亭主ドライバ

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 去年のいつぞやの夕刻のこと。

 ウィスキー呷ってダラダラしてたら、「ちょっとお父さん、台所手伝ってよう~」と妻の悲鳴である。どうも洗い物など、台所がたまってしまったようだ。

 もとより、家庭において妻の命令は絶対厳守である。妻は家庭の首相であってみれば、その命令はたとえ家長の私であろうと、墨守死守でなければ近代立憲制度の実をないがしろにすることに繋がっていってしまう。

 それはさておき、妻は台所に私を呼びつけるや、じつにテキパキと私をドライブしはじめるのである。

「抽斗からラップ出して。……違う、右の抽斗ッ。もう~」

「冷蔵庫あけて水に漬けた生姜の鉢をだして!」

「それにラップかけて、野菜室にしまうのよ。」

「それから、フライパンの生姜焼きの残り、アルミカップに小分けにして。」

「それをラップに包んで。休み明けにお父さんのお弁当に入れるんだから。……あーっ、だめよ、ピチピチに包んだら。ふんわり包むのよ。……あーっもう、それは、こう!こういうふうに!!」

「終わったらアッチの椅子に座ってて!」

 これらのことを、自分は洗剤を計ったり皿を洗ったり製氷皿に水を足したり布巾を漂白したりしながら、ピシピシと責め立てるように命ずるのである。

 随所にパイプライン処理や、時として分岐予測なども入ってその最適化っぷりは有無を言わせぬ。

 多分、妻は私よりCPUコアや同時処理可能なスレッドが多い。

 ……ああ、妻はウチの総理大臣なんかするより、4ビットCPUのプログラマになったほうがよっぽど向いていたのではないかと、腹の底から思うわ。

キンッ(Ouch!

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 毎日毎日、雑踏に()まれて都会の通勤に()えている。埼玉住まいの東京通い、17年ほどになろうか。

 日常の通勤経路上、大事件に出くわすことなど滅多(めった)にないが、駅の混雑や道沿いの雑踏にも様々な人間模様、喜怒哀楽が見え隠れすることがあって、面白いと思う。

 歩き方ひとつとっても人それぞれだ。うなだれてノロノロ歩く人、スマホに夢中で周りが見えていない危険な人、急ぎ足、喋りながら楽しそうに歩くカップルや学生もある。若者がうなだれて歩いていると、先日の電通の過労事件などを思い起こす。疲れて病んでいる人を殊更(ことさら)励ますようなことは(かえ)って逆効果だ、などと最新のメンタルヘルス・ナレッジは言うが、それでも心の中では励まさずにおれない。

 そんな中、健康そうに昂然(こうぜん)と顔を上げ、胸を張り、正しく後ろ30度前45度に腕を振ってスタスタ歩いていく人を見るのは気持ちの良いものだ。が、雑踏で状況を考えもせずこういうふうに歩くと、如何にせん、元気よく振っている腕の、後ろに振った拳が他人に当たってしまう場合がある。

 こういうタイプの女性の後ろを男性が歩いていて、キンタマに「キンッ!」と、しかも、人にもよるが、男前タイプの性格を持った女性だとグーで思いっきりキメてしまう場合があって、イイ歳こいたイイ面構えのおっさんが「はうぐっ!」などと、人目も(はばか)らず切ない悲鳴を上げている。キメちまった女性の方も「な、なななナニヨ知らないわよあうあうあ」みたいな慌て方をしていて、そういうところに偶々(たまたま)いあわせたりすると相当気まずい。

 また、この逆の場合で、男性が元気よく腕を前後に振って歩いていると、後ろからスマホなぞ覗き込みながら接近してきた女性の股間にサクッと手刀が命中し、痴漢の現行犯で私人逮捕されてしまうということも、見たことはないが聞いたことがある。

 未確認情報なのだが、この二つの場合、どちらも「男が痴漢」ということになってしまうのだという。女性が男性の股間にキメちまった場合も「不注意な男が悪い」のだそうだ。

 昨今、男でい続けることもなかなか大変ではある。しかし、そういう時勢なので我慢するより仕方がない。

 ともあれ、まあ、大人が大人の股間にキメちまったという「大人同士」の間でのことなら、状況にもよるが、多くの場合「すみませんでした」「いやこちらも不注意で」ぐらいの頭の下げ合いで済むだろうと思う。が、大人同士でなかったら、そうはいかない場合がある。

