コスタリカは非武装中立だと言うが、トリックはある。
すなわち、常備軍はないものの、コスタリカの憲法 “コスタリカの軍事に思う” の続きを読む
オッサンは生きている。
6月頃NHKで放映された番組の再放送があったので、録画し、見た。
普段あまりテレビを見ないが、こういう番組は時々見る。先日新しいHDDレコーダーを買ったということもある。
重く、苦しい内容で、簡単に安楽死の是非がどうこうと
単に安楽死した人を追うだけではなく、並行して、同じ病気に苦しみながら生きることを選んだ人の姿も追う構成だった
テレビや新聞が嫌いだが、こういう番組は、良いと思う。私も、番組の問いかけに軽々しく自答して、安楽死の是非を
面白い記事が出ている。
その展覧会のページがこちらである。
オーケストラの指揮者で女性は珍しいが、沖澤のどか氏という方が国際コンクールで活躍し、優勝したそうな。
喜ばしい。
「♪ おお~きな~XXXXをください~ッ!!」と連呼するというネタだ。下ネタを
不覚と言うと、コッチのほうも、本当に「不覚にも」笑ってしまった。
私は右翼なのでよく君が代を歌うのであるが、実際、「苔の~~む~す~…… ラ↑ド~レ~、ド~レ~↓ラ~ソ~……」というところなど実に難しく、大抵のおっさんは声が出ない。
ま、その点、世間の
通勤経路の
美しい。
写真にでも撮りたいところだが、他所のお宅の庭なんか写真に撮って、犯罪者だと思われても困るし、向こうでも気味悪くて迷惑するだろうから勝手なことはできず、残念である。
私は農業関係者ではない。しかし、おいしい野菜や果物を食べたいという単純な欲求は持っている。
去年の話題ではあるが、「種苗法」の運用により、自然な農業のなりゆきと感じられるような、例えば「収穫から種を採り、それを分けあって
パッ、と、そこだけ切り取って聞くと、「なんと不自然なことだ。天然自然の農業を歪めるものだ」という感じがしてしまう。上掲は去年の記事だが、この記事のように、「米国の大企業の支配構造に農業を組み入れる暴挙であると同時に、生態系や人間の健康に重大な影響を及ぼしかねない」というようなことを書きたてているところが多いようだ。
しかし、冷静に見ていくと、そういうことばかりではなさそうである。
もともと、苦労を重ねて改良された、日本の優れた農産品が、無秩序に中国や韓国に持ち去られ、勝手に
言われてみれば、苺や柑橘類、米穀などで損害を被る事態になっていることがニュースになっていたのを、深刻に思い出す。
どうも、落ち着いて見ていくと、「米国の支配」云々、ということを言い立てているところは、地方紙など、反社会活動に
何であれ政府や役所のすることは全部間違いだ、などということを言うのが好きな人が多いかのように感じられるよう仕向けて行く、というのは困ったものだ。
企業の経営は苦しいらしく、リストラもよく行われる。本当に企業が苦しいのか、お金を多く儲けようという商売の自然な道理に従っているだけなのかは私にはよくわからないが、こんな記事があった。
この中に、
余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。
というくだりがある。
これにびっくりする人もいる。
まあ、「余った従業員」という言葉に、労働者の悲哀を
私はどちらかと言うと、記事が乱暴な態度で無造作に書かれているだけではないかと思う。つまり、新聞記者の語彙が低劣化しているのだと見る。
種類の違う話だが、
余談だが、なんと
さておき、その時と同じような痛みを共感すると同時に、私は「余った従業員」という言葉しか書けない新聞記者を哀れに思う。
その新聞記者が悪いのではないのだ。教科書や国語のテストに出てきた言葉しか、彼らは知らないのだ。新聞記者と言うのは学歴が高く、子供時代は勉強に明け暮れているから、余裕のある時を過ごして読書したり人と話したりする機会を持てなかったのだ。しかもなお、光輝ある新聞記者の地位を得てみたら思いの
ほほ~……。
パジェロは官公署、例えば自衛隊などでも採用されているので、何かと波乱がありそうだ。
私も若い頃、パジェロが欲しかったが、それよりやっぱり小粒でイカしたスズキ・ジムニーのほうが好きで、長いことジムニーの幌車に乗っていた。結婚を機に四駆への興味が薄れ、パジェロもどうでもよくなったが、販売終了となるとまた懐古の情がそこはかとなく胸に生じる。
時代に照らして、まあ、そうでしょうねえ……。
ただ、まあ、「職場のことをネットに流すなッ!」というのは、若い人には、折に触れ教育しておかなくてはいけない。警察官が取り調べ中の事件のことをツイッターに書いたり、銀行員が有名人の貯金残高をFacebookに書いたり、メーカーの人が開発中の新商品のことをYouTubeで流したり、そんなこと、法律や社規以前に、常識で判断したってダメですからね。
