今週

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● 連休明け、11月24日火曜日出勤途上、トイレに行きたくなり、南千住駅で降りた。

 五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。

 それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、

「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」

……とアナウンスが流れるではないの。

 当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。

 もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。

● Twitterを漫然と眺めていたら、Tumblrからのリンクが誰かから流れてきて、こういうのだった。

http://menmennamihei.tumblr.com/post/133986893677/ほうれんそうを考えた人って去年亡くなったんですよね-その人の話を読んだんですけど報告連絡相談

 なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。

 で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……

・ 山崎富治氏が死去

……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。


 へぇ~、知らなかったなあ。

● 日本の都知事選あたりの候補者も、マック赤坂だのドクター中松だの変な人物の満艦飾、さながら百鬼夜行で笑えるが、アメリカの大統領選はそんなものを遥かに超越し、日本の変な候補者なんか足元にも及ばない強烈さであるということを知った。

・ http://togetter.com/li/904991

話題のヴァーミン氏
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 あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。

● 「ろくでなし子」という変人の有名人がいる。自分の性器の3Dデータを公開して芸術だと言い張り、騒ぎを起こした人だ。私は別に、この人のファンではないし、「アタマおかしいんじゃねえか」としか思っていないが、「ぱよぱよちーん・しばき隊騒動」に一枚噛んでいて、なんだかその文章がまっすぐで面白いと思った。

・ ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相

 特に、

(引用)

 それと二つ目は、「ぱよぱよちーん」で怒り出す一見怖そうな男性たちが、わたしを逮捕・起訴にまで追い込んだ警察当局や検察当局の人たちととてもよく似ていることでした。彼らも「まんこ」というくだらないテーマに対し、額に青筋を立てて必死になっていました。 

 わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。

 それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。

 なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。

(引用終わり)

……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。

新潟日報部長

 新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。

 というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。

【新発明】祝日の楽しみ方【長女考案】

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長女  「ねえお父さん、面白いことしていると時間があっという間に経っちゃうじゃない?」

ワシ  「ぬぅ、そうだのう」

長女  「で、宿題とか勉強とか、イヤなことしてると、いつまでたっても時間がたたないじゃない?」

ワシ  「今さらだが、長女よ、すんごく普通のことを言っているぞお前」

長女  「ちがうわよ、最後まで聞いてよ。今日みたいな連休だと、できるだけ休日が長く続いた方が、お得感があるでしょう?」

ワシ  「うむ」

長女  「そうするとさ、できるだけイヤなことをして過ごした方が、休日が長く楽しめるのよ、受験勉強とか宿題とかお父さんに説教されるとか」

ワシ  「おおおっ!!よ、よくぞそれを発見したな長女よ!お前はエラいッ!!」

次女  「……。何このふたり。嫌なことが一日中続くってだけじゃない。アタマおかしいんじゃないの」

劣々優々

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PHM11_0074 一頃の私は、クズのような人物の部下にされたり、職務知識が皆無の上司の下に何年もつけられたりと言ったことが20年近くも続き、「どうして俺は、こういうカスの下にばかりつけられるんだろう」と真剣に悩んだことがある。単に考えが合わないとかメンタルとかストレスとか、そういう弱っちい話ではない。免職レベルの犯罪とか、そういうハードな尺度感の話だ。シャレにならなかった。

 「彼は、アイツは、ああいう優れた上司に仕えているのに、なんで俺だけ?」などとも思った。イヤならそんな職場は七里けっぱい、退職すればいいようなものだが、それをすれば私がカスに負けたことになる。自滅した者もいるが、工作をして上司の首をすげかえてやったことも、白状してしまえば、ある。こんな馬鹿に負けるものかと思ったから、戦ったのだ。しかし私が払った代償も極めて大きかった。

 今もそういう状況には大して違いはないのだが、ちっとはマシになってはいる。だが、仮にマシになっていなくても、もう、若い頃のように正義の衝動に突き動かされて事態の解決を図ろうという気はない。なぜかというと、もはや組織も上司も愛していないからである。どうなろうが知ったことではない。

 上司の指示にハイというのは、上司、ひいては組織を愛していないからである。バカ上司がどんな目にあおうと知ったことではなく、どうでもいいから、ハイとにこやかに気持ちの良い返事をするのである。

 だが、今の私が素直なのは、そればかりが理由でもない。自分に存する原因が最も大きいことを、ある頃に理解したからだ。

 もし、かつての私と同じように、「俺の上司は、課長は、部長は、社長は、どうしてこうもバカなんだろう、なんであそこまで四流、五流なんだろう」と悩んでいる人がいたら、どうか私が今から書くことを含んで味わっていただきたい。

