禁煙って難しいんだなと思う

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 禁煙がらみのブログをまた見失ってしまった。3件目である。

 「禁煙するぞぉお!」みたいな決意を書き綴った人は、禁煙失敗後、恥じ入る気持ちが大変強いようで、かならずブログを消してしまう。

 別に、消さなくったって、そのまんま「失敗しましたアアアっ、テヘヘヘッ!」とか書けばいいようなものだが、禁煙しようなどという人は多分自己愛が強く、自分の実際の心以上に強い表現で書いてしまった決意の言葉など、残しておきたくないのだろう。

 ブログを消したところで自分が消えるわけではないのだが、デジタル時代にあってはブログを消せば失敗もなかったことに・・・などという錯覚が得やすいのかもしれない。

 ま、私が禁煙した頃にはブログは一般的ではなかったからねえ・・・。出来ないことを広く社会に自分で言いふらしてしまって後悔するような場はなかったから、恥もそこまでで済んだ。

 私は、禁煙して9年。煙草は懐かしくもあるが、もうたしなむことはない。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.15

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 たびたび記すところであるが、全音の「全訳バイエル」と「最新バイエル」の巻末には応用曲としてベートーベンの「エリーゼのために」が付録されている。「エリーゼのために」は、バイエル修了の総仕上げ的な位置づけにあるのだ。

 私が使っている「最新バイエル」の巻末の応用曲は、ケーラーの「半音階のポルカ」、「エリーゼのために」、それからバイエルの「アザリア・ポルカ」の3曲であり、今私は「エリーゼのために」を弾いている。

 日々練習に励んでいる。だんだんと弾けるようにはなりつつあるものの、その進度は速くはない。だが、それを引け目ともなんとも思っておらず、毎日楽しく弾いている。なにせ、自分で勝手にやっていること。ピアノを練習する義務もなにもない。いつやめようが誰に文句を言われるわけでもなく、まったく気楽な身分とはこのことであろう。

 練習は毎日一進一退の様相であり、今日はうまく弾けたかなあ、今日はぜんぜんダメだなあ、いや今日ときたら昨日より下手になっている、などということの繰り返しである。

 最近、また朝練習をするようになった。5時に起き、5時20分までに朝食をすませ、トイレから出ると5時半である。5時40分に家を出るのだが、それまでの10分間、ピアノを稽古する。無論ヘッドフォンをつけるのだが。この朝練習が非常にいい。びっくりするくらいうまく弾けることが多い。

 仕事から帰ったあともピアノの練習はするが、殺伐と仕事をして帰ってくると、自分ではそうは思っていなくても疲労は澱のように体と精神を汚しており、朝の10分間以上にうまく弾けることは少ない。

辻井伸行氏の快挙

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 今日のニュースを見て驚かなかった人、喜ばなかった人はあるまい。辻井伸行氏の快挙である。

 職場で仕事前のひと時、付けっぱなしになっていたテレビから「ラ・カンパネラ」の調べが流れ出し、なんとはなしにテレビに近づいてみると、このニュースをやっている。

 恥ずかしいことだが、私は辻井氏の名前は知らなかったし、そういう人がいるということも知らなかった。全盲のピアニストといえば梯剛之氏が有名で、この人はテレビなどで知っていたのだが、辻井氏の名前は今日はじめて聞いた。

 映像を見てびっくりである。全盲とかなんとかいうようなことは、この際どうでもいい。その調べ、音、演奏の雰囲気、これである。テレビを通してのほんのさわりですらそうなのだから、もしナマで聞いたらどんなことになるのか想像もつかぬ。