その意味を

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 終戦記念日には靖国神社へ参拝に行っている。最近──とは言っても、十数年来くらい──の習慣だ。

 その範囲で最も混雑したのは、たしか、大震災の前、民主党政権に代わって1年ほど経った後の、平成22年の8月であったと記憶する。この時には、地下鉄九段下の駅の中まで行列が続いていた。

 あの頃を振り返ると、当時実際の多くの人々の行動はマスコミの論調とは全く逆方向に志向し、精神が沸騰していたのを、生の現場ではひしひしと感じ取れたものであった。だが、あの年、例年より混雑する靖国神社周辺の様子はほとんど報道されることなく、むしろ「靖国神社なんぞに参拝するような変な日本人のことを全アジア諸国の皆さんが残念がり、ないしは激怒しており、靖国神社は低迷している」みたいな報道ぶりだった。

 去年は終戦記念日に仕事をしていたので、仕事が終わってから夕刻に参拝したが、今年は休みなので、朝から出かけた。

 私の家からは、電車1本で直接九段下へ行ける。そうして午前10時半頃に九段下の駅に着いてみて、さあ、今日と言う今日は驚いた。

 九段下の駅構内こそ人が流れてはいたが、地上へ出てみてびっくりである。九段下の駅の入り口は東西にあり、靖国神社側と九段下交差点側があるのだが、大鳥居の入り口にほど近い西側の駅入り口から九段下の交差点まで、延々と人が並んでいるではないか。しかも、単にワン・パスで並んでいるのではない、九段下駅西側入り口から九段下交差点まで反対向きに並び、列はそこから折り返して靖国神社へ向かっているのである。

 こんなことは初めてである。人員整理の仕方を少し変えていたということもあったようだが、それにしても大変な人出だ。

 数字を確かめていないので正確なところはわからないが、あの平成22年の8月よりもまだなお混雑しているように感じられた。

 靖国神社は自分の政治的思想を開陳する場とは違う。英霊へ鎮魂の祈りと誠をささげまつる場である。それを、がなり立てる右翼はまだしも、着用する資格のない軍服など一着に及んで、なにやらコスプレ祭りと勘違いしている若者も出てくる始末で、毎年毎年嘆かわしいことだが、愛の反対は無関心、ということからすれば、それもむべなるかな、とは思う。

 この世情下、これほど多くの人が参拝に来ているわけを、この混雑、その意味を、自分なりに考えてみたい。

 この膨大な人数の参拝客は、あの戦争とそれに参加し死んだ人々を、もう一度評価しなおしたいと考えているように見える。たとえ悪い方向へ批判するのであっても、逆に良い方向へ評価するというのであっても、どちらでも良いから冷静に何かを問いたい、そのための元となる行動を何かしないと、そういう行動をとらないと、もう、議論をただの一歩も先へ進めることが出来ない、何もしないでは議論を深める資格がない、そう考えているのではないだろうか。

 そうすると、靖国の境内を例年の倍にも感じられるほど埋め尽くす人々の姿は、英霊に仮託した自己の求道の姿だということになる。

 そうであるならば、それは政治的なパフォーマンスに近く、英霊の鎮魂のための行為ではない。とても神社ですることとは言えないが、しかし、護国の鬼たちは今や柔和にそれを許し給うと考えたい。

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 2時間ほどは並ぶ始末であった。中門鳥居のあたりで正午を迎えることとなったため、千鳥ヶ淵から中継でスピーカー放送されてくる慰霊式の様子に聴き入った。国歌斉唱のおり、靖国神社境内の群衆が誰ともなく歌い始めるのも例年と同じだ。はじめは遠慮がち、恥ずかしげに小さい声で口ずさんでいた人々の歌声が次第に大きな声になっていく。こうべを垂れて天皇陛下のお言葉を謹聴する。ちょうど正午、帽子を脱して黙祷する。

