毎日身に応える暑さである。
だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。
昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。
さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。
オッサンは生きている。
毎日身に応える暑さである。
だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。
昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。
さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【413】は「釣瓶落とし」です。このところ日没が日々早くなっているのを感じます。「釣瓶」とは井戸水をくみ上げる桶のこと。これを落とす際の落下の速さに、秋の落日の急な印象を喩えたもの。 乗換へて釣瓶落小海線 小倉つね子 #saezuriha #saezuriha_odai
— 茶公 (@ochiey) November 3, 2018
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【412】は「火恋し」です。傍題に火鉢恋し、炬燵恋し、と火の気なら何でも恋し、でよいのかと思ったりもしますが、よいわけないのでしょうね。いつも季節はいつの間に、ですね。「身ほとりの片付きてより火の恋し 武田澄江」 #saezuriha #saezuriha_odai
— boubun (@boubun) October 26, 2018
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【411】は「銀杏」です。お寺の境内には銀杏の大木が数本あった。銀杏拾いの初めは祖母に連れられて。台風の翌朝に袋いっぱいの収穫は物心もついた頃。(例句:銀杏を拾ふ影すらなかりけり 保坂さよ) #saezuriha_odai #saezuriha #jhaiku
— 平坂謙次 (@hedekupauda) October 19, 2018
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