今週のさえずり季題

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時事漫撰

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おうおう、いよいよ差し迫ってきたなァこりゃ

 去る夏以前の日本は、諸外国、特にアメリカと比べて新型コロナウイルス感染症による死者の増加率が少なかったが、そう悠長な見方もできなくなってきた。

 死者は7日移動平均の前日差で49人、率では49(本日人)/3341(累計人)=1.5%増加している。米国ではこれが1805(本日人)/347542(累計人)=0.5%だ。無論、そもそも分母が違うから率での比較には意味があるとは言えず、そこからしても依然日本は「コロナ対策の優良国」であることに違いはないが、死者が激増しつつあることは確かだ。感染者数はもはや飽和状態と思われる検査可能数にも影響を受けるからそれで一喜一憂するのは愚にもつかないが、死者は医療のキャパシティに関わらず出るわけだから、死者数の推移は最も見るべき指標と言える。それがこの状況なのであるから、憂慮すべきだ。

水回り

 ああ、ウチのポストにも、よく「水道屋のマグネット広告」入ってるわ……。

 冷蔵庫なんかに貼っとけるマグネットシートの広告はなぜか水道屋のものばっかりだ。アレ、昔だったらフロッピーディスクとかMOを壊すから、嫌われたろうねえ。今は磁石で壊れるような露出した磁気媒体はほとんど見かけなくなったから、水道屋の広告で壊れるものもなかろうけれども。

 それにしてもしかし、やっぱり、詐欺紛いの悪徳業者には違いないというわけだ。そうだろうねえ。だいたい、人の弱みに付け込む商売って、儲かるんだよな。水道や下水に不具合があると、ほんっと、困るもんな。

 ……。あ、医者もか。病気になると困るからなあ。勤務医だって、いい給料貰ってるもンな。……ケッ。とは言うものの、まあ、今は時疫のために苦労していることは分かる。それをも()き下ろすつもりはない。

例のアイツも流れ弾にでも

 レバノンと言うとどうしても逃亡中のあ奴、カルロス・ゴーンのことが思い浮かぶ。わざわざこんな不安な国なんぞへ脱出するなんて、いろいろ満ち足りている分、()(ツム)の方にどこか足りてない部位でもあるのだろう。せいぜい祝砲の流れ弾にでも当たるがよい。大当たりの幸運を共に祝ってやるぜ、ふははは。

 うーむ、あれくらいの大金持ちとなると、呪っても良心の(とが)めを何も感じないな。自分と無関係の人物だしな。

いい加減「欧米白人主義」のことを民主主義と呼ぶのをやめろ

 民主主義と言う言葉の定義がまるっきり()(タラ)()だから(うべな)えない。

 だから試しに、記事の表題をこう読み替えてごらんなさい。「欧米白人主義の危機とはなにか?」って。ね?スッキリするでしょ、確かにのっぴきならない焦燥と危機を連中が感じているんだ、ってことが腑に落ちてさ。

 欧米白人キリスト教徒どもは、正直に「俺たちは政府から命令されてマスクなんか着けさせられているのが我慢ならないんだ、これは民主主義の危機だ!」とか、「黒ん坊やイスラム教、ジャップなんぞがよってたかって乗っ取って幅を利かせてる Twitter だの Facebook だの Instagram だのの投稿に右往左往させられるのは金輪際(こんりんざい)(イヤ)なんだよ俺らは。これは『民主主義』の危機だろ!?」って、しょうもない気分の問題をさも人類文明の終焉みたいに言い立てればいいわけだよ、馬鹿ッたらしい。

 日本?日本は違うよ、国から命令されてマスク着けてるわけじゃないもの。SNSだって、お前ら欧米白人が()ッち上げたものをこれ幸いと使ってるだけだもの。元々好きで着けてただけだし、あったから使ってるだけだ。何が悪いの。自由だろ? 悪いのはキサマらだ。

 ただ、上掲の文中には、

今回取り上げたほとんどの資料が民主主義の定義について言及していなかった。正確に言うと、EUの民主主義行動計画のみ具体的な記述があるだけだ。これは非常に奇妙で論理的に破綻している。なぜなら問題の認識と対策には「あるべき状態」あるいは「目標」が不可欠のはずで、それがなければ具体的になにがどう問題なのかわからないし、当然対策も立てられない。