 あなたの上司がバカなのは、あなたが大バカだからであり、あなたの上司が四流、五流なのは、あなたが五流、六流だからである。

 優れた人は、優れた上司の下につけられる。仮に、一時期変な上司の下につくことがあっても、優れた人は数年を経ずして、すぐに優れた部署の優れた上司の下につけ直される。

 あなたは、劣った人なので、劣った人の下につけられている。

 逆も同じだ。あなたの部下が劣っている理由は、あなたが劣っているからである。劣っている上司には、劣っている部下がつくのだ。無論、そうでない場合もたまにあるが、優れた部下はすぐに取り上げられてしまうのである。また、もしあなたに素直な部下がいて、いつもハイと気持ちよく言う事を聞いて指示通りにしているとしたら、それはあなたや組織なんかどうでもよく、愛していないからそうしているのだ。

 まことに、単純な理屈だ。

 これは、あなたのことを言っているのではない。私自身のことを言っている。だから、こんなことを私に言われたからと言って怒ることはない。佐藤俊夫は劣っているのだな、と笑っていただければよいと思う。

偏執鍋親父

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PHM03_0451 涼しくなった。というか、朝晩、そぞろ肌寒さをも覚える。冬隣(ふゆどなり)である。

 そんなわけで、今日の我が家の晩飯は「初鍋」である。

 はじめ、昆布のみの出汁湯に豆腐だけであったが、まあ、茶人とか食通じゃあるまいし、家族の夕餉なんだから、というわけで、豆腐の後に白菜を煮、葱を煮、肉を煮、饂飩を煮て〆る、という塩梅で、久しぶりに楽しかった。

 食い終わって喋りあうことには……

ワシ      「なあ、おい。来週も鍋がいいなあ。何がいい?」

長女      「やっぱり、湯豆腐でしょ」

次女      「シャキッとハリハリ鍋かなあ、水菜買ってきてさー、おいしい豚肉も買ってきて煮てさー、ぽん酢でさー」

妻       「栄養から言えば、お肉も魚も野菜も入れて、寄せ鍋でしょ?」

ワシ      「……。ぬぅ。お前らは鍋というものが分かっておらぬわ!こういうものはだな、具材が少なければ少ないほど、素材の味わいが増すのだ!……長女ッ!お前が一番ワシの考えに近いッ。湯豆腐というのが正解に近いと言えようかのう?」

妻・次女    「えーっ、豆腐だけなんて、なによー!!物足りないからイヤよそんなの」

ワシ      「だーっ!黙らんかぁ!お前らのようになんでもかんでもグダグダと鍋で煮立ててしまっては、せっかくの材料の味が台無しではないか!ワシのような達人になるとだな、もはや、鍋には具など必要なくなるのだ!更に修業が進むとだな、具どころか、出汁もいらない、火も必要ない、鍋だけがあればそれで満腹し、百年の命をそれでながらえると、これは唐代の粋人、李汎宇もその著書『全界辞言考』において言及しているッ(全部嘘)!!」

妻・長女・次女 「そんなあ!!お鍋になんにも入ってないなんてえ!?」

ワシ      「ええい、貴様らは勉強が足りぬわ!かの大宰相チャーチルはだな、本来ベルモットとジンを配合すべきカクテル、マティーニはものを混ぜすぎだと言って、ベルモットの瓶を脇に置いて睨みながらジンを飲み、精神力で脳内にマティーニを現出させたのみならず、ついには秘書にベルモットを飲ませてその息をおのれに吐きかけさせ、ほのかにベルモットの香りのまざる息を嗅ぎながらジンを舐め、これぞ究極のマティーニだと言ったのだぞ!?鍋物もかくあるべしッ!!!」

妻・長女・次女 「お父さんだけ一人で勝手にやってくださいッ!」

幽霊怖いよ

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 暑くなると幽霊譚、怪談、オカルトの話に傾くのは、涼味をなんとか得ようとする昔の人の知恵ででもあったろうか。

 この季節、雑談などするとつい話もソッチへ傾きがちで、馬鹿げているがこれはこれで夏らしくてよい。

 幽霊談、心霊現象自慢、怪奇現象自慢などをしていると思い出すことがある。

 小学校の2、3年、あるいは4年くらいの頃だったか。子供の頃の私は、女の子に笑われてしまうほどの「怖がり」であった。なにしろ、なによりも幽霊が怖い。長じてみると幽霊なんぞより生身の人間のほうがよっぽど怖いということが身にしみてわかるようになるが、子供は生身の人間の怖さなど知らないから、幽霊なんぞを怖がるのである。

