元日

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天皇陛下万歳。

 元日である。国旗を掲揚する。

 その昔、年の初めに神武天皇が即位されたことから1月1日は元日と決まったものだが、これは実は旧暦で、旧正月のほうになっている。「建国記念の日」がそれである。

 しかし、新暦の元日もやはり元日に違いはなく、数え年なら万人が一斉にひとつ年をとる。つまり、昔は日本人全員の誕生日が元日であった。

うむっ。それでよろしいッ!

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 よろしいッ! それでこそ日本人であるッ!!

勤労感謝の日

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%e5%8b%a4%e5%8a%b4%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%ae%e6%97%a5天皇陛下万歳。

 祝日・勤労感謝の日である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今日は遠く飛鳥時代、皇極天皇の御世にその起源を(さかのぼ)る「新嘗(にいなめ)祭」の日である。皇極天皇というと「重祚(ちょうそ)」と言って、後に斉明天皇と名を改めて再び即位した女帝であり、これは日本史で習うから、覚えている人も多いことだろう。

 日本書紀巻第二十四「皇極天皇」紀には、

十一月壬子朔癸丑、大雨雷。丙辰夜半、雷一鳴於西北角。己未、雷五鳴於西北角。庚申、天暖如春氣。辛酉、雨下。壬戌、天暖如春氣。甲子、雷一鳴於北方、而風發。丁卯、天皇御新嘗。是曰、皇子・大臣、各自新嘗。

(十一月(しもつき)壬子(みずのえね)(ついたち)癸丑(みずのとうしのひ)に、大雨(おおあめ)ふり(いかづち)なる。丙辰(ひのとたつのひ)夜半(よなか)に、雷(ひとたび)西北(いぬゐ)(すみ)()る。己未(つちのとのひつじのひ)に、雷(いつたび)西北の角に鳴る。庚申(かのえさるのひ)に、(あめ)(あたたか)なること春の(しるし)の如し。辛酉(かのとのとりのひ)に、雨()る。壬戌(みずのえいぬのひ)に、天の暖なること春の氣の如し。甲子(きのえねのひ)に、雷(ひとたび)北の(かた)に鳴りて、風(おこ)る。丁卯(ひのとのうのひ)に、天皇(すめらみこと)新嘗(にひなへ)(きこしめ)す。是の曰に、皇子(みこ)大臣(おほおみ)(おのおの)(みづか)新嘗(にひなへ)す。)

 と、その年の天変などとともにこの新嘗の記述があり、日本書紀の中ではっきりと新嘗の記述が現れるのはこの箇所が最初であることから、これが新嘗祭の起源となっている。

 この新嘗祭は、重要な宮中祭祀であるため、明治時代から祝日として定められていた。

 戦後、「勤労感謝の日」と改められたが、宮中においては今も変わらず、天皇陛下おん(みずか)神嘉殿(しんかでん)において古式ゆかしくこの祭祀を執り行われると漏れ伝え聞く。

 本来、「新嘗祭」は新収穫を(みかど)自らおしいただいて、五穀豊穣を天地神祇に納め祈る日であったことから、無論これは農業を慈しみ奨めることに通じており、これが近代的に発展して「勤労感謝」となったことはおかしいことではなく、当時の政府はGHQの影響下、国民世論をも取り込んで、名称変更を上手い具合にまとめたものだと思う。

六本木・ダリ展 → 麻布十番・更科堀井

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ダリ展

 朝から土砂降りの雨である。雨の範囲は大して広くはないように思うのだが、どうも東京周辺はひどい降りようだ。

 そんな中、六本木の国立新美術館へ「ダリ展」を見に行った。

 大変な人気で、大勢の人が詰めかけていたが、混雑で見られないというほどでもなく、むしろ、列が進みづらいことで、かえってじっくり鑑賞することができた。

 思っていたより盛りだくさんの内容で、大作の絵画だけでなく、ダリが挿絵を描いた「不思議の国のアリス」や、またその他数々の挿絵、ダリが制作した前衛映画「アンダルシアの犬」他2編の映像作品の上映、デザインした宝飾品の展示など、充実した内容だった。

 戦前から戦後にかけて、作風が少しづつ変わりながら、よりエキセントリックに、より前衛に、かつ多様に尖っていく様子、また晩年に至って壮年期のパラノイア的方向へ回帰していく様子などがよくわかる展示になっていた。

 遠景ほど克明に、かつ強烈な光を当てて描き込むあの独自の表現を存分に鑑賞することができた。ああいう長命した画家には当然のことながら、ダリも作風はデビュー前から死ぬまでに少しづつ変化しており、今挙げた遠景に強烈な光を当てる、「これぞダリ」というあの画風は、アメリカに亡命する前後の「シュールレアリスム」の、気鋭の若手の一人だった頃のことのようだ。

img_4758 いつものように図録を買った。美しく盛りだくさんの内容であり、私としては購入しがいのある、コストパフォーマンスの高い出来栄えの図録であるように思う。2900円。

img_4759 いつも思うのだが、図録が先に買えたら、あらかじめ理屈のようなことは納得してから見に行けるので、美術館ではかえって集中して作品が鑑賞できるようになって良いのだが、今回はそういう着意はなかったのが残念である。

