定年退職3年目元自衛官の確定申告

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 ほとんどの自衛隊の同期生、御同輩各位と同じく、定年退職して数年たつ自衛官が「ハテいかほどのものか」と興味津々戦々恐々として迎える退職3年後の確定申告を済ませた。

 大したことはなかった。e-Taxとマイナンバーカードでちゃっちゃと申告、他の控除と差し引き、納税65万円。クレジットカード払いでサクッと爽やか納税。アバヨ、おカネちゃん……ってなもんである。

 さて、なんでこんなことが興味津々戦々恐々なのか。それは、自衛隊の定年制度と退職金制度の特殊さによる。

 自衛官は一般の公務員とは異なり、50代前半~後半にかけて定年を迎える。勤務年数が少ないから退職金も大して多くはなく、ために、口を糊するには私のように会社員になるが、頭が悪く人殺しの技くらいしか芸がない元自衛官なんぞに大した雇い主なんかあるはずもなく、たいていは中小企業の安月給でコキ使われる身の上となる。

 だが、そのような暗澹たる将来が見通せてしまうと、「どれひとつ、自衛隊に入隊して定年まで頑張ってみてやろうかい」などという若者がいなくなってしまう。

 そこで、一般の公務員にはない、「退職金の上乗せ」のようなものがある。「若年定年退職者給付金」というのがそれだ。普通の自衛官であれば、今日現在、1千百万~1千3百万程度が支給されている筈だ。

 ただ、この若年定年退職者給付金、受け取り手の退職自衛官にとっては「退職金の上乗せ」なのだが、法的な建て前は違っていて、「自衛官が在職中、将来への憂いなく任務に邁進できるよう、退職後の生活を扶助するもの」という位置づけだ。したがって、「良い会社に就職して高い給料がもらえるようになった者は、給料が高い分、若年退職者給付金を国に返金せよ」ということになっている。

 制度の建て前はそういうことなのだが、貰い手にとっては、一度貰った退職金を、「お前はその後給料貰いすぎてるから退職金返せ」と言われているのと同じという、阿漕というか、なんともやりきれないシステムになっているのだ。

 しかも、2回の分割払いなのである。2回に分けて支払われるが、1回目と2回目の間に再就職した会社での給与を報告させられる。まあ、若年定年退職者給付金は税金から支払われるものなのだから仕方がないが、支払われる側にしてみると、退官して自衛隊とは縁が切れて、まったく関係のない会社に勤めている者が、なんでもとの勤め先に「私の今の給与はこんだけです」などと報告せにゃならんねん、いくら貰おうが俺の勝手やんけ……と感じるのも無理のないところだ。しかしまあ、文句を言っても仕方がないこともわかっているので、源泉徴収票の原本まで添付して、キッチリ正直に報告はする。

 加えてなおかつ、2度目の分割払いの分は、制度の建て前上退職金ではないのだ。税率の安い「退職所得」ではなく、生活扶助のためにやむなく渡すだけだ、ということで税率の高い「一時所得」で確定申告しなければならないのだ。

 他の控除なしに生のまま払うと、23%の税率、私の場合は160万円強を納税しなければならない。

 で、まあ、医療費に配偶者、扶養、保険料、その他諸々の控除を差し引きして、65万円の納税には収まった次第。


 この記事は、ThreadsやFacebookに書いたものの転載です。

射撃指揮通話の思い出

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 自衛隊を定年で辞めて会社員となり3年経つし、野戦特科部隊から離れて20年以上経つが、今でもふとした折などに

「ヒトサン、こちらニイロク、修正射、送れッ!」

「ニイロク修正射マテ……送れ!」

「座標ヒトニイ、サンヨン、ゴオロク、ナナハチ、標高サン、ニイマル、方位角サンニイ、ヨンマル送れ」

「(復唱) 送れ」

「射撃中の機関銃含む露天掩体陣地、正面ゴオマル縦深ゴオマル、効力射には時限 送れ」

「(復唱) 了解マテ……ヒトサン射撃命令、1中修正、M557瞬発装薬緑4、効力射にはM520時限1発集中、送れ」

「了解送れ」

(指揮所と戦砲隊)「中隊修正射ーッ、中隊ッ!M557しゅんぱぁ~つッ、そーやく緑4、ほういか~くっ、サンニイ、ナナマル、しゃか~くっ、サン、ヨンマル、各個に撃てッ!」

