言葉

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蒙塵(もうじん)

 昨日から読んでいる内田百閒の「阿房列車」に出てきた言葉で、知らない言葉だった。

 Weblio辞書によれば、

「(宮城の外に出て塵(ちり)をかぶる意)変事に際し,天子が難を避けて宮城の外に逃れること。」 

……だそうである。

結滞(けったい)

 この言葉も同じく阿房列車から。

 コトバンクには、

結代とも書く。脈拍が不規則となったり,1拍動が欠けたりすること。期外収縮や心房細動による。

……とある。

索然(さくぜん)

 同じく「阿房列車」から。

 Goo辞書

心ひかれるものがなくて興ざめするさま。空虚なさま。

……とある。

春永(はるなが)

 同じく「阿房列車」。

 コトバンク

いつかひまな時。多く「はるながに」の形で副詞的に用いる。

……とある。たまたまだが、この「コトバンク」の用例も「阿房列車」からの引用で、借りたお金をそのうち返すから、というような意味で「(お金の返済は)いずれ春永にということになって」という、私には意味の分からなかったところがそのまま使われていた。

スティグマ

 メディアの記事の「子どもなし世帯」という言葉の書きっぷりに怒っている人のブログ記事で見つけた。聞いたことはある言葉だったが、意味は忘れてしまっていた。めったに聞かないもんな、こんな言葉。

 「烙印」というような意味と、「聖痕」というような意味の二つがあるようだ。

所謂(いわゆる)「釣り」とはいえど

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 非道なツイートを見かけて憤慨する。

 この男が言っているのは先日亡くなった声優の鶴ひろみさんのことである。

 まあ、所謂(いわゆる)「釣り」という奴だが、しかし、釣りにも限度ってものはあるよな……。

 日本は自由の国なのであるから、総理大臣を(けな)そうが、政権与党をバカにしようが、私達日本人全体に向けて「日本死ね」と叫ぼうが、はたまた逆に、左翼だアカだと野党をボロカスに愚弄しようが、不倫議員をガソリーヌだパコリーヌだとからかおうが、「朝日新聞死ね」と吐き捨てようが、いくらでも何でも、自由に言えばよろしい。

 この男が権力者と看做(みな)しているのであろう安倍総理に「有耶無耶(ウヤムヤ)では済まさんぞ、アベ」と挑みかかるのも、完全に許される。仮に「アベ、死んでしまえこの野郎」と吐き捨てたとしても、この男の小ささと総理大臣の大きさを考えれば、どうにか許容範囲には収まると私は思う。

 だが、不慮の病気で死んだ市井の人を「迷惑だ」「声優なぞ名も知れぬ売れない劇団員の片手間仕事だ」などと言い捨てて、それに引っ掛けての政権批判はなかろう。政権批判を鶴ひろみさんに引っ掛ける必要など全くない。政権批判だけ単独で言えばよろしい。

 私だって鶴ひろみさんと言う人の名前は知らなかったが、こんなふうには思わない。亡くなった記事を見て「お気の毒に」と思う。

 私もしょっちゅう政治家をバカにしたエントリを書いているし、それどころか「死んで詫びろ!」などと書いたこともあるが、もし彼ら彼女らが事故や病気で不慮の死を遂げれば、やっぱり同様に、「お気の毒に、可哀想に」と思うだろう。どうでもいい、とか、迷惑だ、などとは思わないし、仮に思ったとしても、これほど露悪的なツイートはしない。

 この澤谷と言う人は在日韓国人だという。私にも、昔、学校の同級生に在日韓国人の友達はいた。今は直接付き合っている在日韓国人の友達はいないが、間接的に知っている在日韓国人はいる。皆いい人だ。しかし、この男のような活動家が、プロフィールに在日韓国人の大看板を上げてこんなことを書いたりすると、善良な在日韓国人の友達や、一般の韓国人が結果として愚弄されてしまうことになる。これでは普通の在日韓国人にとって、迷惑以外の何物でもあるまい。

 十数年前、韓国の反日の状況があまりにも強く伝えられていた頃、私も韓国や韓国人を嫌っていたが、今はあまり嫌いではなくなった。むしろ仲良くなれないことを悲しんでいる。アジアの有力国である日・中・韓を分断してコントロールしようとする欧米白人の方が今は嫌いだ。

 なんにせよ、「他山の石」というか、こういうことを見て、自分の書くもの、言うことについて、書き方言い方に気を(つか)っていこうと思うのだった。

 ……「釣り」にこんなふうに気持ちをかき乱されるとは、まあ、私も、青ッちょろいと言えば、青ッちょろいわねえ。