今週

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● 連休明け、11月24日火曜日出勤途上、トイレに行きたくなり、南千住駅で降りた。

 五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。

 それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、

「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」

……とアナウンスが流れるではないの。

 当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。

 もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。

● Twitterを漫然と眺めていたら、Tumblrからのリンクが誰かから流れてきて、こういうのだった。

http://menmennamihei.tumblr.com/post/133986893677/ほうれんそうを考えた人って去年亡くなったんですよね-その人の話を読んだんですけど報告連絡相談

 なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。

 で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……

・ 山崎富治氏が死去

……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。


 へぇ~、知らなかったなあ。

● 日本の都知事選あたりの候補者も、マック赤坂だのドクター中松だの変な人物の満艦飾、さながら百鬼夜行で笑えるが、アメリカの大統領選はそんなものを遥かに超越し、日本の変な候補者なんか足元にも及ばない強烈さであるということを知った。

・ http://togetter.com/li/904991

話題のヴァーミン氏
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 あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。

● 「ろくでなし子」という変人の有名人がいる。自分の性器の3Dデータを公開して芸術だと言い張り、騒ぎを起こした人だ。私は別に、この人のファンではないし、「アタマおかしいんじゃねえか」としか思っていないが、「ぱよぱよちーん・しばき隊騒動」に一枚噛んでいて、なんだかその文章がまっすぐで面白いと思った。

・ ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相

 特に、

(引用)

 それと二つ目は、「ぱよぱよちーん」で怒り出す一見怖そうな男性たちが、わたしを逮捕・起訴にまで追い込んだ警察当局や検察当局の人たちととてもよく似ていることでした。彼らも「まんこ」というくだらないテーマに対し、額に青筋を立てて必死になっていました。 

 わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。

 それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。

 なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。

(引用終わり)

……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。

新潟日報部長

 新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。

 というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。

飲んだくれていて深夜になる

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 酒を飲み、ここ最近には珍しく夜更かしをしている。

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 4~5年前まで私は宵ッぱりであった。朝は今と同じ5時起き、5時半から6時までピアノの稽古をして通勤、7時半ごろ職場の席に着いて、カフェインを大量に摂っては仕事、午後に腕立て伏せ300回・腹筋300回・ランニング最低12km、更に仕事をして、その頃は17時半で定時だったので、家に帰って勉強して酒を飲み、寝るのはだいたい1時頃で、4時間ほど眠ってまた朝5時に起きる。それが10年以上の習慣だった。

 ところが、4~5年ほど前から、以前までの夜更かしがウソだったかのように早く寝るようになった。3年ほど前には、21時半には寝ていた。まるで小学生みたいだが、その頃は故あって1日20kmほどランニングしなければならず、筋トレは腕立て伏せ500回、腹筋500回にも達していたので、それぐらい早く寝なければ、なんとしても体がついていかなかった。そのために晩飯はうどん用のどんぶりに山盛りに食い、酒はウィスキーを生のままコップに指五本分注いで飲んでいた。

 今は仕事が定時ではなくなってしまったのだが、家に帰って風呂に入って晩飯を食い、妻子と喋ったらすぐに寝てしまうようにしている。テレビは見ないので、まったく問題がない。節電・省エネにもなってよい。

 テレビを見ないようにすると、非常に電気代が安く済む。新聞も読まないようにすると、森林資源や二酸化炭素などに関してまことに筋道が通る……などとうそぶきつつ、ネットやPCをバリバリ使いまくっているのだからシャレにならないが。

戦前の日本の話をすると

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 戦前の日本の話をちょっと同情的にすると、

「それは国民がそのように洗脳されていたのだ!」

「ろくな情報を与えられず、無理やり信じ込まされていたのだ!」

「国民がだまされていた!」

……と、まるで激昂して、ムキになって反駁する人が多い。

 ですが、ですがですよ。

 じゃあ聞きますが、今の皆さんは、誰にも洗脳されていないと言えますか?

