何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。

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 報道によると、なにやら東京オリンピック開催を睨んで、戦前から再燃しては消えていた「サマータイム導入」の(くすぶ)りがまた再燃しかかっているらしい。

 何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。

 日本は明治維新まで、不定時法、すなわち日の出を明け六ツ、昼を順次五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、日の入を暮れ六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツとし、毎日連続量で変化させるとともに、鯨髭のぜんまいを使用した機械式振り子時計でこの不定時を正確にシミュレートさせるなど、明るさや気温、季節に合わせた刻時方法を実現していた。つまり、とうの昔に「連続式サマータイム」を実現していたのである。

 この「九・八・七・六・五・四、九・八・七・六・五・四」という数字の繰り返しは、古く支那文化に由来する五行説によるものだ。

 だが、そういう天然・自然に即した刻時が合理的でないとして無理にやめたのだ。

 それを今更、「欧米が皆やっているからサマータイム導入だ」などと、人工的で不自然なことをワケのわからない理由で強制しようとする。愚劣の骨頂である。どうして「欧米が~ッ」ではなく、「日本ではこうである」と言えないのか。主体性のなさに憫笑すら覚える。

米本位制

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 歴史小説などを読んでいると、どうしても米本位制の「『石高』とは?」とか、「そもそも米本位制とは?」といったようなことが気になる。

 今読んでいる「大黒屋光太夫」でも、随所に「御藩米五百石を積み込んだ」というような描写が出てくる。

 そんなところを読むうち、ふと、落語の「目黒のさんま」に、次のような「枕」があることを思い出した。

落語「目黒のさんま」の枕・講談社「古典落語」ISBN978-4062020459より引用

 さてだれしも見てはいけない、聞いてはいけない、食べてはいけないといわれると、見たい聞きたい食いたいと思うのが人情で、ご登城の途中お駕籠の中で、なにか珍しいことはないかと、きょろきょろ見ていらっしゃる。お江戸は八百八町八百万石のおひざもと、百万石も剣菱も、すれ違ったる繁盛は、 金のなる木の植えどころ、土一升に金一升と申しまして、お大名のお行列だってちっとも驚かない町人衆が、

甲 「おう聞いたか、今日の米相場を・・・・・・。」

乙 「いやまだ聞かねえ」

甲 「だいぶ暮らしよくなったな、両に五斗五升だとよ」

 それを小耳にはさんだお大名が、

大名 「ははあ、米は両に五斗五升か、おそらくこれを知っている大名はなかろう、これはよいことを聞いた」

 ただちにご登城になって、

大名 「いやおのおの大きに遅刻いたした」

同輩 「おやおはようござる。さあこちらへ、……どうですな、なにか変わったことでもございますかな」

大名 「さよう、今日の米相場をお聞きになられたか」

同輩 「いやうけたまわらん」

大名 「さようか、町人どももだいぶ暮らしよく相なったな、両に五斗五升でござる」

同輩 「貴公もいつもながら下世話にお明るいが、米相場までごぞんじとはいやどうもおそれ入ったしだい。してただいま両に五斗五升とおおせられたが、いったい両とは何両のことでござるな」

大名 「うむ、それはむろん百両だな」

 まずお大名の心持ちはそのくらいのものでございます。

 この「枕」で笑うのだって、現代の資本主義的物価尺度と、江戸時代の米や貨幣の相場とのニュアンスがわからなければ、笑うことすらできない。

 筆に(したが)って書き出してみよう。

江戸時代米本位制雑聞

 江戸時代の経済は、「米本位制」とでも言うべき特殊なものだったことは今更言うまでもないが、ここに出てくる「金一両・米五斗五升」という言葉の尺度というのはどういうものなのだろうか。

 昔の日本の「米本位制」の基礎は、度量衡の基準を人の生存リソースに求めた、人間本位制とも言うべき優れたものだった。人が食べる米の量を貨幣の相場基準にまで適用していたのである。江戸時代はものの価値を金銀に換算するのではなく、まったく逆に、金銀やものの価値を米に換算していた。

 誰にでもわかる理屈だが、掘り尽くせば枯渇する金銀とは違い、米は自然な農業のサイクルにより、何度も再生可能である。その再生可能な資源を、江戸時代の日本は価値の基準として使っていた。だから、武士の格や藩の貧富も、「30俵2人扶持」「100石どりの旗本」「紀州50万石」「加賀100万石」などと、給与の米の量や領地で取れる米の量で表していたのである。

