政府も

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 いつぞや、「ゴールデンウィーク」という言葉の起こりを聞いて、ゴールデンウィークをゴールデンウィークと呼ぶことに抵抗を覚えるようになった。

 ゴールデンウィークというのを休日が続いて黄金のように楽しいと言うような意味にとらえてしまう人が多いようだが、実はそうではない。テレビが各家庭に普及していなかった昭和30~40年代、庶民の娯楽は夕時の寄席や休日の映画であった。「ゴールデンウィーク」なる言葉は、その映画業界から出てきたものだそうだ。つまり、映画業界が連休の家族連れでザクザクと書き入れどきになるという意味の「ゴールデンウィーク」である。

 これは、映画業界、すなわち「あっち」にとってのゴールデンであって、「こっち」にとってのゴールデンではない。

 そこからすると、「ゴールデンタイム」というのはテレビ業界にとってのものであって、こちらにとってのものではない。楽しい番組が目白押しの家庭団欒の輝ける中心時間、ということではないのである。テレビ会社のヨダレ塗りたくり系視聴率猟場といったほうがよかろう。「あっち」にとってのゴールデンだ。

 子供を育てていると、夜の19時ごろから21時ごろと言うのは、正しく食事をしたり、勉強をしたり、後片付けをして風呂に入ったりするという極めて重要な時間であるということを日々認識させられる。この時間帯をどのように過ごすかが育児の鍵であると言い切っても差し支えあるまい。

 この時間帯、私自身はできる限りテレビを見ないようにし、勉強したりピアノの稽古に励んだり、活模範を展示しようと努めてはいるのだが、子供たちにとってはそんなことはまったく関係がない。この大切な時間にポカンと口を開いてだらだらテレビを見て過ごし、寝るのが23時にもなってしまっている。それを徹底矯正できない自分の指導力のなさもよく考えると父として恥ずかしい限りだ。だがしかし、テレビにはそれくらい人を毒する魔力があるのだ。

 テレビ屋は、自分たちがどれくらい毒のある手段を持ち、その毒がどれほどの影響力を揮っているかをわきまえるべきだ。もっと慎重自虐に仕事を運ぶべきなのだ。テレビ屋は自分たちでは「『ゆとり教育』はけしからん、バカな文部官僚のくだらん思い付きによって日本はバカになっている」などと好き勝手な言説を垂れ流し、すべてを行政と政府と官僚のせいにしているが、そのくせ自分たちのやっていることは全部デタラメだ。もっと反省するべきだ。

 政府も、「サマータイム」などという毛唐流のおかしな習慣の導入などにムダな時間を使っていないで、この「ゴールデンタイム」と称する腐ったテレビ屋の習俗を法律で禁止してはどうか。そのほうがよっぽど日本の国力は増進するだろう。

 低俗でつい見てしまいたくなるような番組は、すべて朝の4時30分から6時ごろに集中させればよい。国民はみな早寝早起きとなり、ラッシュアワーの緩和などにつながって住宅の問題が軽減されるし、適正な睡眠によってデブが減り、生活習慣病が減少して医療費などの問題解決に幾分か寄与するだろう。

 かわりに、夜の19~21時ごろには、「皇室アルバム」とか「浪曲アワー」、「100歳万歳」「日めくり万葉集」などの、その内容に比して不当な評価をあてられている番組を一斉集中させるのがよろしい。

 仕事が終わった夜のひととき、静謐誠実なおん人柄の天皇陛下のお姿をテレビにて拝し奉れば心気鎮まって自ずと至心起こり、また浪花節の渋声に心を浸せば、人情と武士道が綯い交ぜになって胸に迫り、あるいは100歳の寿を誇る老人の魂をその姿から感じ取れば、高齢化問題に性急な断を求めようとする不孝の罪心を恥じる気持ちが湧くであろうし、他方、夕のひとときを万葉の精神に触れて過ごせば、古の直なる言の葉は都会に荒びきった愚かな迷いの心を開放するに違いない。

 ここに一億の魂が洗われて、沈滞する日本の命運は一挙に挽回されるのであるッ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.43

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 「エリーゼのために」、仕事から帰ってきて、3度ほど練習した。この3日ほど、泊り込みの仕事があって練習できなかったのに、なぜかスイスイとうまく弾けた。録音はできず。

 道端に蝉の死骸をたびたび見、朝夕の気温に秋の姿を想像する。

 とはいうものの、昨日今日の暑さは格別だった。

 世相のほうはどうか。テレビは相変わらず酒井法子の覚醒剤疑惑を報じ続けている。来週は国情混乱必至の衆院選だというのに、テレビ屋には選挙なんかどうでもいいらしい。あんなに不安を煽り立てつづけたインフルエンザの流行も、事態は冬頃よりも今のほうがよりなお深刻の度を増しているというのに、テレビにとってはくだらぬことであるらしく、報道はほとんどない。

 仕事がやや忙しいが、節度を持して、公私共に健全ならんとする。

電車のポスター@山手線

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 「気温-8℃。なのに、素足。 草なぎ剛(井尻又兵衛役)」とある。

