終戦記念日

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 暦の上では既に初秋とは言うものの、依然暑さは厳しい。家々の百日紅(さるすべり)の鮮やかな赤や紫、大きな向日葵(ひまわり)の黄色と緑がくっきりと際立って、さながら濃い味の果物でも食べたかのように目に()みる。だが、近づいてくる台風10号の影響か、今日は曇りだ。流れの速い雲と一緒に風が吹き過ぎていくと、その中の匂いになにやら秋の濃くなるのが感じられる。

 今日は終戦記念日である。自宅に半旗を掲げる。

 長年の習慣で、終戦記念日は靖国神社へ参拝に行くことにしている。長年、と言っても、20年にはならない。私が東京勤めになったのは20年前、平成11年のことだが、参拝は東京勤めになってしばらくしてから始めたことだ。だから、15~6年ほどは参拝していることになろうか。仕事があって参拝出来なかった年もあったが、そんな年は別の日に参拝している。

 靖国神社は英霊を顕彰するところだ。これはなにも(さき)の大戦の戦没者のみに限ったものではなく、日清・日露の役は当然、事件・事変・紛争は勿論、明治維新の志士、知られているところでは坂本龍馬なども祀られている。また当然ながら、当時は日本国籍を有する正当な日本人であった朝鮮人の軍人も、多く祀られ顕彰されている。

 加うるに、あまり知られていないが、日本の軍人のみならず、世界の戦没者をも鎮霊している。正面の大鳥居からではなく、靖国通りを西(市ヶ谷駅方向)へいくと、社域の中ほどに「南門」という鳥居がある。その近くにひっそりとある「鎮霊社」に、こうした世界の戦没者が祀られている。

 したがって、靖国神社を参拝するに当たり、何も(さき)の大戦の終戦記念日である8月15日にこだわる必要は、ないと言えば、まあ、ない。

 例えば(さき)の大戦の講和条約(いわゆるサンフランシスコ講和条約)の署名日(9月8日)や発効日(4月28日)、つまり日本が占領の(くびき)と屈辱から晴れて解放された日に英霊を顕彰するのも、一つのスタイルであり、また見識でもあると思う。他に、春・秋の例大祭に参拝するというのもあるし、「みたま祭り」に一灯を奉納する方法もあろう。親類縁者が英霊となられている方は、その亡くなった日に参拝される方もあるだろうし、あるいは近親の英霊が招魂・合祀された日に参拝されるのも、当然の方法である。

 もっと言えば、英霊の顕彰は、自宅で心に深くそれを思うことでも可能である。玄関先に出て靖国の祭神を念じて遥拝してもよい。しかも、1年365日、いついかなるときでもそうしてよいのだ。

 8月15日の靖国神社境内の雰囲気を嫌うゆえ、8月15日にはあえて参拝しない、という人もいる。つまり、「軍人としての訓練や体験を経てきたわけでもない(やから)が、許可されてもいない軍装に身を包み、拝命したわけでもない階級章など勝手に着けて『軍人ごっこ』を楽しんでいる」というわけだ。実のところ、私もそう思っている。退役軍人や戦友会関係者、つまり本物の軍人であった方々が当時の金鵄勲章を佩用したり、思い出の軍帽を(かぶ)ってきた、とでもいうのなら、これは当然あってしかるべきことと思う。だが、誰がどう見ても軍人とは言えないような緊張感のない体つき、肥満、だらしなく伸ばした長髪、陽に灼かれたことなどないであろう生白い頬をした連中がいわゆる「コスプレ」をやっているのなど、とてものことに正視に耐えるものではない。軍刀を反対向きに吊ってみたり、兵長が略綬を4段も5段も着けていたり、気違い沙汰である。中にはドイツのナチ党員の扮装をして来る者や、場違いにも陸上自衛隊の作業服を着て、厚顔無恥に陸曹の階級章を着けている者までいる。そのしわくちゃの作業服、汚い半長靴、髭面、長髪などから、その者が現職自衛官などでは到底ありえず、公務員の称号詐称・標章等窃用(せつよう)の、軽犯罪の現行犯であることは、見る人が見れば一目でわかってしまう。そんな終戦記念日の靖国神社が嫌だ、という気持ちは、私にも多少理解できる。

