読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の最後、「長安の春」(石田幹之助著)を朝の通勤電車の中で読み終わった。

 著者石田幹之助は歴史学者・東洋学者であるが、特に中国の唐代について詳しかったらしい。本書は唐代の文化について徹底的に語りつくすもので、美しく端正な文章で書かれている。作品集なのであるが、表題作の「長安の春」という随筆は、まるで見てきたかのように美しい長安の都を脳裏に展開させる。


言葉
侈る

 「(おご)る」と()む。「(しゃ)()」という言葉があり、「奢」のほうも「る」を送って「(おご)る」と訓むが、「侈」のほうも同じ意味であり、「(おご)る」と訓むわけである。いずれも「贅沢をする」意味である。

平凡社世界教養全集第18巻「長安の春」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.391より

文宗の頃も「暮春内殿牡丹の花を賞し」、皇帝が侍臣に「今京邑の人牡丹の花を伝う、誰か首出となす」と問われたことなどが伝わっている。豪の家々もまた侈りを尽くしてこの花を愛玩した。

 そのまま「()」の音読でよい。口先が黒く、体色が黄色い馬のことである。

  •  (漢字辞典オンライン)
p.407より

 南北朝以来、好んで詠まれた楽府「白鼻の」などにも、唐代に至っては句中に胡姫の登場を見ることが珍しくない。

洵に

 「(まこと)に」と訓む。「誠に」と同じと思ってよい。

ルビは佐藤俊夫による。p.426より

新たなる客が倍の資を(きょ)し、また、燭を継げばその価を倍にするという点に興味を覚えますが、肝心のなりなり、貨幣の単位の値打ちが私にはよくわかりませんので、洵に隔靴掻痒の感に堪えません。

 次は第19巻を読む。第19巻は欧米の考古学に関係する著作4編、「過去を掘る」(C・L・ウーリー著、平田寛訳)、「発掘物語」(D・マスターズ著、平田寛・大成莞爾訳)、「先史時代への情熱」(H・シュリーマン著、立川洋三訳)、「悪魔の弁護人」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)からなる。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の三つ目、「敦煌物語」(松岡譲著)を朝の通勤往路、JR秋葉原駅の中央線ホームへ上るエスカレーターの上で読み終わった。

 はじめ、題名などから往古の史跡敦煌に関する論説かなにかなのかな、と思ったのだがさにあらず。読んでみると、敦煌遺物の、いわゆる「敦煌経」(『敦煌文献』とも)の流出をめぐる珍妙な物語である。Wikipediaなどで「敦煌文献」を探すと、当時の関係者がほとんどタダ同然の対価で貴重な敦煌文献を売買し、欧州や日本に拡散してしまったことが簡単に書かれているが、その事情に焦点を当てた小説なのである。道士(おう)(えん)(ろく)と、イギリスの学者オーレル・スタイン、フランスの学者ポール・ペリオ、日本の門徒立花らとの珍妙無類の駆け引きが迫真の筆致で描かれている。敦煌文献の流失散逸は歴史的事実であり、登場人物の王円籙やスタイン、ペリオは実在の人物、本書中では「立花」と名前を変えてはあるが、これは実在の日本の僧(たちばな)(ずい)(ちょう)をモデルにしている。だがしかし、本書の面白おかしい場面場面は作者の創作である。つまりこれは、事実を下敷きにした面白い創作小説である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「敦煌物語」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.358より

 「吉川さん、先年猊下のお供をしてインドを歩き、その時と今度とでシナ・トルキスタン一帯を歩いてみて、今から千何百年も前に、この世界の乾燥地帯を()(ほう)のために命がけで西に向かって渡られた法顕だの玄奘だのというもろもろの三蔵たちのご苦労がわかったが、それにも増して、西域の高僧たち、わけても()(じゅう)だの(じく)(ほう)()だの(どん)()(ざん)だのという方々が、伝道のため訳経のため、東に向かって尽くされた努力にも頭が下がりましたよ。じつに至るところに遺跡があるのですからね。ところがどうです、それが一朝にして回教徒のため根こそぎやられてしまって、やがて千年近くになろうとしている。今、中央アジアのどこを歩いてみたって満足の寺一つはおろか、おそらく完全な仏像一体でさえ、昔日のまま祀られていないんです。自然、念仏の一声だって聞かれやしません。それに引きかえ、回教はどうです。ほとんど全中央アジアを「コーランか剣か」によって征服し、至るところアラーの神がはびこっている。そうしてその宗教戦争で殉死した聖者たちの霊廟(マザール)が各地に散在して、今に香華絶ゆるひまもなく繁昌している。まったく仏教徒の意気地なさを思い悲憤やるかたないわけだが、ここで一つ僕たち考えておかなければならないのは、何故回教がこれら土民の信仰尊信をかち得ているかということだと思いますね。カシュガルでイギリス・ロシア両国が(しのぎ)を削って事ごとに勢力争いをして、一方は福音堂、一方は天主堂というわけで、それぞれ宗教の仮面のもとにそこを侵略基地として帝国主義の魔手を伸ばそうとしているし、ウルムチあたりへ来ては、まさにロシアの勢力が駸々(しんしん)()としてはいってきているのがハッキリ見えた。しかしそれにもかかわらず、新教でも旧教でも大国の背景をもちながらこの(ろう)()たる回教の勢力を如何ともすることができないじゃありませんか。今度の探検旅行の一つの使命は、猊下からこの回教勢力の実際を調査することを命じられたんですが、たしかに東亜将来の根本問題の一つはこの回教問題ですよ。猊下の先見の明にはただただ恐れ入るほかありませんが、吉川さん、これがカシュガルで猊下から頂戴したコーラン経です」