総本家 更科堀井(さらしなほりい) 麻布十番本店

 以前から心に決めていたことは、六本木に行くことがあったら、必ずそのすぐ近く、麻布十番の「更科(さらしな)御三家」のどれかに行こうということである。

 以前書いたが、更科御三家(更科堀井・永坂更科・永坂更科布屋太兵衛)は、元は信州方面からやってきた布商人が元祖となった店で、江戸に定着して以来、経営主体はさまざまに変わって3つに分かれながらも、今も長く麻布十番で暖簾を守っている。

 ダリ展を見に六本木へ行くからには、「総本家 更科堀井 麻布十番本店」へも行ってみようと(かね)てから考えていた。そこで、先日「目黒のさんま祭り」へ一緒に行った旧友F君に声をかけ、ダリ展を見終わってから麻布十番の駅で落ち合い、更科堀井へ向かった。

img_4760 「更科堀井」は地下鉄麻布十番駅の7番出口から出ると近い。歩いてものの3、4分というところだろう。建物は左掲写真に御覧のとおり、ビルの1階にある。

 寛政元年(1798年)の創業以来(このかた)200年あまり、先の大戦後からの一時期、しばらくの中断はあったものの再興し、営々と続いてきた老舗である。

 この店独特の「更科蕎麦」は、蕎麦の実の芯の白いところのみを使ったもので、東京で他に有名な藪、砂場のどちらとも異なるものだ。

img_4765 まずはとにかく、酒に、肴である。

 通しものにはこの店名代(なだい)の更科蕎麦を軽く揚げ、程よく塩味を付けたものが出る。

img_4767 今日は畏友F君と一緒に来たので、純米「名倉山」を2合。肴にそれぞれ焼海苔と卵焼きをとる。

 焼海苔は藪などでも見られる、炭櫃の下に小さな熾火(おきび)の入ったもので供され、パリパリに乾いてうまい。

img_4768 卵焼きは東京風に甘じょっぱく、蕎麦(つゆ)出汁(ダシ)がきいたふんわり焼きである。大根おろしに蕎麦(つゆ)をよくまぶしたものが付け合わせになっており、これが濃醇甘口の名倉山に大変よく合う。

 いよいよ二人で、この店独特の「更科蕎麦」の「もり」を一枚づつ頼んでみた。これが驚くべし、さながら素麺(そうめん)冷麦(ひやむぎ)のように白いのである。よく見れば少し色づいているので冷麦ではないとわかるのみである。

img_4771 ところがこれを手繰りこめば、その香りと味はまごうことなき蕎麦。だが噛み応えものど越しもあくまでしなやかであり、いわゆる「挽きぐるみ」の色の濃い蕎麦とは一線も二線も画する独特のものだ。

 店の(しおり)によればこの品の良さから、戦前など「(かしこ)きあたり……」へ、なんと出前すら仰せつかったものであったそうな。

 「さらしな もり」930円、大盛りは270円プラス、焼海苔670円、卵焼き740円、名倉山純米1合700円であり、「びっくりするほど高いわけではない」値段である。

 うまい肴で呑み、まことに気持ちの良い蕎麦を手繰り、微醺を帯びて出ると、土砂降りだった雨がすっかり上がり、陽光が垣間見える夕方に換わっていた。

 F君と別れて、浮かれた調子で帰りの地下鉄に乗る。きこしめした「名倉山」の酔い心地は(すこぶ)る快く、帰りの電車の睡魔の、なんと心地よかったこと。

 暗くなって帰宅した。秋分の日、残念にも土砂降りの秋雨とは言いながら、芸術の秋と食欲の秋、どちらも堪能できた面白い休日であった。

天皇陛下万歳。

 国旗を降下する。

祝日暮る

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天皇陛下万歳。

 祝日一日、「海の日」も暮れる。

 国旗を降下する。

 やあ、今日は何事もなく暮れたなあ。よかった、よかった。

海の日

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天皇陛下万歳。

海の日

 祝日「海の日」である。国旗を掲揚し、拝礼する。

 法律には「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」とある。

成人の日の感想も変化する

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 明日は成人の日だ。

 一日前に行事をしてしまう自治体も多いようで、もう「荒れる成人式」というようなニュースが流れてくる。苦々しい。

 私の子供たちはまだ成人しないので、成人式の所感というと、どうしても自分が成人した頃のことになる。

 私は、自分の成人式の時は仕事をしていたので、晴れやかな思い出はない。

○ 成人の日所感(7年前に書いた記事)

 しかし、それももう既に枯れた記憶で、だからどうだというふうには、今は思っていない。この記事を書いたときほどには、苦々しい感情は、今はない。

 只々、若者が健やかに幸せに暮らしていってほしいと思う。そういう気持ちに変わったのは、私の子供たちもだいぶ大きくなり、まだ成人ではないものの、もうあと1年2年のことだから、ということも関係していると思う。