聖母を崇める旧教徒がなんで女を法王に(いただ)かぬのか

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 ……と、標記のように思ったわけである。

 不思議なこともあるもの(かな)。これはつまり、ローマ法王如き、結局は利権の体現者でしかないから、ということであろうか。

 侵略と強制、差別と狂信の根源が、要するに法王であったから、だから女は法王になれぬ。

 悔しかったら、次の法王には修道女の中から最も聖なる者を選べ。

 所詮は基督(キリスト)教。どうせできはすまい。

時事雑挙

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アメリカ人がアメリカで素っ裸になろうがどうしようが

 だいぶ前の記事だが。

 このキム・カーダシアンなる女性がイランとどういう関係にあるかが記事には全く書かれていない。要するに、この女性はれっきとしたアメリカ人である。

 アメリカ人がアメリカで素っ裸になろうがどうしようが、そんなの勝手と言うものであり、なんでイランを挑発することになるのか、サッパリわからない。多分、イラン政府がが怒っているなんていうのも、嘘か()ッち上げだろう。

 そうでないなら、記者は例えばキム・カーダシアン氏の先祖がイラン人だったとか何とか、そういうことを記事の中に書いておかないといけない。

著名な医師にして世界的ピアニスト

 スゲェな。

 こんな人もいるんだなあ。

 ピアノの朝練習と言うと、僭越ながら不肖この私も、ちょっと思い当たる。仕事をしていると夜はいろいろ忙しくて稽古にならないのだ。それで、出勤前の朝、毎日稽古するのである。わかるわかる、と感じる。

 ……と言って、私はもうすっかり朝の練習も()めてしまっているわけだが……。

なんというか、当たり前すぎて

 それがどうした、という感じがする。

 そりゃ、貧乏人よりカネ持ってる奴と結婚したいでしょ、普通。

 というか、別の角度から、この記事が何を言いたいかをズバリ一言にするならば、「暗に『一夫多妻』『多夫無妻』への動機の、消極的追認」である。

祈冥福(めいふくをいのる)

 晩年は鬱病で苦しんでいたとも聞く。祈冥福。

買い物と兵

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 ほっつき歩き用にバッグを一つ買う。

 私の語彙(ごい)では、これは「雑嚢(ざつのう)」、英語で気取るなら「Haver sack(ハバ・サック)」と言うべきものだ。兵用品の一つである。

 ところが、最近はこれを「Messenger bag(メッセンジャ・バッグ)」と言うようだ。これは「伝令行嚢(こうのう)」とでも訳することができようが、そう訳したとしても、やはり兵用品の一つと言うことになる。Wikipediaの「メッセンジャ・バッグ」の項目を見ると、「自転車従事者の使用するもの」というふうに書かれているが、その解釈は無理があると思う。

 洋式の男の身の回り品や服飾にはそういうものが多く、トレンチ・コートやダッフル・コート、もっと言うならサイドベンツの背広やポケットの雨蓋(あまぶた)など、みな軍服の名残(なごり)である。

 女性の服飾にそういうものがないかと言うとさにあらずで、最も目に付くものと言えば女子高生のセーラー服であろう。

 セーラー服はいうまでもなく各国海軍の兵服であり、いわば世界標準である。海上自衛隊の海士(かいし)の制服は今もこれである。イギリス由来のものであるため、「ジョンブル」を転訛してか、俗に「ジョンベラ」と言うようだ。

 ところが面白いのは、女性海士の制服はセーラー服ではなく、ブレザーとなっていることだろうか。

 写真の男女は両方「海士長」の階級章をつけており、同階級の男女なのであるが、ご覧のとおり男はセーラー服、女はブレザーである。

 海士は若い下級の隊員であるため、当然女性海士も20台前後の若者ということになるわけだが、昔、制度が開始された頃、若いとはいえ大人の女性にセーラー服を着せていては「シャレにならん」……とでもいうような配慮でも働いたのかどうか。詳しいことは定かにはわからない。