言葉
護照

 難しい漢字ではなく、読んで字の如く「()(しょう)」であるが、意味を知る人は少ないだろう。これは「パスポート」「旅券」のことである。この言葉は現在は中国でだけ使われ、特に「中国のパスポート」を指して言うこともあるようだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.268より

スタインは秘書の蒋孝琬に一足先に一(むち)当てさせて、中国製の紅色の名刺と護照とをもたせて衙門に急がせた。

熱時熱殺

 これも読んで字の如く「(ねつ)()(ねっ)(さつ)」であるが、意味はわかりにくい。これは禅語だそうで、

(かん)()(しゃ)()寒殺(かんさつ)し、(ねつ)()(しゃ)()熱殺(ねっさつ)す(碧巌録)

という一節からの引用らしい。要するに、暑いときに熱い茶を啜ればかえって涼しくなる、暑さを熱で制し、寒さを冷で制する、というような意味である。

p.374より

ところが、その胡姫の代りに、こういう禅月の羅漢めいた老人のサーヴィスじゃお気の毒のいたりですな。しかし理屈をつければ、こんな砂漠地帯の長話も熱時熱殺で、何らかの趣なきにしもあらずというところかもしれんが、ともかく一日中聞いていただいたのに、到来ものの白ブドウ一杯で追っ払っちゃ、こちらの冥利がつきる。

中村()(せつ)

 本書は美術収集家で自らも美術家である老人が、若い来客を相手に、敦煌経散逸流失の一部始終を語って聞かせるという形になっているが、解説によればその老人と言うのは、中村不折という明治~戦前の昭和にかけて活躍した書家をモデルにしたものらしい。

p.378、秋山光和による解説より

さらにこうした種々な主人公を活躍させる共通の舞台として、著者が作り出した語り手(ナレーター)中村不折氏と思われる老画家の扱いは見事である。

 引き続き第18巻を読む。今度は「長安の春」(石田幹之助著)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の二つ目、「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を帰りの通勤電車の中、草加と新越谷の間の辺りで読み終わった。

 この書は司馬遷とその著書「史記」について徹底的に語るものである。が、しかし、その著述態度たるや、何が著者をしてかく著さしめたのかと推し量るに、それは司馬遷と「史記」への徹底的な愛、それも偏愛ともいうべき熱の如きものであると見てよいのではないか。私など、読んでいて史記や司馬遷の解説に納得するのではなく、(むし)ろ著者自身のことを心配してしまった。昔の本であり、著者は45年前に既に亡くなっているのだが、本書執筆時若かったであろう著者に、「そんなに熱中していると体を壊してしまうよ」と心配してやりたくなったのだ。そういう本である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「史記の世界 ――司馬遷」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.183より

私は史記的世界の、「世家」並立状態について、瞑想にふける時、星体の運行する宇宙を想い浮かべることが多い。それはE・A・ポウの「ユリイカ」を連想するからであろう。「拡散」「放出」「活動様式」(modusoperandi)みな「ユリイカ」で使用されている言葉である。

p.191より

 陳渉については、誰でも知っている言葉がある。「燕雀、いずくんぞ、鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。」 若くして小作人となり、畠を耕しながら、仲間の百姓に向かって彼が言った一句である。

言葉
突兀

 「突兀(とっこつ)」と読む。「(こつ)」と言う字は「い」を送って「(たか)い」と()ませ、故に「突兀」とは高く(そび)え、抜きん出ていることを言う。

  •  突兀(コトバンク)
  •  (モジナビ)
下線太字は佐藤俊夫による。p.175より

「史記」全篇を通じて見ても、女が主体をなした章は、ほとんどない。しかるに、ここに突兀として「呂后本紀」がある。

 画数が多くて見(づら)いが、拡大すれば「讎」である。「(あだ)」と訓む。「仇」とだいたい同じと思ってよい。「復讐」の「讐」と言う字と構成物が大体同じであるところから、この意味が通じる。したがって送り仮名をつけて「(むく)いる」などとも訓む。

  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.182より

()()(しょ)(こう)()の臣となって楚地深く侵入し「平王の(かばね)(むちう)ち、以て父のを報いた」のは前述の通りである。

 引き続き第18巻を読む。今度は「敦煌物語」(松岡譲著)である。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻、「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)「史記の世界」(武田泰淳著)「敦煌物語」(松岡譲著)「長安の春」(石田幹之助著)を読みはじめた。