 先日見かけたことだ。この秋は長雨で傘持ち通勤が続いたが、そんな雑踏の中を、傘の尖った方を後ろにして掴み、掴んだその手をブンブンと振って元気よく歩いている者がいた。大人ばかりならそれでもいいのだが、その時は、電車で通学する、赤いランドセルを背負(しょ)った小学生が後ろから早い歩調で近づいていた。その小学生は雨で濡れた床で滑らないよう下を見て歩いており、ただでさえ黄色い通学キャップを目深(まぶか)(かぶ)っているので、前を歩く大人がブンブン前後に振っている(とが)った傘の先が、今にも目に突き刺さりそうになっているのに気が付かないのだ。

 あぶない、お嬢ちゃんあぶないよ!と喉元まで出かかったその時、赤いランドセルの女の子はフラリフラリと通路の反対側にそれていったので何事もなかった。ホッとしたが、しかし、それはまぐれで無事だっただけだ。

 傘など尖ったものを後ろに向けて、それを握った手を元気よくブンブン振って歩くのは、田舎のあぜ道かどこかでなら大丈夫だが、都会の駅の構内などでは厳禁だ。

 都会の人間は疲れ果てて元気がなく見えるが、他人に迷惑をかけないためには、手などあまり振らず、傘の尖った先端も、自分の前に向けて静かに歩き、危険や損失を避けるのが好ましい身ごなしと言える。満員電車で姿勢よく四肢を踏ん張って立っている人も多いが、それで気分が良いのは自分だけで、肩肘をゴツゴツぶつけられて周りの者は迷惑だとしか思っていない。だから電車内では柔軟に脱力し、死んだような姿勢で通勤するしかない。

 例え不健康だと思われようと、それが「嫂叔(そうしゅく)は親授せず、長幼は比肩せず、瓜田(かでん)(くつ)を容れず、李下に(かんむり)を正さず」というものだろう。

 通勤する人々に元気が見えず、不健康な歩き方や立ち方になるのは、この所以(ゆえん)をもってやむを得ない。それが都会の身ごなしというものだからだ。

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 このところ忙しいのには閉口するが、身過ぎのためには仕方がない。それでも、ようやく一息つける雰囲気もあって、まず、ヤレヤレ、というところである。

 立夏を過ぎたとて、歳時記のカバーを春巻から夏巻にかけ替える。愛用の角川の文庫版。通勤用鞄に放り込んでおくには、これがよい。

 明日は旧四月(ついたち)の新月。以前、変わった名字で、「四月朔日(わたぬき)さん」という人が職場にいたのを思い出した。

空漠、索漠

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 祝日の夜にもかかわらず、空漠たる不安、索漠たる思いにとらわれ、沈鬱な気持ちで入浴し、牛乳飲んで、戸棚を見るとジンジャエールの缶があったから、それでハイボールを作って飲む。

 で、筆のすさびに書いてしまってから「はて、『空漠』『索漠』って、どういう意味だっけ」と、検索する。

くう‐ばく【空漠】

[ト・タル][文][形動タリ]
1 果てしなく広いさま。茫漠(ぼうばく)。「空漠とした大洋」
2 漠然としてとらえどころがないさま。「空漠とした不安」
[名・形動]
1 1に同じ。
2 2に同じ。
「此―の荒野(あらぬ)には、音信(おとずれ)も無し、影も無し」〈上田敏訳・海潮音〉
「如何に―なる主人でも」〈漱石・吾輩は猫である〉

さく‐ばく【索漠/索×莫/索×寞】

[ト・タル][文][形動タリ]心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。「冬枯れの―とした風景」「―たる思いにとらわれる」

 まあ、もうすぐ正月休みだから、気の休まる間もあろう。

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 世の中は逐次進歩しているなあ。

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秋生まれ一家

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 私の家族は全員秋生まれで、3人が9月、次女だけ10月だ。

 ほぼ1か月の間に4人の誕生日が集中しているので、秋になると誕生日のごちそうと誕生ケーキをダーッと一気に毎週毎週食べ、誕生日シーズン完了、とあいなる。毎週ごちそうなので、秋は楽しい。

 昨日は次女の誕生日だったので、おいしいものを食べて過ごした。次女は「何が食べたい?」と聞くと、小さい頃は「(きのこ)づくし」を要求するという誠にシヴい子だったが、昨日は「アイス・ケーキ食べたい」と、普通の娘並みのことを言ったので、ホッとしている。

 またこの先1年、誕生日ナシだなあ。

昔に比べて

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 昔に比べて、本当にビールの品質がよくなった。昔は「ビール」と称していても、大抵コーンスターチなどが入っていて、今の発泡酒の品質だった。ごく僅かな銘柄(ヱビスなど)だけが麦芽とホップのみで作られていた。

 この状況は何年くらい前までだったろう。

 ビールの品質が向上するのと前後して、底質の「発泡酒」が出てきた。これは以前のビールとあまり変わらない品質だ。買い手ははっきりそれと知って買うことができるのだから、正直でよいことだと思う。