 無理やり何かを信じ込まされていないのでしょうか。

 今のあなたは誰にもだまされていないのでしょうか。

 リッチで立派でネットに接続されたカッコイイ情報サイバー超絶スバラシイインターネットマスコミ朝日新聞ハイテクテレビ受像機システムパソコンタブレットから延々と流し込まれる映像と画像と音と文字列で解ったような気になるんじゃなくって、そうじゃなくって、自分のみすぼらしい脳味噌と、悲しくなるような寒々とした情報から、魂で感じ取るようにした方がいいのではなかろうか。

屈託の心情を文字列化

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 はあ、永遠も半ばを過ぎて、どころじゃない。お先真っ暗、ならまだいい。真っ暗になるべき「先」ってものが存在してねぇんだもんな、俺。

 「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」というのは、自分で考えた文句ではない。他人の表現を借りたのだ。これは小説の題名だ。

 若いときは自分の目の前に横たわる、80年もの年月にウンザリしていた。「また日本人の平均寿命が延びた」などとテレビや新聞で言われるたびに、もう、辟易とした。80年もこんなことが続くのか、はやく終わってくれ、と思った。とっとと用事を済ませて、全部終わらせてゆっくり休みたい、と思っていたのである。

 ならばとっとと死ねばいいようなものだが、それは嫌なのである。自嘲気味に我と我が身を愛するが所以(ゆえん)だろうか。

 「キミたちにはまだまだ、将来・未来がある」と、大人や先輩に言われるたびに、「だから、その『将来や未来』にウンザリしてるんですよ」と内心は思った。80年だって!?冗談じゃない、それは「永久」とほとんど同じ言葉だ!

 アレを終わらせればコレ、コレを終わらせればまたアレ。アイツを打ち負かせば更に強いコッチの敵、課長になれば部長に負け、部長になれば社長に負け、社長になれば会長に負け、会長になればゴミ政治家に負け…。永遠に何者かに膝を屈し続ける永遠の80年。一本立ちの人になったって無駄で、例えば個人で商売をすればそりゃあ一国一城の(あるじ)と呼ばれもしようが、その主は客に負けるのだ。

 80年が大げさなら、定年までのほぼ40年だって、「40年だと!?やってられるか!!」と思ったものだ。

 だが、俺も50歳目前に差し掛かり、その永久も、半ばをとうに過ぎた。永久に過半があるなぞとは思ってもみなかった。給料を貰うようになって今34年目、早期定年の職場だから、あと数年で定年を迎える。定年まで数えれば全部で39年、もういくらも残っていない。

「軍艦島」など世界遺産へ ユネスコに勧告、3年連続19件目 明治産業革命23施設(1/2ページ) – 産経ニュース

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「日本が推薦した候補で過去に登録勧告が覆された例もないが、今回は委員国の韓国が「朝鮮半島出身者を強制労働させた施設があり、世界遺産の基本精神に合わない」と強く反対しており、審議が紛糾する恐れもある。」

……って(笑)。

 私は中国人・韓国人と共に手を携え、白人文化に目にもの見せてやりたいと内心考えているような変な男なので、もう韓国人を蔑視するようなことは書きたくもないのだが、向こうのほうでこれじゃあ、なあ、ハァ(ため息)。

昔のソ連のほうがよっぽど怖かった

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 (かね)てから「新聞ばかり読んでいると、アホになるばかりか、死ぬぞ」なぞという極論、暴言を振りかざしている私である。

 例えば、昨今、新聞記事の影響でか、軍事問題への関心が高まっているように感じられる。日本をとりまく軍事的脅威はますます高まっている、不安だ心配だ、国はなにをやっている、憲法はどうなんだ、官僚は軍備を真面目に整えとるのか、自衛隊はどうなっとるんだ……というような論調に傾いてきたように見えるのだ。

