次のエレクトロニクス・ガジェットは何だろう

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 はじめの頃のヘッドホン・ステレオっていくらぐらいだったっけ、とWikipediaでウォークマンの製品一覧の項目を見てみたら、初代のが33,000円とあって、なるほど、今のスマホより少し安い程度かなあ、という印象だ。あの頃はしかし、物価が高かったから、一概に数字だけでは比較はできないかな、とは思う。

 iPhone/スマートフォンはiPhone以前にはなかったように、ウォークマン/ヘッドフォンステレオも、ウォークマン以前にはなかったものだった。

 スマホの次の、こういう「数の出るエレクトロニクス・ガジェット」って、何だろう。どんなものが出てくるだろうか。

 私としては、何か、ウェアラブルだとか、記憶を補助できるようなものがもう少し出てこないかな、と思っている。人の名前が思い出せないときに、それが視野に投影されて助けてくれる、とか。あと、文字の入力がもっとラクになるとか。

秋葉原ヨドバシとiPhone

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 秋葉原ヨドバシ1階のスマートフォン売り場、その中でも特にカバーや充電器類などのアクセサリー売り場を見て歩くと、スマホのシェアが機種ごとの面積比となって露骨なくらいに現れていることが見て取れる。ヨドバシという大きな企業の市場調査の結果を立体図として体感し、かつまた拝借できるので、私はよくここを訪れる。

 秋葉原ヨドバシオープンから5、6年このかた、それは間接的に、学ぶべきプログラミングの属性にさえも多大なる示唆を与えていて興味深い。スマホのシェアとプログラミングは、一見無関係なようでいて、実はかなり強く関係している。

 フィーチャーフォンのアクセサリやフィルム、カバーを満艦飾に陳列してあったこの売り場が、突如としてスマートフォン関係8割という占有率になった頃のことを思い出す。5年くらい前だろうか。それと見るや、予感のとおり私の手元にも、Android、Javaテクノロジ周辺、Eclipse、IA以外アーキテクチャと言った関連物の調査の仕事が舞い込んだものだ。おかげで、予感にしたがって多少の準備もしていた私は、少しばかり上司の覚えもめでたくなったものだった。当時手がけていた研究の一環として、私もみずから幾つかのプログラムを書き、私物の電話もAndroidに変えるなどした。

 今、このスマートフォンのケースやカバー類の売り場の、ざっと6割以上はiPhone用で埋め尽くされている。タブレットのアクセサリも同じで、iPadが過半である。Android勢で元気なのはSONYのXperiaシリーズ、タブレットで台湾ASUSがNexus 7メーカーとして頑張っている程度のもので、あとはジリ貧だ。Androidの売り場はどんどん狭くなっている。

 これまでどおりであるなら、さっさとiPhone流のObjective Cのプログラミングを体験するなり身につけるなりすればいいようなものだが、私は日本語の参考書で自由に楽しくプログラムを書きたいと思っている変なおっさんであり、こうしたiPhoneの天下を苦々しく感じている一人でもある。なかなかどうして、Apple派になれるものではない。「野球は巨人、お笑いは吉本、戦争はアメリカ、電話はiPhone」て、なんでもかんでもそんな、一番モノばっかりって、なんっか、腹立つじゃないですか(笑)。

(この文章は、当時Facebookのストーリーに書いたものです。(そのストーリー))

明るい才能の対極

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 「Google後」について論考しようとして、とてものことに私などその器ではないと思い直す。

 タブレットやモバイルにしても、ポンとアイデアを思い付きで出して、運よく資本エンジェルが金出して、スクスク一発屋商売がヒットした、というわけではない。

 私にとってのスマートフォン元年は平成21年の夏ごろだ。ドコモから「HT-03A」が発売されたところから、スマートフォンの盛り上がりを感じはじめた。古くからのiPhoneユーザにとってのスマートフォン元年は、もう少し早いだろう。

 が、これはポンと出してポンと売れたものではない。HT-03Aは、更にそれを遡る2年前に、Googleが組織した「OHA」(Open Handset Alliance)に、日本3大キャリアや有力IT企業が参加して、営々とAndroidの研究を続けていたのである。ようやく台湾HTC社のハードウェアの発売に漕ぎ付けるのにそれくらいかかったということだ。

 そのGoogleにしても、どれほどの努力の年月を重ねたか。

 Web2.0を標榜したAmazonの商売が、やっとこさ軌道に乗るのに何年かかったかを振り返るのも分かりやすい。

 iPhoneにしても、日本での最初のスタートなんか散々なものであったと記憶する。それを、それこそソフトバンクがタダ同然でばらまくようなふるまいに及んで、ようやく今のような市場を握ることに成功したのだ。しかも、それすら、2年後3年後にどうなるかなど、誰も予測できない。

 そこからは、血の臭いすら、する。文字通り血のにじむような営業努力だ。

 Google後はますます、ピカッと光るような才能とクリエイティビティが世界を変える、と、多くの人が考えているように感じられるが、私はそうは思わない。

  死んだジョブズのプレゼンになんか、私は騙されないぞ。

 クリエイティビティの対極にある、ゲロのにおいの、血と苦汁とションベン臭い汗のしたたりにじむ、蟻が地を這うような、サラリーマンのおっさんの活動が、実は世界を変えている。