読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第13巻「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」を読み始めた。

 まずは一つ目、「世界文学三十六講 Literaturgeschichte」(クラブント Klabund 著・秋山英雄訳)を読み終わった。

 人類創生、すなわち文学の萌芽から書き起こし、ヨーロッパ、中でもドイツ文学に軸足を置いてはいるものの、エジプト、ギリシアはもとより、中国、日本、アラビアなどまでを壮大な視野に納め、現代のヨーロッパ文学に至るまで一気に語り尽くすという稀有の書である。

 とりわけ、これまで読み進めてきた十数巻の中で、これほどアラビアの文学について広範に噛み砕いて記したものは他になかったように思う。

 著者クラブントこと詩人アルフレート・ヘンシュケ Alfred Georg Hermann “Fredi” Henschke は、享年38で夭逝(ようせい)している。若くして世を去ったにもかかわらず、本著だけでも数百以上の世界文学を紹介している。その眼光たるや億兆の紙背を貫徹しているといっても過言ではなく、38歳で亡くなった人が()し得たこととは、(にわ)かには信じ(がた)い。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「世界文学三十六講」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.16より

 エホバ、それはなんと驚くべき不倫の神であることか。かれは人間を創り、それに罪を犯させ、そして苦しめ、われとわが手で人間のなかにまいた種子の実ゆえに罰するのだ。かれは復讐の神である。そしてまた、目には目を、歯には歯と説く残酷なおきての神なのだ。エホバ、ユダヤ人の神、マカベールの神であり、愛と恵みの神たるインドの神の概念からははるかに後退した神であった。キリストが、インドの神の概念に戻ることによってはじめて、このエホバにとどめを刺した。この神は慈悲を知らない。アブラハムに対しては息子を殺せと命じたではないか。かれは、祖先の罪には孫代々にまで復讐を呼びかけるのだ。かれは寛容ということを知らない。キリスト以後最大のユダヤ人であるスピノザを、オランダの正統派ユダヤ人たちはどのようにあしらったか(スピノザがユダヤ教団から破門されたことをさす)。

p.69より

“臣民”なる観念が今日なおドイツ人の血に深くしみわたっていることは、国法と権力妄想の哲学者たち、ビスマルクやヘーゲルやルターに大いにその責めを帰さなければならぬ。ところでルターは、そのなかでもだれより重要な、したがって、だれより有害な代表者であった。

 ルターは一般に偉人とされているような気がするが、文学上の立場からこういう非難があるのは知らなかった。意外だな、と思った。

p.102より

最期の戯曲「ヴィルヘルム・テル」で、シラーは“自由”の理念に形を与え、いまいちど“あらゆる国々の被圧迫者”の味方になっている。これは数々の点で処女作「群盗」の血を引いた作品である。どんなに文献をこねくりまわし道徳をてらって詭弁を弄してみても、この戯曲がテルの行為をかりて政治的暗殺を弁護し、賛美してさえいることを、ごまかすことはできまい。どんな戯曲も、テロリストにささげられた祝典劇としてこれ以上適当なものはありえまい。個人的なテロがこの作品ではさん然とした栄光につつまれている。テルはシラーの意識下の深層から出てきた青年時代の人物であるようにわたしには思える。この人物は、ドイツの小邦における専制君主の一象徴として描かれたゲスラー(カール・オイゲン公)に死の矢を向け、ついに自由の身となるのだ。

 ……つまりウィリアム・テルを「テロリスト」呼ばわりしてディスっている(笑)。まあ、ディスるというとアイロニー(皮肉)めいているから、これは「別の角度から評論している」というように書けばよかろうか。

p.121より

 人間的にも詩的にも人を感動させる革命歌「シレジアの織工たち」はハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の作である。

暗い(まなこ)に涙は消えて、
かれらは織機(はた)に向かって歯をくいしばる、
“ドイツよ、おれたちは織る、
お前の(きょう)帷子(かたびら)を三重の呪いをこめて織る。
 おれたちは織る、織ってやる!”