 子供の頃の私が住んでいた家は大正時代に建てられた古い長屋官舎で、戦災の焼け残りだった。古びた土壁、暗い田の字型の室内、北向きの縁側、間取りは4畳と6畳のふた間。そこに5人家族がひしめき合って暮らしていた。まあ、裕福ではなかった。

 古い官舎の天井には、なにか人の手形のようなものが付着していて、それがなにやら茶色く変色しており、「血の跡なのでは……!」と想像しだすとキリがなく怖い。裏の物置から幽霊が出てきそうで、本当に怖かった。

 私は末っ子だったので、学校から帰ってくるのは一番早い。母が働きに行っていたから、当然、誰もいない家に一人で鍵をあけて入る。暗い官舎にじっとしていると、幽霊があっちからこっちから出てくるような気がして、もう、逃げ出したくなってくる。

 それで、恐ろしくてたまらず、ともかく家から走り出す。走り出したからといって特段することなどなく、当時多くの人がやっていた暇つぶし、商店街の本屋へ立ち読みに行く。

 怖くて家を出てきたのだから、漫画の立ち読みでもして気分を明るくすればいいようなものなのに、そんな時に限って、ふと立ち止まって見上げた本棚には、「恐怖の心霊写真集・パート1」などという、当時はやった本が並んでいるのである。それをまた、よせばいいのに、つい、ついつい、おずおずと手にとってしまう私なのであった。

 ページをめくる怖さ恐ろしさ。やめときゃいいのに、ずんずんページをめくってしまい、背に冷や汗が流れ、本屋のレジのウラの暗がりから今にも霊がまろび出て来そうな気がして、悲鳴を上げそうになるくらい怖い。ああ、こんな怖いものを見ているくらいなら、とっとと家へ帰ろう!

 そうして本屋を逃げ出して、小走りに家に帰るのだが、一人っきりの家がまたしても怖い。さっきまで見ていた「心霊写真集」の霊が台所の障子から浮かび上がってきそうな気がする。うひゃあ!怖い!

 それでまた、家を飛び出し、これがどういう脳みその構造だか、また本屋に行って、また「心霊写真集」を手にとってしまうという、ワケの分からない私なのであった。ひい、怖い、……と、また家に走って帰り、また怖くて、友達の家にでも行けばいいのに本屋に行ってしまい、また心霊写真集を見、また家に駆け戻り、……という、「猿のなんちゃら……」のような、アホなことを5、6回も繰り返すのである。

 我ながら、本当に変な子だったなあ。

 そういう、怖がりにバカの混じった私であったが、長じてから職業上、人が首を吊って死んだ跡地で闇夜に一晩見張りをしたり、災害地で沢山のご遺体を収容したりするうち、幽霊なんかまったく怖くなくなってしまった。

お互いを蔑む

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 知能の高い人は、存外にバカの扱い方をわきまえているもので、バカが絶叫したり暴れたりすることには冷静だ。

 反面、バカは知能の高い人の扱いをわきまえていなさそうで、その実、意外にわきまえている。

 バカと優秀の懸隔は、実に、一にかかって、ここにあるように感じられる。

 どちらも対手の扱いをわきまえていると信じていることだ。それが、パーセプション・ギャップとなり、悲劇を生む。

 知能の高い人は「所詮バカだ」とバカを蔑み、バカはバカで「わけのわからん変なスケベ野郎」と知能の高い人を蔑んでいる。

 混沌とした特殊な職場にいると、それがとてもよくわかる。

犬入札

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 私はなぜか犬の調達の発注側の担当者で、入札をかけなければならないことになった。

 発注側担当者であるからには、犬についてどんなことでも知っていなければならない。しかし、私は犬については素人であり、そのような部署に配置されて、毎日困り果ててしまっていた。

 そんな日々、これもどうしたわけか、某大手IT企業で営業をしていたはずの知り合いが、なぜか犬屋の営業に転職しており、知り合いの(よし)みで、陰でいろいろと教えてくれた。とても助かった。

 ある日、なんだか、マスチーフとゴールデンレトリバーと(ちん)などを一緒くたにしたような大型犬の写真が問題になった。はっきり言って醜い犬で、肥満しており、目つきもぼんやりと小さく、毛足もボサボサだ。肩の高さは50センチか60センチもあるが、贔屓(ひいき)めに見ても賢そうとは言えない。

