WordPressでFacebookにクロスポスト

投稿日:

 WordPress+Jetpackのパブリサイズ共有。WordPressもJetpackも着々とバージョンは上がっていくのだが、Facebookへのクロスポストがさっぱり効かない。

 どうも困ったな、と思っていたのだが、今プラグインの更新案内が来たので、また今度もどうせダメだろ、ぐらいの気持ちで更新してみたら、できている。

 やった。

 これで、Webへの文字列書きなぐり環境が一応完成したぞ。

WordPressのプラグイン「Jetpack」

投稿日:

 WordPressのプラグイン「Jetpack」のアップデートがあり、3.4.1から3.4.2になった。これまでどうもうまくいかない機能、パブリサイズ共有のFacebookへの投稿機能がひょっとしてうまくいくようになったかも知れない、と期待したのだが、やっぱりダメだった。

jetpack、どうもうまくいかない。

投稿日:

 jetpackというプラグインを導入し、WordPressからFacebookにポストさせようとするのだが、どうもサッパリうまくいかず、ついにあきらめてしまう。

便箋、賢い人

投稿日:

 文房具店できれいな便箋をみつけた。それを買って、あの人に手紙を書いた。空と海のことと、恋のことを書いた。

 ところが、つかつかと寄ってきた知り合いが、

「便箋で手紙っ!?紙は貴重な森林資源なんだぞ(中略)二酸化炭素(中略)地球温暖化(中略)電力(中略)原子力発電反対ーーー!」

と、横あいからマシンガンのようにまくし立て、あまつさえ便箋を取り上げてビリビリに破いて捨てた。

 私がやめてよというと、はぁお前デジタル使えよツイッターとかフェイスブックとか知らねーのかよバカじゃねーのタブレットだったら森林齧らねえだろ、と言い返された。

 私は、大切なあの人に、心を込めた文字で気持ちを伝えたかっただけだ。二酸化炭素も原子力も私にはわからない。タブレットやツイッターを使えば原子力がいらなくなるという理屈もわからない。私はばかなのだろう。

 手紙を書いたら、そのせいで即座に有害な放射線が私たちに襲いかかってくるという理屈なら、たしかに、悪いやつをやっつけたら、すぐさま核戦争になるから悪いやつをやっつけること自体最初からダメ、ということになるのだろう。それが、賢い人の、賢い論法だ。

 賢い人はなんでもかんでも一足飛びですごいなと思うが、だから賢い人は嫌いだ。計算が早いから嫌いだ、文字をいっぱい知っているから嫌いだ、私をやりこめて黙らせてしまうから大嫌いだ。

 今の私は、きれいな便箋に、空と海と恋のことを記してあの人に送りたいだけだ。

(※ この文章は、妄想を散文化しただけですので、実際の出来事・人物とは何の関係もありません。)

(当時、Facebookに書いたものです。)

1億倍で言わないと消滅する。

投稿日:

 以前、「中国人13億人と日本人1億3千万とが全力で殺し合いをしたら、秒殺で日本人全滅。戦い方で工夫をして勝つなら、あらゆる能力が100倍優れてないとダメ」みたいなことを、ランチェスターの二次則にからめて書いた。

 簡単な理屈で、100倍というのは勢力比の自乗である。

 もう一度書くならこういうことだ。ランチェスターの2次則によれば、損耗は勢力比の自乗で作用する。

{B_0}^2 - {B_t}^2 = E({R_0}^2 - {R_t}^2)

 ここに、
  B 青軍
  R 赤軍
  B0、R0:  青・赤両軍の最初の兵力
  Bt、Rt:  ある同じ時点での青・赤両軍の残存兵力
  E:  兵力の質の比。赤軍の質が青の倍であれば2、半分であれば0.5。

 式を変形すると、例えば、

{B_t = \sqrt{{B_0}^2 - E({R_0}^2 - {R_t}^2)}}

 このR0に日本の人口、Rtにはゼロを、B0に中国の人口、Eに1.0を代入すれば、つまり「日本人が全滅を期して捨て身の特別攻撃をしかけて、中国にどれだけの損耗を強いることができるか」という冷厳な計算となる。