 さて、この、「米の量」である。わかりやすいところから書いてみよう。

 メートル法が行き渡った現在、料理の教科書などで「1カップ」と書かれているのが、実は「1合」であることは、どなたにも直感的にお分かりになると思う。メートル法で180ccだ。文字通り「コップ1杯分」ほどである。居酒屋で冷酒を注文すると出てくる1合枡に、米がすり切り1杯入っているところをイメージしてもよい。同じ量だ。

 この「1合」の米は、成人の一食分だ。副食物(おかず)の豊富な現代では、1食で1合の米飯は少々多めだが、昔はごく少量の漬物などで、突き残しの胚芽が多く含まれた、ビタミンたっぷりの米を大量に食っていたので、1合でちょうどか、やや少ない目というくらいなのである。さておき、この計算なら10合の米で、3.3日を暮らすことができる。10合は「1升」である。

 1升で3.3日であるから、その10倍、10升の米があると、大人1人が1ヶ月と少しの間、食べていけることになる。10升は「1斗」だ。1斗=1か月、である。

 10ヶ月あまり、すなわち1年を暮らそうとすれば10斗の米が必要だ。10斗は「1石」だ。1石=1年、である。

 つまり、大人1人が1年間食べるのには、1石=1000合の米が必要という計算になる。

 ちなみに『1俵』というのは米4斗で、重さは60キロである。大人一人につき5ヶ月弱程の所要量だ。大人1人が「よっこらしょ」と持ち上げることの出来る重さの米は、その人が春夏秋冬のうちいずれか1季節、四半期ほど食える量の米、ということになる。30俵というと12石、「扶持」というのは1日に5合の米による手当ということで、2人扶持というのは1日1升の米手当である。そうすると、30俵2人扶持というのは年に米16石ほどを貰う武士のことである。

 この、「大人1人1年分」の米、すなわち「1石」を産する土地の面積を、「1反」と言った。また、この「1反」を360で割った面積、つまり、「大人1人・1日分」の米を作ることが出来る面積を「1坪」と言った。今も住宅地の売買に「坪」を用いるが、坪はだいたい1.8m×1.8m、たしかにこれくらいの広さの田んぼを想像すれば、3合ほどの米は採れそうである。

 10反を「1町」と言った。つまり、大人10人が1年間食べる米を産する面積だ。昔の家族は爺様、婆様、女房に子供、弟妹、下男、と言ったところだろう。その家族の様子を想像すると10人くらいはひとかたまりで暮らしていそうだから、1町=10石=1家族1年間、ということになる。

 そうして、貨幣では、1石の米が「1両」にあたる、と決められていた。つまり、大人1人1年間の食費が1両、と、なっていたのである。

 まとめると、大人1人1年間の食費が1両、1両ぶんの米は1石、1石を産する土地は1反、ゆえに1反の土地の値は1両。また、1坪の土地があれば1日食える。わかり易い。

 落語「目黒のさんま」の枕に出てくる「一両五斗五升」というのがどういう尺度かは、もうお判りだろう。基準の2倍弱ほどの値段だ。町の人たちが、それを「だいぶ暮らしやすくなった」と言っている。

 江戸時代も下るにしたがって米相場が高騰し、1石1両ではなくなっていた。文久3年(1863年)には江戸で1両・4斗、慶応3年(1867年)には大坂で1両・9升にまでハネ騰がったそうだ。

 いま、下級の武士を、現代のサラリーマンと概ね同じくらいの年収と仮定してみる。なにしろかつては「サラリーマン」などというものはなく、給与で生計を立てている者は、武士しかいなかった。サラリーマンの語源を引くまでもなく、武士は正真正銘のサラリーマンであったと言えるのだ。

 現代のサラリーマンの平均所得は、国税庁の統計によると年に概ね420万ほどである。税抜きで400万。ちょっと生活キツいね、という印象の年収だろうか。

 一方、「ちょっと生活キツいめの武士」はどうだっただろう。時代劇のせりふや、話芸の文句に、「100石6人泣き暮らし」などと出てくるが、この「100石」というのは、ちょっとカツカツの、キツいめの暮らしだったのだろう。