 しかも最近の終戦記念日の、大鳥居から地下鉄九段下駅までの状況ときたらどうだ。チベットの救済や、中国の宗教結社の保護を訴える国外勢力、あるいは胡散臭い政治結社の宣伝場と化しているではないか。言いたいことはわからぬでもないが、中共によるチベットや法輪功の弾圧と英霊の顕彰は簡単に短絡はできない。いや、はっきり言えば無関係だ。

 そして、上に縷々(るる)挙げた物的・精神的両面にわたる様々な考慮事項が多くあることに加え、一面からの見方ではあるが、8月15日は敗戦の忌日であることも否めない。

 だがしかし、それでもなお私は、長年にわたり終戦記念日に靖国神社を参拝してきた。

 なんとなら、8月15日は、昭和聖帝の英慮を奉じ、終戦の断を(かしこ)うした日だからだ。それはつまり、日本の国の在り方を明治体制から大きく変革すべく、これ以上ないというほどの破壊の底からスタートを切った日である、ということだからだ。

 顧みるに、わが国が、終戦後43年有余の長きにわたった昭和の光陰は勿論、平成の30年の幾星霜をも経てなお他国と干戈を(まじ)ゆることなく平和を堅持してきた、その起点が、今日、終戦記念日の8月15日なのだ。靖国神社に祀られている246万6千余柱の英霊が、あげて国家守護の鎮石(しずめいし)となり(たも)うて、ついに平和を獲得できたその日が、今日、8月15日なのだ。

 英霊は、きっとそのことを受け止めたい筈だ。そう思いたい。だから私は、やはり終戦記念日に靖国神社を参拝するのである。

 A級戦犯の合祀云々としつこく言い(つの)る輩がなかなか減らないが、戦犯がどうとか言う者はまず国会議事録で昭和28年(1958)年の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案」でも読んでみて、その背景と経緯について考えてみてはどうかと思う。「昭和天皇がA級戦犯合祀を厭われた」などという俗説がまかり通っているが、その出どころもよく確かめた方がよい。側近の走り書きメモに過ぎず、昭和聖帝の発言を記録したものであるかどうかも不明であるものを、朝日新聞(なんど)が「ほらみろ」とばかりに書きたてただけだということが見えてもこよう。

 「A級戦犯」の「A」というのを、「より重罪の、エース級の悪人だ!」などと思い込んでいる向きもあろうかと思うが、このネット時代、少し検索すれば、これも誤りであることがわかる。誰にでもできることだから、その詳細をここにくだくだしく書くことはすまい。

 戦争犯罪が気に障るなら、東京大空襲・都市無差別爆撃の明確な戦争犯罪人であるカーチス・ルメイ大将に対して、日本が恩讐を越えて贈った勲一等旭日大綬章にどのような心が込められているか、建前(たてまえ)だけではなく、その精神について長考してみては如何か。更に、マンハッタン計画の推進者であるオッペンハイマーだの稀代の物理学者アインシュタインだの天才フォン・ノイマンだの、広島・長崎にかかわる多くの重要な登場人物について、自分の精神で評価してみたらどうだろう。ひいては、平成28年(2016)、当時のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマを広島の爆心地に招致したその意味と心を味わってみたらどうだろう。彼らの「罪」とは、一体なんだろう。

 書いたところで(せん)無きことながら、アジア諸国の感情云々と言うなら、遠く黒船来寇や、更に(さかのぼ)るゴローニン事件の顛末がどのように日本の安全保障につながっていったのか、ひいてはそれがどのように戦争の世紀へつながっていったのか、中国や朝鮮半島のみならず、アジアの諸国のほとんどが、実態として日本の安全保障上頼みとするのにどれほど心細く情けなく、もっと言うなら清朝中国や李氏朝鮮がどれほど無責任極まる状態であったのか、そのために、細い足腰に鞭打って、日本人がどんな無理を重ねなければならなかったのか、よくよく考えてみればよい。

