話題のRaspberry Pi Zero、もうAmazonで買える状況。
ただ、まあ、いろいろと買わなくていいモノ込みで、7500円ですけどもさ。
オッサンは生きている。
五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。
それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、
「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」
……とアナウンスが流れるではないの。
当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。
もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。
なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。
で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……
・ 山崎富治氏が死去
……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。
へぇ~、知らなかったなあ。
・ http://togetter.com/li/904991

あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。
特に、
(引用)
わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。
それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。
なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。
(引用終わり)
……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。

新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。
というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。
子供の頃から鼻が弱い。
ダニがアレルゲンのアレルギー性鼻炎だ。鼻に弱点を持つから、風邪をひくにしてもまず鼻からだし、副鼻腔炎や鼻中隔側弯もある。私は割合に鼻が高い部類の面相なので、鼻中隔側弯だと言うと「ウソでしょう」と言われるのだが、片鼻は常時つまっている。激しい運動をすると、血管運動性の鼻炎になってますます鼻水とくしゃみが止まらない。私が勉強や球技が苦手なのは、この鼻のせいであると言い訳している。
秋の暮れ、冬の初め辺りには衣類の出し入れがあるが、これがダニを巻き出し、強烈に来る。電車に乗ると、
それゆえ、鼻洗浄は欠かせず、毎朝顔を洗うときは鼻からズズズーッ!と水を吸い込み、これをぶはぁーっ、と吐き出すことを繰り返す。
症状がひどいときには、衛生器具の「ゴムシリンジ」を使って鼻を洗う。ゴムシリンジというのはこういうもので……
……これは、一般には「エネマシリンジ」と呼ばれる。エネマ、というのは言わずと知れた「浣腸」のことである。
このゴムシリンジが古くなってしまい、ゴムが脆化してボロボロになり、使えなくなってしまった。大きな薬局に行くと売っているのだが、近くの薬局にはどうも置いていない。
それで、Amazonでポチッた。明日には届くだろう。
だが、Amazonで買うと、なんとも迷惑と言うか、購入データが「ビッグデータ」のカオスに混ぜ込まれ、分析にかけられてしまうのである。
このゴムシリンジは浣腸器具なので、SM関係のリコメンド広告、薔薇系漫画やマゾヒズム小説などが推進されてくるようになってしまうのであった。
まったく、ビッグデータはけっこうだが、俺はSMとちゃうッちゅーねんっ!!(笑)
長女が生まれた頃、大人と言うものは子供の教育に邁進するべきであると考えたので、妻の勧めもこれあり、ずいぶんと多くの書籍を捨ててしまった。どこかに書き散らしてあるが、人生がカスまっている私のことであるから、まったく、到底シャレにならないほどの分量の書籍を