 その、「100石取り」の武士が、平均年収のサラリーマンと同じくらいだ、と、してみるわけだ。

 武士は俸給を米で貰う。受領した米を、「札差し」という金融業者に持って行ってお金にするのだ。多くの武士が貰っていた100石の年収を、現代の平均年収420万円とすると、1石あたり4万2千円相当、概ね4万円ということになるだろうか。

 先の落語の枕の、庶民の口にした相場を思い返してみる。「両に五斗五升」=「4万円で米が82.5キロ」=「米1キロ484円」という計算になる。

 ちなみに、現代人が家庭で買う普通の米が5キロで2千円、ブランドのササニシキがネット通販で2キロ2千円だから、今の相場は1キロ400円~1000円の間ぐらいということになる。現代のわれわれの米消費は、豊富な副食物のために減っているから、食費が家計の中に占める割合と、さらにその中で米が占める割合を考え合わせると、まずまずこの換算はそう見当はずれでもなかろう。

 この「目黒のさんま」の頃は、かなり米相場が高騰したあと、すこし下がって、ちょっとは暮らしやすくなった、というような時代だったのだろうか。

 さて、そうした諸々を踏まえた上で改めて計算すると、落語「目黒のさんま」の枕のお大名は、「両」というのを「100両」と間違えているから、上述の100倍の相場の、「米1キロが4万8千円で、庶民は暮らしよい」と言っていることがわかる。

 いかがだろう。「目黒のさんま」の、浮世離れしたお大名の超然たる天然ボケッぷりが、やっと笑えるようになっただろうか?

くずし字

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 博物館などへ行った際、古い文書のほとんどが私には読めないのがもったいなく、もう少し勉強しようと思い、右の本を購入した。

 読んでは見たものの、やはり身に付きにくく、あまり実力が付いたような気はしない。

 多分、私だけではないと思う。同じ日本語、同じ漢字なのに、日本人のほとんどにはもはやこうした文書は読めないと思う。

 左写真の文書は同書から引用した。読めるだろうか。多分普通の人でこれが読めるというような人は皆無だろう。

 写真の文書を読める漢字に書き起こしてみる。

(「古文書くずし字見わけかたの極意」p.178~179から引用、左上写真同じ)
乍恐口上之覚

一 此度御制札文字難相見文字有之候ハヽ

墨入御書替之義被仰附 依之御

制札壱枚文字難相見ヘ所も有之候ゆへ

御書替等之義御願奉申上候所御聞

届ケ被為 成下難有奉存候

 ……これでもまだ普通の人には読めないと思う。

(同書より)
おそれながら口上(こうじょう)(おぼ)

ひとつ このたび 御制札(ごせいさつ) 文字 あい見え(がた)き文字 これあり(そうら)わば

墨入れ お書き替えの義 (おお)せつけられ これにより 御

制札 一枚 文字 あい見えがたきところも これあり(そうろう)ゆえ

お書き替えなどの義 お願いたてまつり申し上げ(そうろう)ところ お聞き

届けなしくだせられ 有り難く存じたてまつり(そうろう)

 音読できるように現代仮名(かな)(づか)いにしてみたが、それでもまだ意味がわからないと思う。

大変恐縮ですが申し上げます。

このほど、公共掲示板の文字が見えにくくなってきておりましたところ、

はっきりした文字に書き直すようご指示を頂きましたので、現状を確認いたしました。

その結果、公共掲示板の一つに文字が見えにくくなっているものがあることを把握いたしました。

書き直し作業について許可くださいますようお願いしておりましたが、

ご許可下さいましてありがとうございます。 

(佐藤俊夫訳)