 笑わすんじゃねぇ、テメエは

「有名人。なのに、全裸。 草なぎ剛(元容疑者)」

だろうがよ(笑)。

 それにしても、『人の噂も七十五日』とやら。テレビは懲りもなく連日酒井法子の覚醒剤事件を報じ続けていて、草なぎの全裸なんか忘れている。

辻井伸行氏の快挙

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 今日のニュースを見て驚かなかった人、喜ばなかった人はあるまい。辻井伸行氏の快挙である。

 職場で仕事前のひと時、付けっぱなしになっていたテレビから「ラ・カンパネラ」の調べが流れ出し、なんとはなしにテレビに近づいてみると、このニュースをやっている。

 恥ずかしいことだが、私は辻井氏の名前は知らなかったし、そういう人がいるということも知らなかった。全盲のピアニストといえば梯剛之氏が有名で、この人はテレビなどで知っていたのだが、辻井氏の名前は今日はじめて聞いた。

 映像を見てびっくりである。全盲とかなんとかいうようなことは、この際どうでもいい。その調べ、音、演奏の雰囲気、これである。テレビを通してのほんのさわりですらそうなのだから、もしナマで聞いたらどんなことになるのか想像もつかぬ。

成人の日所感

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 成人の日、祝日である。朝から我が家の玄関先には日章旗を掲げて祝意を表した。

 だが、本心を言えば、私はあまり喜ばしく思っていない。

 テレビや新聞は、どうせ今年も荒れる成人の日、などという面白くもないニュースで塗りつぶされているのだろう。見る気もしない。電気代や新聞代を自腹で払って不愉快な思いをする必要などない。

 20年以上前、自分の成人式の日、私は仕事をしていた。だから、いわゆる世間一般の人が言う「成人式」というものには出ていない。その日は朝からなぜか一日中忙しかった。職場の下の者に私と同い歳の者が何人かおり、午前中、時間になると彼らを成人式に送り出してやった。私は職場に残ってなんやかやと深夜までコマのように働いて、自分の成人式がどうとか言っている暇はなかった。深夜1時、職場のきしむベッドにもぐりこみながら「ああ、成人式だったな。日がまわっちゃった。俺、成人じゃないか、ハハ」と、ひとりごちたものだ。

 社会人として責任を果たした、自分なりの成人式だったと思う。いや、そのずっと前から、私は社会の一員としての責任を果たしていた。だから、既に成人だったのだと思う。何ぞ我を他人が祝うことやある、と言うぐらいの内心を私は抱いていたようにも思う。

 親の金で高校や大学を出てぬるく生きている者には、成人の日における私の行動など、知能の低い者が自業自得によって仕方なくとった愚かさの代償に見えることだろう。2ちゃんねる流の言い回しなら「ドキュソ」である。「そうなる前になんで勉強して大学出るなりしないわけ?バカじゃねぇの?」とでも言い捨てることだろう。

 自分のことや当時のことをわかってもらおうと他人に説明する気など私にはない。親兄弟、妻や子供にすらわかってもらおうと思わない。理解などできまい。こんな話をすれば、「大げさだ、ウソだ」と言う。言わば言え、なんとでも。哀れまれたいと思っているわけではさらにない。

 自分のことをどうこうではない。ただ私は、高等教育を受ける機会を与えられておきながら、モラトリアムだのニートだのフリーターだのと称して怠け、寧日をむさぼっているスネ齧りの馬鹿者たちを腹の底から軽蔑し抜いているだけだ。

 手放しで誉められ、甘やかされてきた若者たちは、祝福されるにふさわしい人間となれるよう、自分たちを責め抜き、鍛え上げ、懺悔しなければならない。そうしなければ、今日という日は永久に、誰からも本当の本心からは祝ってもらえない、ゴミか痰唾のような蔑まれるべき成人式のままである。

亀田何某が負けてうれしい

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 私はボクシングやスポーツにまったく興味などない。だが、私のような門外漢ですら、ボクシング選手の亀田何某が極めて無礼・失礼な言動で有名なことは知っている。

 その品性下劣な亀田何某が、清貧の世界チャンピオン、内藤大助氏に敗れたという。

 亀田某は不愉快である。ほんのわずか、テレビに出演しているのなどを目にしただけで、もう嫌いになった。

 嫌いなのなら、テレビやボクシングなど、見なければいいだけの話である。それで、これまで私は、自分の家の電気代を消費してまで嫌な気分を味わうのなど真っ平ゴメンということもあり、ネットでもテレビでも、「亀田・・・」という文字が見えるか見えないかの瞬間にスイッチを切ったりそこを避けたりしてきた。

 だが、亀某が負けたとなれば、これは話が別である。

 本当にめでたい。日本のスポーツに良心が生きていたことを喜びたい。youtube等で、いつもなら見ないボクシングの映像を探し、内藤大助選手の英姿をこれでもかこれでもかと何度も繰り返し再生した。本当に良かった。