 ともあれ、英霊やすらかにしずみたまえ、と参拝はそれのみ考えつつ済ませ、帰路、あれこれと考えに耽った。

 靖国通りを神田に向かって歩いていたら「藪仙」という蕎麦屋があったので、ひょいと入る。大蒸篭せいろを頼んだら3枚もついてきて、お得。酒を2合。

 せっかく神田あたりに来たなら、蕎麦は名代の「まつや」に寄りたいところだが、籔仙の大蒸篭を手繰り終わってからまつやの前を通りかかると、案の定、炎天下数十人の行列だった。まつや目当てに連雀町へ来て見ても、これではとても並ぼうという気は起きなかったろう。多分今日は例年通り「神田・籔」が盆休みで、その客もまつやが吸収しているものと見える。

 暑かったが秋葉原まで歩いた。九段下から秋葉原までは歩いて30~40分だ。千石電商でフラックスとソルダーウィック、蛇の目基盤を買う。ヨドバシへ行ってHDMIとDVI-Dの変換アダプタをひとつ買う。これはRaspberry Piを今使っているPCのモニタにつなぐため。

 秋葉原のメイド通りは、今日が終戦記念日だということなどまるで知らぬげに、世界各国の老若男女とメイドでごった返していた。

夏人事

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 「夏人事」と書くと、普通は夏の人事異動を思い浮かべることと思う。私の職場なども、夏は一斉の人事異動があり、春と同じく送別会や歓迎会が多い季節である。

 だが、この「人事」という言葉、ビジネスや職務アサインの意味ではなく、もう少しゆかしい意味合いがあることをご存知の向きはあまり多くない。

 辞書を紐解いてみよう。手元の「広辞林」によると、こうした会社や職場に起こることの意味合いとしては「一身上に関した事項。個人の身分能力に関した事項。」と書かれている。だが、これはいくつかある「人事」という言葉の意味の、2番目として書かれており、この広辞林に限ってではあるが、人事という言葉がビジネス用語としての意味合いを第一義とはしていないことがうかがえる。

 では1番目にはどう書かれているのかというと、

「人間社会にあらわれる事件。人世の事実。」

……とある。

 なんだかピンと来ないが、実際のところ、少し古い言葉の使い方では、こちらの意味合いのほうが「人事」という言葉には濃かった。かつてはそういう使い方をしたのである。

 私が俳句を詠むときに愛用している角川の歳時記では、項目の配列が「時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物」となっているが、昔のスタンダードであった古いもの、例えば手元の平凡社のものなどでは、この中の「生活・行事」の項目は「人事」となっていたものであった。これは、他の歳時記でも同じで、私が子供の頃、俳人だった母が所属していた同人「京鹿子(きょうかのこ)」編集の歳時記でも「人事」としてあった記憶がある。

 試みに書店へ行き、何種類かある歳時記を繰っていただくと、「生活」となっているものと「人事」となっているものの2種類があり、古い編集のものほど「人事」とする傾向があることをご確認いただけるだろう。

 さて、この生活や行事と言った意味合いでの「人事」、歳時記でこの項目を見ていて最も楽しいと思えるのは、どの歳時記の人事の項目の中にも、ひとかたまりにまとめられている「食べ物」に関する部分だ。

 季節が夏だと、秋などにくらべて食べ物の記載はあまりないのではないか、と思われるかもしれないが、なかなかどうして、暑くて食欲が減退しそうな季節であるにもかかわらず、結構、夏の食べ物の季語は多い。