一方、「今日、叱られて落ち込んだ」とだけ、ポツリとTwitterに書いたとして、それは、今時、責められぬ気はする。暑苦しい人間関係を避けることが望まれる昨今、その受け皿はSNSだったりするんだろうし。
産業振興などにつながるならそれも
昔、三菱重工が「F1戦闘機」を開発した頃は「日本、『ゼロ』から『1』へ」などと海外メディアに書かれたものだそうだ。
なんとなく連想するのは、ヨーロッパなどは第1次大戦や第2次大戦で、ドロドロの国際関係を持っていて、むしろその昔の第1次大戦の時代の方が、自国以外の兵器、ともすれば敵国の兵器で戦っていたりするのだ。
ドイツ製の火砲をフランスが重宝していたりしたと聞いたことがある。いつぞや読んだ本によると、第2次大戦中のスイスなんか、中立国だが、ドイツのメッサーシュミットを買って領空侵犯機を叩き落としている。
余談だが、中立国であるスイスの上空をアメリカの戦闘機が領空侵犯したため、スイスはこれを撃墜した。戦時下だから、アメリカ・イギリスだろうとドイツだろうと、どの国に対してもそうしたのである。ところがこれに激昂したアメリカは報復の挙に出た。国もあろうにスイスにB29を差し向け、都市無差別爆撃を敢行したのだ。この爆撃で、スイスの一般市民にはおびただしい死者が出た。あまり知られていないがこれは史実で、アメリカ側にとっては思い出したくもない汚点となり、スイスとのしこりともなって今も残っている。
話がそれたが、仮に国産で戦闘機を作ったとして、部品の多くはやっぱり米国製で、サプライ・チェーン上、もはや国産がどうとか論ずること自体が無意味なのではないだろうか。
私の生まれ育ちは大阪の堺市だ。その近くの岬町に昔からある「みさき公園」が閉園するのだという。
私なども子供の頃、何度か行ったものだったが。しかし、うんと小さい頃だったものだから記憶は遠い。確か伯母も一緒だった。陽光の中、青い芝生の中で遊び疲れ、土管のような大きな遊具に入って楽しんだような気がする。追憶、と書けば的確だ。その伯母も先頃亡くなった。……まあ、私にとっては
まあ、そりゃあ、当時と違って今は子供も減っているし、どうしたって子供相手の場所であることを否定できない遊園地が赤字になるのは、これはもうしょうがないわなあ……。大人、
……
私は会社の経営のことなどサッパリわからないが、Facebookみたいな、なんとなく「若者の企業」みたいな感じのするところが、口に出して言うとおっさん集団の代表みたいな響きの感じられる「経団連」なんてところへ、入るもんなんだなあ。
他にも、GoogleもAppleもAmazonも、み~んな入ってる、などと書いてあって、へぇ~……、と思う。
う~ん、どうなんだろ。
「言葉に痛みを覚える」ということには私は共感する。人間に対して「その他」とは、雑な書き方だなァ、とも思う。
が、しかし、「その他」以外、どうにも書きようがないだろ、こんなの(苦笑)。
「男 女 性的マイノリティ」なんて書いた方がよっぽど無残な書き方になっちゃうし。
あ~、この映画、やっぱりイソ子関連なんだ。
でも、イソ子も悪いと思うよ。官房長官にハラスメントみたいなことするからだよ。
なんか、生まれる場所や状況が違ってたら、すごい才能を発揮したのかもしれんな。職人とか、名人とか。
「アルムおんじ」の話などするうち、スイス傭兵の話から、近代のスイスの苦闘についても興味を覚え、ちょっと読んでみた。
永世中立国スイスは、のほほんと平和に暮らす田舎国家などではなく、実は全身これハリネズミのように武装した国民皆兵の国であることはよく知られている。しかし、私たち日本人は理由もなく漠然と、スイスの軍事力は単に潜在的抑止力として準備されているだけで、全く他国と
ところが、ところが。スイスは、実は第2次世界大戦において意外に激しい戦闘を行っているのだ。中立を守るために、である。いかなる国の軍隊も、どんな理由があろうと、スイスの領土を侵すことを許さないという意思を断固として示したのである。無論、兵の血と生命によって、である。
しかし、それは簡単なことではなく、迷う国内世論の処理を含め、苦しい選択と難しい判断を積み重ね、ひとつひとつの局面を切り抜けていったことが本書には克明に描かれている。