 年々、政治家や閣僚が終戦記念日に靖国神社を参拝しなくなっていっているのは、(なさけ)ないという他ない。一体、誰の命のおかげで享受できている平和か、などと言いたくもなる。しかし、外交上の無用の騒乱(そうらん)軋轢(あつれき)、政教分離原則との整理の仕方、またテロを避けるための警備上のことなど、処理の難しい現実上の問題も山積しているのであろうから、もはやこのことも批判するまい。ましてや御親拝のことなど、(おそ)れ多いことである。

 だからこそ、私のような貧者、無名の一個人が、終戦記念日に、なんの批判も受けずに堂々と参拝することには少しばかりとはいえ意味もあろう。私如きサイレント・マジョリティが参拝者の一人として数え上げられ、統計上の数字になることは、いわば選挙の一票のようなものだ。私と同じく、もの言わぬ黙々たるどなたかが、九段下の駅や大鳥居の下や境内の片隅で、カチリと数取機のスイッチを押してくれるだろう。

 さて、そんなわけで今日は、例年と違って相当朝早く出かけた。さすがに空いている。

 やはり、静謐に参拝するためには、朝8時前に来た方がよい。

 粛々たる気持ちで参拝する。

 参拝後、いつもは立ち寄らない「鎮霊社」のほうにも回ってみた。

 しかし、事前に情報を得ていたところではあるが、数年前に爆破未遂事件を起こした韓国人テロリストのせいで立ち入りが制限され、参拝できないようになっていた。

 少し離れたところから遥拝して代わりにする。

 左の写真は立ち入ることのできるぎりぎりのところまで寄って撮った写真だ。わかりにくいが、画面の奥の柵の向こうに鎮霊社がある。私が来た時には、ちょうど二人の神職が拝礼しているところであった。

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 今年は千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも立ち寄ってみることにした。ここは軍人・軍属にとどまらず、戦難に殉じた多くの方々を祀るところである。靖国神社からは歩いて5分ほどだ。千鳥ヶ淵を左に見て、お堀端に沿って歩いていけばすぐ右手にある。

 誰でも献花・焼香できる。献花は一輪100円である。

 心から合掌・黙祷(もくとう)し、魂安かれと祈る。

 それから靖国神社へ引き返し、遊就館を拝観する。

 今年は御創建150年の記念の年であるため、特別展も150年にちなんだものをやっている。

 常設展示は何度も見ているが、改めてじっくり見る。3時間ほどかけた。

 そうするうち、武道館の全国戦没者追悼式の様子が館内放送される。天皇陛下御光臨、国歌斉唱の後、まず安倍総理の式辞がある。

 それから黙祷(もくとう)の案内があり、正午となる。館内はみな自然と(こうべ)を垂れ、粛々と黙祷する。

 黙祷のあと、天皇陛下の御聖旨を拝する。

 全国戦没者追悼式が終わったあたりでちょうど常設展を全部見終わり、特別展の方をじっくりと見た。

スライドショーには JavaScript が必要です。

 遊就館を出て、社殿の裏にある庭を散策した。これは「神池庭園」と言い、小さな滝があり、錦鯉が飼われている。茶室があるが、茶室の建物は、戦前、いわゆる「靖国刀」の鍛冶場があったところだそうである。

 庭園から社殿の方へ戻り、歩きながら掲示物をぼんやり見ていたら、御創建150年記念奉賛事業ということで、一口5千円を募っていることが分かった。1年限定で奉賛会員扱いしてくれるという。一口奉賛させてもらうことにして参集殿へ申し込みに行った。

 参集殿に入ろうとしたら、上がり框の、人々の邪魔になるところに、何だか知らない代議士とその取り巻きが幟を幾つも押し立ててうろうろしている。入り口の狭いところに陣取って、巨体で人を押しのけるので、迷惑極まった。名前も知らない代議士だ。腹が立ったので今ここに名前を書いてやろうとしたが、名前を忘れてしまった。終戦記念日に参拝は結構なことだが、時と所もあろうに派手な白い背広など着て来て、周りを睥睨(へいげい)し、うろつき回って迷惑をかけ、(あまつさ)え一般の参拝客を押しのけて、一体どういうつもりか、神経を疑った。なんにせよ、名前を思い出すと不快だから、忘れてしまってよかったと思う。