新発明反差別用語

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 「婦人(ふじん)」という言葉がある。訓読みすれば「婦人(おんなのひと)」だ。これは本来ゆかしい言葉で、良い言葉である。「女性」などという事務的、物理的、即物的な言葉より、よほど女性を尊敬した柔らかな言い方だ。従って「婦人警官」や「婦人自衛官」といった言葉を排撃し、廃止してしまったのは残念なことであった。

 この言葉が用いられなくなった当時の、どこかの役所の政策審議録を見ていたら、

「『婦人警官』などとは何事か、女性の警察官でも、まだ婦人ではない人も中にはいるかも知れないではないか、女性たる者すべて(とつ)いでいて(しか)るべしというような意識が底流に見え、著しく不快である。こんな差別的な言葉の使用など廃止すべきだ」

などと言う発言が見え、これは完全に「夫人」と「婦人」をはきちがえており、どこの誰かは知らないが、審議員たる自称有識者の低劣ぶりを表している。所詮(しょせん)有識者を僭称(せんしょう)して(はばか)らぬようなこの如き手合いなど、学校で習った漢字の読み方しか知るはずもなく、「婦」と書いて「おんな」「をんな」「をみな」等と()むなどとは、そしてこれらの発音が全て違うなどとは、到底知り()つ使う(あた)わざるものと見える。

 ……と、上記のようなことをブツブツと言ってみていたところ、

「『婦』という漢字は『女』が『(ほうき)』を持って掃除をしているという意味を合成した会意文字で、その根底には『女如き、清掃などの補助的・屈辱的な仕事のみをしておればよい』という男性側の差別意識がある。差別許すまじ」

などという黄色い反駁(はんばく)を浴びた。

 ならば、「男」なんて漢字はどうなのか。「田」に「(ちから)」と書いて(おとこ)()む。こんな漢字など、「田に出て力をふるってこそ男、そうでないような者は男ではない」とでも言いたげではないか。これは差別ではなかろうか。

 「男」という字には、「男性如き、肉体労働、農業労働のような仕事ばかりして奴隷的屈辱に甘んじておればよいのだ」とする差別意識が込められているとすら言えるのではないか。

 「婦人」が駄目だと言うなら、「男」なんて、これほど一方的で差別的な字が他にあるか。昔の王権が「庶民の男如き、農業的労働のみを重んじ、田に出て泥まみれになってメシも食わずに働き続け、只管(ひたすら)年貢のみ納めておればよいのだ」というような封建的価値観を押し付けようとして、ステレオタイプを称揚した結果の、呪わしい文字と言っても過言ではないのではないか。

 そこで、である。

 もう「男」とか「男性」という書き方など廃止してしまえばよい。「男」が廃止になるのなら、「女」も廃止してよかろう。「女」という漢字は美しくしんなりとした女の座り姿を描き写した象形文字で、「男」のような会意文字ではないから、そこに差別的意図が含まれているとも思えないが、いっそのことスッキリと両方廃止してしまえ。

 では、どう書くのか。これはもう、差別の意図の全く含まれない、物理的な差のみを言うといい。つまり、「(びっこ・ちんば)」「(めくら)」「(おし)」「馬鹿(バカ)」「阿呆(アホ)」「禿(ハゲ)」等の言葉を、それぞれ「足の不自由な方」「目の不自由な方」「言葉の不自由な方」「知力の不自由な方」「頭脳の不自由な方」「頭髪の不自由な方」等と言い換えたようにすればよい。

 すなわち、「卵巣及び子宮並びに膣のある方」あるいは「睾丸及び陰茎のある方」と言えばよいのだ。

 「病気でこれらを剔除(てきじょ)した人や先天的にこれらのいずれかを持たぬような人はどうなるのか」という反論があると思う。その場合は「卵巣・子宮・膣を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、あるいはかつて持っていた方」「睾丸・陰茎を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、()しくはかつて持っていた方」という風に言えばよかろう。

 これで万事解決である。

 何?「子供にとって言いにくい」だと!?……そんなもの、「おちんちんのある子」「おちんちんがない子」とでも言わせておけばよい。

 何?恥ずかしい!?だったら、「Y染色体のある方」「X染色体のみの方」と言え!シンプルではないか、男警官は「Y染色体のある警察官」略して「Y警官」だ。女警官も同様に「X警官」だ。

