認められぬ

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 NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」を見る。

 インパール作戦に関して、何度読み、何度聞いても、酸鼻、酸鼻、ただ酸鼻、これである。

 ただ、インパールが無謀だったというなら、はなから大東亜戦争のすべてが、始めから終わりまで、なにからなにまで無謀であったというべきだろう。

 悲しくてならないのは、ごく一部の戦後世代が、その愚劣な作戦指導にもかかわらず、航空特攻を美しく潔い武士道ででもあるかのようにもてはやすくせに、ニューギニアで、ガダルカナルで、アッツで、サイパンで、硫黄島、沖縄で、無論このインパールで、泥まぶれ、血まみれ、糞まみれとなり、病み、飢え、狂い、焼かれ爛れ、砕かれ、痛みと絶叫の中で死んでいった兵たちを、いやそれだけではない、広島で、長崎で、東京で、大阪で、満州で、シベリアで、焼かれ四散し、刺され犯され切り刻まれ、あるいは飢えて死んでいった人たちを、美しいとか潔いとかよくやったとか言ってやる者などまったくの皆無であり、その死の重さ、命の値を誰も認めないことだ。もっと言おう、誰もその責任をアメリカにもイギリスにもオランダにも中国にもロシアにも求めないことが、悲しく、悔しくてならない。

オッサン愚弄本

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 靖国神社に参拝した帰り、新越谷の駅で降りて、まだ時間も少し早いからと駅ナカの旭屋書店に寄った。特段読みたい本があったわけでもないが、ちょっと寄ってみたわけである。

 流行ものに抵抗を覚える私は、平積みの本を読むことはまずない。だが、今日は表にディスプレイしてある本をチョイチョイと手に取ってみる。

 その中に、「日本国憲法を口語訳してみたら」という題名の本があった。

 えーっと……。はて???

 そもそも憲法は、万人に親しみやすくするため、最初から口語で平易に書かれていなかったか?それを口語訳するとは一体……。帝国憲法を口語訳するって話か?いや、題名はハッキリと「日本国憲法を」と書いてあるぞ……?

 思わず手に取って(めく)ってみた。驚いた。

 もともと口語で書かれている憲法を、全部「下品愚劣極まる乱暴乱痴気で意味不明な言葉に置き換えて羅列してある」のである。どうもこの出版元に言わせると、「子孫」のことを「俺らのガキども」などと言い換えることが「口語訳」ということであるらしい。

 あまりのことに愕然とし、次いで悲しくなり、通り越してだんだん心を虚無が占めていくのを覚えた。

 これが、こういうものが「口語」とされるとは。

 そうすると、私が今書いているこのブログの文字列如き、彼らから言わせれば口語などとはいうも愚か、文語どころか、下手をすると「上古の語」「記紀万葉の(いい)」とすら言われかねない。

 私と言えど、せいぜい満50歳であるから、老人と言うわけではない。だがこの出版事情が事実として正であるなら、私はもはや、自分の娘ぐらいの世代とすら、文字による意思疎通が出来なくなっているということではないか。つまり、部下とのやりとり、子供たちとのやりとりの、半分すら彼らに理解されてこなかったということではないか。それが内容の正否ではなく、形の違いによって理解されてこなかったということではないか。

 あまりのことに虚脱せざるを得ない。私ごとき、老害を避けるためさっさと死ねということであろうか。

 私を本位として書けば、これは、私が愚弄されているのだと思う。今後このテの本を「オッサン愚弄本」と名付けたい。

終戦記念日

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 例年の通り靖国神社へ参拝。

 ここ数年、仕事のため15日に参拝できないことや、仕事を終えてから夕刻に参拝したことも多かったが、今年は普通に盆休みなので、参拝できた。

 朝早く出かけたので、それほど並ばなかった。

 遊就館もゆっくりと見た。いろいろと思い出してみると、私は十何回も遊就館に来ているようだ。

 帰りが丁度正午頃になり、武道館の全国戦没者追悼式の中継が始まった。首相の言葉を聞く。続いて、畏し、天皇陛下のお言葉があった。

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 黙祷の合図を靖国神社の境内で聞くことができた。周りの人たちと合わせて黙祷した。

 秋葉原で昼食をとり、帰った。