 昔は読み書きを習った者なら子供でもこういう文書を読んでいたのだそうだから、本当にもう、同じ日本人ではないような感じすら、する。

条約と再販制度

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 こんなことを書いたのだが……

 ……意外に、「不平等条約と卸問屋―問屋―小売、そんなもん、何が関係あるんだ?」と問われるような気もするから、そこを記しておきたい。

  •  黒船以前の日本の「商」
    •  日本の昔の身分制度は「士・農・工・商」
    •  つまり、商人は下層というより、政府(幕府)からは税収源としては無視されていた状態。(米本位制経済なので、最重要なのは農民からの年貢。)
    •  長崎、堺などの直轄領で商人の自治が許されていたのは、身分の低さゆえの「政府からの無視」が一要因であった。
    •  ヨーロッパ等では貿易や侵略から富を得るために商人はなくてなはらない存在で、政府から重要視され、大商人は貴族に肩をならべていた。つまり、日本とは真逆。
    •  この「無視」のせいで、日本の商人たちは幕府から過剰な干渉をうけることがなかった。そのため、逆に商業制度をのびのびと発展させることができた。
    •  日本の商人は江戸時代にはすでに銀行制度や通信制度を独自に発達させ、全国統一相場なども持ち、先物市場すらあった。度量衡や家屋の寸法まで、関西関東のちがいはあるにもせよ、全国規格化されていた。同じ時期のヨーロッパには、まだそんなものはないか、幼稚なものしかなかった。銀行制度だけは、イギリスのものがまさる。
    •  同じ時期のヨーロッパをはるかに凌ぐ高度な商業の仕組みを持つに至った江戸時代の商人たちであったが、悲しいかな、鎖国であったために、商品は完全に国内飽和状態であり、売り手が低姿勢になる「買い手市場」が長く続いた。これは、現在の日本の商業のサービスの良さにもつながっている。数百年にわたる鎖国が日本のサービスのクオリティを高からしめた。
    •  商品が飽和状態であったため、同じ一つのものにできるだけ多くの人がぶら下がってその利益を享受する仕組みが発達した。大問屋、卸問屋、問屋、仲卸、卸、小売…といったヒエラルキーが頑強につくられた。そのヒエラルキーのどこかにいる限りは、ものを売って食っていける。
  •  不平等条約以来
    •  黒船―開国、というのは輝かしいグローバリズムでも何でもなく、欧米白人による収奪の開始であった。
    •  関税自主権がなく、教科書に出てくる通商条約では「5%付帯条項」が厳しく約束され、5%を超える関税はつけることができなくなった。
    •  条約後、日本の貿易収支は壊滅的な赤字となった。
    •  明治維新後、明治時代を通じてこの不平等条約の撤廃について交渉が重ねられたが、米英仏蘭露独のいかなる国も日本など相手にもしなかった。その頃の5%付帯条項撤廃の条件を見ると、「キリスト教の宣教師に無条件に門戸を開く」などというのはまだしも、「すべての白人に無条件に土地の売買と相続を認めよ」「日本の裁判所の裁判官の半分以上は白人にすること」などといったキチガイのような条件がつけられており、到底飲めるものではなかった。
    •  放置すると、ほとんど無関税で流入する欧米の製品のみで国内が塗りつぶされてしまう。
    •  そこで、政府は江戸時代を通じて培われてきた、巨大な商業ヒエラルキーに目をつけた。
    •  輸入業者、超大商社、大商社、中間業者、…それやこれやを紆余曲折して欧米の商品が渡り歩く間に、またたく間に値段が上がり、その利益は国民であるところの商業ヒエラルキーの中を潤わせる。かつ、そんな高価なものに、最終消費者は「舶来は高いねえ」と見向きもしない。
    •  しかも、政府が関税をかけているのとは違う。政府が作り上げたのとは違う、江戸時代に商人がまことに民主的、自主的につくりあげた商業ヒエラルキーに乗せるだけで自然に値段が上がっているのだから、欧米列国はこれに文句をつけることができなかった。
    •  日露戦争を経て、大正時代に不平等条約が撤廃されるまで、この密やかな抵抗と工夫は功を奏し、国内市場と産業を十分に育成することができた。条約撤廃時、十分な競争力が日本には培われていた。戦前、日本製の自転車が世界市場を席巻し、イギリス製の自転車を市場から駆逐し去ってしまったのだが、これは最近の自動車市場の状況に似ている。自転車の貿易摩擦はイギリスの怨恨となって沈潜し、太平洋戦争の遠因ともなった。
  •  時間をポンと飛ばして、現代
  •  今でも、アメリカ人はことあるごとに「日本の商業習慣は古臭く、中世的で、効率的でない。もっと開かれたビジネスをすべきだ。」と言っている。

じゃかましいわ!!(笑)

 さて、ここまで見てきてから、ネットでの商品流通を見てみる。

 ネットでの流通は、中間段階の利益取得を最小限にするから、売り手はたくさん儲かるし、買い手は安く買える。つまりこの逆である。そのかわり、ひとつのものにぶら下がって食っていける人は少なくなる。就職氷河期などというが、こうしたことも無関係ではあるまい。

(この記事は、当時Facebookに書いたものである。)