「これ、何ですか?」

と、その知り合いの犬屋の営業氏に聞いてみたら「これはチワワだ」という。

「へっ?チワワ!?そんなバカな、チワワは小型犬でしょう?」

「あ、佐藤さん、佐藤さんは犬が専門でないからご存知ないと思いますが、チワワを飼うときは、育たないように餌をあまり与えないようにするんですよ。そうするとずっと小型の愛らしいままなんですが、つい可愛さに負けて、ほしがるだけ餌を与えると、どんどん大きくなってしまって、こういう阿呆(あほ)のような姿になってしまうのです。大きくなっても知能は小型犬のままで、盲導犬とか救助犬とか警察犬とかの使役犬には使えないし、ウドの大木みたいなもんで、病気にもかかりやすくなって、困ったことになるんですよね」

「へぇーっ……そ、それは、し、知らなかったなあ。い、いやあ、いつもいろいろと教えてくださって、本当にありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして。……そういえば、もうすぐ公示でしたっけ、どうか佐藤さん、よしなにお取り計らい下さいよ」

「すみませんねえ、いつも直接お力になることができなくて……」

「いやあ、わかっておりますよ、佐藤さんのお立場は。祈ってくださるだけで結構ですよ」

……などというほのぼのとした会話があった。

 入札は電子入札になった。ところが、この営業氏は電子入札に1分ほど遅れてしまって、入札できなかった。締め切りになるところを、契約担当部署に入札書持参で大慌てで駆け込んできて、システム障害のための不可抗力だ、どうか何卒(なにとぞ)、非電子入札の書面で受付をお願いします、と懇願した。

 契約担当者も渋い顔をしたが、熱心に平身低頭する営業氏に負けてしまい、つい、入札書を受け取ってしまった。

 結局、落札したのはこの営業氏の商店だった。予定価格と比べて適正だし、なにより最も安かったのだから、それはルールどおりといえばルールどおりではある。

 ところが、納品内容の説明を聞くと、例のデカくなってしまって役に立たない、ウドの大木チワワを納品するというのである。契約担当者は腹を立て、

「あなたねえ、本来だったら遅刻した時点で資格喪失してるの、わかってるでしょう?本当なら落札できないんですよ!?それをこんなバカ犬を納品しようって、何を考えてるんですか」

「でも、でもでも、結局は入札をお受けくださったじゃないですか、ひっくり返すのはずるいですよ。仕様書には『犬』としか書いていないはずです。公定の仕様書にしたがって落札したんですよ。それに、約立たずのでくチワワだって、命のある生き物なんですよ、あなたにはそういう万物の霊長としての慈悲ってものはないんですか」

「キミは何を言っているんだ!」

……と、いうようなモメごとに発展して、発注担当の私が契約担当と営業氏の間に立ってオロオロしているというところで、目が覚めた。

 ああ、よく寝た。それにしても、ヘンな夢だったなあ。

 今日もメシは一つ覚え、チョコレート3かけら、()れたてのアイスコーヒー。

ツッコんじゃダメ(笑)

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 今日無造作に撮影してブログに上げたこの写真であるが……

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 我ながらバカじゃないかと思うのだが……


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……。

拡大図
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「テメェ飲んだくれてンじゃねえよwww」

……とかいうツッコミはナシの方向でお願いします。

簡単だからといって

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 破産して貧乏人になるのなど簡単なことだ。すなわち、収入より支出を多くするのである。やがて貯えがなくなり、足りない分はどこかから持ってこなければならず、つまりは借金をするはめになり、ついには破産し、貧乏人になってしまう。

 逆に、金をためるには収入より支出を少なくすればよい。馬鹿でもわかる理屈だが、これが、できない人にはできないものなのである。

 ダイエットもまったく同じである。摂るカロリーより出ていくカロリーを多くすればよい。どんどん痩せる。一点の疑問もない。

 これもまた、馬鹿でもわかる簡単な理屈なのであるが、これが、普通の人にはできないのである。

 なので、「これこれのことができないから、あいつは馬鹿だ、劣っている」という断定方法は、必ずしもすべての事象に適しているとは言えない。

 同様に、「××すれば○○になる」とか「○○は悪い」とか「××は良い」とかという、極めて簡単なことは、世の中に一杯ある。

「勉強をすればテストで良い点が取れる」
「泥棒や人殺しをすると捕まって刑務所いきになる」
「運動しないと体力がなくなる」
「他人を愛すれば自分もまた愛されることにつながる」
「戦争は悪いことだ」
「煙草は体に悪い」
「酒の飲み過ぎは良くない」
「スピード違反をしてはいけない」
「信号を守らないのはよくない」

 どれもこれも、あまりにも当然であり、簡単すぎるほど簡単であって、読んでいてバカバカしくなるほどだ。だが、この、バカバカしく簡単で当然のことが、できない人がたくさんいるのが、現実というものなのである。