 おお、殺人事件裁判の判例を書き出したようになってきたぞ。「X巡査はY警官であったため、その部屋には入ることができなかったが、Y警視はX警官であったのでドアを開けて部屋に入ることができ、本件現場を視認したものである。」などと、もはや(にわ)かには意味を把握できない。

 だが、面白いじゃないか。混乱こそが改革を(もたら)すというものだ。

 何?いやだ!?……だったら文句を言わず、「男」「女」あるいは「婦人」と言っておけばいいだろう。

 何?「マチズモ」だ?!「ミソジニー」だ??!!そんなもん知るかバカヤロー!!

あれこれ具合も悪けりゃ冗談も悪い

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具合の悪いことがバレるから?

 普天間。

 何か、昔、土地の借料を算定するために届け出をさせたところ、届け出のあった土地の面積を合計したら飛行場の面積の倍というようなアホな数字になり、しかし米軍用地のこととて確認もできず、やむなくすべて認可し、今も架空の支払いが行われているという。

 細部が違うかもしれないし、自分で資料を確かめたわけでもない、どこかでチラと見た噂話の類なので、その真偽はわからない。

 しかし、危険だから出ていくと言うものをあそこまで反対するのは、普天間が返還されると、そういう詐欺まがいがすべて白日の下にさらされ、金を返せと言う事にもなりかねないからではないか、などと下司味の推量もしたくなる。

オモロい理屈

引用……

……憲法上は日本に「軍」はなく、防衛省への協力は軍事研究に当たらないとする強弁も聞かれる。

……て、誰だそんなヘンテコリンな「強弁」をする奴ア(笑)。どこの学者のセンセイだ。顔が見たいワイ。

ナメられる理由

 米国は韓国の安全保障の死命を制し、強大な在韓米軍の配置と指揮権の掌握によりしっかりと手綱をとっている。では、日本は韓国の安全保障に何らかの影響を及ぼしているかと言うと、これが全然、ない。はっきり言って何の影響もない。()いて言えば韓国に増援するための米軍の基地として日本が使われるだろうと言うことはあるが、それは二次的、三次的な意味しかない。

 逆に、韓国の強大な軍事力が日本の安全保障に及ぼす影響は、多大にある。韓国陸軍は、半島有事の際には鎮め石のようにその真価を発揮するだろう。

 いくら金を積もうがどうしようが、韓国が我が国を(あなど)り、(ののし)るのは、それが理由の一つである。ケンカの弱い金持ちの坊ちゃんは、クラスではカツアゲのカモにしかならない。

 しかし日本の国是は「()兵もってよく守る」ことであるから、軍事力の増強は難しい。なので、ずーっと、ナメられ、いじめられ続けるより他ないだろう。我慢だ。

また嘘を書いていやがる

以下引用……

Q 誰が作ったの?
A 1950年代に英国で、ナチスドイツ出身の科学者らによって開発されました。97年に発効し、192カ国が入る「化学兵器禁止条約」で使用は禁じられていますが、北朝鮮は未加盟です。サリンなどと同じ神経剤の一種ですが、最も殺傷(さっしょう)能力が強く、「人類史上、最悪の毒物」とされます。

 ……あのなあ、嘘書くなよ。「日独伊とかは悪い国々で、こういう悪いものを作るのはナチスに決まっとるッ!」みたいなことを言いたいんかい(笑)。作ったのはイギリスの研究所で、イギリス人のラナジット・ゴーシュが作ったのっ。ナチスの開発したものが基礎にはなってるけど、「ナチスドイツ出身の科学者らによって開発」ってのは、全然違うだろうが。これは早く言えば嘘記事だ。

おっさんと愛

 女性の活躍と言うことが最近益々よく言われる。

 反面、おっさんは活躍するのが当然で、活躍して当たり前なので、活躍しても活躍させても、褒められもしなければ評価もされない。まったくおっさんというのは愛されぬ存在である。