……なんぞという射撃指揮通話が脳内をリフレインし、小声で呟いてしまうことがある。

基準砲班では……

弾薬手 「はんちょーッ、たまっ!」

班長 「よし!」

弾薬手 「よぉ~い、込メッ、いっち、にぃ!!」(ゴチーン、と弾込め)

弾薬手 「装薬緑4!」

班長 「よし!」

照準手 「照準ヨシっ!」

班長 「よし! (手を上にあげて)……よぉ~い、(手を振り下ろす)テッ!!」

ドォーンッ!!

班長 「第2発射ッ」

指揮所 「第2発射、了解マテ、ニイロク、発射せり!秒ぉー時、ヒトニ秒!! 送れ」

前進観測者 「秒時ヒトニ秒了解 送れ」

指揮所 「だんちゃーくッ、今!」(ピカッ、……ドゴーン!!)

前進観測者 「遠ーシ、ニイマル右、左へヨンマル、引けニイ、マルマル 送れ!」

指揮所 「了解マテ、ほういかーくッ、サンニイ、ゴォナナ、しゃかーくっ、サン、ニイゴォ、つぎッ!!」

基準砲班長 「よぉ~いッ、テッ! 第2発射ッ!」

指揮所 「第2発射、了解マテ、ニイロク、発射せり! 秒ぉ~時、ヒトヒト秒、送れ」

前進観測者 「秒時ヒトヒト秒了解、送れ」

指揮所 「だんちゃーくッ、今!」(ピカッ、……ドゴーン!!)

前進観測者 「近シ、線上ッ、増せヒト、マルマル 送れ!」

指揮所 「増せヒト、マルマル、了解マテ。いっぱーツッ!!ホウイカークッ、サンニイ、ロクマル、しゃかーくっ、サン、ニイハチ!」

基準砲班長 「よぉ~いッ、テッ! 第2発射ッ!」

指揮所 「第2発射、了解マテ、ニイロク、発射せり!秒ぉー時、ヒトニ秒!! 送れ」

前進観測者 「秒時ヒトニ秒了解 送れ」

指揮所 「だんちゃーくッ、今!」(ピカッ、……ドゴーン!!)

前進観測者 「遠ーシッ線上ッ!時限、引けゴォマル 送れ」

指揮所 「時限引けゴォマル、マテ! 中2門!! M520時限ッ、秒~時ヒトヒトテンゴォ、ほういかーくッ、サンニィ、ロクナナ、しゃかーくッ、サン、サンマル、斉射ッ!」

戦砲隊長 「中2門ッ! よぉ~いッ、テッ! 第2第3発射ッ!」

指揮所 「第2第3発射、了解マテ、ニイロク、発射せり!秒ぉー時、ヒトヒト秒!! 送れ」

前進観測者 「秒時ヒトヒト秒了解 送れ」

指揮所 「だんちゃーくッ、今!」(ピカッ、……ドゴーン!!……2発の時限信管弾が狙い通り空中爆発)

前進観測者 「曵火(エイカ)ヒトマル! ヒトサン、同一諸元効力射ッ!」

指揮所 「同一諸元効力射マテ! 中隊効力射ーッ、中隊ッ! いっぱーつっ、特別修正、第1、方位角増せニ、第4、方位角引けヒトッ、第5、方位角引けニッ、各個に撃てッ!!」

