千一夜物語を読み終わったので、7月17日から古川ロッパ昭和日記に戻ったつもりでいたのだが、読み始めてすぐに、「アレッ、これ、読んだことあるなあ」と、すぐ気が付いた。去年の6月に読み終わっていたのである。
でも、せっかくだからというので、そのまんま再読してしまった。
最近、「再読」が多いなあ。
古川ロッパ昭和日記の昭和16年以降を早く読みたいのだが、青空文庫の発表によるとまだ作業中である由である。
オッサンは生きている。
千一夜物語を読み終わったので、7月17日から古川ロッパ昭和日記に戻ったつもりでいたのだが、読み始めてすぐに、「アレッ、これ、読んだことあるなあ」と、すぐ気が付いた。去年の6月に読み終わっていたのである。
でも、せっかくだからというので、そのまんま再読してしまった。
最近、「再読」が多いなあ。
古川ロッパ昭和日記の昭和16年以降を早く読みたいのだが、青空文庫の発表によるとまだ作業中である由である。
今年の正月前からずっと読み続けていた「千一夜物語」、今日ようやく13巻全部を読み終わった。通勤電車内で少しずつ読んでいたので、約7か月、月に2冊くらいのペースでゆっくりゆっくり読み進めてきたことになる。
日本でも絵本や童話などの児童文学に翻案されて有名な「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」などはフルサイズで全部含まれる他、それこそ「数え切れないほどの……」知られていない物語がテンコ盛りだ。
上述の有名な話の他に、「
「教王」というのは、千年以上前のイスラム帝国──私などは若い頃、学校の歴史の授業でこれを「サラセン帝国」と習ったものだが、今はこの呼び名は「学問の欧州中心主義から来た蔑称である」とされるようになり、サラセン人とかサラセン帝国とは言わなくなったのだそうな──最盛期、アッバース朝第5代
実は、この千一夜にわたる数え切れないほどの物語の全巻を通じて、それこそ最多登場回数ではないかと思えるのが、このハールーン・アル・ラシードなのだ。
水戸黄門か、暴れん坊将軍かという具合に、大宰相のジャアファル・アル・バルマキーと
この最終巻では、そのハールーンがどのようにして教王位を継いだかが、シャハラザードから直接でなしに、シャハラザードが語る物語の中の登場人物の口を借り、話中話として語られる。
そして、全13巻、千一夜にわたるこの
実在の人物であるこのジャアファル・アル・バルマキーは、ディズニーアニメの「アラジン」にも、「大臣ジャファー」として名前が登場する。ディズニー映画では悪役として描かれているが、実際のジャアファルは洒脱で軽妙な性格であり、かつ、
ジャアファルは教王が最も信頼する臣下であったにもかかわらず、突如逆鱗に触れ、王命によりマスルールに首を
さて、最後にもう一度、この物語全体を振り返ってみよう。
物語のスタートはよく知られるとおりだ。すなわち、妃の不貞と淫乱に怒り狂ったシャハリヤール王が、ついに暴王となりはて、治下の処女を差し出させては一夜
シャハラザードは他の処女たちと同様、一夜で殺されると誰もが思った。
しかし夜更け、シャハラザードは「せめて妹ドニアザードに今生の別れを告げたい」と王に乞う。王はこれを
だが、これは賢い姉妹の作戦なのであった。
こうして、物語は千一夜にわたる「切れ場」の連続となり、シャハラザードは一夜一夜を生き延びる。また、こうして国中の処女が一日一日、命を救われる。
この物語のスタート、ここまでのところはよく知られる。あまり知られていないのは、この枠物語の最後、「
千一夜にわたって物語を聞いた暴王は、物語の中に含まれる教訓や叡智、愛や善悪について聴き、学ぶうちに精神が熟し、寛仁で立派な王に変貌するのだ。そして、決してシャハラザードの命を奪うまいと誓うのだが、この約3年の間には、二人の間には長男と双子、合わせて3人の子供が生まれていたことが、この最終夜に明かされる。お産の間もシャハラザードは王に物語をし続けたのである。王はこの子供たちに、千一夜目にはじめて引き合わされて、感動のあまり涙にむせぶ。