後藤ェ……

 民進党後藤何某。「南スーダンの騒乱は『戦闘』か『武力衝突』か」なんてことに(こだわ)ってしつこく食い下がっているうち、「あのねえ、今まで黙っといてあげたけど、民主党の頃から報告書には『戦闘』って書かれてたんでしょうが!!」みたいな切り返しにあい、これが民進党伝家の宝刀、得意の「ブーメラン殺法」。スコーン!と見事に自分の脳天へ決まった感じである。

 その後、どうも都合の悪くなった後藤何某、腹いせに防衛省の事務官を怒鳴りつけたところ、これが自民党からパワハラ呼ばわりの逆襲。民進党全体が、すぅ~……と、南スーダンPKOの件から手を引いてしまった。その後、民進党はツッコミどころを大阪の森友学園問題に変えて、しつこく食い下がっている。

 まあ、どうでもいいけど、仕事してくれよ。>国会

悪い冗談だぜ

 月末の金曜日は仕事など放りだして街へ出て金を使え、などと言われた。これを称して「プレミアム・フライデー」と。

 ない金を使え、贅沢なものを食え、奢侈(しゃし)品を買え、なぞと急に言われても困る。我が家の家計など知れたもので、いまや子供たちの学費で精いっぱいだ。

 かつて、質素・倹約を旨とし、華美・奢侈に(わた)ることを戒め、浪費・濫費を慎み、勤勉精励をもって仕事や勉強にのぞむことは美風であった。

 それが、間違ったこと、卑しむべきこととされるようになってしまった。日本経済全般の趨勢から言って、金持ちが金を使うことこそ立派であるというのだ。昔の美風は「金持ちと蠅叩きはたまればたまるほど汚い」などといって、胡散臭い金持ちなど卑しまれていたものだったが、それがいまや逆になった。

 仕事なぞさっさと放り出して貯金をおろし、残業なんかしないで贅沢なものを(くら)って(ふと)れ、無駄金で無駄なものを喰って(ふと)ったら、無駄金で会費を払ってジムに通ってダイエットに励め、というような頽廃(たいはい)の風がまるで正義であるかのような時代となってしまった。

 その一方では貧困の増加などとよくわからない不安を煽り、もう一方で金など貯めるな使ってしまえとは、悪い冗談だ。貧困が増加しているなら、使う金なんかないだろ。

目標通り人口の増加は止まったが、出口が……

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 驚いた。この記事なのだが……

 今、私たちは少子化、人口減をなんとかしようと血眼になっている。しかし、昭和49年(1974)には、世界人口の増加を食い止めるため、政府の方針で人口を減らそうとしていたのである。このこと、うっすらとは覚えていたが、忘れてしまっていた。

 そう、私が小学生の頃の事なのだが、実際、私より3、4歳上の人たちの頃、子供が非常に増え、小学校などが大急ぎで増設され、教員が大量採用されていたのである。

 今、女性の自尊心をくすぐって働かせようとしているが、これは、子供が減った分を手っ取り早く埋め合わせ、納税人口を増やそうという政府の作戦である。

 政府もいいところへ目を付けたもので、女性たちも「働いて税金払え」と言われると「なによう!!そんなこと言うんだったら戦争法案なんかやめて人殺しのための予算を減らせばいいじゃない!」と怒り出すが、「これからは女性が光り輝く時代、活躍する女性ほど美しいものがあるでしょうか。アメリカもヨーロッパも既に女性こそが外交・経済・軍事・文化の中心になってますよ、遅れているのは日本の惰弱な男どもの考え方だけですよ!それを改めさせないと!」と言われると「うふふふ、そうかしら、働かなくっちゃ!」と張り切り出すと言うものだ。

 女性が働くのは本人の幸せのためにも良いことだと思うし、また、家族や、ひいては社会の活力、また経済などにも好もしい影響を及ぼすとは思うが、新聞やテレビに紛れ込ませてある「くすぐり」にウッカリ乗るのは、それは、「皆さん騙されてまっせ」ということである。

【妄想】戦場から差別をなくすことにより社会の差別も消える

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PHM15_0922 ジェンダー・フリーは急進してダイバーシティになり、これがラジカルな色彩を帯びるとGLBT礼賛というようなことにどうやらなるようだ。