大戦中のスイスの戦闘で、本書でも大きく取り上げられているのは対領空侵犯措置の戦闘である。ドイツであろうと米英連合国であろうと、スイスの領空を犯す航空機にはスクランブルをかけ、枢軸国側航空機を12機、連合国側航空機を13機、合計25機を撃墜している。しかし、領空侵犯機への対処は極めて難しく、逆に空戦を仕掛けられ、スイス自身はその10倍、200機もの航空機を失い、300人もの死傷者を出した。空中戦は昔も現代も先制攻撃が常道、つまり先手必勝がベスト・プラクティスなのであるが、対領空侵犯措置では、先に手を出すことができないのだ。
また、アメリカなどは国際法上永世中立国の地位を完全に認められているスイスに対し、完全に国際法違反の都市無差別爆撃を行い、100名ものスイス一般市民が死亡した。このことは後世もアメリカの汚点として、しこりとなって残っている。
スイスはこのように、おびただしい犠牲の上に中立を堅持した。
スイスだけでなく、大戦中、スウェーデン、スペインが中立を守るためにどれほどの犠牲を払い、戦ったかということに光を当て、日本に広く紹介したという点で、功績の大きい一冊であると思う。アマゾンのレビューでは資料の選び方などに一部批判の意見もあるようだが、そのことは本書の価値を
「アルムおんじ」の記事の流れで、ちょっとスイス傭兵に興味を覚えて。
毛沢東が実は日本軍と共謀して蒋介石の国民党軍と戦っていたという奇怪な事実は、現在の中共が主張する抗日戦争の歴史など根底からひっくり返ってしまうようなことである。
だって、中国は韓国ほどには頭のおかしい要求はしないけれども、謝罪しろだのなんだのとうるさいことには変わりがない。ところが、謝罪しろも弁償しろもヘッタクレも、大日本帝国と一緒になって蒋介石と戦争してた、ってんだから。
戦後になって、蒋介石率いる国民党は逃げてばかりいたのだなどと中傷し、毛沢東率いる八路軍こそが抗日戦線の主役であった、などと、言い分が変わっていく様子が本書ではよくわかる。
図書館で読んでやろ、と思ってたら、販促のためか、Kindleなら第1巻のみタダだった。
なるほど、最近ポスターやキャラクターグッズなどもよく見かけるし、ドラマ化もされるようで、ヒットするだけあって面白い。
残りは高いから図書館で読もうと思ったが、前掲の3冊を読むので時間切れとなり、読めなかった。
アルプスの少女ハイジの爺さんは、若い頃に傭兵として戦地に行った元戦争のプロ。クララの介護が上手な理由は傭兵当時に負傷兵の介護を叩き込まれたから(上官だか戦友の介護を続けた過去がある)。原作設定だけど「一番危険な人物」で間違いない。https://t.co/i6l3lxZV0e
— motoyuki (@motoyuki) December 25, 2016
Twitterでこんなことを書いている人がいて、どなたかのリツイートでそれが私のタイムラインにも流れてきた。
しかも爺さん、戦争でではなく、ケンカで人殺しをし、兵営を脱走してデルフリ村に逃げてきたんですよね。間違いなく危険人物ですよ。
— SatoToshio (@SatoToshio) January 3, 2017
そうそう、そうなんだよな、と思ったものだから、思わず次のようにリプライした。
そうしたら、このリプライまで一緒くたにリツイートされている。
後でこの元ツイートの人も書いているのだが、意外に、あの世界的名作「ハイジ」は、原作が読まれていないのだと思われる。
さもあろう、原作は野生児ハイジがおじいさんともどもキリスト教信仰に目覚めていくというのが基本的な筋書きで、色んな所がアニメとはまるで違う話なのだ。心が「(キリスト教的に)正しく」なったおじいさんが教会通いをするようになる話などはアニメ制作当時の日本では到底受け入れられなかったため、バッサリ切除されているわけだ。
参考までに、おじいさんに人殺しの噂があることや、傭兵時代に上官を看護した話などは、原作では次のようになっている。
以下、岩波少年文庫「ハイジ」(上)(下)(ヨハンナ・スピリ作・竹山道雄訳 ISBN4-00-112003-8・4-00-112004-6)から引用……
……デーテはいきおいこんで答えました。「もともと、おじいさんは、ドームレシュッグでいちばんりっぱな農家の主人のひとりだったの。あの人は