少女だった妹ドニアザードは大人の女になっており、これは同じく改心したシャハリヤール王の弟王に嫁ぐことになる。そして、弟王は感動して退位し、姉妹の父大臣はその代わりの隣国の国王となるのである。
最終ページはデザインになっており(写真)、フェードアウトしていくかのように物語が結ばれる。
通勤電車の楽しみ、去年末に手に入れたアラビア~イスラムの古譚集「千一夜物語」全13巻。古本ではあるもののどうやら店頭で古びてしまっただけらしい美本だ。思いがけぬ成り行きで、古本でも8千円以上するものが無料で手に入った。
それからゆっくりゆっくり味わいながら読んでいるので、すでに7か月は楽しめている。今日は第12巻を読み終わった。
第12巻で最も長い話は「金剛王子の華麗な物語」で、18夜、89ページある。分量的には最初の「のどかな青春の
面白い話としては、「滑稽頓智の達人のさまざまな奇行と戦術」という話がある。これはさしずめ、「アラビアの一休さん」か、「イスラムの
12巻から13巻にかけて、「バイバルス王と警察隊長たちの物語」というのが語られる。12人の警察官が王に自分の知っている事件や他人から聞いた珍しい話を語る、というもので、これをシャハラザードは3夜かけて語る。
第13巻には、第940夜から最終1001夜までの61夜が収められている。賢いシャハラザードのおとぎ話戦術もいよいよ大団円に向かっていくわけだ。
もともと、私がこれを読んでいるのは、もちろん物語、昔話として面白いということもあるが、イスラムの人々に心を寄せたい、ということが今回あらためての動機である。
そんな中、シリア情勢は相変わらず凄惨だし、この前のダッカの事件は心が痛む。
物語の中のイスラム教徒たちは大らかで、アッラーの掟は厳しいけれど、それはそれ、たまに逸脱もする。それで不信徒として罵られはしても、だからと言って生きることには寛容かつ鷹揚で、優しい。
また、この「マルドリュス版」は、フランスの東洋学者シャルル・マルドリュス博士がフランス語に翻訳したもので、日本語版は大勢のフランス文学者がフランス語版から再翻訳したものだ。そこから伺えることだが、当然キリスト教徒であるマルドリュス博士はイスラム教の経文や念仏、信仰の傾向に敬意を払い、これにキリスト教的偏向や批判は加えていないのである。欧州文化側からも、かつてはイスラム世界に寛容な傾向が、一部にはあったのではないかと思えるのだ。
毎日の通勤電車内の楽しみ、「千一夜物語」、第11巻を読み終わる。
このアラビアの古譚集には、よく知られている物語としてこれまでに「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」がそれぞれ5巻と9巻に収められていた。
つい先ごろ知ったのだが、この中で「アラジンと魔法のランプの物語」は偽書なのだという。研究の結果明らかになった純正の千一夜物語にはこの話は入っておらず、複雑な経緯で後に紛れ込んだ物語なのだそうな。
だがしかし、その紛れ込んだ時期というのは数百年も前のことらしく、それくらい昔なら、まあ、紛れ込んだいきさつも含めて、「広義の千一夜物語」とみなしても差し支えないのではあるまいか。
この11巻には、これも童話や絵本でよく知られる「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」が収められている。多くの人の記憶にある話とだいたい同じだと思う。このマルドリュス版の千一夜物語では、隠忍自重な善人アリ・ババの射幸と、その女中(女奴隷)マルジャーナの賢く果断な大活躍の、2部構成とでも言うべきものになっている。
マルジャーナは38人の盗賊を殺すのみならず、盗賊の頭目をも刺殺し、主人一家を守る。私など、むしろその健気さにいとおしさを覚えるのだが、これが理解できず、不愉快だと言う人には何の物語であるかすらもわからないだろう。
今もしこの物語を絵本にでもすれば、「盗賊はびっくりして逃げて行ってしまいました」とか、「盗賊の頭目はアリ・ババとマルジャーナに