 一つ目の「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)を()きの通勤電車の中、ちょうど通勤先の駅に着いたところで本編を読み終わり、職場についてから始業までのひと時で解説を読み終わった。

 前巻の「おらんだ正月――日本の科学者たち――」も少年向けに書かれたものであったが、この「黄河の水」も元々は少年向けに書かれたものだそうで、なるほど、読みやすく、面白い。大正末に出版され、戦前すでに50版を超し、戦後しばらくの間まで十数版もの改版を重ねたものだそうで、広く読まれたという。

 この書は中国の歴史を、夏王朝よりも前の時代、「三皇五帝」と言われる数千年前のところから語りはじめ、一気に共産党中国まで語りつくすというものだ。テンポよく一気に数千年を経る。興味深いエピソードや教養として知っておくべき有名な話も漏らさず押さえてあり、実に面白い読書であった。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「黄河の水 中国小史」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.29より

 始皇帝の次にはその末子の()(がい)というのが立って、二世皇帝となりました。この二世皇帝は、父に似もやらぬ愚かな性質で、天下を治める腕もなく、ただ自分の快楽ばかり考える人でした。皇帝は賢くなく、政をまかされた大臣等は、勝手なことをして、政をみだすということになったから、始皇帝のときには、その権力に恐れて、反抗したくも反抗のできなかった不平の民は、これを機会に方々でむほんをはじめました。その最初に事を起こしたのが(ちん)(しょう)という()(やとい)(にん)()。まあニコヨンですね。かれは人夫から兵卒となり一隊の長に出世しましたが、軍規にそむいて死刑になりそうになったので、どうせ殺されるなら一つ大きなことをして見ようと、(なか)()()(こう)と相談して、(しん)政府打倒の兵を挙げたのです。それで物の最初をはじめることを「陳呉となる」という熟語もできました。陳勝につづいた中でも最も有名なのが、(こう)()(りゅう)(ほう)です。

p.30より

 秦についてなお一言しておきたいことは、その名が中国をいう名称として、いまに至るまで世界中に広まっているという事実なのです。皆さんは西洋で、例えばイギリスでは中国のことを、チャイナ(China)ということをご存知でしょう。これは(しん)の名から起こったのです。というわけは、中国語で秦をチン(Chin)と発音します。これがインドに伝わって、チナ(Cina, China)となり、それに国の意味のインド語がつくとチニスターン(Chinistan)となりました。それがローマに入るとシネー(Sinae)となり、これからヨーロッパ諸国の中国をいう語になるので、チャイナなどもその一つ。大体これと同じ音のものです。またインドに巡礼に来た中国の僧侶はインドのこの語を聞いて、それを本国に逆輸入すると、その音を支那・脂那または震旦などの漢字であらわしました。秦は帝国としてたった十五年で亡びましたが、その名はこういうわけでいまもなお不滅に生きているのは、おもしろいではありませんか。

 それからついでに申しておきますと、前にいったように中華民国の名も、中華人民共和国というのも、もとは古い中華・中国の考えから来たものですが、その国名を西洋(ふう)にあらわすときには、決して中華の音をローマであらわさないで、ザ・チャイニーズ・リパブリック(The Chinese Republic)とか、ザ・リパブリック・オブ・ザ・チャイニーズ・ピープル(The Republic of the Chinese People)というように、このシナの名称を使っているのです。

 なお、解説を読んでみると、上の一節には著者・編集者の苦渋が見て取れる。戦前の本書の題は、「支那小史 黄河の水」だったのである。ところが、この平凡社世界教養全集に収められるにあたり、「支那」「シナ」という用語を努めて「中国」その他の用語に改めたのだという。この平凡社世界教養全集は昭和40年代の刊行であるが、その頃すでに中国を支那と呼ばないというような取り決めが、出版界では行われていたのである。

 しかしそれにしても、欧米ではそんなことを全く意に介せず「支那」を語源とする China を用い、また当の中国もまったくそれに異など唱えず、ところが日本で「支那」と書いた途端怒り出すというのは、改めて言うことでもなかろうけれども、変なことである。

p.71より

 学者には程顥(ていこう)(てい)()の兄弟が、儒学に新しい説を立てましたが、それを大成したのが、(しゅ)()(すなわち(しゅ)())であります。朱子は多くの著書を残しましたが、その学説は次の元・明・清に影響したばかりでなく、わが国にも朝鮮にもおよびました。徳川時代などは、漢学といえばすぐこの朱子の学問の別名と思う位でした。文章の名家も多くありましたが、詩文ともにすぐれたのは(おう)(よう)(しゅう)や蘇東坡(名は軾〔しょく〕)です。東坡の「赤壁(せきへき)()」はよく知られています(この人は衛生のことにも注意し、料理法にも通じていました。その発明したというものに、おいしい東坡肉〔とうばにく〕というのがあります。中華料理でご承知の方もありましょう)。