 が、私は、現在の我が国を取り巻く軍事情勢、就中(なかんづく)中国や北朝鮮がどれほど怖いかということは、比較論で言って、昔の対ソ連の時代の足元にも及ばないと思っている。

 ところが、どうも、人々は「昔のソ連や北朝鮮なんか怖くなかった、はっきり言って日本に関係なんかなかった、戦後の日本は戦争を放棄して、安心で安全だった、あの頃はバブルでお金もいっぱいあって幸せだった」と思い込まされているように思う。あるいは、単にその頃若かったか子供だったかして、そういう感覚を持っていなかった、という人もいるかも知れない。

 昔のほうが切実な軍事問題があった、ということには、感覚に訴えやすい好例がある。よく思い出してみてほしい。昔の北朝鮮のほうがよほど怖かった。その例は拉致問題である。

 気の毒にや、日本人が北朝鮮に相次いで拉致されていた頃。考えても見てほしい、かの横田めぐみさんがさらわれたのは、今を去る30年以上も前のことなのだ。今の北朝鮮はさすがに人(さら)いなどしていない。つまり、今の北朝鮮が怖いのではない、「30年前の北朝鮮のほうが現実の意味で怖かった」のである。

 その一方で、30年前の一般の人々の意識はどうであったか。かわいそうに、30年前、拉致の被害者なぞ一顧(いっこ)だにされなかった。自分が30年前、そんなことを問題にしていたかどうか、思い出してほしい。金があった者は財テクなどと言って利殖にうつつを抜かし、かわいそうな拉致の被害者なんかほったらかしだった。北朝鮮だけを例にとってさえ、このとおり、昔のほうが怖かったのだ。

 そればかりではない、ソ連によって日本に照準された核ミサイルはいつでも発射可能な状態に温められ、その数は何百発という途方もない数だった。しかもなお、彼らには上陸戦闘をやってのける潜在力があった。

 韓国も恐ろしく、竹島近辺で拿捕された何百という日本の漁民の中には殴り殺される者すらいた。

 そして、何千万という粛清が続いていることだけが断片的に伝わってくる、国交のない中共の不気味さと言ったらなかった。しかも、中共は昭和39年にはとっとと核実験をすませ、核武装国になりおおせていた。田中角栄大活躍の国交回復後、日本がせっせと献上した金で、せっせと核ミサイルを増備して日本に照準を合わせていたのだから、笑えぬ冗談もいいところだ。

 たとえ日本に直接の関係はなくても、子供の頃、クラスにインドシナ難民の子がいたという人もいるだろう。兵庫県の人には覚えがあると思う。難民キャンプが姫路にあったからだ。ベトナム戦争を持ち出すまでもない。あの頃、人々が国を捨てて逃げ出すようなアジアの戦乱は、即、日本にも指向されておかしくなかった。

 そして、日本に原爆を叩き込んで虐殺の限りをつくし、沖縄の人々を虐げていたアメリカ人を、誰も彼もが大好きという、もう、脳味噌はどうなっているんですかと言わざるを得ない、狂気のような状況に日本はあった。

 昔のほうがよほど、日本とその周辺国がそういう不気味な殺戮の嵐に包まれていたのに、ほんのごくわずかな人しかそれを直視しようとせず、何とかしようという努力を誰もしていなかった。そして、防衛費はGNP比1%の枠に(かたく)なに固定され、軍事問題に理解のない国民が圧倒的大多数を占め、自衛隊は土木作業員か賤民のような地位にしかなく、弾薬すらないありさまだった。