……と冷静に述べられてもいて、それよ、定義によっては共産主義や社会主義だって理想的民主主義の一形態でしょうが、まずそこを定義しなくちゃ、とまあ、私なぞは思うのである。私ですか?私は私個人の利益がラクして最大になれば、ナニ主義でもカニ主義でも構いません、ええ、ええ。

訃報
これは知らなんだ

 亡くなったのは既に夏の頃、8月だという。

 「おたく」という言葉の出はじめに随分活躍した人物だった。祈冥福(めいふくをいのる)

年始慎々

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初詣

 例年のように皇居の一般参賀や明治神宮、名だたる大仏閣などへ出かけるのは新型コロナウイルスを貰いに行くようなものだから、()めるに不如(しかず)である。と言っても、もとより皇居の一般参賀は中止されている。

 元旦は住宅街の(あわい)にしんと鎮座()します近所の小さな稲荷宮を拝みに行った。「登戸稲荷神社」という小さな()(やしろ)で、400年ほど前に創建された鎮守である。

賀状

 最近は年賀状も積極的には出さなくなった。ただ、わざわざ年始から私(ごと)き者に()てて下さる懇篤(こんとく)な方には、返信賀状を出すようにしている。

 しかし、数年前から、年配の方から来る賀状には、チラホラ、「年始の御挨拶はこれで最後にさせていただきます」等の御挨拶が交じり、そうした方々からはプッツリ、もう来ない。大抵は定年後の仕事も更にリタイアし、年金暮らしになったと(おぼ)しい方々だ。

 年賀状については、「虚礼廃止」だとか「日本郵政の損得()く」だとか、はたまた「そもそも賀状のやり取りなんて戦後盛んになった新しい習慣で、昔の人はごく一部の能筆の人々しか手紙なんか出してなかった」などという批判もある。

 一方、年賀状はIT技術などで言う死活監視、つまり Heart beat watch みたいなものだし、人と人とが手を携え、つながるためにも大いに出すべきだ、という意見もある。

 そんなことにあれこれ考えを巡らせつつ、来簡賀状に返信を書く。慣れぬ下手糞な毛筆で、手本を一生懸命写して版下を作り、刷る。

呑んだくれる

 酒ばかり呑んで過ごす。私は()(せち)料理が大好きで、三が日と言うものこればかり食っていても全然食い飽きない。喰積(くいづみ)だけを肴に、元日にはほとんど一升空けてしまう。

 酒はこのところの気に入り、山梨の銘酒「七賢」純米吟醸である。近所の行きつけの蕎麦屋「SOBA 満月」で知った酒で、涼しい味と香りがする。甘からず辛からず、まことに旨い。

 肴にする「御重のもの」の中では、大海老とか出汁巻などのいわゆる「高いもの」よりも、安いもの、ごまめ、黒豆、数の子――数の子のどこが安いんだ、という話はもちろんあるが、ここでいう「安い」は、「かつて安価だった食品」ということで、その昔は数の子や鰊は肥料にまでしたほどであったのだ――といったものの方が酒に合い、食べ飽きず、旨い。ことにごまめや数の子は砂糖っ気がないのが良い。黒豆は甘いが、これもあまり砂糖の入っていないものの方が旨いと思う。しかし、砂糖をきかせないと日持ちが悪くなるので、「そこのところは加減が難しい」とは妻の弁である。

 酔っ払って啜る雑煮椀の、なんと旨いこと。針柚子と花鰹をたっぷりあしらって食べる。子供の頃は御雑煮というと4杯も5杯もお代わりをして食べたものだが、さすがに50台も後半に差し掛かろうとしてくると、もう、いけない。餅の三つ四つも食べると満腹である。

「いつもなら」と言っても詮なきこと

 例年だと正月二日には、近所に住む姑の家に、私の家族と義兄一家とで集まり、御馳走を食べ、それからカラオケに行ったりするのだが、新型コロナウイルスの感染拡大下、今年はさすがに総勢10人で狭いカラオケボックスに閉じこもるわけにもいかず、それぞれしんとして家に閉じこもっている。

 まあ、だから不安だ楽しくない恐ろしい、などというわけでもない。家にいるのも悪くない。もともと正月と言うのはそういうものではなかったか。