言葉
汴京

 地名であるが、この「汴」という字の読み方が難しい。これで「(べん)(けい)」と読む。宋の都である。「べんきょう」とも読むが、「べんけい」の方が一般的であるようだ。場所はここである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.69より

しかしこの戦争の間に、宋の弱いことを見ぬいた金は、その野心(たくま)逞しくして、宋をも併呑(へいどん)しようと、大兵を下して国都汴京を攻めおとし、徽宗とそれについだ欽宗や、皇后をはじめ、大臣以下の官吏や人民を捕虜とし、また宮中や国都の、目ぼしい財宝を(りゃく)(だつ)して、北に帰りました。

 引き続き第18巻から「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を読む。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の四つめ、「おらんだ正月――日本の科学者たち――」(森銑三著)を休みの土曜の夜、自宅の居間で読み終わった。

 読みはじめるとすぐにわかることなのであるが、この書は少年向けに書かれたものである。江戸時代以前に活躍した日本の科学者たちについて、驚くべし、五十二人を取り上げ、戦前、雑誌「子供の科学」に連載されたものだ。「子供の科学」は戦前から現在までおよそ100年も続く子供雑誌である。

 子供向けの連載であったにもかかわらず大人の鑑賞に堪える。読んで面白く、一つ一つの伝記が胸に迫る。

 本書の皮切りはそのかみの名医「永田徳本(とくほん)」なのであるが、この人の名はかの湿布薬「トクホン」に使われている。昔から「トクホンって、なんでトクホンっていうんだろう?」と思っていたが、本書を読み、またトクホン製造元のホームページなどを見て、ようやく納得がいった次第である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「おらんだ正月――日本の科学者たち――」のうち、沼田次郎による「解説」より引用。
p.544より

 森さんは『おらんだ正月』を少年たちのための書物として書かれた。しかしそれはおとなの読物として歓迎される結果となった。森さんはそれが多少ご不満のようである。しかしそれはこの書物が少年向きの書物として不適当なことを意味するものではない。それはこの書物が少年向きに書かれながら、その内容がしっかりしているために、おとなにも歓迎されたことを意味する。私はこの書物が今後ますます少年諸君に読まれると同時に、またいっそうおとなの読者にも読まれることを希望するものである。

 次は第18巻を読む。「黄河の水」(鳥山喜一著)「史記の世界」(武田泰淳著)「敦煌物語」(松岡譲著)「長安の春」(石田幹之助著)の4書だ。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の三つめ、「蘭学事始」(杉田玄白著・緒方富雄訳)を帰りの通勤電車の中、東武スカイツリーラインの西新井と草加の間の辺りで読み終わった。

 菊池寛の小説「蘭学事始」は読んだことがある。また、本書は同じものをデジタル書店の「グーテンベルク21」がKindleで割合に安く出している。そのサンプルは見たことがあるのだが、購入まではしなかった。それをこの全集で読んでみたわけである。

 著者の杉田玄白は言わずと知れた「解体新書(ターヘル・アナトミア)」の共同翻訳者、杉田玄白その人である。本書はその杉田玄白の著書を現代語訳したものであるが、その訳者・緒方富雄氏というのが、かの緒方洪庵の曾孫だったというから驚く。この人も医学者で、かつ文筆家だったそうだ。平成元年(1989)没というから、30年あまり前まで存命であったということだ。

 本書は杉田玄白自身が老境にあって蘭学の草創期から普及に至るまでを回想したものだ。玄白が壮年の頃、日本では、まだ蘭学は無論、洋学、ことにヨーロッパの国語を解するということ、とりわけ書かれた文章を読んだり、いわんや翻訳などということは、まったく行われていなかった。杉田玄白は知己の前野良沢と協力し合って初めてオランダ語の書物「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組んで完成させ、それがきっかけとなって日本に蘭学が普及したことは誰しもこれを知る。

 本作は現代語訳で、読みやすく、かつては中学生などにも読み物として大変親しまれたものであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「蘭学事始」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.336より
一七
明和八年三月四日――(こつ)(はら)のふわけ

 これから、みなうち連れて、(こつ)(はら)のふわけを見る予定の場所へ着いた。この日のお()(おき)の死体は、五十才ばかりの女で、大罪を犯したものだそうである。京都の生まれで、あだ名を青茶婆(あおちゃばば)と呼ばれたという。さてふわけの仕事は虎松(とらまつ)というのが巧みだというので、かねて約束しておいて、この日もこの男にさせることに決めてあったところ、急に病気で、その祖父だという老人で、年は九十才だという男が代わりに出た。丈夫な老人であった。かれは若いときからふわけはたびたび手がけていて、数人はしたことがあると語った。それまでのふわけというのは、こういう人たちまかせで、その連中がこれは肺臓(はいぞう)ですと教え、これは肝臓(かんぞう)、これは腎臓(じんぞう)ですと、切り開いて見せるのであって、それを見に行った人々は、ただ見ただけで帰り、われわれは直接に内臓を見きわめたといっていたまでのことであったようである。もとより内臓にその名が書きしるしてあるわけでないから、彼らがさし示すものを見て「ああそうか」とがてんするというのが、そのころまでのならわしであったそうである。