 言うまでもないが、この計算はするだけムダだ。それでもあえて計算してグラフを描けば、こうなる。

Photo_3

 日本人の人数の、10分の1の損耗すら、与えることが出来ない。一人十殺どころか、10人がかりで1人殺すこともできないのである。

 これを互角にするには、兵力の質の比「E」を高めることだが、これも計算するだけムダである。100倍以上という数字が出るだけだ。

E=\cfrac{{B_0}^2 - {B_t}^2}{{R_0}^2 - {R_t}^2}

 この式にそれぞれ中国と日本の人口、互角となるようにBtとRtにゼロを代入すれば、約106という途方もない数字になってしまう。

 これが、先日私が書いた、じつにお粗末で簡単な理屈である。だがしかし、「殺し合い」なぞと物騒な書き方をしたから、どうにも老幼婦女子に刺激が強すぎたと言おうか、まず「穏当でなかった…」のは否めない。

 だが、殺し合いまでは行かない、例えばあることに関する意見や主張、ということではどうだろう。

 「昭和10年~20年(1935年~1945年)までをリアルに過ごした全ての日本人は悪魔で殺人鬼で血も涙もない許すべからざる鬼畜で、レイプ大好きな人類の敵だった」

…ということを、13億人の中国人が全員で言い、そして、かたやの日本人の、まあ、せいぜい100万人ほどのかわいい勢力が、小さな声で

「そ、そんなことないよぉ…当時の日本人にだって、いい人はたくさんいたんだよぉ…」

と、ボソボソ口ごもるとする。まあ、大声の大合唱と、小さな声のつぶやきとの戦いだ。そうすると、どうなるのだろう。

 この際、10億ナンボという土台に対して、朝鮮半島の5、6千万なぞ、計算の埒外、誤差というか、ゴミのようなものであることをあらかじめ言っておく。

 13億人の中国人全員が全力で100%の力を出し切ってこんなことを言うというのも、非現実的だ。中国人の中にだって、「いやいや、それは言い過ぎだって。日本だって、当時当時の情勢ってものもあったわけだから」と、一定の理解を示す知性のある人も少なからずいるだろう。だから、方程式の入力に「13億」と叩き込むのはよろしくない。また、全員が100%で主張するというわけでもなく、かなりラジカルな活動家でも、1%ぐらい「日本人だって人間なんだから」と心の片隅で思っていなくもないだろう。そういったところをあれこれ差し引きして、

「13億人中の10億人が全力で『A』と主張する」

…とでもしようではないか。

そして対する日本が、「100万人のかわいい勢力が小さな声で言う」というところを置き換えて

「10万人の勢力が全力で『非A』と主張する」

とでもしようではないか。

 先日の私の遊びのように、13億対1億3千万をランチェスターの二次則に代入するなど、代入する前からわかりきった馬鹿馬鹿しいことだった。それが10億対10万である。これは馬鹿馬鹿しいを通り越して頭脳の目方を疑われるような無意味なことだ。

 それでも、あえてグラフを描こう。

Photo_4

 横軸の、中国の10億が、まったく変化していないことに注目しよう。実は変化しているのだが、桁が小さすぎて表示できないのだ。つまり、ただの一人たりと、日本の意見に同意してもらうことなど出来ない。

 では、これを互角にするにはどうしたらよいのだろう。互角にするためには、交換比Eを計算すればよい。

E=\cfrac{{B_0}^2-{B_t}^2}{{R_0}^2-{R_t}^2}=\cfrac{10^2}{0.001^2}=\cfrac{100}{0.000001}=100000000

 1億倍である。

 こちらの主張を、日本人特有のおくゆかしさでもって、「いつかはどちらが正しいかをちゃんと天が見定めてくれる」とわけしりぶって小さな声で言っていることには、数値上の意味はまったくない、ということだ。

 正しいとか、正しくないとかはこの際置こう。おじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん、我々を産み育てた父祖の世代が、「クズでカスで大便みたいなゴミだった」という認定が、世界的定説になるかならないか、それをどうするのかということなのだ。

 それを互角に保つには、キチガイ右翼の街宣車のボリュームがやかましいなどという、そんなどころの騒ぎではまったくダメで、「1億倍の強度でそれを言わなければならない」ということである。

 「1億倍の強度で言う」ということは、簡単なことではない。これは例えではないからだ。

 例えではない、ということはどういうことか。具体的に書けば、中国人一人がネットに

「日本カス。死ね。」

…と8文字ほど書いたら、互角に対抗するために、10万人の日本側は

「日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です

~(中略)~

日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です日本はよい国です」

…と、8億文字ほどの情報をネットに流せ、ということなのだ。そうしないと、「日本人は昔から罪深い糞でアホでカスだった」という認定が、朝夕に迫るのである。

 そんなことは、到底できることではない。

靖国神社と春香クリスティーンと私

投稿日:

 「春香クリスティーン」とヒョンなことで検索エンジンにキーワードアシストが出てきて、なにコレ誰?と何の気なしに手繰ってみたら、まあ、面白いことwwwww。

 まあ、罪のない女のコのおバカ、と見るか、嘆かわしいと見るか、いろいろと見方はある。

「…それを言うならアーリントン墓地なんて、テロリストの集団埋葬所だろ。戦士の墓?笑わせんな、原爆落とすような人殺し連中がワンサカ埋められてる墓だぜ?しかも、「命令されてしかたなくやった」んじゃねえ、任務達成の充実感を味わいながら大喜びでやりやがったんだ。つまり、洗脳された狂信者たちだ。そんな連中が埋められてる墓なんだアーリントン墓地なんてものは。

 ケッ。言ってやった、ザマァ見ろ。そう言われて胸糞が悪けりゃあ、コッチのやることにもいちいち文句をつけンなよな。」

 …なぞと暴言のひとつも書いてみたくもなるが、実のところ、これしきのことで腹を立てる私ではないし、そこまでヒドい気持ちは持っていない。だいたい、人間、中年になると、怒ろうと思っても逆になかなか腹も立たたないものなのだ。それに、アメリカは靖国神社のことなどいまやハナも引っ掛けない。終戦時は焼き払おうとしたらしいが、むしろ最近献花しようとして逆に日本政府から再検討を促されたくらいだそうな。支那、朝鮮にしても、単に新聞売りたかっただけの朝日新聞が中曽根総理のころに書きたてたから、ああ、そうなの、それなら、まあ、反対の立場で言説でも組み立てときましょうか、ってんで成り行きでこうなっただけで、靖国神社なんて彼らにとってはどうでもよかったのである。

 つまり、靖国神社が無残にコケにされるのも、もとはと言えば日本人が自分自身で招きよせたことであるから、人のことは悪くは言えないのだ。だいたい、中曽根サンのころまでは天皇陛下も御親拝、あるいは悪くしても勅使が参じていたくらいなんである。こうなってしまったのは、気分は悪いが、かえすがえすも私たちが自分で招き寄せた結果なのだ。

 「戦う」と書くが、本当に殺し合いをしている人たちなんて、日本にはごく特殊なやくざ者などを除いてほとんどいない。「必死」と書くが、それは比喩の文字面であって、文字通り「必ず死のう」なんて考えて仕事をしている者もいないのだ。ほとんどの戦いは、所詮デスクワークのたぐいだ。「必死で仕事をする」というのが文字通りなら、日本の自殺者なんて3万人どころではない、3000万人くらいになってしまう。

 だから戦え、というのではない。戦わなくてよくて、本当に幸せなこっちゃ、と腹の底から思わないことがあろうか。

 戦うことや死ぬことを、一生懸命に追体験しようと、また、わがこととしてそれを考えようとするかしないかだけでも、だいぶ違うのだが、実際に戦うということとの間には、それでも天と地ほどの違いがある。

 支那にも朝鮮にもアメリカにもドイツにも、同様の戦士の墓や顕彰所はあり、そして、戦うということを考え込む場所がそういうところなのである。平和主義の人は

「国家権力にだまされた知能の低い人を思いのままに操って、命を捨てさせたりするためには、権力がそういう風にうまくだます場所が必要だ」

…などと言うと思う。自分のことを「知能の低い人」と言われたように感じて、右翼や保守の人はここで激昂するのだが、まあ、会社の命令にだまされて、首をつる人もたくさんいる世の中だ。政府が企業にさしかわっても、2000年来海ゆかば水漬くかばね、みたいなもので、だからだまされているというのも、そんなに間違ってない。

 これらのことをくだくだと言い立てたところで、通じないし、噛み合わないし、議論などもするだけ無駄なのだろう。無駄なことはしないことだ。それを言うと、こうやってヒマにあかせて文字列を量産している私も、まあ、無駄なことをしてるわなあ…。


 この記事は、平成25年12月30日(月)にFacebookに書いたものをコピー・ペーストしたものである。(下リンク)

機械と人間と男女

投稿日:

 妻に言わせると「機械ほど私のいうことを聞かぬものはない。人間はそんなことはない。」のだそうだが、私に言わせれば「人間ほど私のいうことを聞かぬものはない。機械はそんなことはない。」のである。

 実際、妻と来たら、毎日毎日意のごとくならぬHDDレコーダーやスマートフォンの操作に癇癪を起こしかけ、私はというと妻にとってのHDDレコーダーやスマートフォンを人間に置き換えればそのまま同じだ。

 これを「男女の差」と言えばなかなか世間受けする書き物になるのだろうが、多分そうではない。単に妻と私の性格の差だろう。


 これは平成25年(2013)08月14日(水)22時43分にFacebookのウォールに書いた文章です。

(あつもの)()りて(なます)を吹く如きイベント運営

投稿日:

 「ももいろクローバーZ」のコンサート運営は、よろしくない。これからは厳に注意を要する。

 「ももいろクローバーZ」のコンサートを見るため、妻と次女は、朝から嬉々として横浜へ出かけていった。

 だが、半べそかいた声で電話がかかってきた。

 窓口の係が、「子供さんが購入したチケットなので、本人の確認ができる書類がないと、入場できません」と言うらしい。

…ハァ!?なんだそりゃ。

 カネを払った、正真正銘のチケットだ。それを所持していることがなによりの本人証明ではないか。だが、窓口の係はかたくなで、どうしても入れてくれないという。

 事前にそんな注意喚起や説明があったわけでもない。どこかに書かれているのかもしれないが、おそらく例によって最も見づらいところへ最も読みにくい小さいポイントで書かれているだけだろう。

 妻の免許証では「お連れさんが本当にお子さんかどうかわからないので、ダメ」なのだそうな。

 「小6の子供の本人確認ができる書類」なぞと、入試か兵役検査でもあるまいに、たかが流行歌手のコンサートの入場に、そんなバカげた話など聞いたことがない。

 保険証が考えられるが、そんなものを常時持ち歩いているわけがない。

 妻は思案して、「コンビニのFAX受け取りで受け取るから、保険証をFAXで送ってくれない?」という。よしきた、と、少し調べると、「クロネコFAX」というサービスはローソンなどでやっていて、番号の授受により全国どこのコンビニでもFAXが受け取れる。保険証をこれで送信した。

 なんとか入場できたようだが、開演時間を大幅に遅れ、せっかくのコンサートが半分ほどになってしまったようだ。

 わが子のこととはいいながら、次女は6月からずっと楽しみにしていたので、不憫である。たとえ半分でも見られるならよしとせねばなるまいが、たかがアイドル歌手ごときのコンサート入場に、「小6の子供の本人証明書類を提出しろ」とは、いったいどこの役所だと言いたい。

 もともとこんな入念な確認は役所の専売特許だった。少しのことには拘泥せず、自由闊達に商売をして、どんどん経済を発展させることが民間企業の持ち味であったはずである。だが、いつごろからか、民間企業がこんなことをやり始めるようになった。

 悪意の者がいるからである。

 悪意の者を排除するために、私の次女如き、なんの含むところもない善良な子供が、正しくお金を払ったコンサートを半分見れない。

 バカバカしくて、話にもならぬ。不愉快である。

 これは、平成25年(2013)08月04日(日)16時58分にFacebookのウォールに書いた記事です。

食器を洗う

投稿日:

 妻が次女と出掛けてしまったので、昼めしのあとの洗い物をする。といっても、食器洗い機に放り込んでしまえば終わりだから、楽なもんである。

 普段居慣れない流しの傍で、食器洗い乾燥機の動作をシゲシゲと観察する。うちのはナショナル製で、透明の窓がついているから、食器が洗浄される様子がよく見えるのだ。

 まことに効率よく、まんべんなく洗剤が吹き付けられ、排水され、すすぎ湯がかけられていく。

 だがしかし、気づいたのだが、これ…。「チャーッ」って、洗剤と湯をかけ回してるだけだよな…?

 ははあ。時間さえかければ、食器って、コスらなくったって、ちゃーっ、って、水かけときゃきれいになるんだ…。うーむ、勉強になったぞ。

 そういえば…。

 連想なのだが、以前に妻に聞いた話だ。

 妻は高校生の頃、ウドン屋でアルバイトをしていた。バイト禁止の高校なのに、妻もなかなかやる。それはさておき、洗い場をやるように言われたので、さっそく、家で洗うときのように気合いをいれてドンブリをスポンジで洗いはじめたのだそうな。そしたら、店の大将が

「コラコラコラコラっ!!ナニしとんねんネェちゃんッ!アカンやろがい!!…こんなもんはな、…」

ウドン屋の大将、やおら、ドンブリが満載された金属製の食器洗い籠を洗剤を張ったシンクにだぱーーんっ!とつけたが早いか、湯を張った方のシンクにこれまた、ざぱーん!とつけて引き上げて、

「こんなモンはな、これでええんじゃあああ!」

…と荒い息をついて見せたという。

 無論、妻は「ええええ…まさかこれでドンブリ洗い、おしまい…!?」と驚いた。こんな洗いかたで 洗剤などがきちんと落ちているとは思えない。だが、人間どんなことにも慣れるもので、しばらくバイトするうち、すっかりその方式に慣れてしまったのだそうな。そもそも、そんな悠長なことをしていたら、時分どきの客なんか到底こなせるものではないらしい。

