ナメられる

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 自分自身の経験だが、オッサンになると誰も相手になんかしてくれなくなる。ティッシュ配りのネェちゃんニィちゃんも、ティッシュをくれなくなる。つまり時間が解決する、ってこったなァ。

 実際、道も聞かれなくなるよ、ジジィになると。

オッサン愚弄本

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 靖国神社に参拝した帰り、新越谷の駅で降りて、まだ時間も少し早いからと駅ナカの旭屋書店に寄った。特段読みたい本があったわけでもないが、ちょっと寄ってみたわけである。

 流行ものに抵抗を覚える私は、平積みの本を読むことはまずない。だが、今日は表にディスプレイしてある本をチョイチョイと手に取ってみる。

 その中に、「日本国憲法を口語訳してみたら」という題名の本があった。

 えーっと……。はて???

 そもそも憲法は、万人に親しみやすくするため、最初から口語で平易に書かれていなかったか?それを口語訳するとは一体……。帝国憲法を口語訳するって話か?いや、題名はハッキリと「日本国憲法を」と書いてあるぞ……?

 思わず手に取って(めく)ってみた。驚いた。

 もともと口語で書かれている憲法を、全部「下品愚劣極まる乱暴乱痴気で意味不明な言葉に置き換えて羅列してある」のである。どうもこの出版元に言わせると、「子孫」のことを「俺らのガキども」などと言い換えることが「口語訳」ということであるらしい。

 あまりのことに愕然とし、次いで悲しくなり、通り越してだんだん心を虚無が占めていくのを覚えた。

 これが、こういうものが「口語」とされるとは。

 そうすると、私が今書いているこのブログの文字列如き、彼らから言わせれば口語などとはいうも愚か、文語どころか、下手をすると「上古の語」「記紀万葉の(いい)」とすら言われかねない。

 私と言えど、せいぜい満50歳であるから、老人と言うわけではない。だがこの出版事情が事実として正であるなら、私はもはや、自分の娘ぐらいの世代とすら、文字による意思疎通が出来なくなっているということではないか。つまり、部下とのやりとり、子供たちとのやりとりの、半分すら彼らに理解されてこなかったということではないか。それが内容の正否ではなく、形の違いによって理解されてこなかったということではないか。

 あまりのことに虚脱せざるを得ない。私ごとき、老害を避けるためさっさと死ねということであろうか。

 私を本位として書けば、これは、私が愚弄されているのだと思う。今後このテの本を「オッサン愚弄本」と名付けたい。

そろそろ

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 湿度が高く、光の散る晴れ方の朝だ。このところ、近所の家々の紫陽花(あじさい)はすっかり(しお)れたが、いれかわりに百日紅(さるすべり)の花が鮮やかに咲きはじめた。

 旧暦六月十五日。十五夜だが天文観測上の望月は明後日だという。新暦7月の和名は文月(ふみづき)だが、本来の旧暦なら名前ばかりの水無月(みなづき)である。実際は梅雨の最中で、「水あり月」だ。

 そろそろ梅雨明けかな、という雰囲気もあるが、あらためて天気図を見ると、列島はまだまだ長く伸びた梅雨前線の水蛇にとりまかれており、もう少し我慢というところか。

 関東に住んでいると、今年は(から)梅雨なのかな、という感じがするが、さにあらず、先日は千葉で冠水騒ぎだったし、関西・東北ではむしろよく降っているという。

 梅雨(つゆ)は「ばいう」とも読むが、この音読で「黴雨(ばいう)」の字を当てる場合もある。高い湿度で(カビ)臭くなるというほどの意味だ。

 思いついて手元の歳時記を繰ると、見出し・傍題含めて、雨に関してはたくさんの季語がある。試みに書き出してみよう。

 夏の雨 緑雨 卯の花(くた)し 卯の花くだし 梅雨 黴雨(ばいう) 荒梅雨(あらづゆ) 男梅雨(おとこづゆ) 長梅雨 梅雨湿(じめ)り 走り梅雨 迎へ(むかえ)梅雨 送り梅雨 戻り梅雨 青梅雨 梅雨の月 梅雨の星 梅雨雲 梅雨の(らい) 梅雨曇り 梅雨夕焼け 空梅雨 (ひでり)梅雨 五月雨(さみだれ) 五月雨(さつきあめ) 虎が雨 虎が涙雨 夕立 ゆだち 白雨 驟雨(しゅうう) 夕立雲 夕立風 喜雨(きう) 雨喜(あまよろこ)

 日本は高温多湿、雨が多く、四季のはっきりした風土なのだなあと改めて感じるのである。とりわけ、梅雨に関する言葉の多さときたら。

 また、「雨喜び」などという季語には、本当に農民の心が表れているな、と思う。

 「驟雨」という言葉には品と格があり、心に響く。それに比べて、最近「ゲリラ豪雨」という言葉が報道などで使われるが、これはまったく品もへったくれもない言葉だ。「ゲリラ」で「豪雨」だよ?いや、勿論、人的被害が出ているようなときに驟雨などと言って澄まし返っているわけにはいかないが、場面場面にちょうどよい言葉を使ってもらいたいものだ。

 テレビで美しいアナウンサーが、その美しさとはうらはらに「凄いゲリラ豪雨になる可能性がアリマス!」などと言い放つと、本当にがっかりする。「凄い」もどうかと思う。まあ、被害が出るような場面での「ゲリラ豪雨」は仕方がないが、「可能性」という言葉をここで選んではいけない。せめて「強い雨が降る恐れがあります」と言うべきだ。

 可能という漢語は「(あと)()く…」する時、つまり積極的な方向性があるときに用いるもので、被害が出るような場面で使ってはいけない。しかし、例えばゲストの大学の先生あたりが学術的な語として「梅雨前線の停滞で豪雨被害が出る可能性もある」というふうな使い方をするのは、これは学究の言葉であるから、まず構わないだろう。

 こう書いて来るとまるで爺ィの繰り言だ。オッサンから爺ィになってきた。

 言葉は時と人により変化していくものなのだから、あまり偏屈な繰り言は言うまい。

 何か雨の面白いものは、と検索すると、Youtubeにジーン・ケリーの「雨に唄えば」があった。

 名作だなあ。これでも見て、繰り言は休題にしよう。