一転、突如餃子の作製に移行する私

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 妻から「(料)餃子作製に関する行動命令」が出たのであるから、なんとしても餃子作製任務を完遂せずんばやまずッ!!

 ギャザーをいっぱい寄せたほうが、実は肉がいっぱい入って食いごたえのある餃子になるのだ!!

ラーメン旨い

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 妻が出掛けているので、娘どもにインスタントラーメンをつくって食わせる。

 若い頃、旭川に7、8年ほど暮らした。札幌の歓楽街は「薄野(すすきの)」と言うが、北海道第二の大都市たる旭川の歓楽街には特に名前というものはなく、ただ繁華な一帯は地番が「三条六丁目」であるので、「サンロク」と言っている。

 旭川のラーメン屋はどこに入っても旨く、安かったので当時はよく食った。休みになるとサンロクに飲みに出掛けたが、飲む前の腹ごしらえには決まってラーメンを食った。時々は、さんざん飲んで酔っぱらってから、またラーメンを食ったりした。

 サンロクに今もあるのか知らないが、私がよく入ったのは「ピリカ」というラーメン屋だ。醤油ラーメンを注文すると、大きな鉄鍋にもやしを中心とした野菜の千切りを山ほど入れて強火で炒め、そこへ「ジューッ!」と音を立ててスープを注ぎ入れて火を通し、それを太い目の麺の上にたっぷりとのせて出したもので、野菜の味が麺に馴染んで旨かった。

 今、娘どもと昼めしにするのに、インスタントラーメンをそのまま食うのも芸がないと思い、 ピリカのことを思い出して、まず胡麻油を強く熱してモヤシと豚小間を焦がし、ほどのよいところへじゅぅ~っとスープを注ぎ入れてほんの少し煮た。ゆでたインスタントラーメンの上にこの具と汁を一緒にかけまわし、茹で玉子をあしらって出来上がりである。

 娘どもは私の旭川懐古などには頓着なく、「胡麻油のいいにおいがするー!」と喜んでラーメンを食っている。

 さて私はというと、その後兵庫県の姫路市に転勤になったのだが、それから、どこのラーメン屋で食っても旭川にいた頃ほど旨いと思わなくなった。いや、食えば旨いことは旨い。姫路に行く前にしばらく福岡に暮らしたが、博多の繁華街の屋台の豚骨ラーメンなど、出色の旨さだったとは思うし、東京づとめになってからは各地の味のラーメンを試すのに不自由はないから、だいぶ色々な店のを試しもした。ことに、10年ほど前の勤め先だった恵比寿~目黒のあたりはラーメン激戦地で、旭川にいた頃から知っている「山頭火」なども出店していた。また、最近になってからの第何次かのラーメンブームでは、うまい店を挙げるのに労はないと言ってよい。

 ただ、どうも若い頃食いなれた旭川のラーメンとは比べられないのである。私の好みが変わっただけかも知れないし、あるいは旭川の安いラーメン屋より、他の土地のラーメンが不味いのかもしれない。

機械と人間と男女

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 妻に言わせると「機械ほど私のいうことを聞かぬものはない。人間はそんなことはない。」のだそうだが、私に言わせれば「人間ほど私のいうことを聞かぬものはない。機械はそんなことはない。」のである。

 実際、妻と来たら、毎日毎日意のごとくならぬHDDレコーダーやスマートフォンの操作に癇癪を起こしかけ、私はというと妻にとってのHDDレコーダーやスマートフォンを人間に置き換えればそのまま同じだ。

 これを「男女の差」と言えばなかなか世間受けする書き物になるのだろうが、多分そうではない。単に妻と私の性格の差だろう。


 これは平成25年(2013)08月14日(水)22時43分にFacebookのウォールに書いた文章です。

猫のハートの纏聞(てんぶん)

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 朝、仕事に出る前、玄関のドアを開けると、半野良猫のハートがスルリとドアの隙間から家に入ってきて、ニャーオ、と餌をねだる。この数年、毎朝のことだ。冷えた体と首回りをさすってやると、尻尾をゆらゆら揺らせながら、体をすりつけてきてニコニコ笑う。猫は笑うのだ。妻がフレーク状の餌を飼ってやると、おとなしく食べる。

 ハートは、5年位前だったか、どこからか私の住む街の一画にやって来た。やってきたばかりの頃、水色のハートの飾りのついた首輪をしていたので、皆からハートと呼ばれるようになった。茶色の縞の、なかなか美しい雌猫だ。

 当時まだ小さかった私の娘たちや、近所の子供たちの話を総合すると、ハートは三、四百メートルほど離れた、築四十年にもなろうかと言う、いわゆる「六坪借家」の群がるあたりで飼われていたらしい。小さい子供は動物と口が利ける。だから、子供たちがハートから聞き出したというその話は、多分本当だろう。