 今も時々、外でメシを食うと、食器が汚れていたり、ビールのグラスから他人の口の臭いがすることがあるが(本当)、まあ、外で食うと言うことは、そういうことである。

 今は外食産業も食器洗い機が普及しているから、まずこのようなこともあるまいが、その食器洗い機が、記したごとく、「ちゃー…」って、洗剤と湯をかけ流してるだけなんだよな(笑)。

 そんな食洗機の研究と観察をする、オッサンの休日。


 この記事は、平成25年(2013)08月04日(日)13時06分にFacebookのウォールに書いたものです。

電気、電波その他

投稿日:

 昨日、友達がチャットで「夏のせいか、どうもPCが過熱気味のようだ」と言った。

 チャットしながら、昔学んだ電波や電気のことを思い出した。感懐片々、思いつくまま、次のようなことを友達に話した。

 もともと、「電気」というものは、自然現象を人間の生活に応用したものだ。したがって、簡単な電気の働きは、ごく天然自然の性質を出ない。

 自然のままに放っておかれている電気の、さまざまなはたらきや特性をグラフに取れば、雷のような急峻なものを除けば、多くは2次曲線や正弦波のような美しいグラフになる。

 電気の眷属である、交流や電子、電波と言ったものもこれは同じで、まことに多くのことが2次曲線や正弦波で説明がつく。これらは「微分可能」なはたらきであり、大変自然なものだ。

 ところが、電子計算機だけが、異質である。

 電子計算機はスイッチの入・切という、まことに単純きわまる論理ですべての計算をまかなっている。二進数を使用するゆえんがこれである。

 スイッチの入・切によって生じる電気の経過をグラフにとれば、これは「矩形波」となる。

 正確な矩形波は、微分できない。つまり、自然なものではない。

 このような、大変人工的なものを、この小さなPCのケースの中に無理矢理に閉じ込めて使役しているのであるから、熱も出ようというものだ。

 ここをもう少し、違う方向から見てみたい。「微分できない」と書いたが、実際のコンピュータの内部では、スイッチの入・切をそれほど急峻に行うことができないので、矩形波の形は少し「ナマッて…」いる。くだけて書けば、カドが少し、斜めだったり、丸かったりする。

 このような矩形波は、実は、正弦波を組み合わせて作ることができる。

 いま、理論的に、3GHzの矩形波を正弦波から得る。それには、まず3GHzの正弦波を作る。美しく、なめらかに上下する波だ。これに、周波数が3倍(9GHz)、強さが3分の1の波を足す。そうすると、波の頭のところがふたこぶラクダのようにへこんだような形に変化する。

 更に、周波数が奇数倍、強さが奇数分の1の波をどんどん足しこんでいく。次第に形が四角く整えられていき、矩形波が作られていく。つまり、数学で習う「フーリエ展開」のところがこれである。

 ここには逆のことが含まれている。つまり、3GHzの矩形波には、その奇数倍の周波数の電気エネルギーが内包されている、ということである。

 3GHzくらい、と言えば、今一般に入手可能なパソコンの、CPUのクロック周波数がこれくらいである。パソコンの内部ではこれくらいの矩形波が作られて、計算のリズムをとっている。

 そのパソコンの中には、9GHzや15GHzや21GHzという、たいへん高い周波数の電気エネルギーが、同時に閉じ込められている、ということだ。

 電気のエネルギーは、周波数が高くなればなるほど、媒体の外へ外へと出て行こうとする。ラジオやテレビにしても、電気エネルギーのこうした性質を用いて、遠隔の場所にエネルギーを伝達することにより、情報を伝える。

 パソコンの内部の、大変高い周波数の電気エネルギーが、「外へ出よう出よう」として、あるものは熱の形となって外に出て行くのは、こうした点からも無理からぬことだ。

 また、この「3GHz前後」の周波数は、電子レンジにも使用されている。水分子の共振を行わしめるのにちょうど良い周波数がこれだからだが、われわれが使用するIT機器、パソコンのCPUのクロックだけでなく、無線LANや携帯電話なども、似たような周波数を使う。煮炊きに使えるような周波数なのであるから、ざっくりと言えば、そりゃあ、熱も出ようというものである。

 …そんなことを話した。

 ただ、この友達は女の人で、たいへん女性らしい人でもあるので、あとから考えてみると、だいぶ退屈な話だったかもしれない。

(この文章は当時Facebookのタイムラインに書いたものです。)