もはや誰も言わぬ「KY」、そして「忖度」悪し、へ

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 もう7~8年ほども経つだろうか。ひと頃、「KY」という言い方が大流行した。曰く、「(K)気が(Y)めない」というのである。

 無神経な人を指して、よくこういうことが言われた。「アイツは『KY』だ」と。

 だがそれからもう何年も経ち、人々の口にはこの言葉はのぼらなくなった。私も、もう「KY」だなんて言葉は忘れてしまっていた。

 ところで、私は蕎麦が好きだ。東京の名店を訪ねては息抜きをするというのがこのところの習慣になっている。

 蕎麦の名店会が出している「新そば」という無料の季刊誌がある。有名な店に行くとカウンターや帳場のあたりにこれが置かれている。蕎麦好きの有名人がコラムを載せていたりして、これがなかなか楽しいので、よく貰って帰る。

 先日、赤坂の室町砂場へ行ったら新しいのが出ていたので1冊貰った。女優の若村麻由美氏のインタビュー記事が出ている。その中に、ヒット中の舞台「ザ・空気」についてのやり取りがあったのだが、読んでハッとした。

以下「季刊『新そば』No.157」から引用

――「ザ・空気」という意味深なタイトルは、そのあたりに関係がありますか。

若村「KY(空気が・読めない)」という言葉が流行ったときは、空気を読めないのはダメみたいな使い方をされましたけれど、空気を「読みすぎる」のは自己規制につながりますよね。

 「これを言ったらイヤな空気になるだろう」というのを恐れて、当たり障りのないコミュニケーションを続けてしまう。

 今の世の中は「おかしいな」と思っていても声を上げられずに、その場の空気に従うことが多いんじゃないでしょうか。

以上引用

 さて、以前このブログに「忖度(そんたく)」という言葉について書いたことがある。今、言外に含められた様々な意図を汲み取るという意味で使われるこの「忖度」という言葉が、大阪の森友学園~籠池氏~財務省の不透明な経理……などと言った「悪いイメージとともに」クローズアップされている。

 「空気を読む」ことはよいことで、「忖度」は悪い政治家や官僚がする悪いことだ、というわけである。なるほど、それはその通りかもしれない。だいいち、「KY」と「忖度」では意味も違うし、言葉が指している領域(ドメイン)も違うように感じられる。

 だが、それはそれとして、人の心って、流行に従って読んだり、流行でないから読まなかったりするものだろうか?

 違う。読むべきであれば読み、読むべきでなければ読まない、そういうものであるはずだ。そうするためには不易の自己を確立することが必要だ。そうした人間として最低限のあり方に、変化や改革は必要ない。

 まったく無常な世の中である。こういうことがあるから、空気を読めと言ったり忖度悪しきことなどと言い立て、人を煽って変化を志向せよとする連中が嫌いなんだ。昨日のことにも異を唱える。その責任を取る奴なんて、誰もいない。

まあ、怒らせれば勝ち、みたいなことか

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 ……あー、なるほど。こういう奴ね……。ウラを感じる癖のついている私は、新聞に出た時から所詮はこういう方向だろう、とは思ってたけどな。

 まったく、ブン屋はまだしも、「ジャーナリスト」なんて連中にロクなのはいない。都知事選で晩節を汚した鳥越何某(なにがし)なんてのだって自ら称して「ジャーナリスト」なんだから。むしろ鳥越何某なんてのは「タレント」と言った方がいいし、この西中何某など、記者などとは言うも愚か、「活動家」でしょ。

 まあ、大臣も、ウブというか、御気の毒ですよ、ついこんなカスの挑発に乗っちまって声を荒げた、ってのは。ここはスルーしてほしかったなあ。馬鹿にまともに向き合ったってダメなんだから、ホント。忠実で言いなりの官僚に取り巻かれて日々を過ごしてると、全能感が出てきてしまって、「声を荒げりゃアイツなんか馘首(クビ)」みたいな感覚が身に付いちゃってね、こうなっちゃうんですよ。老人は特に、ね。

 思うに、カメラ回ってる時には何を言われようと柳に風というのがいいんでしょうね。何重にもチェックされた文章やデジタルメッセージで発信していくというのが、まあ、安全で新しいかもしれない。

 つくづく、今日び、ライブの言葉のやりとりなんて、もう、ダメだと思うな。不毛だよ。記者会見なんか、ブログでいいよ、もう。

 テレビ屋が切り刻んで編集しまくった映像だって、まるで今村大臣を不要物か害毒みたいに見えるような嫌な感じにしてるでしょ。

 まあ、吹けば飛ぶようなゴミ活動家にとっては、凱歌の上がる「勝ち」でしょうねえ、今回は。