 だから、自分が痩せているからといって、自分が勉強ができるからと言って、自分が酒を飲まないから、煙草をすわないから、おまわりさんに捕まったことがないから、人を愛しているから、戦争をしないから、という理由で、直ちにそれらをできない人を否定すること、あるいはそういう人の存在を否定することは、やめたほうがよい。できない人には、できないのである。

自転車珍妙乗り

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 FBのウォールやツイッターのタイムラインを漫然と見ていたら、何か、

「この6月1日に道路交通法が改正されて自転車の違反にも青切符が適用されるようになるが、その前の今日現在の段階では、自転車に対する青切符の制度(要するに行政処分の制度)が法律上存在しない。そのため、自転車の交通違反は即「赤切符」を切られるというのが現状だ。赤切符を切られると、裁判所に出頭したり手続きをしたり、いろいろと面倒にもなるし、最悪『前科持ち』にされてしまうので、自転車には気を付けて乗ったほうが良い。」

……というような趣旨のニュースがフィードされてきた。

 大阪で捕まってしまったある人はブログにこのことを詳しく書いておられ、淡々と反省しておられる。 改悛の情顕著にして、しかも史上初めてのケースということで、この方自身は不処分になったようだ。

 この方は「こうなってみてから周囲を見回してみると、自動車の通る道路でスマホを操作しながら自転車に乗っている人もいることにあらためて気づかされる。危険だし、事故が起こってからでは遅いのでやめましょう」というような趣旨のことも書いておられ、まず、もっともなことだと思う。

 このことを味わいつつ、ふと思い出したことがある。

 このところ自転車乗りというのは、警察も神経をとがらせるようになったこともこれあり、その危なさがよく取り沙汰される。

 普通の自転車で信号無視や蛇行運転、脇見、スマホ操作、飲食、無灯火、二人乗り、まあいろいろあるが、カッコいいぴちぴちレーシングスーツに昆虫みたいなヘルメット、虹色サングラスで前傾集中、スポーツ車を一心に漕いでいくスポーツ・ライダーも、周囲がまったく見えておらず、危険きわまる。しかもなお、スポーツライダーの場合、何か自分が正しいことでもしていると信じて疑わぬフシが感じられ、それが危なさに一段輪をかけている。

 そんな最近の自転車交通事情だが、私がある朝、ふと出勤途上の公道で見かけた男の自転車の乗り方は、一頭二頭、他から抜きん出ていると言わざるを得なかった。

 その男は、食事をしながら自転車に乗っていた。

 いや、飲食しながら自転車に乗る人は、実は見ていると結構多い。缶コーヒーを片手で飲みながら自転車を漕いでいたり、アイスキャンデーをなめていたり、まあ、せいぜい、サンドイッチかホットドッグかハンバーガーをぱくつく、というのはよくある光景だ。

 だが、その男は違っていた。

 プラスチックの丼を左手で抱え、右手に正しく持った箸で、牛丼のようなご飯をもりもりと食べ、時々「ンガほほッ」などとむせ返りつつ、そして、両足で自転車のペダルをこいでいた。

 左手は、なんだかものすごく器用な持ち方で、丼と一緒にカップ味噌汁みたいなものも一緒に持っていて、時々「ズーッ、ズーッ、……かーっ、ふぅ」と、うまそうな吐息が聞こえる。

 自転車のハンドルは、だいたい両肘か片肘を使って操作していた。そうやって無駄に巧みな舵取りで左右にふらつきつつ、時々手放しになり、休まず飯を食い、抜け目なく周囲の交通に目を配り、向こうから来る歩行者をヒョイと避けたりなぞし、信号のある交差点に来ると、箸を持った右手ですばやくブレーキを掛けて停まり、信号を待っている間また牛丼をむしゃむしゃガツガツと食べ、青信号になるとまた休むことなく牛丼を食い、味噌汁を味わいながらペダルを漕いでどこかへ行った。

 ……。ぬぅ……。

 メシぐらい、どこかへ座ってゆっくり食えよ兄ちゃん(笑)。

 そんなに急いでるなら、どこかのベンチで牛丼食ったあと、大急ぎで自転車こいで仕事に行ったほうが早いぞ!?

 私は自分が目にしている光景がにわかには信じがたく、その男に注意してお節介焼きをする、あるいは、地域の安全に一定の責任を持つ善良な市民としてその男を諌める、といったような、そういう行動はその時にはまったく思いつくことができなかった。

 ともあれ、彼が事故に遭わず、その後も無事に働き、生きていることを心底祈っているが、牛丼を食いながら自転車に乗ることは、やはり、よくないからやめたほうがよい。