ボロ靴と不平等条約

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 日常をできるだけ質実剛健にするよう心がけている。身の回りのものや食べるものなどに関して、「あてがいのもの」に文句を言わないことを子供の頃から身につけてきたので、そこのところにはあまり苦労はない。

 むしろ、妻に「お父さん、晩御飯なにがいい?」とか、「シャツの色これでいいかしらん」と聞かれると、逆に困ってしまうのだ。若い頃はつっけんどんに「そんなもん、何色でもエエ」みたいな答え方をしてしまっていたが、今は「そうさなァ、黒のほうが歳相応じゃないかな」くらいの好みは言うようにしているので、無駄に妻をふくれさせることは昔に比べて少なくなった。

 靴なども一度買うと、破れて指が出てしまうほど履きつぶしてしまう。前革と底が漫画の浮浪者みたいにパックリと口をあけたのを履いたまま靴屋に飛びこんで新しい靴を買い、店員さんが顔をしかめるのにもかまわず古いほうをグイと渡して、「コレ、捨てといてください」なぞと、そんな靴の替え方も一再ならずやった。めったにないこととは言うものの、 あんな、たださえ異臭を漂わせる乞食じみたブツを始末させられるのだから、うら若い靴屋の店員さんもたまったものではなかったろう。

 今、数年前にそんな買い方をしたホーキンスの「トラベラー」という靴を毎日履いているのだが、これがなんとも良い買い物であった。6千円ほどのお安いところだったのだが、薄手なのに本皮、縫製もしっかりしており、内側外側、今に至るもほつれも破れもない。こういう製品はめったにないものだ。

 さすがに、踵や底はやわらかく作られているので激しくすり減り、踵は斜め45度にくっきりと削れあがり、前の方は「スリックタイヤ」(笑)の如き様相を呈してきた。丁度梅雨どきだ。雨に濡れた駅のタイルでツルツルすべるのには閉口もする。大方4年は履いたのだから、モトはとれている。他の部分はなんともなくても、さすがに買い換えようかなという気持ちに傾いてもくるのである。

 しかし靴屋に行くべく腰を上げるのが億劫で、なんとはなしに躊躇していた。ネットでぼんやり同じ靴を検索してみると、こんなこと一つとっても「ショウウィンドウ化」の実例はさながら手に取るがごとし、である。すなわち、ABCマートのページでは8千円ほどで直接販売している。しかも、店頭と違って品番で欲しいものが探せる。しかも安いと来ている。

 外へ買い物に出かけたところで、店頭でサイズと形を合わせて、品番メモって、店を出てタブレットかスマホでポチれば、手ぶらで帰れるし翌日には家に届く、というわけである。しかも条件によっては送料も無料、値段は店より安いのだ。

 小売業というのはたいへんなものだ。これではネット方面のチャンネルにうまく手を出しておかないと商売あがったりである。こんな消費者の行動に振り回されなきゃならんのだからたまったものではないだろう。こうして、デジタルに飲まれて後手後手で小売業界も再編されてしまう。

 これを、もろ手を挙げて賛成ばかりしておれないのは、私のような商業や流通のことに詳しくない者にも知れきったことだ。

 日本は、江戸・明治の不平等条約時代このかた、一つのものを何度も何度も再販する多層流通の仕組みの保持により、関税をかけずに国内市場を保護し育成することに成功した。これは言うなれば政治・外交の離れ業(はなれわざ)であった。この社会に根付いた習慣を上手く運用し、現在の大経済立国を可能ならしめたのである。

 まあ、その代わり、私などが子供の頃は、モノは大変高かった。大人になってからしばらくしてもモノは高く、この前捨てたソニーの14インチのテレビだって、20万以上したもので、薄給の私はボーナスをはたいてそれを買い、とても嬉しく、大切に使ったものだ。今20万払ったら、どんなでかいテレビが買えることか。

 そんなことからよくよく考えると、あてがいのものに対して文句をあまり言わないという私の従順な消費性質は、古い再販流通の仕組みなどがもたらしていた高度成長期のゆるやかなインフレによって作られたのかもしれないぞと思い当たる。

 TPPなんていうのはまたしても経済の黒船みたいなものなのだろうが、明治のひとびとが古い再販流通組織を密やかに運用して不平等条約から日本の経済を防御したように、だれか賢い人が上手にTPPの不利を避けてくれればいいんですがねえ。

(この記事は、当時Facebookに書いたものである。)