 さてそこで考えたのである。戦場がダイバーシティないしGLBTオリエンテッドでないのは、差別であり、人間性に対する挑戦である。

 体が不自由な者、体力が劣る者、性的マイノリティなどが楽に戦闘できるような兵器の開発が急務である。これは将来の戦(しょう)獲得、戦場よりする人類そのものの進歩のため、必ず達成されなければならない。

 戦車の車椅子対応、盲人用小銃、聾人用無線機、GLBT教範、老人用戦闘機、家庭用コンバット・システムなど、日本の科学技術を余すところなくつぎ込み、戦場を多様化するわけである。多様な戦闘力は将来の戦場を支配するであろう。

 小銃一つとっても、「人と環境にやさしいエコモード」とか、女性向けの柔らかいストック、これならメイクも落ちずに安心、フェザータッチのトリガーでらくらく連射、と言ったダイバーシティ&エコ志向が求められる。指向、ではない、「志向」だ。

 人間の歴史は戦争の歴史であったが、その舞台である戦場から差別をなくせば、おのずと社会の差別も将来の歴史から消滅するというものである。

 戦前の研究者は、戦場空間は点から線、線から面、面から体へ進化し、時間軸は(べき)乗に比例して短くなり、そして、その参加者は武士や軍人から、殺される者として一般人までが幅広く参加するようになる、と予言したのであったが、シリアやパリの惨状を見るまでもなく、その言う所の中に的中したものは少なからず含まれる。既にGLBTまでが戦闘に参加する時代が到来したものと考えられる。

 

もうちょっと言い方ってモンがあんだろ

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 Facebookの広告に、なんだか、「モテ方」みたいなのの指南サイトが出てきて、鬱陶しいので非表示にする。

 なにが鬱陶しいと言って、「女性を落とす」という表現に不快感を覚えるのだ。

 「落とす」とは何だ、「落とす」とは。まるで女を物のように考えているではないか。

 せめて「女性の愛を得る」とか「女に愛される」というふうに書けないものか。

 しかし、性欲に餓えたアホ男にとっては、射的の景品を「落とす」ように、女は「落とす」ものなのであろう。どうにも仕方がない。若いって、乱暴だよな。

万緑

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万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

 これらの句の季語は「万緑」である。二つの対照的な句だが、いずれも生命力にあふれる緑を背景として、またその緑を自分の精神として、あるいは精神の前提として見据えている。

 この「万緑」という言葉は、宋代の詩人、王安石の「石榴の詩」の中に出てくる一節だと言われている。

万緑叢中紅一点、動人春色不須多。
(ばんりょくそうちゅうこういってん 人を動かす 春色 多きを須(もち)いず)

 春というものが人の心を動かし掴むのに、なにほどゴタゴタとした夾雑物を必要としようか、緑また緑の中に花の一輪ほどもあれば足りよう。…そんな意味だと思う。

 言葉としては、この「万緑」よりもむしろ、「紅一点」のほうがかつてはよく使われた。男職場の中にいる庶務係の女性など、「紅一点」と言われたものである。「ゴレンジャー」に登場する「モモレンジャー」も「紅一点」だ。ゆかしい言葉だが、今は男女共同参画とかダイバーシティなどの方面から熾烈な反発を喰らうのを恐れてか、どうも使われなくなったようだ。

 万緑という季語は、出典の漢詩を見てもわかるとおり、本当は春に属するものであった。しかし、掲出の、中村草田男の名句により夏の季語として認められ、定着した。「季語は名句によって生まれる」のである。このことの記念であろう、中村草田男の創始した俳句結社は「萬緑」で、今も存続して同名の俳句誌を発行している。

 中村草田男の生命感にあふれるばかりの「万緑」に比べると、上田五千石の掲句は重く、沈鬱だ。戦時中の作と見れば、緑なす南方戦線を思い浮かべることもできるし、昭和20年の虚脱の夏を思い浮かべることもできる。万緑の中の自己の矮小さが悩ましい。しかし、句の主人公は、決してその矮小を卑下などしていない。不動の自己がそこに固着し、きっぱりと決断している。

 本歌取りが許されるものならば…。

万緑や我が死は何を以て足る  佐藤俊夫
(「俺用句帖β」所載)