 新聞にそれらの問題が論じられることはまったくなかった。狂気の中でちいさい平和を見つけては、平和経済大国日本万歳とみんながみんな言い続けていた。

 私に言わせれば、むしろ最近は日本をとりまく軍事的脅威の絶対量なんか弱まっている。そうなってから、みんな軍事問題に首を突っ込み出した。

 勝手なものだ。

 アラビア~イスラムと言うけれど、9.11でどれほどの人が死んだか、広島・長崎の10倍も人が死んだのか、アメリカ人もよくよく自問自答すべきだ。

 これらがすべて、新聞の作用によると言ったら、言い過ぎだと非難されるだろうが、私は言い過ぎだと思わない。

 ただ、なにか、私自身がルサンチマンめいたねじれ方をしている、ということは、多少なりとも認めざるを得ないとは思う。

NHK見れないテレビ

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 前にもどこかに書いたことがあることだが……。

 私はテレビや新聞が嫌いだが、なにもかも全部嫌いと言うわけではなく、面白そうなものはたまには見る。NHKの放送そのものも嫌いでなく、気に入ったドラマやドキュメンタリーなどは見るし、紅白歌合戦も見る。したがって、法律の定めるところに従い、NHKの受信料は全額をきちんきちんと支払っている。もったいない、カネが惜しい、などとは思わないようにしている。

 だがしかし、この受信料の支払いがどうしてもイヤだという人も多い。また、私と違って、NHKはつまらないからまったく見ない、と言う人もかなりいると思う。

 見ない放送の料金を払わされるのは、まことに気の毒である。こういう、自分とは違う価値観を理解するよう、私も日々つとめている。世の中にはいろいろな考え方があるのである。

 そこで、アイデアであるが、電機メーカー各社は、会社の責任でもって、「NHKを受信することが絶対に不可能であることが保証されたテレビ」を製造してはどうか。そして、これを「NHK受信不可能保証書」をつけて売るのだ。

 NHKに金を払うのがどうしてもいやだという方はこのテレビを購入すればよい。NHKの集金人が来たら、この保証書と自宅のテレビを示し、「私の家ではNHKは映りません」と、堂々と言えばよろしい。

 電機メーカーのほうでは、こういうものを製造するとやや企業の評判にも影響するであろうから、そのぶん、まあ、10%くらい高値で売ってもよいのではないか。放送受信料を払わなくて済むことを思うと、ユーザーのほうも十分収支が合うだろう。

 ムダ金払ってでもNHKが見たいという私のような皆さんと違う変人は、あえて少し安い「NHKも映るテレビ」を買えばよろしい。だって、NHK見てるんだもの。俺は見たもの使ったもの、食ったもののカネは払うよ、ちゃんと。

米軍の残虐行為

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 リンドバーグというと、勿論大西洋単独無着陸横断飛行のアメリカ人英雄パイロットである。私も少年時代に「翼よ、あれがパリの灯だ」など読んでシビれたものであった。

 リンドバーグはいろいろな点で有名であり、気の毒にや、愛児が誘拐殺人されたことなども有名だ。他に、あまり知られていないが人工心臓の開発に功があったそうである。

 しかし、私としては、次に挙げるリンドバーグの隠れた功績を心に留め、折に触れ紹介したいと思っている。それは、有名人として欧米白人の残忍さを文字にし、彼の名において克明に書き残し出版したということだ。

 それが彼の著作「第二次大戦日記」である。リンドバーグは成り行きのやむを得ない事情で、太平洋では軍籍にはなかったそうであるが、それでも戦地にあってさまざまな見聞を記し伝えた。


 その中には、さすがの悪名高い支那方面の日本陸軍だってこんなことはしなかったろうという米軍・豪軍の蛮行が出てくる。2000人ほどの日本人捕虜を飛行場に並べ、機関銃を乱射してなぎ倒す。 裁判も人道も糞もない。手を挙げて投降しても無視して射殺、その理由が「捕虜なんかとっても日本語がわからんから、めんどくさいので殺す」である。無論それは敵である日本にもうすうす伝わる、だから日本兵たちは投降などしたがらない。日本人の耳や鼻が珍しいから切り取って恋人に送るなどというのはまだしも、日本兵の死体からペニスを切り取って干し、これをとっておいて見るたび笑う、日本人の頭蓋骨が面白いなどと言って、死体から切り取って集めて持ち帰る。米兵どもは、生の肉片が頭蓋骨についているのが汚いからといって、蟻の巣のそばにこれをしばらく置き、蟻に肉を食わせて頭蓋骨を綺麗にするといったテクニックまで編み出したという。