 ハートが私の家の近所に来てしばらくした頃、その「六坪借家群」のあたりは取り壊されて更地になり、土地が売りに出されたりしていたから、概ね子供たちの話と符合する。ここからは完全に想像だが、ハートは多分、年寄りに飼われていたのだと思う。その年寄りは、ほとんどが空き家と化していた「六坪借家群」の、おそらくは最後の住人だったのではあるまいか。

 更地になった「六坪借家群」は私の通勤経路にある。ハートは朝五時三十分頃に家を出ていた私を見つけると、数百メートル離れたその「六坪借家群」のあたりまで、足もとをまとわりつきながらしょっちゅう付いてきていたので、私の想像は多分当たっているだろう。その年寄りは、病気にでもなってどこかへ移ったか、ことによると変事があったのかもしれない。ハートの、どうもおっとりとした、争いの苦手そうな、愛嬌のある物腰も、その想像を裏付けているように思う。

 私の住む街には、少子高齢化とはいったいどこの国の出来事かと思うくらい、高校生から幼稚園児まで、沢山の子供たちが暮らしている。ハートには、「子供たちをお守りしてやっている」という自意識があるようだった。ハートが悠揚せまらざる物腰で子供たちと遊ぶようになると、半分野良猫とは言え、大人たちも無残な扱いはできなくなった。時折、残飯などやったり、たまにはキャットフードの缶詰などを奢ってやるようにもなる。

 ハートはそのようにして私の家の近所に住み着き、今日はお隣、その次は向かい、ある日は私の家、というようにあちこちの軒先で眠り、餌を貰い歩くようになった。

 そんなある年の春頃、ハートはプイと姿を消してしまった。

 しばらく経ったその年の夏前のある日、ハートは妙にほっそりした姿で、何かを(くわ)えて、蹌踉(そうろう)と私の家の前に現れた。それを見つけた家内は、これがうわさに聞く、殺した鼠を御礼に持って来るというアレか、すわ!と身構えた。

 しかし、ハートが口に咥えてきたのは、鼠ほどの大きさもない、ふにゃふにゃの子猫だった。近所の子供たちと家内が、唖然と、しかしともかく、ハートが咥えてきた子猫にかまっているうち、ハートはまたスイと姿を消し、また、別の子猫を咥えてきた。

 そうやって、ハートは半日ほどもかけて、どこか遠くから、自分の子猫を一匹づつ、私の家の前に運んできた。子猫は全部で六匹いた。ハートは、一匹につき三、四十分はかけて子猫を運んだ。

 母猫は雄猫から子猫を守るため、隠れたところで子猫を産むという。時間のかけ方から推し量ると、ハートはずいぶん遠くで子猫を産んだものらしかった。

 ハートは、自分と子猫の食い扶持をどうすればよいか、本能で探り当てたのだと思う。無論、子供たちがかわるがわるハート親子を可愛がったのはいうまでもない。まあ、猫の餌ぐらい、どうにでもなる。

 世の中に野良猫を迷惑がる向きも多い。庭に糞をされるのも迷惑だし、野良猫に餌付けをするなどもってのほかだという。実は私もそうした気持ちの持ち主の一人だった。だが、猫の二、三匹が生きていかれる程度の冗長性が町内になくては、人間様も万物の霊長たるの鷹揚悠然に()くるの(そし)りを(まぬが)れまい。

 アラビアの詩人、オマル・ハイヤームの詠むところに、

 この壷もまた人恋ひし嘆きの姿
 黒髪に身をとらわれの我の如
 見よ壷に手もありこれぞいつの日か
 佳き人の肩にかかりし腕ならめ

というのがある。人は死んで土になる。何千年もたってその土は焼き物になって、壷に拵えられているかもしれない、壷と化した美女を無残に扱うな、と言うのだ。してみれば、庭を荒らす野良猫と言えども、前世は人であったかもしれない。命のあるものだ、大切にするにしくはない。

 子猫は子供たちにずいぶんかわいがられ、大切にされた。ハートは子猫と人間の子供たちを等分に眺めて、眼を細めていた。暑い夜などは袋小路になった私の家のある一画の舗装路にねそべって、子猫に乳を与えていた。

 ある日、ハートたちは近所の愛猫家の目にとまってしまった。

 その愛猫家の中年夫人は、「このままに推移すれば、結局は保健衛生上の決まりもこれあり、可哀想なことになってしまう。そうなる前になんとかしてあげることがこの道の慈悲と言うもの」というのだった。まず、もっともなことである。少し無残なようには感じられるかもしれないが、ハートには不妊手術を施し、予防接種もしてやり、子猫たちにはしかるべく飼い主を探してやるのが結局は一番猫の幸せだ云々。

