反戦主義者と似ている

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 先月のニュースだが、岐阜で熊害(ゆうがい)があったそうな。

 で、地元の猟友会や警察に寄せられているという苦情がまた、「誰だこんなこと抜かすバカは」というような、不愉快に思うのを通り越して、もはや噴飯ものの理屈である。

 「かわいそう~」か。ハハハ……

 反戦主義者の理屈に似ている。こんなもの、便所を掃除するとバイキンが手について不潔になるから掃除なんかやめましょう、とか、強姦魔や痴漢にも人権や人格があるのだから、裁判では全部無罪にして許してあげましょう、とか言うようなものだ。

 「熊の射殺現場を子供に見せない配慮が必要だったのでは」などと甘っちょろい批判があるようだが、私はそんな意見には反対だ。むしろ子供に見せた方がよろしい。

 私の二人の娘はもう大きくなってしまって子供ではないが、もし娘たちが小さい頃にこういう現場に居合わせる機会があったとしたら、私なら猟友会や警察に感謝したろう。人間が自然、ひいては地球の中で生存していくというのはどういうことか、自然や生命の、どのような犠牲の上に自分の命が成り立っているのか、他の生命の犠牲の上に成り立った自分の生命がどれほど大切にするに足るものかを、実地の血と銃声で、恐怖や不快感とともに深刻に見せて下さって、ありがとう、と。

吉村昭いくつか再読

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 秋田で熊害(ゆうがい)があった。(たけのこ)取りの老人が何人も熊に襲われて亡くなったのだ。この筍は東北より南でいう普通の筍とは違い、根曲(ねまがり)竹という一種の笹竹の筍だ。()の地ではスズタケとかスズノコとも呼ばれ、今の時季を逃すと味わえない。珍味であり、儲けにもなるものだからその採集は争いになるほど盛んである。熊が旺盛な食欲を発揮する今の時季に、余人には内緒の穴場へ入り込むことが大収穫の秘訣でもあって、それで今回のような事件が起こってしまう。いずれ星霜を経た人生達者の老人たちであり、なんとも痛ましいことだ。冥福をお祈りする。

 この熊害のことに絡んで、なにやら大正時代の「北海道・三毛別(さんけべつ)羆事件」のことが話題になっているようだ。

 三毛別の事件は(ひぐま)によるもので、しかも居住集落でのことだ。秋田の一連の事件は月の輪熊によるものだし、山林でのことなので、三毛別羆事件とはやや内容を異にする。

 さておき、私も若い頃は登山が好きで、春夏秋冬問わず北海道の山林を跋渉(ばっしょう)した。北海道の山林では羆の害はつきもので、これを避けるのは一種のたしなみというか、義務であった。よくよく羆は避けなければならなかったから、生態などもよく研究して山に入った。


 当時、そのようにして羆のことを研究するうち、この三毛別羆事件に題材をとったノンフィクション作品があることを知った。それが、吉村昭の「羆嵐(くまあらし)」である。

 他に、吉村昭には「北海道三部作」とも呼べるものが二つあり、それが「破獄」と「赤い人」だ。


 これらを思い出したので、ちょっとまたパラパラッとめくってみたくなった。ところが、本棚を探したところ、「赤い人」はあるけれど、「破獄」と「羆嵐」が見当たらない。

 記憶をたどってみると、長女が生まれた頃、妻と二人で住んでいたアパートが手狭で、何千冊という本を手放してしまったのだが、どうもその時に捨てたらしいことを思い出した。


 今だったらスキャナで取り込んでしまう(所謂(いわゆる)「自炊」)のだが、当時はそういう手段もなく、泣く泣く捨てたのだった。

 で、つい、ついつい、もう一回買ってしまった。勿体ないけど、まあ、いいや(笑)。