だが、婆さんを惨殺した狸は責め苛まれた挙句溺死させられなければならないし、鬼ヶ島の鬼はやはり全て滅ぼされなければならなかった。アリ・ババの身の危険は、賢く可愛いマルジャーナの機転と手によって、38人の盗賊どもを煮えたぎった油で
引き続き12巻を読む。
ふと思い出したことに、自分が持っているCDの中に、「これがフィリップスCDだ」という、おおかた30年ほども前のCDがある。CDというメディアができたばかりの頃の、CDそのもののプロモーションのために作られたもので、確か、ソニーの初代のポータブルCDプレイヤーを買った時、無料でついてきたものだったはずだ。
その中に、ラリー・コリエルというギタリストが演奏する「シェエラザード」(つまり千一夜物語のシャハラザードのこと)という曲の一楽章が入っている。
不思議な感じのする味わい深い演奏だ。これを聞きながら岩波文庫特有の細かい字を追うのは、まことに楽しいことである。
通勤電車の楽しみ「千一夜物語」、10巻を読み終わり、次は11巻に進む。
本当に読み飽きない物語集で、楽しめる。
この古い物語の中のイスラム教徒は、酒を飲み、「釜掘り野郎」などと言って変態を軽蔑しつつも、なんとはなしにホモやらレズも友達で、「邪教徒は滅ぼされよかし」と口では言いながら、なんだかんだ言ってユダヤ人やキリスト教徒と仲良く暮らしており、つまりは非常に寛容だ。
アメリカのテロとの戦いの文脈で聞かされるイスラム教徒の頑迷さとは少し違う。
物語と現実は違うということはわかっている。しかし、本来は多分、現代のムスリムーンも、物語の中の古いアラビアの人たちのように、もっと優しい感じなのではないかと思う。
なぜ今のように変化したのか、それとも、変化なんかしておらず、イスラム教徒が変な風に感じられるのはアメリカの宣伝によるもので、今も寛容で優しいのか、研究するなりしてみないと本当のところはわからない。いつかよく調べてみようと思う。
通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、ひきつづきゆっくりゆっくり読み進め、第9巻を読み終わる。
一千夜にわたって語られるこの長大なアラビアの奇譚、第9巻にはそのうち第622夜から第774夜までが収められているのだが、このうち第731夜から第774夜までは、何を隠そう、この物語集の中で最も知られた物語の一つ、「アラジンと魔法のランプの物語」なのである。
「アラジンと魔法のランプ」はディズニーのアニメーションなどにもなっているので、知らぬ人のない物語であるが、原作はもう少し素朴で、かつ味わい深い物語になっている。
他に「目を覚ました永眠の男の物語」「ザイン・アル・マワシフの恋」「不精な若者の物語」「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」「寛仁大度とは何、世に処する道はいかにと論じ合うこと」「処女の鏡の驚くべき物語」が収載されている。
この中では、私には「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」が最も印象に残った。美しいヨーロッパ白人(フランク人)の王女は回教に改宗して主人公ヌールとの愛に生きるのであるが、なぜか美青年ヌールを守るため戦士となって父王が差し向けたフランク軍の一軍団を一人で壊滅させるという支離滅裂な物語である。おいおいヌール、お前が闘うのとは違うんかい!!というようなツッコミどころもさておき、その戦闘シーンの翻訳が「講談」みたいになっているのである。
以下引用・p.225~
フランク王はこのように
将軍 バルブートが斃 れてしまったのを見ると、苦しみに我と我が顔を打ち、衣服を引き裂き、同じく軍隊を率いる第二の将軍 バルトゥスと呼ばれる男を召し出しました。これは一騎討にかけての勇猛果敢をもって、フランク人の間に聞こえた豪傑です。王はこれに言いました、「おお将軍 バルトゥスよ、いざ、その方の軍 の兄弟バルブートの死の仇 を討て。」すると将軍 バルトゥスは、身を屈めて答えました、「お言葉承り、仰せに従いまする。」そして戦場に馬を走らせて王女に迫りました。けれども女丈夫は、同じ姿勢のまま、動きません。駿馬は橋のように、足の上にしっかと身を支えています。見るまに、