 内藤氏は清貧な暮らしで、苦労人であるという。少しでも豊かになって、家族に楽をさせてあげられるように願って止まない。

理はイランにあり

投稿日:

 ブッシュが如き、当然討論の場になど出ることはできまい。討論したところで、反論などなし得まい。正邪と言うなら、正はイランの側にこそあり、邪は合衆国大統領とこれを「完全なる民主的方法」と自称するやり方で選んだアメリカの国民全てである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070917-00000112-yom-int

イラン大統領が国連総会出席へ、米大統領との公開討論提案
9月17日19時29分配信 読売新聞

 【テヘラン=工藤武人】イランのアフマディネジャド大統領は16日夜、国営放送のペルシャ語版衛星テレビで、25日からニューヨークの国連本部で始まる国連総会一般討論に出席する意向を表明、核問題などをめぐり激しく対立する米国のブッシュ大統領との公開討論の実施を提案した。

 アフマディネジャド大統領の国連総会出席は、3年連続3回目となる。大統領は、昨年もブッシュ大統領に公開討論の実施を提案したが、即刻拒否されており、今回も実現する可能性は低い。 

最終更新:9月17日19時29分

馬鹿じゃねぇ?

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070120-00000076-mai-soci&kz=soci

<番組ねつ造>「あるある」に消費者から怒り
1月20日21時8分配信 毎日新聞
 それはうそだった。フジテレビ系列で7日放映の「発掘!あるある大事典2」が紹介した「納豆ダイエット」。(中略)
 ◇「信じていたのに」…消費者
 東京都江東区の大手スーパーで買い物していた団体職員の女性(41)は番組のねつ造を知り「今日も買いに来たんです。信じていたのに」と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」

 ・・・そりゃアンタ、納豆なんかバクバク貪り食ったって痩せるワケなんかあるかよ(笑)。馬鹿なんじゃねぇ?ちょっとは常識働かせなさい。

ミリオン・ダラー・ベイビー

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 テレビで「ミリオン・ダラー・ベイビー」を見る。暗い気持ちになる。

電氣菩薩と映像夜間中学/根本敬

投稿日:

 知人のTさんのところに寄ったら、またしてもスンゴク珍しい根本敬の本をかしてくれたワケだ。

電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉 電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉
価格:¥ 2,415(税込)
発売日:2002-01

 これがまた初版本で、並大抵のことで手に入るモノではない。正札「2300円+税」となっているのに、その上に貼られた「まんだらけ」の値札は3675円。

 で、コレ読んで、いよいよ根本敬の「映像夜間中学」に行ってみる決意を固め、昨日行きましたよ、ええ。

 場所は渋谷の多目的ホール、アップリンクファクトリー。万全を期して18時30分キッカリから整理券をもらいに飛び込み、整理ナンバー1番をゲット。

 根本玄人が並み居る中で俺ごときが一番前の席に陣取るのもどうかと遠慮し、2列目の席へ。

 だがしかし、席のワキに、「教科書もってきましたッ!」という誠意を示さんものと、その、Tさんから借りている「電氣菩薩」を置き、機会が許せばサインをいただこうという万全の態勢である。

  根本先生は本日は高熱だったらしく、なんだかおクスリで熱を下げ、15分遅れの登場。トークもなにやら高熱ふうラリルレボソボソスタイル。先生いつもああなのか?

 ネタは、まず幻の名盤系オサーン歌手「用心棒」の歌。佐伯一郎なる演歌歌手の紹介とともに。目を細めて聞き入る根本先生。高熱のためか恍惚のためか・・・ぬぅ、これが生根本かッ!

 それから「エメラルドカウボーイ」こと早田氏の映像。さんまと所ジョージの番組に早田氏が出演した映像とテレビショッピング出演時の映像。

 「『早田氏の人生10訓』がエメラルドお買い上げの方にもれなくプレゼント!」ってところでみんなウケてたが、チキショウ、俺は笑うのが遅れちまったぜ!初級者だからなあ・・・。そんで、エンエン早田氏のテレビショッピングビデオ。

 次に「警視-K」という、勝新太郎出演の刑事ドラマのオイシイところ。根本先生が愛あるマナザシで見入っていたのが印象的。

 しっかし、今調べて知ったが、主演の勝新太郎の登場人物名が「賀津勝利(がっつ・かつとし)」って、そりゃねぇよなあ。さておき、これも初級者の俺はただただ見入るばかりだった。

 4番目はイ・パクスの軽薄な感じのポンチャック。「今の韓流からは、ポンチャックは『なかったこと』にされちゃってますけどね」との根本先生の説に、来場者一同、深くうなずいていた。

 最後に、「インドネシアの川西さん」(と先生評するところの)ラマ・イラマの映像。
 根本先生のお体の具合が悪そうだったので、ことさらに居残るのもはばかられ、電気菩薩・初版本にサインは貰わなかった。

 俺には笑うところウケるところ感心するところがよくわかんなかったが、より深く根本世界を観た感じになった。