新発明反差別用語

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 「婦人(ふじん)」という言葉がある。訓読みすれば「婦人(おんなのひと)」だ。これは本来ゆかしい言葉で、良い言葉である。「女性」などという事務的、物理的、即物的な言葉より、よほど女性を尊敬した柔らかな言い方だ。従って「婦人警官」や「婦人自衛官」といった言葉を排撃し、廃止してしまったのは残念なことであった。

 この言葉が用いられなくなった当時の、どこかの役所の政策審議録を見ていたら、

「『婦人警官』などとは何事か、女性の警察官でも、まだ婦人ではない人も中にはいるかも知れないではないか、女性たる者すべて(とつ)いでいて(しか)るべしというような意識が底流に見え、著しく不快である。こんな差別的な言葉の使用など廃止すべきだ」

などと言う発言が見え、これは完全に「夫人」と「婦人」をはきちがえており、どこの誰かは知らないが、審議員たる自称有識者の低劣ぶりを表している。所詮(しょせん)有識者を僭称(せんしょう)して(はばか)らぬようなこの如き手合いなど、学校で習った漢字の読み方しか知るはずもなく、「婦」と書いて「おんな」「をんな」「をみな」等と()むなどとは、そしてこれらの発音が全て違うなどとは、到底知り()つ使う(あた)わざるものと見える。

 ……と、上記のようなことをブツブツと言ってみていたところ、

「『婦』という漢字は『女』が『(ほうき)』を持って掃除をしているという意味を合成した会意文字で、その根底には『女如き、清掃などの補助的・屈辱的な仕事のみをしておればよい』という男性側の差別意識がある。差別許すまじ」

などという黄色い反駁(はんばく)を浴びた。

 ならば、「男」なんて漢字はどうなのか。「田」に「(ちから)」と書いて(おとこ)()む。こんな漢字など、「田に出て力をふるってこそ男、そうでないような者は男ではない」とでも言いたげではないか。これは差別ではなかろうか。

 「男」という字には、「男性如き、肉体労働、農業労働のような仕事ばかりして奴隷的屈辱に甘んじておればよいのだ」とする差別意識が込められているとすら言えるのではないか。

 「婦人」が駄目だと言うなら、「男」なんて、これほど一方的で差別的な字が他にあるか。昔の王権が「庶民の男如き、農業的労働のみを重んじ、田に出て泥まみれになってメシも食わずに働き続け、只管(ひたすら)年貢のみ納めておればよいのだ」というような封建的価値観を押し付けようとして、ステレオタイプを称揚した結果の、呪わしい文字と言っても過言ではないのではないか。

 そこで、である。

 もう「男」とか「男性」という書き方など廃止してしまえばよい。「男」が廃止になるのなら、「女」も廃止してよかろう。「女」という漢字は美しくしんなりとした女の座り姿を描き写した象形文字で、「男」のような会意文字ではないから、そこに差別的意図が含まれているとも思えないが、いっそのことスッキリと両方廃止してしまえ。

 では、どう書くのか。これはもう、差別の意図の全く含まれない、物理的な差のみを言うといい。つまり、「(びっこ・ちんば)」「(めくら)」「(おし)」「馬鹿(バカ)」「阿呆(アホ)」「禿(ハゲ)」等の言葉を、それぞれ「足の不自由な方」「目の不自由な方」「言葉の不自由な方」「知力の不自由な方」「頭脳の不自由な方」「頭髪の不自由な方」等と言い換えたようにすればよい。

 すなわち、「卵巣及び子宮並びに膣のある方」あるいは「睾丸及び陰茎のある方」と言えばよいのだ。

 「病気でこれらを剔除(てきじょ)した人や先天的にこれらのいずれかを持たぬような人はどうなるのか」という反論があると思う。その場合は「卵巣・子宮・膣を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、あるいはかつて持っていた方」「睾丸・陰茎を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、()しくはかつて持っていた方」という風に言えばよかろう。

 これで万事解決である。

 何?「子供にとって言いにくい」だと!?……そんなもの、「おちんちんのある子」「おちんちんがない子」とでも言わせておけばよい。

 何?恥ずかしい!?だったら、「Y染色体のある方」「X染色体のみの方」と言え!シンプルではないか、男警官は「Y染色体のある警察官」略して「Y警官」だ。女警官も同様に「X警官」だ。