 この日も、この老人がいろいろあれこれとさし示して、心臓・肝臓・胆嚢(たんのう)()、そのほかに、名のついていないものをさして、これの名は知りませんが、自分が若いときから手がけた数人のどの腹の中を見ても、ここにこんなものがあります。あそこにこんなものがありますといって見せた。図と照らし合わせて考えると、あとではっきりわかったのであったが、動脈と静脈との二本の幹や、副腎などであった。老人はまた、今までふわけのたびごとに医者の方にいろいろ見せたけれども、だれ一人それは何、これは何と疑われたお方もありませんといった。

 これをいちいち、良沢とわたしが二人とも持って行ったオランダの図と照らし合わせてみたところ、ひとつとしてその図とちがっていない。古い医学の本に説いている、肺の六葉(ろくよう)(りょう)()、肝の(ひだり)三葉(さんよう)(みぎ)()(よう)などというような区別もなく、腸や胃の位置も形も、むかしの説とは大いにちがう。

 官医の(おか)()養仙(ようせん)藤本立泉(ふじもとりっせん)のお二人などは、そのころまで七―八度もふわけされたそうであるが、みなむかしの説とちがっているので、そのたびごとに疑問が解けず、異常と思われたものを写しておかれた。そして、シナ人と外国人とでちがいがあるのであろうか、などと書かれたものを見たこともあった。

 さてその日のふわけも終わり、とてものことに骨の形も見ようと、刑場に野ざらしになっている骨などを拾って、たくさん見たが、今までの古い説とはちがっていて、すべてオランダの図とは少しもちがっていない。これにはみなおどろいてしまった。

 次は同じく17巻から、「おらんだ正月――日本の科学者たち――」(森銑三著)を読む。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の二つめ、「黒船前後」(服部()(そう)著)を往きの通勤電車の中、中央線秋葉原とお茶の水の間の辺りで読み終わった。

 著者の服部之総はだいぶ年季の入った共産主義者(アカ)学者だが、そんじょそこらのチャラチャラした主義者ではない。記録を見ると2回逮捕されて物相飯(モッソウめし)を喰らい、学界での地位を失っているが、それでもへこたれずに研究し、著作をものして学界に復帰している。しかしまあ、共産主義者のくせに大資本中の大資本、「花王」の重役や取締役をつとめたのは、冗談のようでもあってむしろ微笑ましくもある。

 本書は随筆で、その題の通り黒船の前後の時代について語る表題作の他、明治維新に関連するその他の作品10作の集成だ。その視野の広さと切り口や角度の独自性に、はなから圧倒されてしまう。表題作は黒船前後と題されてはいるが、黒船のそのもののことはほとんど語らない。私たちは日本国内から見た黒船の歴史は明治維新と関連付けてよく知るが、一方、ヨーロッパやアメリカから見て、なぜあの時期に黒船が来寇したのかという背景事情には無頓着である。本書は、そうした読者の虚を突くように、当時の欧州経済、大西洋を取り巻く事情などを、「造船技術の急速な進歩」を皮切りとして語りはじめる。

 文章は闊達でこなれた、読みやすい名文だと感じられ、藤井松一による解説にも文章家としての著者について特筆されている。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「黒船前後」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.238より
五 「和親」条約

 旧市場の拡張と新市場の獲得とが問題のいっさいだった産業資本主義発展期の当年にあって、かりそめにも、「和親」はするが貿易はお断りだといった種類の条約が、足かけ五年も続いたというのはどうしたことか! 結婚はあきらめましょう。兄妹としていつまでも愛してちょうだいなどという類のたわごとが、三十代の壮年資本主義国に適用するはずがない。

 ペルリとハリスことにハリスを、幕府がかたくなな処女のように貿易だけはというのを、脅したりすかしたりで結局ものにしたその道の名外交官扱いにするのはかってであるが、しかし「和親条約」はそれだけで立派な存在理由をもっていた。

「亜墨利加船、薪水、食糧、石炭、欠乏の品を、日本人にて調候丈は給候為、渡来の儀差許候」

――サンフランシスコと上海をつなぐうえに不可欠な Port of Call ――ことに石炭のための寄港地として、ヨコハマ浜が是が非でも当年のアメリカに必要だったのである。

言葉
Moods cashey

 短めの一編の表題がこの「Moods cashey」である。はじめ、この言葉が文中に現れたときには、何のことかすぐにはわからなかった。

 この作品の冒頭の一文は次のとおりだ。

p.254より

 How much dollar? を「ハ・マ・チ・ド・リ」と、居留地の人力車夫仲間で決めてしまう。こうしてできた実用英語がピジン・イングリッシュである。

同じく

 これにたいしてピジン・ジャパニーズとでもいうようなものが居留地の外人の間で生まれることも当然である。英語なまりで理解された日本語であり、実用国際語のヨコハマ版であり、欧米人の間で Yokohamaese またはヨコハマ・ジャパニーズと呼ばれたものである。進駐軍の兵士が Oh heigh yoh! と発音するたぐいである。