 神風や援軍を送らぬ玉砕など誤った手法に内向した帝国軍隊といえども、敵兵に対してさすがにここまでの人格の否定、蹂躙、無残な陵虐はしなかった。

 兵に対してすらこうであるからは、婦女子に対してなど推して知るべしである。リンドバーグは書いてはいないが、沖縄の婦女子の戦後など、文字通り「慄然として肌に粟を生ず」、である。

 日本側では彼らを「鬼畜米英」と呼び、かつはこの「米」「英」には「けものへん」の部首をつけた造字までしたもので、それを指して戦後旧帝国政府はボロカスに言われているのであるが、実際のところ、鬼畜と変わらないというか、いや、これではそのまま鬼畜である。

 日本人のように歴史が戦前と戦後で画然と分かたれてはいない彼らにとって、グアンタナモやアブグレイブの蛮行は大東亜戦争の頃とひと続きの価値観、ひと続きの歴史でしかない。

 最近なんだか、「日本兵は宗教儀式で英米の捕虜を食った」なぞという荒唐無稽な言いがかりがあったのないのと、たかが映画や文学作品で揉めているようだが、こういう妄想は実際のところ、「相手がひどい連中だということを表現するために、自分自身が考えうる最も恐ろしいことを相手がしていると書いた」のであろうと想像はつく。文学上のあやと言う程度のものに過ぎないのであるが、これは逆に、著者自身の隠れた性癖を露呈してしまっている。これとリンドバーグの叙述を併せてみると、「食ったのは本当は米軍なんじゃないのか」とすら思えてくる。

 リンドバーグがこの著書によってアメリカ人から敬遠されたかどうかはよくわからないが、ひょっとすると、さながら日本における朝日新聞の記者のように、「アメリカ人を誤解させた」と責められたかもしれない。実際のところ、親独の立ち位置と政治観によって、リンドバーグは陸軍大佐の地位を解かれるなどして当時の政権に批判的であったようで、そのためにこのような筆峰になったことは幾分含みおかねばならないようである。

知性と朝日

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 私がかつて熱心な朝日新聞の読者であったなどというと、ごく最近の私を知る人は、「嘘は泥棒の始まりですよ佐藤さん」と真顔で私を(さと)そうとするのだから参ってしまう。

 だが本当だ。

 どころか、一時期は仕事上の都合もあって、朝日・読売・毎日・産経・日経はもとより、数紙の地方紙まですべての記事に目を通さねばならなかった。朝の忙しい時間にこれだけをこなすのは、苦行に近いものがあった。その頃を思い出すとホロ苦いものが去来する。

 今は、新聞はとっていないし、テレビもほとんど見ない。我ながら極端だ。

 一般認識として、「新聞は読めば読むほど賢い人だ」みたいな空気が日本にあることは否めない。「知性と報道は表裏一体、ともにある」というわけだ。

 そのことを言い立てて、元来新聞をよく読んでいた私がもともと知性のある人間だ、などと主張したいわけでは、もちろんない。むしろ私は知性など糞食らえだと思っているような変な男である。

 どうしてそんなふうに思っているかというと、日本人にとって情報の流入源が単一に近かったことはまことに悲しむべきことであった、と常々考えているからだ。知性と情報の流入が比例するのだとしたら、私が「糞食らえ」なぞと書くのも、無理のないことではないか。

