ラズパイ・Android

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 ほほ~……。

 というか、今まで、なかったんだ、という気もする。それを不思議とも思ってなかった。ラズパイは携帯電話やタブレットのハードウェアに似ていると言われているから、Androidが動くのは不思議ではないはずではある。

語彙力を

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 ああ、いいねえ、コレ(笑)。

雑感少々

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プロ

 「佐藤プロ~、ちょっと」と呼びかけられたので、「いや、プロだなんてそんな、よしてくださいよ」と謙遜したら、「何勘違いしてるの、プロレタリアートでしょ」と真顔で言われ、腹が立つという想像をした。

 ……想像かい。

空目

 「サイバー攻撃露が関与」という新聞の見出しを遠くから瞥見(べっけん)して、「サイバー攻撃霞が関?」と見間違え、また何かあったんかい……!と身構えたが、老眼と思い込みによる空目(ソラメ)だった。

言い換えの猥褻(わいせつ)

 昔から言われていることで、言い古されてもはや口にもしたくなく、文章に綴りたくもない飽き飽きした言い分だが。

 戦争への忌避感による軍事用語の言い換え、つまり、「軍事」を「安全保障」、「戦争研究」を「平和研究」、「戦闘」を「防衛」、「歩兵」を「普通科」……挙げていけばもうエンエンとキリがないが、これは猥褻である。

 猥褻。読んで字のごとく、ワイセツだ。

 つまり、「モザイクのかかったエロビデオ」を見ている感じがするのである。クッキリと写り込んだ違法ノーカットエロビデオよりも、余計にいろいろと妄想していやらしい。実際のところ、あんまりにもアケスケにクッキリ写ったのは、ちょっとした不潔感もあって多少こっちも辟易(へきえき)するが、モザイクのかかったソレはこちらの(あきた)りなさもあって脳内で勝手に清潔化され、かえって助平(スケベ)であり、いやらしいのである。

 軍事用語の言い換えも同じことだ。

 「戦争」を「平和」と言い換えてモザイク隠しにするものだから、もう、よけいにあんな戦争やこんな軍事……、とあれこれ考えが巡ってしまい、平和だの安全だの言えば言う程かえって危険で、漂うバイオレンスの香りがオトコノコを()き付け、暴走させてしまうのだ、だから猥褻だと言うんだ。

潘基文(ばんきぶん)

 ほんと、韓国人ってのも、トホホだよなあ。取り巻き連中が有力者の足を引っ張るわけだ。

 朴槿恵(ぼくきんけい)にしたって結局はそうだったわけだし、歴代韓国大統領ほとんど全部、取り巻きが私腹を肥やしたりしてダメになってンだもんな。

 まったく、チャンとしろよ、と。早く秩序を取り戻してくれないと、北朝鮮に向き合う国がなくなっちまうんだよ。韓国70万の陸上兵力は、朝鮮半島の鎮め石として、今後永久に持続してくれないと困る。しかも韓国は、本気を出せば動員令一下150万もの大兵力に膨れ上がる強烈な軍事国家なのだ。あの狭小な国土にそんな高密度の兵力を持て余す韓国軍部が国内情勢を(はかな)んでクーデターなんか起こしてみろ、目も当てられやしない。

 そういう点で、日本の右翼も、単に日韓合意不履行だけを癇癪(かんしゃく)まかせに言い募ってちゃアだめなのさ。連中の軍事力を当て込んで、コッチが楽をする道を考えるンだよ。アイツらをおちょくり誤魔化し操って、日本のために死んでもらうにはどうしたら一番いいのか、方策を必死で考えろ。昔のイギリスみたいに、卑怯に生き延びなくっちゃ、なあ。

三島由紀夫肉声テープ

 亡くなってこんなに経つのに、まだまだ話題性があるんだな、とむしろ不思議に思う。

 丁度世間で憲法問題も色々と取沙汰されている折柄だ。そのことを含みつつこのテープの一部を聴くと、三島が憲法について言っていることはストレートで、純というか、生真面目(きまじめ)というか、戦後70年を経て来た私達には(むし)初心(うぶ)にすら感じられる。

 三島由紀夫の忌日「憂国忌」は11月25日である。彼が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し、割腹自殺を遂げたのは昭和45年(1970)だ。今は防衛省の本庁舎となった市ヶ谷に、旧東部方面総監部庁舎の一部――それは実は旧大本営であり、極東軍事裁判所法廷でもある――が保存されており、そこには三島が斬り付けた刀傷が今も残る。