 そんなことはあったものの、5千円を払い込み、御創建150年奉賛事業に一口のることができた。

 奉賛記念ということで、お茶を一袋頂戴した。写真の右下に写っているのがそれで、掛川の深蒸し茶だそうだ。

 ほどほどに疲れ、帰宅した。

読書

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 「ポーツマスの旗」を読み終わる。読書は通勤電車内の楽しみだ。

 それほどの大著でもなかったが、読み始めてみると案外に味わい深かった。10日ほどかけてじっくり読んだ。

 主題は「ポーツマス講和会議」だ。これは日露戦争の講和会議である。だが、それを主題としながら、その中に全権外務大臣・小村寿太郎の人間像が活き活きと描き出されている。

 名作だと思う。

 吉村昭の作品はこういうところがあるから、好きだ。歴史的大事件を描きながら、その中心人物に焦点をあて、苦悩や喜びを浮き彫りにしていく。

 この作品で描き出されている小村寿太郎は、一言で言えば、「相当な変人」である。だが、その短小矮躯に秘められた、叡智というのでもない、情熱と言うのでもない、単なる官僚的生真面目さと言うのでもなく、まさか侠客(きょうかく)的な短慮(たんりょ)猪突(ちょとつ)でもない、つまり冷血でもなければ熱血でもないのに読者を()き付けて()まない不思議な魂の魅力が浮彫りにされていく。苦悩の実務家なのであるが、糞真面目でもなく、むしろ享楽に身を(ひた)しがちであるにもかかわらず面倒臭い社交には打ち込めない、そうした人間の中の人間、実在の中の実在を見事に描き出すことに成功していると言えようか。

 さて、「ポーツマスの旗」を読み終わったので、その次の読み物をもとめるべく図書館に立ち寄る。

 なんとなく、また吉村昭の棚へ行き、今度は「闇を裂く道」を手に取る。丹那トンネルの建設を描いた小説だ。

 吉村昭の作品のうち、これまでに読んだ中で好きなものを挙げよと言われれば、なんと言ってもやはり「高熱隧道」がその一つに挙げられる。戦前の黒部峡谷におけるトンネル開削を描いたものだ。

 吉村昭の筆致で同じような作品を読んでみたいと思っていたが、この「闇を裂く道」を知らなかった。これは同じ「トンネル系」の話である。興味深く読み始める。

読書

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 越谷市立図書館南部分室へ仕事の帰りにひょいと入る。平土日祝問わず、21時まで開いているのはまことに有り難い。

 吉村昭の小説を借りる。「ポーツマスの旗」。

 日露戦争当時の外務大臣、小村寿太郎が主人公だ。

プログラミング言語「R」で遊ぶ

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 プログラミング言語「R」というものを知る。

 恥ずかしながら不肖この佐藤、これまで数多くのプログラミング言語を扱ってきたし、10種やそこらはゆうに越える種類のプログラミング言語で実用にかなうプログラムを書き、実際に使用もしてきた。また自らプログラミングしたことがないいろいろな種類の言語でも、その名前や特性、出所来歴は知っている。…つもりでいた。

 迂闊であった。

 この「R」という言語など、まったく全然、少しもちっとも、知らなかった。知ったのは一昨日である。

 なぜ知ったのかというと、マルコフ決定について学ばなければならず、それにはマルコフ連鎖をわきまえなければならない。マルコフ連鎖について書かれたサイトを渉猟していると、「ここをRで説明すると…」などとして説明しているサイトに行き当たった。ナニ、Rで説明だと!?Rて何だ?知らん。聞いたことがない。

 さてそういうわけで、さっそくRのバイナリをダウンロードしてインストールし、試す。オープンソースにしてフリーであり、お金はかからない。Linux/Windows/Macと、色々な種類の計算機で動く。Windows用バイナリは次のURLにある。

 Rは統計解析に向く言語で、Rという言語仕様そのものよりも、そのインタプリタ風実行環境――かつてのBASICに似ている――全体を含めて、統計処理がしやすく作られている。コンソールにコマンドを打ち込んでいくだけですぐに結果が得られる。電卓代わりに使うだけでもなかなか便利だ。