そうやって焼き捨ててしまった書籍の中に、「いしかわじゅんの『南畑剛三シリーズ』」がある。あれは、面白かった。今調べたら、もう25年近くも前の作品らしい。
ああいうハードボイルド糞味噌
火浦功という小説家が今どうなってしまったのか知る由もないが、生きているといいなあ、と願うのみである。
などと思ってAmazonで検索すると、「マルタの鷹」ならぬ「丸太の鷹」が、Kindle版でまだあるではないの。……600いくらって、けっこう高いけどw。
インフルエンザで出勤禁止、居間に出ようとすると家族への感染も心配だ。いきおい寝間から一歩も出ずに引きこもるが、寝間の無聊を慰めるものと言ってはタブレットぐらいである。
いい時代で、こんな外出もできない折でも、Kindle/Amazon、とりわけ青空文庫の成果物はよりどりみどりの読み放題である。愛用のタブレットにKindleアプリをダウンロードしておけば、家から一歩も出ずに図書館にいるようなものだ。
先ほどまで読んでいた坂口安吾の「白痴」は、4月の東京大空襲の2夜目が主たる舞台だ。作品は大空襲を絶好の環境として使った、「生きる」ということに対する内省と自問であり、おそらく坂口安吾にしてみれば、他に適切な舞台があれば別段東京大空襲でなくてもよかったのだろう。だから、この本を読んだからといって東京大空襲について筆のすさびを始めるのは当たってはいない。
しかしそれはそうでも、読後の思いは乱れるのであった。
ゲルニカや東京・大阪がもし欧米白人の手によってなされなかったとしたら、この「一般市民が現住する都市への無差別爆撃」という人類史上最も憎むべきことに位置づけられなければならないはずの大犯罪に最初に手を染めるのは、一体誰であったろうかと考えてしまう。
もし我が国であったら、と想像すると暗鬱な気持ちになるが、明治維新から終戦までの帝国にはそれだけの力はなかった。大陸に対しては幾分その程度の軍事的実力はあったが、いわゆる渡洋爆撃など、その後米国によって我が国に向けられた蛮行に比べれば、まことにもって礼儀正しいものであった。
だが、実行は別として、単にそれを選ぼうとするだけなら誰にでもどの国家にでもできる。帝国がそれを選ぼうとしたかどうかである。「最初に選んだ者負け」だ。そして、その永久の罪の汚名は、さながらロシアンルーレットのように、欧米白人が先に引き当てた。
運悪く引き当ててしまったのか、彼らが自らの手で握りとったのか、それはわからない。強いて言えばおそらく両方だろう。歴史の流れは必然として彼らにその籤をあてさせたし、かれらは能動的にその籤を引き当ようとして引き当てた。
そうしてでも、彼らは生存したかった。そういうことだろう。
文字のない太古、アフリカあたりの熱帯で生まれた人類は、弱いものを辺境へ辺境へ差別・排除しつつ、繁栄を謳歌してきた。
遠く北の寒冷飢餓の土地へ追いやられた生白い一団は、数千年にわたって臥薪嘗胆、牙を研ぎ、500年ほど前から断固復讐を開始した。ローマ法王からスペインとポルトガルに対して発せられた大デマルカシオンがそれである。
いくつかの紆余曲折を経ながらも、1494年にポルトガルとスペインがトリデシリャス条約を結んだ後、かれらがアジアと米大陸を総なめにしたことは歴史上の事実だ。ことに南米においてスペインのしたことなど、悪鬼をしてその顔色をさえなからしむる、酸鼻の地獄絵、鬼畜の所業である。
しかし、いかに鬼畜スペイン、ポルトガルといえども、当時は強大なイスラム圏の処理は簡単には済まなかった。欧米白人にとっての歴史的やり残し、それがイスラム圏の処理なのだ。
近代に至って、その後英国、あるいは米国へとバトンタッチしながら、白人がその人類全体に対する復讐の魔手をついに悲願のイスラム圏へ向けているまさにその時が、今なのだと言える。
500年もの期間を費やして太平洋を押し渡るために向けられた復讐の前縁が、東京や大阪や広島や長崎であったのだ。彼らが犯罪人の汚名を着ながらも決してやめようとはしない、今の中東への憎悪もそこにつながっている。やっと手に入れた日本を手放さない意義もそこにあるが、邪魔になれば見殺しにするだろう。
「Google後」について論考しようとして、とてものことに私などその器ではないと思い直す。
タブレットやモバイルにしても、ポンとアイデアを思い付きで出して、運よく資本エンジェルが金出して、スクスク一発屋商売がヒットした、というわけではない。
