妄想・大東亜戦争後

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妄想その1・オスマン帝国パターン
オスマン帝国~トルコ共和国の第1次大戦時の成り行き

 第1次大戦当時のオスマン帝国は、ドイツと同盟を結び、ガリポリでは名将ムスタファ・ケマル・アタテュルク元帥が頑強な防御戦闘を行って英国をはじめとする協商連合軍を撃退するなど善戦した。

 しかし、有名なロレンス大佐の秘密工作によるアラブの反乱や、コーカサス山脈での敗走などもあり、 次第に劣勢となり、民心も政府も疲弊し、皇帝メフメト6世はついに降伏の詔勅を発した。

 オスマン帝国は領土を蚕食され、協商連合の進駐軍がイスタンブールに蟠据、しかも西からはギリシャ軍が新たな戦端を開いて侵攻してきた。

 ところが、その頃パレスチナ戦線で戦っていたムスタファ・ケマルはこれを聞いて “妄想・大東亜戦争後” の続きを読む

時事漫(すい)

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筋金入り

 右のようなニュースがあり、ほう、さすが、と驚いた。

 御歳(おんとし)99歳とある。これは間違いなく第2次世界大戦の生き残りの老兵だなと思い、検索してみるとまさしくその通りであった。

 2等兵からの叩き上げ帝国陸軍大尉(Imperial Army Captain)、印・緬方面で日本軍相手に死闘し、復員している。筋金入りの大尉だ。そりゃあ、根性が違う、根性が。

関東は嵐

 窓外に風雨が吹きすさんでいる。

 私の住まいあたりでは、昼から雷雨の予報すら出ている。

 コロナウイルスも洗い流してくれないものだろうか。

今こんなこと(あげつら)っても

 しかし、ねえ……どうなんだろ。アメリカにもいろいろと言い分はあるんだろうけれども、たった1週間で死者が1万5千人も積みあがって、今や累計3万5千人にも(のぼ)る膨大な死者を出しているアメリカが、「今やること」ではないように思う。犯人捜しをして国民の怒りの矛先をどこかへうっちゃってしまおうとしているように見える。

コロ対でうまくいってる国の首相は皆女性

 なるほど、台湾・蔡英文、ドイツ・メルケル、ニュージーランド・アーダーン、フィンランド・マリン、……新型コロナウイルス対策がまずまず上出来な国の統領、宰相は、皆女性である。

 頑固な爺ィが仕切ってる国は、軒並み全部、ダメだ。アメリカ、中国、イギリス、フランス、イタリア、スペイン。特にアメリカなんて頑固爺の代表みたいな人物が大統領だし、イギリスなんて、首相自身が死にかかったんだから。

 ……日本もことによると、ことによるぜ……。

麻生さんも総理の時は馬鹿だのなんだのと襤褸(ボロ)(クソ)に言われたモンだったが、蓮舫も大概(笑)

 蓮舫。……まったく、こ奴も、向こうを張って引けを取らぬ阿呆(アホウ)よの。だって、国債は国の債務、つまり、「国民が貸してる金」で、「国民が借りてる金」では全然ないわけだからさ。

 しかし、まあ、野党とは言え、特別職国家公務員たる国会議員・蓮舫も、一般の人から見れば政府側の人間だから、そうすると、「アタシの借金」という意味で「国民の借金」と言ったのだとすれば、まあ、そんなにもハズれてはいない……いや、いやいや、違う違う。ハズれてる。ウン。

大雪

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 雪には勿論難渋したものの、別段どうってことなかった。船橋のあたりから来ている人が、雨はすごかったけど雪ではなかったのでなぁんだと思って東京に来てみたら積もっていて驚いた、なんてのんびりしたことを言う。私の住まいのあたりはくるぶしまでの雪だったが。しかし東武線スカイツリーラインはせいぜい15分ほどの遅れ。いつも通り7時半には涼しい顔で職場の自分の席を占めていた。

 一日、ごく普通に仕事して終わり。

 台湾の総統選、ウッカリ、というか、むしろ確信的に政府からおめでとうございますとか言っちまったもんで、型どおり中共に大使が呼び付けられて怒られてる。へへっ、茶番茶番。

感想補遺

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(これは、平成26年(2014)6月28日に国立博物館へ台湾の「故宮博物院」展を見に行き、Facebookにその感想を書いて、補遺として「玉琮(ぎょくそう)」を見た感想も書いたものである。)

 もちろん、工芸美術の世界的傑作、「翠玉白菜」を見れたことは楽しかったが、私は別の宝物に撃たれたように感じ入るところがあった。

 それは、「玉琮(ぎょくそう)」という、玉(ぎょく)で彫り出された斎器である。それ自体、 雄渾かつ厳格、断固としたつくりで、そして約50cmの高さがあって大きい。また精密に作られていて、素人目には狂いや歪みといったものは見られない。まるで最新のNC工作機械か、3Dプリンタででも作られたように見える。この名宝が、例えば現代の日展の工芸品の部に出品されていたとしても、何らの違和感も抱かせないばかりか、他の作品を圧倒し去る存在感を放つであろうことは疑いない。そういう逸物であった。

 無論、その工芸的、美術的な価値は上述のようなもので、なかなか私の語彙で書き足りないことが慚愧にたえないのだが、それだけでは驚くには当たらない。

 私が衝撃を受けたのは、その名宝が「石器時代の作品」だということだ。

 いかに、私は中国が4千年の歴史を誇る世界の古豪地域であることを頭では理解していても、やはり芯から底からわかってはいなかったのだと思う。実物でそれを見ると、痺れたようなショックを受けたのである。

 石器時代ということは、この「玉琮」は約5千年前に作られたということだ。

 日本の誇る博物館の所蔵品の、大変古いものだと、例えば弘法大師空海の「風信帖」などを見て、「千年以上前とは、古いなあ」と感銘を受けたり、あるいは千七~八百年前の「埴輪」などを見て茫漠たる時間のボリューム感に我を忘れる、というようなことがある。

 単なる歴史の認識、ということなら、日本もなかなかどうして、異論はあるだろうが二千年を越える歴史を誇り、それはギネスブックやCIAのデータベースにも載るという挿話すら生んだ。

 逆にいうと、せいぜいそれが精一杯、二千年くらいが関の山、その程度、なのである。

 まして欧州、アメリカの昔においてをや、である。

 日本の石器時代の遺物などというと、崩れかけた石製の「鏃(やじり)」などがたまさか出土することがあるのがせいぜいで、それこそ文字通り「石器時代」だ。

 こうしたことに意識を向けてから、もう一度この国立故宮博物院所蔵の「玉琮」を見ると、中国大陸の文明度、底の知れなさに、身震いする思いが沸き起こってこないだろうか。