 なぜか。

 朝日新聞が「立派な人は兵隊になる」と書くと、そうだそうだと皆兵隊になった。

 朝日新聞が「立派な人は大陸に攻め込み、武勇の手柄を立てるのだ」と書くと、そうだそうだと皆大陸に攻め込んだ。

 朝日新聞が「天皇陛下万歳」と叫べば、皆で天皇陛下万歳と叫んだ。

 朝日新聞が「マッカーサー様ありがとう」と落涙切々とものすれば、立ち去るマッカーサーに皆で手を振り涙を流した。

 朝日新聞が「立派な人は共産主義を学ぶ」と書くと、そうだそうだと皆共産主義者になった。

 朝日新聞が「立派な人は従軍慰安婦問題を生んだ自らを()じるべきだ」と書くと、そうだそうだと皆反省した。

 朝日新聞が「すんません従軍慰安婦全部ウソです」と書けば、皆そうだそうだ、あれ全部ウソだ!…である。

 これが流入する情報と知性の姿だ。

 こうした姿、態度を間違っているとまでは言うまい。皆が読んでいる同じ文字、同じ記事を同じように読み、そこに書かれていることを広めるように言うことが正しいと、私たちは育てられているのである。今も形を変え、「ツイッターやSNSで皆が韓国なんか嫌いだと言っているから私も嫌い」と、皆が言うことにそうだそうだと口を揃え、誰も何の疑問も持っているまい。

 単に実用上や他人との付き合いということもある。自分の考えがどうとかいうより、家族を食わせるためには己を虚しゅうしてお客さんや出先の論調に合わせなければならないという都合ももちろんあるだろうし、自分がどう思っていようと社員を食わせなければならない、そのためには正しい正しくないではなしに、世の中の潮流に敏感に社の方針をあわせていかなければならない、という経営者のとるべきドライな姿勢もあるだろう。それは生活者として正しい姿勢だ。

 たとえば私が今ここに、「英語でビジネスをすることは間違っている」などと書くと、どうしてそう思うのか、なぜそう考えるのかといった理屈などすっ飛ばして、直ちに、そして反射的に、私はキチガイ扱いされるだろう。「グローバルに日本人が飛躍しなければならないこの時代に、何を言ってるんだ馬鹿め」というわけだ。しかし、グローバル云々というその考えは、本当に自分で考えたことだろうか。

 ひょっとして、朝日新聞に「英語を身につけ、外国人と仕事をすることが正しいことだ」と書いてあったからと違いますか?

 私は知能が低いので語学は身につかず英語は喋れない。にもかかわらず、私自身の考えは前記したこととはほぼ逆である。すなわち「英語を身につけ、外国人と仕事をしていくことも重要なことだ」というのが私の考えである。だが、朝日新聞に書いてあったからそう思っているのではない。

 顧みれば、日本人は世界にもまれな識字率を誇っていた。それは入念に整備された教育制度のしからしむるところである。明治以降だけを見ても、

日本 参考・英国
明治5年(1872) 学制発足 小学校就学率28% 40%
明治33年(1900) 小学校就学率81% 81%
明治43年(1910) 小学校就学率100%、中等教育進学率12% 100%、4%

とあり、明治末年の中等教育では、当時教育先進国であると考えられていたイギリスをさえ抜き去っている。日本では文字で意識を揃えることの困難が早期にとりはらわれていたということだ。ヨーロッパより100年も後にはじめた工業化が目覚しいスピードで進捗したことは、あずかってこれが大きな要因となったことは言うまでもない。

 当のイギリスでは、日本よりもまだなお封建的であった身分制度、つまり貴族エリート、中間、底辺という3層型のヒエラルキーが教育にまで影を落とし、なかなか中等教育が普及しなかった。これはアメリカの事情も同じである。

 昔から文字による情報取得に困難のない人びと、それが日本人であった。

 だが、痛々しいのはそこから先である。少ない情報源から情報を流入させることが識字率の高さにより可能になってしまったのだ。

 もし文盲が多ければ、そうはならなかったろう。マルチメディアを指向しなければならなかったはずだ。すなわち、音にも映像にもたよらなければ、人々に情報を流入させることができず、それには技術の進歩と普及を待たねばならなかった。そう、アメリカのように……。