 「Moods cashey」はこの一編の最後に洒落た感じで書かれる。

下線太字は佐藤俊夫による。p.257より

 それにしてもこの文献が慶応三年以前のものでないことは、さきに述べたところから明らかである。してみると、横浜開港以来八年の歳月を経ており、ヨコハマ・ジャパニーズも、独自の風格をととのえたものとしなければならぬ。事実それは、ととのえている――

 Physician = Doctorsan
 Dentist = Hahdykesan
 Banker = Dora donnyson

 銀行家が「ドル旦那さん」はよいとして、海上保険検査員のことを、

 Serampan funney high kin donnyson にいたってはいう言葉がない。

 大使= Yakamash’sto
 兵士= Ah kye kimono sto

 大使は租界の絶対権者だから、やかましい人にちがいない。横浜のイギリス駐屯軍は赤い制服を着て「赤兵」と呼ばれていた。

 それにしても水兵の Dam your eye sto はどう解するべきであろうか? ずいぶん私は頭をひねってみるのだが、その解答は、単語欄に見出された左の言葉におちつくほかはないのである――

 Difficult = Moods cashey

矗々として

 「矗々(ちくちく)として」と読む。長くて真っ直ぐ、という意味である。

p.262より

雲浜の時代はまだ「討幕」を現前の綱領として出さなかったのに、彼が組織したこの圧力はすぐさまそれをあえてするまで、矗々として成長した。

壅蔽

 「壅蔽(ようへい)」と読む。覆い隠すことである。

p.270より

 非常時京都の警視総監として何よりも検索しなければならぬ「浪士」のなかに、松平容保は他のあらゆるものを――たとえば身分制度に対する、言語壅蔽に対する、外夷跳梁に対する、物価暴騰世路困難に対する彼らの不満を。またたとえば彼らの背後にあるときには「長州」を、後には「薩州」を――認識することができたが、ただ一つ、これらすべてを「歴史」の爆薬に転ずる一筋の黄色な導線にだけは最後まで気がつくことができなかった。

輦轂

 「輦轂(れんこく)」と読む。天皇の乗り物のことである。「輦」も「轂」もどちらも人が()く車のことであるが、「輦轂」と書くと貴人の乗り物全般の意が強くなり、輦台(れんだい)のような、人が担ぐものをも指す。

  •  輦轂(Weblio辞書)
  •  (漢字ペディア)
  •  (同じく)
p.271より

 「攘夷御一決のこの節、御改革仰出され候付ては、旧弊一新、人心協和候様これなく候ては相成らざる儀に候ところ、近来輦轂の下、私に殺害等の儀これあり、……

囂然

 「囂然(ごうぜん)」と読む。やかましいことである。「囂」は訓読みで「かま」と読むようで、コトバンクには「形容詞『かまし』の語幹か」と書かれている。

  •  囂然(goo辞書)
  •  (コトバンク)
p.272より

若御下向遊ばされ候ては天下囂然の節、虚に乗じ万一為謀計者も計り難く候。

 次は同じく17巻から、「蘭学事始」(杉田玄白著・緒方富雄訳)を読む。菊池寛の小説「蘭学事始」や、関連する吉村昭の小説「冬の鷹」は読んだことがあるが、はたしてこちらはどうだろう。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻を読みはじめ、最初の「日本文化史研究」(内藤虎次郎著)を往きの通勤電車の中で読み終わった。秋葉原での乗り換え前、仲御徒町の駅辺りであったか。

 著者の内藤虎次郎は戦前に活躍した中国学者である。本文中で何か所も「日本史については私は専門外である」という意味のことを言っているが、その実、東洋文化に関する幅広い視点から日本史を俯瞰し、しかもその通低ぶりたるや、日本史専門の学識をはるかに凌駕するものがある。

 本書は日本文化の概観からはじまり、上古時代、奈良~飛鳥、天平、平安、鎌倉、室町、応仁の乱、江戸や大阪の文化、維新史、日本の自然の風景など、さまざまな部分を取り上げてこれに評論を加えるもので、この巻544ページのうちの216ページを占める大著である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「日本文化史研究」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.210より
輸入風景観の堕落

