「鼠たちの戦争」読書(おぼえ)

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 「鼠たちの戦争」を読み終わる。

 ソ連の英雄狙撃手、ワシーリー・ザイツェフの戦闘を中心にスターリングラード戦を描いた名作で、映画「スターリングラード」の原作でもある。

 読み終わった今日、11月11日は、ちょうどスターリングラードでソ連が反撃を開始し、戦況が反転した境目あたりの日である。

  •  冒頭から終章まで、鳥肌が立つような緊張感あふれる描写。凄惨、地獄、血と泥、瓦礫、コンクリート、鉄骨、混乱がこれでもかこれでもかと書き込まれ続け、まったく緩むことがない。
  •  ロシア人には名前に愛称や略称があり、読んでいてこれが頻繁に変わるため、誰のことを指しているのか混乱したりする。「ワシーリー」が「ワーシャ」であったり「ターニャ」が「タニューシュカ」であったり。
  •  「野外」という言葉や、階級、役職の名称、部隊名の表記など、まったくストレスなく読める。

     最近、新聞にしても雑誌にしても、小説にせよ論説にせよ、軍事的な記述がメチャクチャであることが多く、読むたびにストレスが溜まるのである。ところが、この翻訳者にはそれがそんなにない。

     この翻訳者は、防衛省がらみのなんらかの仕事をしたことがある人物なのではなかろうか。それか、防衛省関係者に監修を依頼したのではないかと思う。

  •  だが、それはそれとして、翻訳のせいではなくて原作のせいではあるが、対するドイツ側の敵狙撃手、ハインツ・トルヴァルトが大佐ってのは、しかし、これはちょっと変だろう。大佐が狙撃手、ってのだけは、これは、ない。いくら大戦中のドイツ軍でも、ないだろう。狙撃の主任教官でせいぜい大尉だと思う。しかも、大尉が狙撃の実技を直接教えなどするまいことは自明で、いわんや大佐がそれを教えるなど、ありえまい。
スターリングラード ボルゴグラード
タイガ 北方の樹林帯
ママイエフ・クールガン ボルガ河の西にある古代タタールの王ママイ(カン)の墳丘墓

反戦主義者と似ている

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 先月のニュースだが、岐阜で熊害(ゆうがい)があったそうな。

 で、地元の猟友会や警察に寄せられているという苦情がまた、「誰だこんなこと抜かすバカは」というような、不愉快に思うのを通り越して、もはや噴飯ものの理屈である。

 「かわいそう~」か。ハハハ……

 反戦主義者の理屈に似ている。こんなもの、便所を掃除するとバイキンが手について不潔になるから掃除なんかやめましょう、とか、強姦魔や痴漢にも人権や人格があるのだから、裁判では全部無罪にして許してあげましょう、とか言うようなものだ。

 「熊の射殺現場を子供に見せない配慮が必要だったのでは」などと甘っちょろい批判があるようだが、私はそんな意見には反対だ。むしろ子供に見せた方がよろしい。

 私の二人の娘はもう大きくなってしまって子供ではないが、もし娘たちが小さい頃にこういう現場に居合わせる機会があったとしたら、私なら猟友会や警察に感謝したろう。人間が自然、ひいては地球の中で生存していくというのはどういうことか、自然や生命の、どのような犠牲の上に自分の命が成り立っているのか、他の生命の犠牲の上に成り立った自分の生命がどれほど大切にするに足るものかを、実地の血と銃声で、恐怖や不快感とともに深刻に見せて下さって、ありがとう、と。