成果を残している。

 本書は槇有恒がヨーロッパ・アルプスの登山史や、その自然を愛でる随筆の他、自身のヨーロッパ・アルプス登山記、アルバータ初登頂の記録などからなる。記された山行は数多いが、無論圧巻は「アイガー東山稜の初登攀」と「マウント・アルバータの登攀」の二つである。

 さすがは明治の人で、文章は精緻で読みやすく、臨場感が溢れていてスリリングでもあった。

 引き続き第22巻を読む。次は2書目の「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(E.シプトン Eric Shipton 著)である。かのマロリーの話なども出てくるようで、楽しみである。

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻の最後、5書めの「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)を読み終わった。珍しく「THライナー」という日比谷線の座席指定券を買い、のんびりと座って帰宅する間に本文を読み終わり、帰宅してから解説を読み終わった。

 この書は猪・鹿・狸それぞれを狩猟する話や、これら三つの獣に関する逸話を集めたものである。実に多くの話が集められているが、ところが、その話の収集元は著者が生まれ育った愛知県長篠の「横山」というところの周囲数kmの中に限られる。狭い村落にこれほどの分量の獣にまつわる逸話があるというのは驚くべきことである。

 物理的な狩猟譚の他に、特に狸については狩って食べる話だけでなく、「化ける」「ばかす」話が多く収められており、明治時代でもそうした薄暗い地方伝承の中に多くの日本人は生きていたのだな、ということを再確認した。

 この書の著者早川孝太郎も柳田國男につながる人だそうで、本書は出版されるや芥川龍之介や島崎藤村、中国の文人・周作人などに激賞され、大正時代の末期の大ヒット作であったらしい。

言葉
山彙

 そのまま「(さん)()」と読んでよい。「()()」という言葉があるが、これは言葉の集合とでも言うような意味で、「彙」という言葉に「あつめる」「あつまる」という意味があることはここからもわかる。

  •  (漢字ペディア)

 したがって、「山彙」は「山の集まり」と解してよい。ただ、「山脈」「山系」とはやや異なり、個々の山々が一むれになっているようなものとしてのニュアンスがこの「山彙」という言葉にはある。

平凡社世界教養全集第21巻「猪・鹿・狸」より引用。
下線太字は佐藤俊夫による。p.484「解説」(鈴木棠三)より

いったい、この地方は、伝記で名高い鳳来(ほうらい)()の入り口にあたり、山としてはいわゆる()(やま)というに近い。しかし、この奥山つづきは神秘な伝承にみちた山彙であった。獣たちも、伝奇の光輪を身につけて、人里近く出没したのである。

 次は、同じく世界教養全集から、第22巻に進む。第22巻は「山行」(槇有恒著)「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)「山と渓谷」(田部重治著)「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(エドワード・ウィンパー Edward Whymper 著)の4書である。これは前21巻とは違い、題名を見ただけでどんな本かはわかる。

トムラウシ山のこと

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 前回の記事で、たまたまトムラウシ山のことを懐かしく思うことを書いたところ、今日の大量遭難である。

 お亡くなりになった方々に哀悼の意を表する。

 私自身は、トムラウシ山には7回か8回くらいも登ったろうか。そのうち4~5回はクヮウンナイ川からの登山だった。残念ながら、冬のトムラウシは知らない。

 トムラウシ山の山容は温和で、日本アルプスや日高山系のような痩せ尾根や岩場の山ではなく、標高もさして高くはない。

 だが、アプローチが異様に長く、新しい登山口の帯広側からは日帰りも可能ではあるものの、従来はどうしても片道1日以上を要し、野営が必要であった。歩行距離も長く、体力も消耗する。私がよく訪れたクヮウンナイ川などは落石・滑落でしばしば遭難者があり、登山禁止が長く続いた。

 70歳にもなろうという素人の老人が物見遊山がてらに気楽に登る山ではない。

 大雪山系は一般に火山性の山であるためなだらかで、標高もそう高くはないが、緯度が高いために、天候、特に気温は、本州の山と比べる時には1000メートルを足すのが適当とも言われる。

 昭和62、3年か、平成元年ごろだったろうか、私も大雪山随一の高峰旭岳で、8月半ば頃に吹雪に遭ったことがある。高峰とは言えど、ロープウェイで気楽に遊びに行ける山だ。だが、ロープウェイを頼みにして、薄着、手ぶらなど、油断をすると大変な目に遭う。

 その時は、みぞれのような横殴りの氷雪に叩かれ、用意のゴアテックス雨具の上にガラスのような薄氷が張った。私は、真夏の日帰り登山であったにもかかわらず、ウールのセーターをリュックサックの底に収め、ツェルトザックにレスキューシート、燃料、水、甘味品など、十分に用意をしていったから特に怖くはなかったが、周囲にいた観光客には恐怖体験だったかもしれない。十分に用意をするということは、そのまま重い荷物を担ぐということと同義であり、それには鍛えた肉体が必要になる。体力のない者は、物質面で油断のない用意をしておくことができないというその点で、既に山に登る資格がない。

 もしその日が夏日であれば、日帰りに似つかわしくない私の大荷物は、他の登山客には奇異に見えたことだろう。だが、普段奇異に見られることを営々と持続し、百回千回のうちのたった一度に役立たせることこそ、「備え」というものである。

 真冬に同じ旭岳で、偶然ガイドにはぐれた登山客を発見し、これを助けて下山したことがある。その人は防寒具、食糧など、すべてをパーティ頼りにしていたために、手ぶらに近かった。反面、その時の私は危険と言われる単独行であったが、逆にそのために周到に準備し、夏シーズンに目をつぶっていても歩けると言えるほどに同地に通い、それから決行した冬山行であった。単独行であるからこそ、重い荷物に耐えられる体を作り、十分な物資を携行して臨んでいた。一人で遭難すれば、何年も行方不明になってしまう。だから、気楽に構えず、覚悟して冬山行をした。

 老人には、自分と言うものの位置・地位をよく見極め、軽率な行動をしないように自戒してもらいたい。ガイドに頼りたい気持ちもわかるが、山で他人に頼れば、はぐれれば丸裸である。

 他人に頼る心は、何もなければ人と人との信頼や、美しい愛にも転化できようが、山はそんなことを考えてはくれない。非情なのだ。ガイドに頼らなければ行けない山になど、最初から行かないことを意見したい。

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