何が「全力」だよ(笑)

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 「全力」なんていう言葉を軽々しく撒き散らすような(やから)を信用したくない。

 全力、というのは並大抵のことではない。自分だけが懸命になって額に汗して頑張ればそれが全力だ、などと言うのは、みっともなく痛々しい。

 私が考える全力と言うのは、次のようなことだ。

 今日はテストの日だ。数年にわたって勉強してきた力を発揮する日である。

 これまで、貯蓄をテストに注ぎ込み、妻を働かせ、両親から学費を無心し、子供たちの進学をあきらめさせて一心不乱に勉強に励んできた。合格だけが唯一至高の目的である。

 ところが、よりにもよって今朝(けさ)、電話がかかってきた。

「警察です。あなたの実家の父上と母上が強盗に押し入られた挙句殺されました。あなたの実家を訪ねていたあなたの奥様と生後間もない子供さんも殺されました。奥様には性的暴行の痕跡があります。ともかく、すぐに現場へお越しください」

 両親、妻、子。私にとってかけがえのない、全身全霊をもって愛するべきものがこれらである。しかし、私は全力でテストを受けると決めたのだ。これら、自分にとって全てであるものをもかなぐり捨てて顧みないことこそが「全力」ということである。

 しかるをもって、私は警察からの電話を無視し、テストを受けに行った。

 旬日が経過し、両親と妻子の死に目に会うことことすら(なげう)ったテストの発表日が来た。

 合格した。

 こういうことが、いわゆる「全力」である。自分の持てるもの全てどころか、自分以外のもの(すべ)てをも()した全力だ。

 だが、こんな(たぐ)いの「全力」を尽くして(かえり)みないような(やから)を私は見下げ果て、唾棄し、嘲笑する。

 軽々しく全力などと言うのは甘すぎる。それほどに全力を尽くしたいなら、テストの日など待たず、たった今、玄関から走り出して、100メートル走の全力疾走と同じだけの体力を注ぎ込み、100000メートルほどを力の限り走り続けて死ねばいいと思う。文字通りの全力だ。できるものならやってみるがいい。

 だがしかし、できまい。

 そして、仮に100キロメートル無休全力疾走を敢行して派手に死んだとして、それで尊敬されるなどとは思いのほか、そんな暴挙に出たところで、誰もが「バカなんじゃねえの?」と嘲笑して済ませてしまうだろう。

 そんな嘲笑をすらものともしないことが「全力」である。

 誰かのために、何かのために死ぬなら、それは確かに全力である。だが、人間、そう簡単に死ねなどしない。つまり、全力などと言いながら全力など出せない、そういう惰弱(だじゃく)で薄甘く、最低限の生きる便(よすが)だけはキープしておいて卑怯とも思わないような、どうしようもなくいい加減な存在が人間なのである。

 だから私は、「全力」だなどと簡単に言い捨てる人種、一見意識が高いようでいて、そのくせ身の回りだけは確保しておきたいような奴が嫌いである。

 妻や子、両親、自分のどうしようもない無能、楽しみ、悲しみ、諦め、弱さへの哀惜、同情、悔恨、そういった諸々を抱きしめて、沁々(しみじみ)と誠実に生きることの方が、「全力」だなんていう取って付けたような情動より、幾層倍か美しい。

蚊遣火(かやりび)

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午後()むや蚊遣火(かやりび)青くたちのぼる   佐藤俊夫

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蚊遣火(かやりび)

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