 ハイネほど激しい論争の的となったドイツの詩人はいない。かれは信仰者であって悪徳者であり、ユダヤ教徒であってキリスト教徒であり、善人であって悪人であった。生前にも死後にも、純粋な、そして不純な愚か者たちから、かれが激しく非難される原因となったのは、かれの本質のこの二重性である。

p.123より

 ハイネは新聞記者の典型であり、ヨーロッパで最初のジャーナリストであり雑文家であった。ルードウィヒ・ベルネ(1786~1837)やカール・グツコウ(1811~78)と同じように、かれは客扱いの悪いドイツから逃げ出して、亡命先のパリから“専制君主と俗物”を攻撃した。人々はこの外国からのかれの闘争に気を悪くして、ことにかれのホーエンツォルレン家に対する態度をこころよしとしなかった。しかしかれは政治評論や論文(「フランスさまざま」等)のなかで、まぎれもない勘と炯眼(けいがん)をそなえた政治家であることを示した。かれが「ルテツィア」のなかでヨーロッパの未来をどのように予見しているか一読されるといい。かれはドイツ対イギリス、フランス、ロシアの一大“活劇”、“凄惨きわまる破壊戦争”を予言している。“だがそれは大活劇の第一幕、いわば序幕にすぎないだろう。第二幕はヨーロッパ革命、世界革命であり、有産階級と無産階級との大闘争である。その場合、国民性も宗教も問題にはならないだろう。一つの祖国、すなわち地球と、ただ一つの信仰、すなわち地上の幸福だけが、存在するであろう……”

 ハイネはこういった革命の予防法として、すでに国際連盟の構想をも抱いていた。共産主義についても今日読んでみて驚くほど造詣が深い。

p.156より

 「ロシアはどんな国とも境を接してはいない。ロシアは神と境を接しているのだ」といったある若いドイツの詩人のことばは、ドストエフスキーの口から出たとしてもおかしくないであろう。というのは、すべて偉大なロシア人たちは、西ヨーロッパ的なものを追放し軽侮して(ぱん)スラヴ主義を説いてきたのだが、ドストエフスキーもまた、精神的汎スラヴ主義の理念をきわめて(ちょく)(さい)につぎのことばで述べているからである。“ロシアはキリストであり、新しい救世主であり、神の民である” 汎スラヴ主義に従えば、ひとたびロシア自らが救われたならば、全世界はロシアによって救済されることになる。ロシアなる至高の理念は、汎スラヴ主義者たちにとっては、熱狂してわれとわが肉を切り刻むことを意味するからだ。

p.156より

ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書いたが、最初の三巻を書き終えたとき、自分がまだ序の口にもついていないことを知った。ロシアでは何事にせよ終りというものがない。だから、たいてい初めから手をつけないということになる。人々はどんな種類の理念だって飲みほすばかりか、すぐにへべれけになる。ふつか酔いがあとを断たないのだ。

p.187(解説・秋山英夫筆)より

 本書の著者クラブントはドイツの詩人アルフレート・ヘンシュケのペン・ネームです。

 かれは肺病の詩人でした。巻頭のかれの写真を見ても、なんとなく“影がうすい”という印象を受けます。本書のなかでも、肺結核に悩まされた詩人にふれて、”だれか一度は、肺病だった詩人の文学史を書く必要があるだろう”と書いています。二十世紀も後半の現代においては、幸いに結核はそれほど文学的な病気とも思われなくなりましたが、ドイツ文学の場合をちょっと思い出してみても、シラーからカフカまで、肺病の詩人たちがつぎからつぎと出てきます。クラブントもまたその一人だったわけです。

 「文学的な病気」というところに、なんだかちょっと、肺結核と言うものがかつて持っていた「記号性」というか、そういうものを感じて面白く思った。

言葉
冠冕

 冠冕(かんべん)と読む。以前、「ロダンの言葉」を読んだときに、字が逆になっている「冕冠」という言葉が出てきたが、これは「冕」のついた冠、皇帝がかぶる冠のことであった。してみると「冠冕」とは、冠に付ける「冕」、いちばん先端のところ、転じて「すぐれたもの」というような意味にもなろうか。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.17より

そしてかれに仕えた者は、その報いを受けるのだ。“汝死にいたるまで忠実なれ、さらば我れ汝に生命の冠冕を与えん”

 次は引き続き同じく第13巻より、「文学とは何か Introduction à une science de la littérature」(G.ミショー Guy Michaud 著・斎藤正二訳)である。中表紙裏の著者略歴によれば、著者のギー・ミショーは経歴の(つまび)らかでない謎の大文学者らしい。しかし、数々の研究著作により有名なのだそうな。