 三島由紀夫の膨大な作品群は、あと3年ほどで著作権が切れ、ネットなどで読めるようになるだろう。

任天堂

 ……う~ん……。

 まあ、通勤電車で年甲斐もなくゲームに熱中している中年のおっさん・おばはんが持ってるのって、10年ほど前は間違いなく「NINTENDO DS」だったんだが、今は爺・婆がスマホで無料(タダ)の「なんちゃらツムツム」だの「ポケンモンうんたら」だのに熱中しているのがもはや背後風景というか、そういうものになってるもんな。そりゃあ、わざわざカネ払ってゲーム機なんか買わんだろ。ゲーム機の主市場は、実感として、子供じゃなくって爺ィと婆ァなんだもの。

 通勤電車の乗車行列の前の方にゲームに熱中している爺婆がいると、熱中のあまり動き出しが遅く、混雑しているときなど本当に迷惑だったり、ポケモンなんちゃらなんて自動車運転中の使用で死人まで続出しており、その点大人や爺婆のゲームにはいろいろと難癖の付け所が多いが、まあ、それはスマホだろうが任天堂だろうが同じではある。

軍楽隊を育てる

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 パプアニューギニア陸軍の軍楽隊の育成のため、自衛隊から教官を派遣するという。

 能力構築支援にも、まことにいろいろな分野があるものだ、と思う。

 連想するのは、日本が明治時代に招聘(しょうへい)した軍楽教官、フランス陸軍大尉シャルル・ルルーのことである。

 日本も明治維新間もない近代化の過程で大いにヨーロッパ列強の教えを乞い、あらゆる分野で伸長を図った。

 単に「勝つ軍隊」を育成するだけなら、戦術や戦技だけを学び、兵器を輸入し、あるいはその製造法を学べばよいようなものだが、「あらゆる次元で丸ごと取り入れなければ列強に負ける」ということであったのだろうか、海軍などは食事まで洋食に切り替え、帝国陸軍もそれまで畳の上に敷いた布団でしか寝たことのない兵を「ベッド」に寝かせることまで真似た。ついには「軍楽」までもその咀嚼嚥下(そしゃくえんげ)の対象としたのである。

 そのような背景にあって、ルルー大尉はいわゆる「お雇い外国人」として来日し、数年にわたり帝国陸軍軍楽隊を指導した。

 ルルーが作曲した「陸軍分列行進曲」は、今でも陸上自衛隊で儀式などの折に使用されており、他に警察などでも使われている。

 日本への西洋音楽輸入はこのシャルル・ルルーによる陸軍への教育が最初であり、帝国陸軍軍楽隊から波及していく形で日本の西洋音楽が育っていった。

 ともあれ、友邦パプアニューギニアの軍楽隊も、日本から学んで大いに国を発展させてほしいものだ。

黒澤

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 本を読みに国会図書館へ行った。その帰りのことだ。

 最近、国会図書館の帰りには赤坂の室町砂場へ寄ることがほとんどだったのだが、今日はふと違う店に行った。

 衆議院議員会館の裏あたり、山王日枝神社との間の通りにある「黒澤」という店が、前から通り過ぎるたびに気になっていたのだ。

 高い店なのかなあ、と思ったが、表に出してある品書きを見てみると、確かに高いことは高いが、高いメニューばかりではなく、普通程度の値段のものも多くある。

 意を決して入ってみた。

 時間が中途半端なこともあったが、静かで、空いていた。

 まことに清潔な店内で、何か所か床の間風に切り欠かれた壁にかかっている額なども趣味が良い。

 入ってみて知ったのだが、映画監督の故・黒澤明に(ちな)んだ店であるらしい。

 奥の席で肉料理を出す店のようだが、気軽な「蕎麦席」もあり、高いものから安いものまでいろいろと食べられる店であることが分かった。

 蕎麦席に陣取ってみる。酒も肴もいろいろある。

 ともかく、身の丈に合ったところで、秋田の銘酒「春霞」の燗と焼海苔を取ってみた。

 焼き海苔は上等の分厚いものがよく熾った炭櫃(すみびつ)で出される。

 春霞が旨い。

 蕎麦もいろいろな品がある。盃一杯ほど酒が残っている頃おい、「せいろ」かな、とも思ったが、ちょっと気分を変えて、「田舎蕎麦」というのを頼んでみた。濃い色の太打ち蕎麦だ。