私にとってのスマートフォン元年は平成21年の夏ごろだ。ドコモから「HT-03A」が発売されたところから、スマートフォンの盛り上がりを感じはじめた。古くからのiPhoneユーザにとってのスマートフォン元年は、もう少し早いだろう。
が、これはポンと出してポンと売れたものではない。HT-03Aは、更にそれを遡る2年前に、Googleが組織した「OHA」(Open Handset Alliance)に、日本3大キャリアや有力IT企業が参加して、営々とAndroidの研究を続けていたのである。ようやく台湾HTC社のハードウェアの発売に漕ぎ付けるのにそれくらいかかったということだ。
そのGoogleにしても、どれほどの努力の年月を重ねたか。
Web2.0を標榜したAmazonの商売が、やっとこさ軌道に乗るのに何年かかったかを振り返るのも分かりやすい。
iPhoneにしても、日本での最初のスタートなんか散々なものであったと記憶する。それを、それこそソフトバンクがタダ同然でばらまくようなふるまいに及んで、ようやく今のような市場を握ることに成功したのだ。しかも、それすら、2年後3年後にどうなるかなど、誰も予測できない。
そこからは、血の臭いすら、する。文字通り血のにじむような営業努力だ。
Google後はますます、ピカッと光るような才能とクリエイティビティが世界を変える、と、多くの人が考えているように感じられるが、私はそうは思わない。
死んだジョブズのプレゼンになんか、私は騙されないぞ。
クリエイティビティの対極にある、ゲロのにおいの、血と苦汁とションベン臭い汗のしたたりにじむ、蟻が地を這うような、サラリーマンのおっさんの活動が、実は世界を変えている。
日本書紀第十一巻「
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003000420/satotoshioamz-22
仁德天皇は私の故郷にある「仁德天皇陵」をもってゆかりを感じ、歴代天皇記を読むにつけても、ことさら興味を覚えるところである。
仁德天皇はその
三年後、再び高台にのぞんだ。今度は村々に煙が上がり、活気付いていることがわかった。仁德天皇は喜び、そばにいた皇后に、「おお、だいぶ金持ちになったなあ。よかった」と言った。皇后は「あらまあ、こんなにほころびた衣を着て、雨漏りのする家に住んで、貧乏そのものなのに、何がお金持ちなものですか。」
仁德天皇はすかさず、「おいおい、国民が富めば、帝である私たちも金持ちとイコールじゃないかね」と言ったという。このくだりは古事記もだいたい同じで、たいへん有名な話だ。
そんな質実剛健の人である反面、「愛の人」でもあって、若い頃からロマンスである。浮気が皇后にバレて別居生活を余儀なくされたり、なにかと「そのへんの亭主」と変わらない妙味もあって、まことに愛すべき天皇と思う。
私の故郷の仁德天皇稜は、いろいろと考古学説もこれあり、ほんとうに仁德天皇稜かどうかわからない、などと言うようだが、いいではないか、科学は科学、歴史は歴史、仁德天皇稜と言うことにしておけば(笑)。
日本書紀第十巻「
次は第十一巻、いよいよ「仁徳天皇記」である。
なぜ「いよいよ」なのか。
私は、大阪府・堺市の、「田出井町」というところで生まれ育った。東京に府中刑務所ができるまでは、東洋一の規模と言われた「大阪刑務所」のあるところだ。私はその大阪刑務所の刑務官の息子で、刑務所の官舎で育った。
この田出井町と、そのとなりの町、「三国ヶ丘」というところが私の生まれ育った町と言っていい。
ここまで書けば、ピンと来た人もあるかもしれないが、この三国ヶ丘というところは、「百舌地区」と呼ばれる平らかな地へとつながり、ここには「百舌古墳群」と呼ばれる一大古墳群がある。
私が通った幼稚園や小学校、中学校のそばには、当時住んでいた家から近い順に「反正天皇稜」「仁徳天皇稜」「履中天皇稜」と、巨大な前方後円墳がいくつも並んでいる。
仁徳天皇稜は、いわずと知れた世界最大の墳墓である。その大きさは優にエジプト・ギゼーのピラミッドを凌ぐ。
うんと小さい頃は、この、宮内庁の管理地として厳重に柵で囲われている天皇陵の濠端に、柵の破れ目なぞ見つけては勝手に入り込み、蛙を釣って叱られたりしたもので、まことに懐かしい土地の風物なのである。