 ピカピカ、チカッ!!……ドン、ドドドン、ドンッ!……と敵機関銃陣地の頭上に集中曵火(わざと空中破裂させる射撃)が弾着……

前進観測者 「曵火ヒトマル、遠し線上、曵火ヒトゴ、命中…… ヒトサンこちらニィロク、任務終了、機関銃含む敵露天掩体沈黙ッ!」

指揮所 「ヒトサン了解、終わりッ!」

 考えてみたら、小銃ももういっぺん撃ってみたい気もしないでもないが、10榴や15榴の射撃のほうがしてみたいかも。


 この記事は、ThreadsやFacebookに書いたものの転載です。

デケェ(ささや)き声

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 あれはたしか、定年で自衛隊を()める1年くらい前、最終ポストの、情報セキュリティや守秘の責任室長(情報保証・保全室長)をしていた頃のことだったか。新コロの猖獗(しょうけつ)っぷりたるや、もはや最大火力と言ってよいほどの猛威を極めていたが、紙の秘密文書を(つかさど)らなければならない仕事の特性上、テレワークへのシフトが難しく、私はガラ空きになってしまった通勤電車で毎朝毎晩、自宅から市ヶ谷まで通勤していた。

 その日、私は早めに仕事を切り上げ帰りの電車の中の人となった。都心から北千住に向かう日比谷線は三ノ輪と南千住の間で地上に出る。次第次第に陽永(ひなが)となる心地よさ、暮れ(なず)んでいる黄色い光の中を電車はのんびりと走っ “デケェ(ささや)き声” の続きを読む

幸せ男

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幸せな男

 私は、自分が幸せな男なのではないかと思う。否、正確な表現ではない。自分が幸せだと思いやすい傾向をもった男なのではなかろうか、……こう表現すると正確かもしれない。

 と、言うのも……。

自衛隊の就職援護

 私は先月、9月30日の金曜日に、陸上自衛隊を定年で辞めた。ちょうど “幸せ男” の続きを読む

自衛隊を定年で辞めた

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屈託の心情を文字列化

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 はあ、永遠も半ばを過ぎて、どころじゃない。お先真っ暗、ならまだいい。真っ暗になるべき「先」ってものが存在してねぇんだもんな、俺。

 「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」というのは、自分で考えた文句ではない。他人の表現を借りたのだ。これは小説の題名だ。

 若いときは自分の目の前に横たわる、80年もの年月にウンザリしていた。「また日本人の平均寿命が延びた」などとテレビや新聞で言われるたびに、もう、辟易とした。80年もこんなことが続くのか、はやく終わってくれ、と思った。とっとと用事を済ませて、全部終わらせてゆっくり休みたい、と思っていたのである。

 ならばとっとと死ねばいいようなものだが、それは嫌なのである。自嘲気味に我と我が身を愛するが所以(ゆえん)だろうか。

 「キミたちにはまだまだ、将来・未来がある」と、大人や先輩に言われるたびに、「だから、その『将来や未来』にウンザリしてるんですよ」と内心は思った。80年だって!?冗談じゃない、それは「永久」とほとんど同じ言葉だ!

 アレを終わらせればコレ、コレを終わらせればまたアレ。アイツを打ち負かせば更に強いコッチの敵、課長になれば部長に負け、部長になれば社長に負け、社長になれば会長に負け、会長になればゴミ政治家に負け…。永遠に何者かに膝を屈し続ける永遠の80年。一本立ちの人になったって無駄で、例えば個人で商売をすればそりゃあ一国一城の(あるじ)と呼ばれもしようが、その主は客に負けるのだ。

 80年が大げさなら、定年までのほぼ40年だって、「40年だと!?やってられるか!!」と思ったものだ。

 だが、俺も50歳目前に差し掛かり、その永久も、半ばをとうに過ぎた。永久に過半があるなぞとは思ってもみなかった。給料を貰うようになって今34年目、早期定年の職場だから、あと数年で定年を迎える。定年まで数えれば全部で39年、もういくらも残っていない。

東海道歩き旅行

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 定年で辞めたら、東海道を江戸から大坂まで、歩いて旅してみたい、と急に思いついた。別にハングリーを鍛えようなんてことではない。途中酒の一杯も飲み、ダラダラ歩き旅をするのだ。

 19歳の頃、伊豆半島を歩いて旅したことがある。休暇はそんなになかったから、4日で2百数十キロ歩いた。一日50キロ強というところだった。さすがにその頃の体力をもってしても、多少身にこたえた記憶がある。

 今の脚力だと、そんなにがつがつは歩けまい。まして定年の頃には、今以上にあちこちガタが来ているだろうから、1日せいぜい30キロ歩けば沢山だろう。