 食べごたえがあって、誠に旨かった。

春霞 864円
焼き海苔 648円
田舎蕎麦 756円
2,268円

 値段は安いというほどではないが、さりとてものすごく高いわけでもない。

 清潔で趣味が良く、落ち着いた店内でのんびりと酒と肴が楽しめ、蕎麦も旨く、良い店だった。

回教の新年やクリスマスは

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 去年の今頃から去年の夏ごろまでにかけて、回教に親しもうと、タダで手に入った岩波の「千一夜物語」を読んだものだったが、そういえば、回教では新年はどうなっているんだろう、とふと思い当たった。

 回教圏諸国でも、トルコのように政教分離・世俗主義をとる国もあれば、イランやサウジアラビアのような厳格な国もあって、それぞれでまちまちであるようだ。

 彼らは基本的にイスラム暦を使う。イスラム暦は太陰暦、すなわち月の満ち欠けを基にする暦で、日本の他、アジア各国で使われている「陰暦(旧暦)」と同じである。アジアの陰暦と違う点は、「閏月」を置かないことだ。この結果、イスラム暦では各月が年毎にずれていき、年によって同じ月が同じ季節ではなくなる、というところである。つまり、厳格にイスラム暦を使っている国では、同じ新年・1月と言っても冬の場合もあれば夏の場合もある、という具合である。

 そのこともあってか、ヨーロッパやアメリカのようには新年やクリスマスは祝わないものらしい。「クリスマスはキリストの誕生日だから当然だろ?」という向きもあるかもしれないが、一応回教でもイエス・キリストは「預言者イーサー」という聖人として位置づけられており、回教の教義の中でも大切にされている。ただ、神の子とまでの位置づけではないので、イエス・キリストの誕生日を盛大に祝うというようなことはない。

 また、戒律が厳格な国々では、閏月を置かないせいで新年が移ろうためでもあるのだろうか、新年もそれほど盛大に祝わないという。

 その代わり、回教圏では、年によって季節の変わる「断食月(ラマダン)」明けなどが大きな祝祭なのだという。断食が終わると盛大に御馳走を食べ、それこそ正月のように祝い、子供には日本の「お年玉」のようなものも振る舞われるのだそうな。

 世俗主義のトルコでは、一応クリスマスも知られてはいるが、それほど盛大には祝わないらしい。その代わりに、太陽暦の大晦日に、家族一同クリスマスのような御馳走やお菓子を食べ、夜明かしをして新年を祝う。この時にヨーロッパやアメリカのクリスマスのように、七面鳥を食べるそうである。

 詳しいサイトによると、七面鳥は英語圏の国々では「ターキー Turkey」つまり「トルコ」と呼ばれているのだが、当のトルコでは七面鳥の事を「ヒンディ」、つまりインドと呼ぶのだという。なんだか面白いが、要するに「ちょっとエキゾチックな御馳走」みたいなことなのであろうか。

読書

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中立国の戦い―スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標 (光人社NF文庫)

 「アルムおんじ」の話などするうち、スイス傭兵の話から、近代のスイスの苦闘についても興味を覚え、ちょっと読んでみた。

 永世中立国スイスは、のほほんと平和に暮らす田舎国家などではなく、実は全身これハリネズミのように武装した国民皆兵の国であることはよく知られている。しかし、私たち日本人は理由もなく漠然と、スイスの軍事力は単に潜在的抑止力として準備されているだけで、全く他国と干戈(かんか)を交えないものであるかのようなイメージを持ってしまってはいないだろうか。

 ところが、ところが。スイスは、実は第2次世界大戦において意外に激しい戦闘を行っているのだ。中立を守るために、である。いかなる国の軍隊も、どんな理由があろうと、スイスの領土を侵すことを許さないという意思を断固として示したのである。無論、兵の血と生命によって、である。

 しかし、それは簡単なことではなく、迷う国内世論の処理を含め、苦しい選択と難しい判断を積み重ね、ひとつひとつの局面を切り抜けていったことが本書には克明に描かれている。