 ふと思いついて、このRと、「ランチェスターの2次則」で土曜日の昼下がりを遊んでみようか、という気になる。

 ランチェスターの2次則は、オペレーションズ・リサーチの古典理論として知られている。もともとはイギリスの技術者ランチェスターが、まだ飛行機が戦力として有望でない第一次大戦の時代に、将来飛行機が大量に使用されるときの損耗の推移を考察・研究し、発表した軍事理論である。

 歴史上のさまざまな戦争の戦闘経過をこの公式にあてはめると、まるで嘘じゃないかというほどよく合致するので、オペレーションズ・リサーチの分野でよく知られ、いまなお良く使用されている。日本では企業の競争などのモデルに使われており、これが実は軍事理論であるとは知らない人も多い。

 式は実に簡単だ。

{B_0} ^ 2 - {B_t} ^ 2 = E({R_0} ^ 2 - {R_t} ^ 2)
 ここに、

B : 青軍

R : 赤軍

B_0, R_0 : 青・赤両軍の最初の兵力

B_t, R_t : ある同じ時点での青・赤両軍の残存兵力

E : 兵力の質の比。赤軍の質が青の倍であれば2、半分であれば0.5。

 まことに単純きわまる。何の疑問もない式だ。「E」が1.0のとき、それぞれ全く同じ人数の青、赤両軍が全員で殺し合いをすれば、双方とも等しく損耗し、同時に全滅する。しかし、兵力に差があると、その差に「自乗」が作用し、思っているよりも損耗差が大きく開いていく、という式だ。

 ここで「だから戦争はしてはいかんのだ」と脱線するのもなかなか楽しそうだが、今日は脱線しない(笑)。

 式を変形すると、例えば、

B_t = \sqrt{{B_0}^2 - E({R_0}^2 - {R_t}^2)}

 などという、まことに楽しげな式ができる。ここで、赤軍(R)が劣軍として、R_tにゼロを代入し、B_0R_0に開戦時の兵力を入れれば、赤軍が全滅したときに青軍がどれくらい残っているか、ということが見積もれるのである。また、

E=\cfrac{{B_0}^2 - {B_t}^2}{{R_0}^2 - {R_t}^2}

 とすると、例えば兵力が足りない側が、どれくらい優れた兵器を持たなければならないか、ということが簡単に見積もれる。

 ランチェスターの2次則はほかにもいろいろとイジりがいのある理論で、たとえば「B_t」に関する最初の変形を微分して導関数を出せば、某時点での接線の傾きが求められるから、「傾き1以上」になるときの兵力がいくつか、ということから、「急に敗色が濃厚になってきたのがいつごろか」などというものも計算でき、これがまた、歴史上の色々な戦例に合致したりするから侮れない。

  さて、起動したRのコンソールに、次のように入力する。

> # 関数Bt
> Bt<-function(B0,R0,Rt,E){
+ Bt=sqrt(B0^2-E*(R0^2-Rt^2))
+ Bt
+ }

 これで、ひとつ目の変形、「双方の初期兵力と、赤軍の現在兵力及び双方の兵力の質に応ずる青軍の現在勢力」を求める関数が定義される。
 
 この関数で、実際の勢力の推移を求めよう。Rでは、こんなふうにすると、たちどころに数列が配列に格納される。

> Bts<-Bt(100, 80, 80:0, 1.0)

 これで、劣軍勢力が80から0になるまでの、優軍勢力の推移が配列Btsに格納される。格納された様子を見るには、配列名をタイプするだけでいい。

> Bts
[1] 100.00000 99.20181 98.40732 97.61660 96.82975 96.04686 95.26804 94.49339
[9] 93.72300 92.95698 92.19544 91.43850 90.68627 89.93887 89.19641 88.45903
[17] 87.72685 87.00000 86.27862 85.56284 84.85281 84.14868 83.45058 82.75869
[25] 82.07314 81.39410 80.72174 80.05623 79.39773 78.74643 78.10250 77.46612
[33] 76.83749 76.21680 75.60423 75.00000 74.40430 73.81734 73.23933 72.67049
[41] 72.11103 71.56116 71.02112 70.49113 69.97142 69.46222 68.96376 68.47627
[49] 68.00000 67.53518 67.08204 66.64083 66.21178 65.79514 65.39113 65.00000
[57] 64.62198 64.25730 63.90618 63.56886 63.24555 62.93648 62.64184 62.36185
[65] 62.09670 61.84658 61.61169 61.39218 61.18823 61.00000 60.82763 60.67125
[73] 60.53098 60.40695 60.29925 60.20797 60.13319 60.07495 60.03332 60.00833
[81] 60.00000