花を植えたい

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 このところ花を植えようなどという心のゆとりが持てなかったのだが、つつじ、さつき、それからさるすべりなど、木本性のものを植えたいなあ、と思うのであった。

 つつじやさつきは日本原産で育てやすく、挿し木でいくらでも殖やせるというが、何月頃にどうやってやるものか。NHKの園芸本でも買ってみるか。

自転車珍妙乗り

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 FBのウォールやツイッターのタイムラインを漫然と見ていたら、何か、

「この6月1日に道路交通法が改正されて自転車の違反にも青切符が適用されるようになるが、その前の今日現在の段階では、自転車に対する青切符の制度(要するに行政処分の制度)が法律上存在しない。そのため、自転車の交通違反は即「赤切符」を切られるというのが現状だ。赤切符を切られると、裁判所に出頭したり手続きをしたり、いろいろと面倒にもなるし、最悪『前科持ち』にされてしまうので、自転車には気を付けて乗ったほうが良い。」

……というような趣旨のニュースがフィードされてきた。

 大阪で捕まってしまったある人はブログにこのことを詳しく書いておられ、淡々と反省しておられる。 改悛の情顕著にして、しかも史上初めてのケースということで、この方自身は不処分になったようだ。

 この方は「こうなってみてから周囲を見回してみると、自動車の通る道路でスマホを操作しながら自転車に乗っている人もいることにあらためて気づかされる。危険だし、事故が起こってからでは遅いのでやめましょう」というような趣旨のことも書いておられ、まず、もっともなことだと思う。

 このことを味わいつつ、ふと思い出したことがある。

 このところ自転車乗りというのは、警察も神経をとがらせるようになったこともこれあり、その危なさがよく取り沙汰される。

 普通の自転車で信号無視や蛇行運転、脇見、スマホ操作、飲食、無灯火、二人乗り、まあいろいろあるが、カッコいいぴちぴちレーシングスーツに昆虫みたいなヘルメット、虹色サングラスで前傾集中、スポーツ車を一心に漕いでいくスポーツ・ライダーも、周囲がまったく見えておらず、危険きわまる。しかもなお、スポーツライダーの場合、何か自分が正しいことでもしていると信じて疑わぬフシが感じられ、それが危なさに一段輪をかけている。

 そんな最近の自転車交通事情だが、私がある朝、ふと出勤途上の公道で見かけた男の自転車の乗り方は、一頭二頭、他から抜きん出ていると言わざるを得なかった。

 その男は、食事をしながら自転車に乗っていた。

 いや、飲食しながら自転車に乗る人は、実は見ていると結構多い。缶コーヒーを片手で飲みながら自転車を漕いでいたり、アイスキャンデーをなめていたり、まあ、せいぜい、サンドイッチかホットドッグかハンバーガーをぱくつく、というのはよくある光景だ。

 だが、その男は違っていた。

 プラスチックの丼を左手で抱え、右手に正しく持った箸で、牛丼のようなご飯をもりもりと食べ、時々「ンガほほッ」などとむせ返りつつ、そして、両足で自転車のペダルをこいでいた。

 左手は、なんだかものすごく器用な持ち方で、丼と一緒にカップ味噌汁みたいなものも一緒に持っていて、時々「ズーッ、ズーッ、……かーっ、ふぅ」と、うまそうな吐息が聞こえる。

 自転車のハンドルは、だいたい両肘か片肘を使って操作していた。そうやって無駄に巧みな舵取りで左右にふらつきつつ、時々手放しになり、休まず飯を食い、抜け目なく周囲の交通に目を配り、向こうから来る歩行者をヒョイと避けたりなぞし、信号のある交差点に来ると、箸を持った右手ですばやくブレーキを掛けて停まり、信号を待っている間また牛丼をむしゃむしゃガツガツと食べ、青信号になるとまた休むことなく牛丼を食い、味噌汁を味わいながらペダルを漕いでどこかへ行った。

 ……。ぬぅ……。

 メシぐらい、どこかへ座ってゆっくり食えよ兄ちゃん(笑)。

 そんなに急いでるなら、どこかのベンチで牛丼食ったあと、大急ぎで自転車こいで仕事に行ったほうが早いぞ!?

 私は自分が目にしている光景がにわかには信じがたく、その男に注意してお節介焼きをする、あるいは、地域の安全に一定の責任を持つ善良な市民としてその男を諌める、といったような、そういう行動はその時にはまったく思いつくことができなかった。

 ともあれ、彼が事故に遭わず、その後も無事に働き、生きていることを心底祈っているが、牛丼を食いながら自転車に乗ることは、やはり、よくないからやめたほうがよい。