天皇陛下万歳。
その昔、年の初めに神武天皇が即位されたことから1月1日は元日と決まったものだが、これは実は旧暦で、旧正月のほうになっている。「建国記念の日」がそれである。
しかし、新暦の元日もやはり元日に違いはなく、数え年なら万人が一斉にひとつ年をとる。つまり、昔は日本人全員の誕生日が元日であった。
オッサンは生きている。
今日は旗日です
マンションの狭い通路に国旗を掲揚するのはちょっと無理があるので
靖国神社に行ったとき卓上の日の丸を買ってきました
色んな事情で国旗が飾れない人は、これでもお祝いの気持ちにはなれますヨ pic.twitter.com/AcSNqrWZjC— たみ (@mbaby48443861) December 22, 2016
よろしいッ! それでこそ日本人であるッ!!
祝日・勤労感謝の日である。国旗を掲揚し拝礼する。
今日は遠く飛鳥時代、皇極天皇の御世にその起源を
日本書紀巻第二十四「皇極天皇」紀には、
と、その年の天変などとともにこの新嘗の記述があり、日本書紀の中ではっきりと新嘗の記述が現れるのはこの箇所が最初であることから、これが新嘗祭の起源となっている。
この新嘗祭は、重要な宮中祭祀であるため、明治時代から祝日として定められていた。
戦後、「勤労感謝の日」と改められたが、宮中においては今も変わらず、天皇陛下おん
本来、「新嘗祭」は新収穫を
朝から土砂降りの雨である。雨の範囲は大して広くはないように思うのだが、どうも東京周辺はひどい降りようだ。
そんな中、六本木の国立新美術館へ「ダリ展」を見に行った。
大変な人気で、大勢の人が詰めかけていたが、混雑で見られないというほどでもなく、むしろ、列が進みづらいことで、かえってじっくり鑑賞することができた。
思っていたより盛りだくさんの内容で、大作の絵画だけでなく、ダリが挿絵を描いた「不思議の国のアリス」や、またその他数々の挿絵、ダリが制作した前衛映画「アンダルシアの犬」他2編の映像作品の上映、デザインした宝飾品の展示など、充実した内容だった。
戦前から戦後にかけて、作風が少しづつ変わりながら、よりエキセントリックに、より前衛に、かつ多様に尖っていく様子、また晩年に至って壮年期のパラノイア的方向へ回帰していく様子などがよくわかる展示になっていた。
遠景ほど克明に、かつ強烈な光を当てて描き込むあの独自の表現を存分に鑑賞することができた。ああいう長命した画家には当然のことながら、ダリも作風はデビュー前から死ぬまでに少しづつ変化しており、今挙げた遠景に強烈な光を当てる、「これぞダリ」というあの画風は、アメリカに亡命する前後の「シュールレアリスム」の、気鋭の若手の一人だった頃のことのようだ。
いつものように図録を買った。美しく盛りだくさんの内容であり、私としては購入しがいのある、コストパフォーマンスの高い出来栄えの図録であるように思う。2900円。
いつも思うのだが、図録が先に買えたら、あらかじめ理屈のようなことは納得してから見に行けるので、美術館ではかえって集中して作品が鑑賞できるようになって良いのだが、今回はそういう着意はなかったのが残念である。
以前から心に決めていたことは、六本木に行くことがあったら、必ずそのすぐ近く、麻布十番の「
以前書いたが、更科御三家(更科堀井・永坂更科・永坂更科布屋太兵衛)は、元は信州方面からやってきた布商人が元祖となった店で、江戸に定着して以来、経営主体はさまざまに変わって3つに分かれながらも、今も長く麻布十番で暖簾を守っている。
ダリ展を見に六本木へ行くからには、「総本家 更科堀井 麻布十番本店」へも行ってみようと
「更科堀井」は地下鉄麻布十番駅の7番出口から出ると近い。歩いてものの3、4分というところだろう。建物は左掲写真に御覧のとおり、ビルの1階にある。
寛政元年(1798年)の創業
この店独特の「更科蕎麦」は、蕎麦の実の芯の白いところのみを使ったもので、東京で他に有名な藪、砂場のどちらとも異なるものだ。
通しものにはこの店
今日は畏友F君と一緒に来たので、純米「名倉山」を2合。肴にそれぞれ焼海苔と卵焼きをとる。
焼海苔は藪などでも見られる、炭櫃の下に小さな
卵焼きは東京風に甘じょっぱく、蕎麦
いよいよ二人で、この店独特の「更科蕎麦」の「もり」を一枚づつ頼んでみた。これが驚くべし、さながら
ところがこれを手繰りこめば、その香りと味はまごうことなき蕎麦。だが噛み応えものど越しもあくまでしなやかであり、いわゆる「挽きぐるみ」の色の濃い蕎麦とは一線も二線も画する独特のものだ。
店の
「さらしな もり」930円、大盛りは270円プラス、焼海苔670円、卵焼き740円、名倉山純米1合700円であり、「びっくりするほど高いわけではない」値段である。
うまい肴で呑み、まことに気持ちの良い蕎麦を手繰り、微醺を帯びて出ると、土砂降りだった雨がすっかり上がり、陽光が垣間見える夕方に換わっていた。
F君と別れて、浮かれた調子で帰りの地下鉄に乗る。きこしめした「名倉山」の酔い心地は
暗くなって帰宅した。秋分の日、残念にも土砂降りの秋雨とは言いながら、芸術の秋と食欲の秋、どちらも堪能できた面白い休日であった。
天皇陛下万歳。
国旗を降下する。
天皇陛下万歳。
祝日一日、「海の日」も暮れる。
国旗を降下する。
やあ、今日は何事もなく暮れたなあ。よかった、よかった。
明日は成人の日だ。
一日前に行事をしてしまう自治体も多いようで、もう「荒れる成人式」というようなニュースが流れてくる。苦々しい。
私の子供たちはまだ成人しないので、成人式の所感というと、どうしても自分が成人した頃のことになる。
私は、自分の成人式の時は仕事をしていたので、晴れやかな思い出はない。
○ 成人の日所感(7年前に書いた記事)
しかし、それももう既に枯れた記憶で、だからどうだというふうには、今は思っていない。この記事を書いたときほどには、苦々しい感情は、今はない。
只々、若者が健やかに幸せに暮らしていってほしいと思う。そういう気持ちに変わったのは、私の子供たちもだいぶ大きくなり、まだ成人ではないものの、もうあと1年2年のことだから、ということも関係していると思う。