 このように近所の愛猫家に見つけられてしまってはハートもひとたまりもない。

 それで、気楽な半野良猫のハートはついにとっつかまり、私の家を含む向こう三軒両隣、すなわちハートを可愛がっていた子供たちのいる親たちみんなが金を出し合い、近所の動物病院へ連れて行かれて不妊手術をされてしまったのであった。

 痛い目にあったハートが、しばらく近所の人間どもに寄り付かなくなっていたのは当然のことである。

 ハートの子猫たちは、その愛猫家と近所の子供たちが、新越谷駅前で声を張り上げて貰い手を捜し、6匹全部、無事に猫好きの人たちに貰われていった。

 黒白縞の子猫を貰ってくれたある年配夫婦の家へは、次女が時々、子猫の様子を見に行っていた。年配夫婦はいつも次女を歓迎してくださっていたようだが、最近はちょっと次女も足が遠のいているようだ。

 ハートは相変わらず私の家の前でにゃあと鳴いては、とことこと走り寄ってくる。幸せそうに乳を与えていた自分の子猫の顔を、覚えているのだかどうだか。子猫六匹が周りにいた頃のハートは、本当に貫禄のある、母猫らしい笑顔をしていた。そう、笑顔だ。三日月のように目を細めた笑顔をしていた。

お別れドライブ

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 来週はこの間買った新しいクルマが我が家にくる。古いデミオに家族みんなで乗り込んでどこかへ出かけるのは今日が最後だろう、と、「デミオお別れドライブ」をした。

 あいにくと雨降りだったが、朝おそく出発し、成田空港近くにある「航空科学博物館」へ行った。雨も本降りにはならず、小止みの間には博物館の外へ出て、成田空港を飛び立ったり降りたりする飛行機を眺めて楽しく過ごした。

 帰りに同じく成田にある「大和の湯」という温泉へ行き、ゆっくり体をほぐした。晩御飯は越谷の「ベッロカンパーニャ」というイタリアンレストランへ行き、おいしいコースを食べた。

 「ベッロカンパーニャ」はすばらしい人気店なのだが、なぜかウェブサイトなどがない。場所はここだ。

 200キロ弱のドライブ。さらば、デミオ。私は来週、月曜から木曜まで職場に泊り込みで仕事だ。だから家族みんなで乗ることはもう、ない。家族みんなでお前に乗るのは、来週の土曜あたりにトヨタのディーラーへ新車を取りに行くためにお前を乗り付ける時だけだ。事故も起こさず、11年間よく走ってくれた。

禁煙所感補遺

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 私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。

 一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。

 だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。

 "zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。

 zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。

 さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。

  •  脳について

 禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。

 これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。

 性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。

 「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。

 煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。

 これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。

  •  血液がらみのこと

 煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。

 煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。

 だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。

テーブルを買う

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 三郷に最近できた「IKEA」でテーブルを買う。通常は6人がけ、ちょっとした機構を操作すると8人がけにエクステンドするというやつで、しかも質実剛健なムク木のすぐれものだ。3万1千円ちょい。

 白いの、ビーチ材、バーチ材の3種類あるが、ビーチ材のにする。

 今までのテーブルは、グラグラする適当な安物を使い続けていたのだが、それはノコギリで四すみを切り縮め、脚を切って低くし、妻用の座りパソコン机に改造。

レストラン ココ・パームス

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 ゴールデンウィークは、子供の学校があるので、たとえ休みが長くとも、そうそう遠出をすることはできない。

 しかし、これを幸い、今日のように、子供が学校に行っている平日に私が休みのときは、家内とデートをすることにしている。子供は昼過ぎには帰ってきてしまうので、デートは大抵、近所のおいしい店を見つけて、昼ご飯を食べる。

 今日は八潮にある「ココ・パームス」というレストランをガイドブックで見つけ、そこに行ってみた。


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 家内と二人、1,890円のスペシャルランチを頼んだ。メニューが選べるので、二人とも「鹿児島産黒豚のステーキ」というのにした。

 前菜がついているのだが、前菜からもう、本当にすご~くウマいんである。

 ステーキは黒胡椒が効いていて、脂はアッサリ甘く、スジは切ってあって、付け合せにナスやかぶ、トマトの温かくしたのがついていて、ソースは肉汁と脂と、なんだかわからない良い味が混ざっていて、本当においしかった。ソースはパンにつけて、全部食ってしまった。

 デザートはケーキが選べるので、チョコレートのケーキと生クリームのケーキを選んだのだが、クリームの具合がトロトロふわふわと絶妙な按配で、そこいらのケーキ屋でもこうは行かぬと言うほどの基本に忠実な出来ばえだ。コーヒーはおかわりさせてくれて、量も程よく、実に素晴らしい店であった。

イタリアンと向日葵

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 家内の友人が来たので、近所のイタリアントラットリアで昼飯を食べる。

 蒔いたひまわりの芽が出ている。