 最近我邦では西洋文化を受入れることになつてからその画法をも伝へるやうになつたが、西洋画を習ひはじめる時に先づ最も感心するのは透視法の応用であつて、これは我邦のみならず、支那においても康熙、乾隆頃、西洋画からして同じやうな影響を受けた。我邦の司馬江漢等の心酔したのもこの点であつたが、その実、西洋の風景画はこれを支那画に比べると極めて幼稚なもので、十六七世紀頃に盛んになつたオランダ派等の風景画でも、支那でいへば十一世紀乃至十三世紀頃の董源、郭熙等のかいた平遠なる風景の画法を好んで用ひるに過ぎない。自己精神を象徴すべくゑがゝれた風景画の起つたのは、最近七八十年この方のことで、その以前の風景画は大部分説明的な、日本でいへば「名勝図会」の挿絵ぐらゐの程度のものが多い。もつとも部分的なスケツチにおいては特種な長所があり、或は又岩とか波とか霧とか光線とかいふやうなものを特別にうまくゑがいたものはある。しかし支那風な構成的な画法においてはその特別な長所が応用せられないところから、西洋風景画の輸入は我風景観に大した影響を与へなかつた。もつとも最近において登山といふことが一種の流行になつたところから、日本の風景に好んで西洋の出店のやうな名称を用ひ、「日本アルプス」「日本ライン」とかいふやうなことが盛んに唱へられるが、それらは多くは詩的若しくは絵画的な芸術眼を必ずしも備へないで地理学、地質学のやうな科学的知識をなまかじりした登山家によつて風景が紹介されるので、素人趣味としても到底芸術的雅趣にはならぬ見方を以て風景を批評するやうな風が起つて来てゐる。一部画家等は又この新流行の悪趣味に捉はれて、如何に風景を画中にとり入れるべきかの考へもなく、たゞ登山家が見て感心するやうな見処をそのまゝ画にしようとつとめて、つまらない失敗を重ねるものが多い。これは実に風景観に関する古来未曾有の堕落といつてもよいのである。

これらの見方は西洋趣味といつても、西洋の芸術家の見方を理解してゐるでもなく、単に西洋風な名目にかぶれて、写真で見た山岳とか渓谷とかの風景で、我邦においてそれに類似したものを拾ひ出して、世界的の景色などと称するに過ぎない。そのいはゆる世界的といふのは、西洋の非芸術家の悪趣味に近いものを日本で見出すだけのことで、日本における特有の景色で他の国にないやうなものを、芸術的にも或は非芸術的にも見出すでもなく、又前にもいつた広重などの如く、読書人階級の趣味以外に新らしき風景の見方を見出すでもなく、或は又蕪村などの如く支那風の手法を用ひながら、日本の或地方において自分の個性で見出した風景を写し出すやうなこともなく、単に新時代において流行的にありふれた景色に心酔してゐるに過ぎない。風景観として最も排斥しなければならぬのはこれらの悪趣味である。

 上の部分は本書の最後のほうに置かれた「日本風景観」という章の一部であるが、もう、似非西洋趣味を排撃してコテンパンである。

言葉

 本書は明治~昭和の初期にかけての戦前の評論なので、古い字づらの言葉が多かった。

動もすれば

 これで「(やや)もすれば」と()む。

下線太字は佐藤俊夫による。p.19より

……外国の材料に依つて研究することは、動もすれば記録の不確実なる朝鮮の歴史から推究さるゝことは寛容しながら、……

 「あと」である。

  •  (モジナビ)
p.22より

……その分布のは近来に至つてますます明瞭になつて来た。

琅玕

 「琅玕(ろうかん)」と読み、碧の宝玉のことである。

p.23より

……恐らく日本人の愛好するが為に特別に製造して輸入したらしく思はるゝ琅玕の勾玉等を見、……

和栲

 これで「和栲(にきたえ)」と訓む。織の細かな布のことである。

p.23より

……当時恐らく日本人は之を以て和栲と称して居つたかと思はるゝので、……

諄い

 「(くど)い」である。「諄々」と書いて「くどくど」と訓む使い方もある。

p.28より

……それまでやりますと余り諄くなりますからやめて置きますが、……

臨菑

 「(リン)()」と読み、中国の地名である。

p.37より

……天主といふものは斉の国の都、臨菑といふ所でありますが、……

竟に

 「(つい)に」と訓む。同じ意味・訓みで「遂に」「終に」などがあるが、「遂に」などがより一般的ではあろう。

p.59より

さういふ関係から日本文化が東洋において、どういふ径路を経て、竟に東洋文化の中心になるか、今日既になりつゝあると思ふのでありますが、……

曩きに

 「()きに」と訓み、「先だって」の意味での「先に」と同じである。

p.75より

……例へば顧凱之の女史箴の巻中にあります人物、其外曩きに日本へ一度来たことがありましたが、買手がないので持つて帰つた閻立本の帝王図巻の人物の姿勢がやはり流動式姿勢を持つてゐます。

摹本

 「()(ほん)」であり、「模本」と同じ意味、すなわち複製のことである。

p.76より

張萱の画はボストンの博物館に宋の徽宗の摹本がありまして、……

態々

 「態々(わざわざ)」と訓む。

p.96より

是は私のやうな別に真言宗の信者でもなく、弘法大師の研究者でもない者が、こんな厚い六冊もある本を何故に態々写して置かなければならぬ程のものかと云ふことを申せば、……