 さて、数字の並びを見てもつまらないから、これをグラフにしてみたい。グラフを描くのも、Rでは簡単だ。

> # プロット
> plot(Bt(100, 80, 80:0, 1.0), 80:0, "l", xlim=c(100, 60))

 Btsに値が格納されているなら、

> plot(Bts, 80:0, "l", xlim=c(100, 60))

でよい。そうすると、画像のようなグラフがたちどころに表示される。

 これは、80人対100人で戦って、劣軍(80人)側が全滅したときに優軍(100人)側が何人残るか、というグラフである。「自乗」がよくきき、最初互角に戦っているように見えて、ある時点から急速に80人側が損耗し、80人側が全滅したとき、100人側には60人もの残存兵力があることがわかる。

 そうすると、劣軍のほうは、「量より質」で勝負、ということになるから、先に出た「E」を、互角の損耗になるように求めればよい。Rでは次の如しである。

> # 函数E
> E<-function(B0, Bt, R0, Rt){
+ E<-(B0^2 - Bt^2)/(R0^2 - Rt^2)
+ E
+ }
> E(100, 0, 80, 0)
[1] 1.5625

 最後に出ている、「1.5625」、約1.6というのが、劣軍が持たなければならない「質」である。なんでもよい、命中率が1.6倍でも、飛行機のスピードが1.6倍でもよい。しかし、「モノの性能や人の能力が1.6倍」ということがどんなに難しいことか、論じるまでもない。オリンピックのスキー・ジャンプの選手が、相手が100メートル飛ぶところを160メートル飛ぶなどと、そんな途方もない実力差など到底保ち得ないことからも、それはイメージできる。

 ここで、ちょっと、英雄・東郷平八郎元帥を揶揄してみよう。

 日本海海戦にみごとな勝利をおさめた元帥が、戦後聯合艦隊を解散するに当たり、部下幕僚の秋山真之をして起案せしめた名文に、「聯合艦隊解散之辞」がある。その中の一節は不朽の名文として後世に残る。

(前略)
而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲()く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを(さと)らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。
(後略)

 さて、では、100対1の勝負、そして100門側の命中率は100発中1発命中、すなわち0.01、かたやは100発中100発命中、というからにはすなわちこれは1.0であり、その性能比は100になんなんとする。

 では、これを、Rを使って確かめてみよう。100対1だとグラフにしにくいから、1000対10にする。

> Bts<-Bt(1000, 10, 10:0, 100.0)
> Bts
[1] 1000.0000 999.0495 998.1984 997.4467 996.7949 996.2429 995.7911 995.4396
[9] 995.1884 995.0377 994.9874

…あっれ~…。どうも、ヘンだぞ、この数字は(笑)。グラフにしてみよう。

> plot(Bts, 10:0, "l", xlim=c(1000, 994))

 ……ダメじゃん。全然。東郷さん、相手を5門もやっつけないうちに、10門、全滅してんじゃん。秒殺じゃん。っていうか、これ、瞬殺のレベルでしょ。

 秋山真之~ッ!!ウソ書くな~ッ(笑)。

 じゃあ、なんで、日本海海戦に、弱い日本が勝てたの?どうしてどうして!?