 印刷物配布による情報普及は、一方通行だ。フォアグラのガチョウが餌を飲み込むように情報を飲み込まされる。ガチョウの存在意義はうまいレバーを肥らせることにあるのと同様、誰かが書いた記事をそのまま飲み込んで自分の脳を他人と同じ色に染め上げるのが知性の意義の一面だ。

 世界一の発行部数を誇る朝日が書けば、まず過半数の日本人は書いてあることを飲み込む。

 もしここに、「特定の主義や主張に日本人を誘導しよう」という勢力があったとすれば、ほかの国とは違って、いろんなところをイジる必要はないから楽なものだ。日本人は賢いから、文字に書けばみんな読む。そして、みんなが読んでいるのはかの大朝日だ。朝日さえいじっておけば、それで日本人に対する工作は終わりだ。そういう時代が何十年と続いた。悲劇である。

 ネットの陰謀論者はそれは中国でしょうロシアでしょういや半島でしょうと言いたがるが、私などは終戦直後のGHQから引き続いてアメリカだろう、と踏んでいる。実際はいろんな国が複雑に関与していて、特定のどこの国の諜者がどうとかいう妄想スパイ小説みたいな単純な話ではないのだろう、とも思っている。

 知性と朝日の短絡が、日本の無意識をねじ枉げる、ということだ。

 だが、ここで、あえてくだくだしく述べよう。私は直ちにそれが排除されるべきだとは思っていない。別に、朝日と知性が短絡してたっていい。新聞をよく読んで考え込むということだって、あっていい。ネットに入り浸って考え込むことがあっていいのと同様に、それは許される。

 私は一度くらい朝日はつぶれたほうがいいのではないかと思っているが、反面、朝日が永久に排除されるべきだなどとも思っていない。一度つぶれて官僚的な社内の諸問題をきれいに片付け、エリート高学歴至上主義の鼻持ちならない空気を一掃したら、また新たにやるといいと思っている。しかも、以前よりもまして、もっとキチガイに、狂信的に、サヨクでエテ公でぶっ飛んでいて、ロックで知性ゼロのヨダレでのたくったような記事が垂れ流されたフザけた朝日になるといいとすら思っている。

 そうでないと、日本のマスコミが日本らしくなくなって、面白くないではないか。キチガイ新聞万歳だ!

 もう20年も朝日なんか読んでいない私が言うことでもないか。

ドブネズミ

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 青雲の志に燃える若い人の純真に水を差したいわけではないが、だが言わずにはおれない。

 戦争や軍事や軍隊や軍服や銃や戦闘機や軍艦が、美しくかっこいいものだなんて思うのは、馬鹿のすることだ。

 どれもこれも、しんどく、悲しく、重く、深刻で、複雑で、汚れ、厳しく、ややこしく、嫌になるようなものばかりである。

 最近、防衛問題に関心を持つ若い人が増えているのは結構なことだが、どうも、単純に考えすぎているのではないだろうか。

 テレビに映る美しさ、新聞に書かれるかっこよさなんてものは、大げさに言えば全部嘘である。人間とは悲しいもので、嘘は美しくかっこいいから、金を払って買ってしまうのだ。だがそれを間違っているとは言うまい。逆に考えると、真実の残酷さ、リアルな汚さ、そんなものに金を払うのは酔狂には違いない。スカトロ狂が普通人の目にどのように映るかを考えれば、人々が嘘に金を払うのはやむを得ないことだと解る。

 そんなわけで、メディアには真実は載らない。

 そういったことをわきまえたうえで、「ドブネズミのように美しくなりたい」のなら、止めはしない、己の信ずるところに従うがいい。しかし、実相を知ってから「騙された」だの「やりかたが間違っている」だのとゴタクをほざくのは、馬鹿より更に愚者のすることであると知るべきである。