 おお、殺人事件裁判の判例を書き出したようになってきたぞ。「X巡査はY警官であったため、その部屋には入ることができなかったが、Y警視はX警官であったのでドアを開けて部屋に入ることができ、本件現場を視認したものである。」などと、もはや(にわ)かには意味を把握できない。

 だが、面白いじゃないか。混乱こそが改革を(もたら)すというものだ。

 何?いやだ!?……だったら文句を言わず、「男」「女」あるいは「婦人」と言っておけばいいだろう。

 何?「マチズモ」だ?!「ミソジニー」だ??!!そんなもん知るかバカヤロー!!

皇居一般参賀~明治神宮初詣

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 去年の正月、皇居の一般参賀に行ったが、今年も行くことにした。

 9時頃自宅を出、東京駅丸の内南口が10時半頃。

 ゆっくりと行列の尻に取り付いたが、なんと混雑すること。

 後でニュースを見たが、平成最多の13万人近くが訪れたというのだから、さもあるべし。


 そうは言うものの、せいぜい3時間待ちというところで、12時40分頃には長和殿前広場に入ることができた。午後最初の御光臨は13時半で、それに先立つ50分ほど前だから、まあ、丁度良いというところだろう。

 それにしても人、人、人の波である。

 天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、皇族方が定刻にお出ましになり、巨大な波のように人々がどよもす。

 私も感極まって「天皇陛下万歳!」と、肺腑も破れよとばかり絶叫し続けていたら、すっかり喉が枯れ、ルイ・アームストロングか浪花亭綾太郎ばりのシヴい声になった。

 しかし、去年のように周囲に面白いおじさんや迷惑な男女がいるわけではなく、まあ、至って平静な感じの参賀であった。()いて言うなら私の他にも天皇陛下万歳を叫び続ける人が数列ほど後ろにいたことと、私の万歳につられて左隣にいた年配のご主人が天皇陛下万歳を叫び出したことと、右隣にいた白人の夫婦が異物でも眺めるような視線で私を凝視していたことだろうか。

 今年はたまたま、背伸びなどしなくても長和殿のバルコニーが直視可能なごく近いところに位置することができたのだが、残念ながら逆光で、しかも皇居の豊かな緑がガラスに照り映え、御龍顔(ごりゅうがん)御光顔(ごこうがん)は全然見えなかった。だが、これは「無月、あるいは雨月の月夜」と同じで、「そこに在らせ(たも)う」のが良いのである。

 遠回りして乾門まで散歩する。

 竹橋まで歩く。東西線・竹橋から飯田橋、JRに乗り換えて代々木、代々木から原宿まで行く。

 明治神宮に参拝するのだ。今上天皇を参賀したら、今度は明治大帝を偲び、(おそ)(ぬか)づこうというわけである。

 こっちも大変な混雑。

 ともかく参拝を済ませる。わずかな奉納で聖寿万歳から世界平和から自分の生活までよろしくと神頼みするのだから、そりゃまあ、虫の良すぎる話ではある。

 お守りに鏑矢(破魔矢)を一つ頂き、御神籤をひく。明治神宮の御神籤は吉だの凶だのとは一切書いておらず、明治大帝の「おおみこころ」が書き記された誠にありがたいものである。

 朝から何も食わずに家を出、新越谷のスタバでコーヒー一杯飲んだだけなので、夕方にもなってくるとさすがに腹が減り、北参道(JR代々木駅側)を出たところの露店でお好み焼きなぞ喰う。たまには良い。

 家に帰り、御重のもので一杯。

 酔っ払ってベランダに出てみると、思った通り、今日の月齢は望で、大きな大きな、明るく真ん丸のお月様である。

 今日いただいてきた明治神宮の鏑矢と、多摩陵・多摩東陵両陵墓印(大正天皇・貞明皇后)・武蔵野陵・武蔵野東陵両陵墓印(昭和天皇・香淳皇后)を並べてみて、また今日参賀してきた今上天皇陛下・皇后陛下の聖寿万歳を思い、前世紀と今世紀について深く考えるのである。

 (ちな)みに右が今日のGPSトラックである。