将軍 は馬の手綱をゆるめ、姫をめがけて殺到し、穂先は蠍 の針にも似た槍を擬して駆け寄った。相打つ干戈 の音は戞々 と鳴る。その時、全部の戦士は、彼らの眼がいまだかつてこのようなものを
目睹 したことのないこの戦いの、恐ろしい驚異をよりよく見ようとして、一歩前に進み出ました。そして感嘆の戦慄が、すべての軍列に走りました。けれどもすでに、
濛々 たる砂塵に埋まっていた二人の敵手は、荒々しく相衝突し、空を鳴らす打ち合いを交わしています。かくて両人は永い間、魂荒立ち、凄まじい罵倒を投げ合いながら、戦っていました。そのうち将軍 は相手の勝 るを認めずにはいられず、心中に思った、「救世主 にかけて、もう我が全力を発揮すべき時だ。」そこで死の使者たる槍をつかんで、振りまわし、敵を狙って、「これを喰らえ!」と叫びながら、投げつけた。けれども、マリアム姫といえば、東洋西洋きっての無双の女傑、地と砂漠の騎手、野と山の女武者であることを、彼は知らなかったのです。
姫は早くも
将軍 の身ごなしを見てとって、その意中を看破してしまいました。されば、敵の槍がこちらに向かって放たれると、それが来たって我が胸もとを掠 めるのを待って、いきなり宙で受けとめ、肝を潰した将軍 のほうに向き直って、そのままその槍で腹のただ中を突くと、槍は一閃背骨を貫きました。そして相手は崩れ落ちる塔のように倒れ、その武器の響きは音高く木魂 しました。彼の魂は永久に戦友の魂の後を追って、至高の審判者の御怒りによって点火 された、消し得ざる焔の中に赴いたのでございます……✦ ……ここまで話した時、シャハラザードは朝の光が射してくるのを見て、慎ましく、口をつぐんだ。
「見るまに、
……て、アンタ(笑)、という感じである。
驚くべきシャハラザード妃の物語は更に次の巻へと引き継がれる。
日々殺伐としているが、待ち時間、通勤電車中など、少しの閑暇あらば文庫本を読み耽る。
イスラムの人々に少しでも心を寄せようとて読み始めた岩波の「千一夜物語」全13巻、実にゆっくりとしたペースで読み進め、第8巻を読み終わる。
物語の脚色であることは当然だが、それにしても、いやもう、登場人物は何かと言うと情に駆られて気絶するのである。嬉しいと言っちゃあ気絶、悲しいと言っちゃあ気絶である。男も女も年がら年中気絶だ。
はじめはイスラムの人々は果たしてこんなにも情感豊かなのかと思いもした、しかし、さすがに昔の物語だし、現代のムスリムーンはこんなにも大袈裟ではあるまい。
この巻も「『柘榴の花』と『月の微笑』の物語」「カリーフと
引き続き第9巻に入る。
通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、7巻をゆっくりゆっくり読み終わる。
こんなに巻数が多いと、単調な話に飽きてきそうなものだが、さにあらず、この巻は今までの巻をますます上回って面白かった。
「漁師ジゥデルの物語又は魔法の袋」という物語が入っている。いつものめでたしめでたし話で終わるのかと思ったら、もんのっすっごっく、救いのない悲惨なエンディングになっていて、うわっ、なにすんだよ(笑)と、不意打ちをくらったような感じである。
引き続き第8巻。
岩波文庫の「完訳 千一夜物語」全13巻。通勤電車内でゆっくりゆっくり読書中である。
第6巻を読み終わり、第7巻に入った。
第6巻は短い話が多かった。暴王の嗜虐を思いとどまらせ続けるさすがのシャハラザードであるが、少しばかり王の
風呂釜を更新しようがどうしようが、風呂に入る湯の品質に違いが出るわけではないのだが、しかし、新しい給湯器の湯で入れた風呂は、なんだか新品感が漂っていて、気分がわずかに違う。
のんびりと風呂に入りながら、今読んでいる「千一夜物語」を反芻する。
物語には「
トルコの浴場の話は、例の「トルコ風呂」の話とともに聞いたことがあるが、バグダッドやダマスカス、バスラでもこんなに風呂が盛んだとは知らなかった。