 ……これは皆さん、実は日本海軍は当時劣勢海軍などではなかったのだ。ユダヤ商人からなりふりかまわず借金しまくり、戦闘艦艇を買いあさり、乾坤一擲の大勢力を作り上げていたのだ。これらはあげて一丸となってバルチック艦隊に襲いかかっている。

 数において劣り、かつアフリカ回り、インド洋、南洋回り航路を遠路はるばるやってきて、疲弊しきっているバルチック艦隊を容赦なく待ち伏せ、さながら弱い者イジメのように袋叩きにしたという歴史的事実は知る人ぞ知るところである。そして、日本がそのためにした借金を返し終わるのに、実に82年後の昭和61年(1986)までかかっているのも、よく知られている。

 「『数において劣る』だって!?いや、たしか、艦艇の数は互角だったんじゃなかったっけ?」

……と、詳しい向きは言うかもしれない。だが、双方の主要な火力であった15サンチ砲の門数だけを見ると、聯合艦隊204門に対してバルチック艦隊152門で、聯合艦隊が(まさ)るのだ。これをRに入れてみると、

> Bts<-Bt(204, 152, 152:0, 1.0)
> Bts
[1] 204.0000 203.2560 202.5142 201.7746 201.0373 200.3023 199.5695 198.8391
~中略~
[153] 136.0588
> plot(Bts, 152:0, "l", xlim=c(200, 133))

 バルチック艦隊全滅時点で、聯合艦隊はまだ半分以上、136門の火力が残存しているのである。聯合艦隊の全艦艇は91隻、平均すると一隻につき2門の15サンチ砲を積んでいたことになるから、その片砲を失っていても、まだ船自体は沈まない。だから東郷平八郎が、「数に劣る日本軍は、腕前と作戦で勝った」と言っているのは、ウソなのである。数で押しまくり、バルチック艦隊を袋叩きにしただけだ。

 さておき、この「東郷平八郎・ランチェスター検証ネタ」は、私・佐藤のオリジナル着目ではない。オペレーションズ・リサーチの専門家の間ではよくネタとして取り上げられるものであることを断っておく。また、恐ろしい戦争で、恐怖に耐えて一生懸命に戦った下士官兵たちを、「よくやった!お前たちの精神力がまさっていたから、勝った!!だが油断するなよ!」と、提督として元気付けている類の話を、数字の計算だけを論拠にウソだなどと言い立てることは、必ずしも正しいことではないと、漏れなく付言しておきたい。

 さて、ここまでならExcelなどでも簡単にできることだ。ひとつ、Excelではちょっと難しい量の数字を、この面白そうな「R」言語に、叩き込んでみようではないか。

お題:「13億4千万の中国人と、1億3千万の日本人が全員で殺し合いをする」

…いや、これ、計算する前から結果は見えてるんですけど(笑)、そうじゃなくて、まあ、デケぇ数字でもRは扱えまっせ、というところを試したいのである。 このお題、エクセルで兵力の推移などを表で見ようとすると、人口が多すぎて、行数が足りなくなったりするからだ。

> Bts<-Bt(1340000000, 130000000, 130000000:0, 1.0)
エラー: サイズ 991.8 Mb のベクトルを割り当てることができません

…ありゃ(笑)。さすがに13億とか1億3千万とか配列に入れると、チトムリだったみたいだ。一桁減らそう。

> Bts<-Bt(134000000, 13000000, 13000000:0, 1.0)

 サクッと配列に表が格納される。プロットしてみよう。

> plot(Bts, 13000000:0, "l", xlim=c(134000000, 133300000))

 中国側が13億4千万から、13億3千万にまで減らない間に、日本はゼロ人。1億3千万人が全滅である。

 では、ハイテク兵器などで武装して、量より質でがんばりましょう、としたとき、日本はどれほどの命中率、どれほどのスピード、どれほどの爆発力、どれほどの優れた人材を備えて、はじめて互角になるでしょうか、という数字が…

> E(1340000000, 0, 130000000, 0)
[1] 106.2485

…となる。106倍。

 そんな、アンタね(笑)。中国の兵隊の知能指数が日本の100分の1であるとか、日本の飛行機が中国の飛行機の100倍のスピードで飛ぶとか、そんなのムリに決まってる。中国軍の100倍の厳しい訓練を自衛隊がしたって、100倍の能力にはならないのだ。

 さて、これが今日の昼下がりの、「R」を使った、ちょっとした暗いお遊びでございました。どっとはらい。