総領 で、弟がひとりいたんだけれど、こちらは、静かな、まじめな人だったわ。ところが、にいさんのほうは、金持風 をふかせて、あちらこちらを旅行して、素性 のわからない、みょうな人たちとばかりつきあって、あげくのはてに、家もやしきも、ばくち やお酒でなくしてしまったの。それがわかった時に、父親も母親も、悲しみのあまり、つづいて死んでしまい、弟も、そのために、世の中がいやになり、こじき同様になって、遠い旅に出かけました。どこにいったのか、わからないのよ。とうとうしまいに、おじさん自身も、わるい評判 だけを残 して、姿を消してしまい、しばらくは、ゆくえ がわかりませんでした。やがて、兵隊 に入って、ナポリにいった、といううわさがつたわっただけで、それからあと、十二年か十五年のあいだも、消息はありませんでした。ところが、とつぜん、かなり大きくなった男の子をつれて、ふたたび、ドームレシュッグに姿をあらわし、この子を親類 に、あずけようとしたの。でも、どの家でも、おじさんを入れてはくれず、だれも、かまいつけなかったの。おじさんは腹 をたてて言いました。『こんなドームレシュッグなんかに、もう二度とは足をふみいれんぞ。』それからこのデルフリ村にきて、男の子といっしょに住みました。おかみさんだった人は、ビュンデン州の女だったらしく、おじさんはその人と一緒になって、まもなく死なれたの。お金は、まだいくらか持っていたらしく、そのトービアスという男の子に、大工仕事を勉強させました。きちんとした子だったから、村の人からはみんなに好 かれていました。けれども、おじさんの方は、だれも信用 しなかったの。うわさによると、おじさんは、ナポリで脱走したのですって。もし、しなかったら、ひどいめにあったでしょうね。人殺 しをしたんですもの。それもね、いいこと、戦争でではなかったのよ。けんかだったのよ。それでも、わたしたちは、親類の縁 は絶 ちませんでした。わたしのおかあさんのおばさんは、あの人のおばさんと、いとこどうしだったんだもの。わたしたちは、あの人をおじさんとよびました。もともと、わたしたちは、デルフリ村のたいていの家と、父方 の親類でしょう?それで、村の人は、やっぱりみな、あの人をおじさんとよんでいるのよ。アルム山の上へ越していってからは、ただ、アルムおじさんと言っているけれども。」
「おじょうさんは、なれたいすにかけさせてあげたほうが、いいでしょう。旅行のいすはかたいから。」おじいさんは、こういいながら、ひとが手をだすのを待つまでもなく、すぐに自分のつよいうでで、病気のクララをそっとワラのいすからだきあげて、注意ぶかく、やわらかいいすに
移 しました。それから、ひざかけをなおしてやり、足をできるだけ、らくにのせてやりました。そのようすが、まるで、これまで、手足のきかない病人のせわをしてくらしてきたようでしたから、おばあさまは、びっくりしてながめていました。「まあ、おじさん、」と、おばあさまは思わずいいました。「どこで
看護法 をおならいになったのでしょう。それがわかったら、知っている看護婦 をみな、そこへ習いにやりますわ。ほんとうにまあ、こんなことがおできになるなんて!」おじいさんはすこし
笑 いました。そして「べつに勉強したのではありません。やっているうちに覚 えたのです。」と、答えました。けれども、笑っているその顔は、なんとなくかなしそうでした。おじいさんの目の前には、ずっと昔の思い出が浮 かんだのです。それは、やはりこんなふうに、手足を使うこともできずにいすにすわったきりだった、ある人の顔でした。その人は、おじいさんの隊長 でした。おじいさんは、シシリアの激戦 のあとで、隊長が地面にたおれているのを見つけて、かついでいきました。それからあと、隊長は、とうとうさいごの苦しい息をひきとるまで、おじいさんだけをそばにおき、どうしても手ばなそうとはしませんでした。いま、おじいさんは、それを目の前に、まざまざと見るような気がしました。それで、この病気のクララを看護 して、自分にできるかぎりのせわをして、その苦痛 を軽くしてやりたい、これが自分の仕事だ、と思いました。
原作内には現れてこないが、シシリアの激戦というのは日本で言えば江戸時代、幕末の頃にあった戦いだ。
端は割拠分裂の状態にあったイタリアの、統一への動きに発する。この時に起こった「ソルフェリーノの戦い」は、英仏連合軍とオーストリア軍との間で激しく繰り広げられ、
この戦争の流れの中で起こったのが「シシリアの激戦」である。
これらの戦いでは名将ジュゼッペ・ガリバルディの名がよく知られるようだ。「ガリバルディ」でググると、シシリアの闘いについて概要が分かると思う。
また、この戦争の傷病者の悲惨さに心を痛めたスイス人アンリ・デュナンにより赤十字が設立されたことはよく知られる。
同じ頃、旧ロシア帝国と旧オスマン帝国の間で起こった「クリミア戦争」において、かのナイチンゲールが看護婦のあり方を確立したことも知られている。
当時は旧来の凄惨な
そんな当時の、「血の輸出」とまで言われたスイス傭兵の、戦闘惨烈の極処にハイジのおじいさんの姿もあった、と想像すると、児童文学にしてはなかなか大人の味わいもあって、物語の行間にも読むところは多い。