 大戦中のスイスの戦闘で、本書でも大きく取り上げられているのは対領空侵犯措置の戦闘である。ドイツであろうと米英連合国であろうと、スイスの領空を犯す航空機にはスクランブルをかけ、枢軸国側航空機を12機、連合国側航空機を13機、合計25機を撃墜している。しかし、領空侵犯機への対処は極めて難しく、逆に空戦を仕掛けられ、スイス自身はその10倍、200機もの航空機を失い、300人もの死傷者を出した。空中戦は昔も現代も先制攻撃が常道、つまり先手必勝がベスト・プラクティスなのであるが、対領空侵犯措置では、先に手を出すことができないのだ。

 また、アメリカなどは国際法上永世中立国の地位を完全に認められているスイスに対し、完全に国際法違反の都市無差別爆撃を行い、100名ものスイス一般市民が死亡した。このことは後世もアメリカの汚点として、しこりとなって残っている。

 スイスはこのように、おびただしい犠牲の上に中立を堅持した。

 スイスだけでなく、大戦中、スウェーデン、スペインが中立を守るためにどれほどの犠牲を払い、戦ったかということに光を当て、日本に広く紹介したという点で、功績の大きい一冊であると思う。アマゾンのレビューでは資料の選び方などに一部批判の意見もあるようだが、そのことは本書の価値を(いささ)かも減じない。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

 「アルムおんじ」の記事の流れで、ちょっとスイス傭兵に興味を覚えて。

毛沢東 日本軍と共謀した男 (新潮新書)

 毛沢東が実は日本軍と共謀して蒋介石の国民党軍と戦っていたという奇怪な事実は、現在の中共が主張する抗日戦争の歴史など根底からひっくり返ってしまうようなことである。

 だって、中国は韓国ほどには頭のおかしい要求はしないけれども、謝罪しろだのなんだのとうるさいことには変わりがない。ところが、謝罪しろも弁償しろもヘッタクレも、大日本帝国と一緒になって蒋介石と戦争してた、ってんだから。

 戦後になって、蒋介石率いる国民党は逃げてばかりいたのだなどと中傷し、毛沢東率いる八路軍こそが抗日戦線の主役であった、などと、言い分が変わっていく様子が本書ではよくわかる。

東京タラレバ娘

 図書館で読んでやろ、と思ってたら、販促のためか、Kindleなら第1巻のみタダだった。

 なるほど、最近ポスターやキャラクターグッズなどもよく見かけるし、ドラマ化もされるようで、ヒットするだけあって面白い。

 残りは高いから図書館で読もうと思ったが、前掲の3冊を読むので時間切れとなり、読めなかった。

皇太弟(こうたいてい)

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 官邸は承知していないとコメントしているが、テレビや新聞では「譲位後の天皇陛下の尊称は『上皇』となりそう」というようなことが早々とニュースになっている。

 その報道の中に、「秋篠宮文仁親王殿下を皇太子待遇に」などとある。どうも、この「皇太子『待遇』」という言い方が気に入らない。「待遇」じゃねえだろ、れっきとした皇位継承順位第1位におなりあそばすんだから。「待遇」なんて言葉には、いかにも「仮に一応、皇太子みたいなモン、ってことにしといてやるぜ」みたいな、不敬・不遜の内心が漂い出るようではないか。こんなのは不可だ。

 で、皇太子は「子」で、秋篠宮殿下は「弟」なんだから、皇太「子」ではない。そこで「子」でないならなんなんだ、と言う話になるが、そりゃ「皇太弟(こうたいてい)」に決まっとるじゃないか。

 いや、確かに、皇室典範等が公式に定める皇族は「皇后,太皇太后,皇太后,親王,親王妃,内親王,王,王妃,女王」となっており、他の条に「皇孫」「皇太孫」と付け加えられているだけで、公式用語としては「皇太弟」という語はない。

  •  皇族(宮内庁ホームページ)

 だが、「日本語の一般的語彙」としては、全然不自然ではない形で「皇太弟」という言葉は、ある。

 今上(きんじょう)陛下が譲位されたあとの尊称が「上皇」に決まりつつあるということであれば、ぜひとも、秋篠宮殿下の尊称も「皇嗣たる皇弟を皇太弟という」等と決めておけば如何か。

 また、女系も検討され得るということであるなら、「内親王配」「女王配」といったことも検討されなければならず、それは即ち、女性皇族が結婚した場合その身位は如何にあるべきかということも真剣に議論されなければならないと言う事である。これはまあ、小泉内閣当時、しおしお~……と立ち消えたことでもあったが……。