迚も

 「(とて)も」と訓む。

p.99より

私は迚も其処までは研究が届いては居りませぬ。

弥る

 「(わた)る」と訓む。

p.113より

閻立本は唐初の人にして、此等各帝王の時代は数百年に弥れるを以て此等肖像は単に想像によりて画きしものならんとの疑を生ずれども、……

縉紳

 「縉紳(しんしん)」と読み、身分が高く立派な人のことである。「紳士」と同じようなものと思えばよかろう。「縉」は訓読みでは「(さしはさ)む」で、「笏を帯に挟む」意味があり、そのことから身分の高さを言うようである。

  •  縉紳(コトバンク)
  •  (漢字ペディア)
p.120より

……身分高き中央縉紳の生活を模倣せんことを欲求する風盛んとなり、……

滋〻

 「滋〻(ますます)」と訓む。ネット上には「滋〻」での訓みや意味はヒットしないが、用例として「法令(ほうれい)滋々(ますます)(あきら)かにして盗賊(とうぞく)多く有り」などというものが見つかる。「滋」という字には「ふえる・ます」という意味があるので、このように訓むのである。

p.121より

支那肖像画の流行は、唐以来滋〻盛んにして、士大夫の間まで拡がり、……

却々

 「却々(なかなか)」である。仮名で「なかなか」と書く場合と意味は同じである。

p.132より

却々面白い。

暹羅国

 「(せん)()(こく)」と読む。「暹羅」とだけ書けば「シャム」と訓み、言うまでもなくこれは現在のタイ付近のことである。今も「日」「米」「英」などと同じく、タイのことを一字のみで表す場合に、古い書き方では「暹」とする場合がある。

p.143より

羅斛は今日の暹羅国の一部分であつて、支那の元代に出来た島夷志略には……

纔に

 なんて難しい字を書くことだろう。拡大すると「纔」で、訓みは「(わずか)に」である。

  •  (コトバンク)
p.181より

……纔に百余年前にその国訓の附いた文字だけの抄録本が先づ世に行はれたが、……

幽邃

 「幽邃(ゆうすい)」と読む。奥深く静かなことを言う。

p.203より

道教の方からいへば、支那で最も風景の幽邃なところを三十六洞天、七十二福地などゝいふ風に選定して、……

峰巒

 「峰巒(ほうらん)」と読む。単純に山岳の峰のことを言う。「巒」は「やまなみ」を表す字である。

  •  峰巒(コトバンク)
  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.210より。

……山の(みゃく)(らく)、水の原委を峰巒樹石の間に見え隠れにゑがくといふことなどは、初めは最も新しい手法であらうが、……

 次は同じく17巻から、「黒船前後」(服部()(そう)著)を読む。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第16巻の三つ目、「歴史とは何か」(G.チャイルド Vere Gordon Childe著・ねず まさし訳)、本文を往きの通勤電車の中で、解説を帰りの通勤電車の中で読み終わった。

 著者のチャイルドはオーストラリアの学者で、「マルクス主義考古学」なる変わった学問の提唱者である。

 本書は、歴史をさまざまな学問の分野から見るとき、例えば工業技術の歴史から見るとき、あるいは文字から文学への変遷の歴史から見るとき、また宗教史から見るときなど、様々な角度からどのように歴史を読み解くことができるかを論じている。結論に近づいていくにつれて、結局は次第にマルクス主義礼讃の筆致へと傾いていくが、そこが難点と言える。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第16巻「歴史とは何か」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.574より

 旧石器時代の狩人は、マンモス狩りのときには自分の一族の助けを必要とした、もっとも当時の装備があまりに貧弱であって、孤立している個人では、マンモスの群れを向こうにまわして大したこともできなかった、という事情にもよるのである。近代のライフル銃一(ちょう)をもっていれば、ヨーロッパ人ひとりでも、やすやすとゾウをうつことができるし、この点に関するかぎり、彼は旧石器時代の祖先よりも独立しているのである。ところが、この狩りをするときにもっている独立性たるや、彼が猟銃や弾薬の生産と分配に従事するすべての人々に依存しているために、得られたわけである。狩人として石器時代の未開人よりもすぐれた資格をもたせる、ただひとつのこの道具を手にいれるためには、彼はこれらの未知の人たちすべてとの間に、人間としての関係ではなくて、また自分の意思とも関係のない関係をむすばなければならなかった。

p.582より

 また「人間は自分の歴史を作るとはいえ、それは共同計画にしたがって共通の意思によるのではない、それどころか、ひとつの特定の構成をもつ社会のなかでつくられるのでもない。万人の努力は衝突する。そしてまさにこのゆえにこそ、こういった社会はすべて必然性によって支配されるのである。この必然性は偶然によって補なわれ、また偶然という形をとって出現するのである」(エンゲルス「シュタルケンベルクへの手紙」、選集、英語版三九二ページ――著者注)

 この部分などは、全体主義、結束、一本化、統一といったことと対極にあるものの考え方を示していると思う。

 次は第17巻である。第17巻は日本の著作ばかりで、「日本文化史研究」(内藤虎次郎著)「黒船前後」(服部之総著)「蘭学事始」(杉田玄白著)「おらんだ正月」(森銑三著)の四つである。

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