古い向きは、──と言っても、私の年齢層ではない、昭和ヒトケタから11、12ごろまでの生まれの人のことだ──子供の頃「ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク…」と暗唱させられたのであるが、この古代の天皇の名の、なじみのなさ、それゆえの覚えにくさと言ったら…!。だが、大阪・堺出身の者は、「ジングウ・オウジン…」まで来て、とたんにシャンとなるのだ。「ニントク、リチュウ、ハンゼイ…」、だ。この三人だけは、どんなことがあっても忘れようがない、間違いなく言えるのである。
「仁徳天皇記」は、以前、古事記を読んだときに弁えてはいるが、読んだのはだいぶ前だ。自分の故郷につながる記憶とともに、日本書紀で読むのは、また格別の楽しみだ。
通勤電車の中で、日本書紀第九巻、「神功皇后記」を読み終わる。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003000420/satotoshioamz-22
さて、以下のことは、学校の日本史の授業や、国語の授業ですら習った覚えがまったくないので、あらためて記しておきたい。
日本書紀では、「魏志」を参照文献として取り上げ、その記述を引用している。(このこと自体、知らない人も多いだろう。)
この「引用」に関しては、日本書紀はさすが、現代の役所の仕事にも通じるものがあり、読み飽きてしまうくらいしつこい。念入りである。「ある書に曰く…」と、考えうるあらゆる参考文献の記述を列挙してやまない。
そんな日本書紀の中で、外国文献の引用があるのは、この「神功皇后記」が最初である。
その引用部分は、私たちが学校の授業で耳慣れた、「倭の女王が朝貢をしてきた」という部分である。
読めば分かるが、その引用の態度は冷静で、淡々と、「この年にあったこととして、『魏志』にはこう書かれている」と、潤色も何もなく書かれているだけだ。
ところが、である。学校では、この、「魏志」の方ばかり教え、日本書紀にそう書かれている、ということは、決して教えない。
ついでに書けば、日本書紀に沿うなら、魏志に言う「卑弥呼」は、明確に「気長足姫尊(おきなが たらしひめの みこと)」こと神功皇后である。「ナントカひめのみこと」というのが当時の呼び名であったわけだから、つづめて「ヒミコ」にもなろうというものだ。日本書紀第九巻、神功皇后記の中で魏志が引用されているので、朝廷はそのように歴史を検討・整理したのであろう。
なぜ、学校では日本書紀を引かないのか、ということを人に聞くと、「そりゃあ、日本書紀は国家による捏造が行われていて、疑わしいからだよ」という。
それを言うなら、私たちがまるで、絶対の真実が書かれた第一級の歴史資料のように崇め奉ってやまない中国の書、「魏志」だって同じではなかろうか。
日本書紀について語る人はたくさんいるが、「日本書紀は嘘交じりで、国家による捏造が行われている」と、皆異口同音に言う。だが、私の身の回りでそう言っている人で、日本書紀を通して全部読んでみた、という人に、私は会ったことがない。皆、誰かからの伝聞や、せいぜいWikipediaの記事をもとにそう言っている。
また、「魏志」についても、学校でそう習うから、皆そう言っているだけで、この書のことも、多くの人は知らない。魏志倭人伝が、何の本の中に出てくる、何の章か知っている人は、はたしてどれくらいいるだろう。
書いておく。
有名な「三国志」を書いたのは、陳寿(ちんじゅ)と言う人だ。この三国志全六十五巻の中に魏王朝にかかわりのあった諸族の記があって、その中に「東夷伝」という蛮族の記録があり、更にその中の「倭人条」というものを、我々は今、「魏志倭人伝」と呼んでいる。
正確さなどどっちをとったって似たり寄ったり、というものが二つあって、それぞれ「自分の国で昔書かれたもの」と「外国の作家が昔書いたもの」であるとき、「外国の作家」のほうを「正確な歴史」として採用する、というのは、どういうことであろう。
戦前、神功皇后は「お札」の肖像に使われていたのだが、なんで、それをあわてて否定するようなことをするのか。
改めて書いておこう。「神功皇后という人がいて、それは、中国の参考資料には『ヒミコ』と記載されている」のである。
たしかに、大昔のことだから、本当にいたのだかなんだか、わからない。だが、現代の私たちがああでもないこうでもないと推定するより、近い時代の昔の人が推定したことのほうが、マシな精度があるのではなかろうか。