 試みに、角川の歳時記から抜き書きしてみると……。

  •  粽(ちまき) 茅巻(ちまき)、笹粽、粽結ふ
  •  柏餅(かしわもち)
  •  夏料理
  •  筍飯
  •  豆飯 豆御飯
  •  麦飯
  •  鮓(すし) 鮨(すし)、馴鮓(なれずし)、押鮓(おしずし)、早鮓(はやずし)、一夜鮓(いちやずし)、鮒鮓(ふなずし)、鯖鮓(さばずし)、鯛鮓(たいずし)、鮎鮓(あゆずし)、笹鮓(ささずし)、柿の葉鮓、朴葉鮓
  •  水飯(すいはん) 水飯(みずめし)、洗ひ飯、水漬(みずづけ)、飯饐ゆ(めしすゆ)、汗の飯
  •  冷麦(ひやむぎ)
  •  冷索麺(ひやそうめん) 冷素麺、索麺冷やす、流し索麺
  •  冷し中華
  •  冷奴
  •  胡瓜揉(きゅうりもみ)
  •  冷し瓜 瓜冷す(うりひやす)
  •  茄子漬 なすび漬
  •  鴫焼 焼茄子
  •  梅干 梅干す、梅漬、夜干しの梅、干梅、梅筵(うめむしろ)、梅酢
  •  麦酒(ビール) ビール、黒ビール、生ビール、地ビール、ビヤホール、ビヤガーデン、缶ビール
  •  梅酒
  •  焼酎 麦焼酎、甘藷焼酎(いもしょうちゅう)、蕎麦焼酎、泡盛
  •  冷酒(ひやざけ)、冷酒(れいしゅ)、冷し酒(ひやしざけ)
  •  甘酒 一夜酒
  •  新茶 走り茶、古茶
  •  麦茶 麦湯
  •  ソーダ水
  •  サイダー
  •  ラムネ
  •  氷水 かき氷、夏氷、氷小豆(こおりあずき)、氷苺(こおりいちご)、氷店(こおりみせ)、削氷(けずりひ)
  •  氷菓 氷菓子、アイスキャンデー、アイスクリーム、ソフトクリーム、シャーベット
  •  葛餅(くずもち)
  •  葛切(くずきり)
  •  葛桜(くずざくら) 葛饅頭(くずまんじゅう)、水饅頭
  •  心太(ところてん) こころぶと
  •  水羊羹
  •  ゼリー
  •  白玉
  •  蜜豆 餡蜜
  •  麨(はったい) 麨粉(はったいこ)、麦こがし、麦香煎(むぎこうせん)
  •  洗膾(あらい) 洗鯉(あらいごい)、洗鯛(あらいだい)
  •  泥鰌鍋(どじょうなべ) 泥鰌汁、柳川鍋
  •  土用鰻(どよううなぎ)
  •  沖膾(おきなます)
  •  水貝(みずがい)

……等々。

 読んでいてお腹が空いてくるような、つばきがわくような感じがしないだろうか。

 中には、例えば「筍飯」や「鮨」、あるいは「ゼリー」などのように、「へえ、これ、夏の季語なんだ?」と、思えるものもあるし、あるいはここにないもの、「新しい蕎麦は夏の盛りにでるけど?」というようなものもある。これは、「夏」というのが立夏から立秋直前までを言うから、というところにも理由がある。つまり、初夏はまだ筍の季節だし、新蕎麦の出る8月はもう秋に入っている、というわけだ。

 なんにせよ、今日も暑いが、なにかおいしいものでも食べて、元気を出したい。

どういうワケか蕎麦

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 ある時たまたま「蕎麦打ち」の動画をYoutubeで見かけて、それを一度だけ見た。

 一度見ただけなのに、再生リコメンドに蕎麦打ち動画ばかり強迫神経症的に出てくるようになった(笑)。

 蕎麦打ちの動画はなぜか結構多く、全部見きれないほど大量にある。蕎麦打ちが趣味と言う人は多いらしい。

 もういっそのこと、と思い、面白そうなものを再生リストにしてみた。

蕎麦屋でダラダラ

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 近所の蕎麦屋で蕎麦を頼まず、親子丼とビールを投げやりに頼み、店の隅のどうでもいいテレビを見ながらまず卵と鶏肉を肴にビールを飲んで、残った飯をおもむろに掻き込んで(シメ)る、というB級の昼下がりも非常に捨てがたいのだが、やっぱり名店「やぶ」あたりに来た日は、飲み料は菊正宗、肴は焼き海苔と決まったものだ。

DSC_0120 目玉が飛び出すほど高い、というわけではないにもせよ、半畳ばかりの切り海苔に700円は割高だ。だが、選りすぐりの浅草海苔の歯応えと香りが消えないよう、火種の入った炭櫃で供するものに、これまた関東風の塩辛い上等の醤油をつけて味わうのは、やめられない趣味である。ちょっぴり添えられるおろし山葵もたまらない。

北海道で飲み食いしたもの

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はじめに

 急に、北海道で飲み食いしたいろいろなものを思い出した。

 私は昭和60年(1985)から平成5年(1993)まで、北海道の旭川で暮らした。

旭川の立地と気候

 旭川というところは北海道第二の都市である。札幌に次ぐ規模の街だ。ところが、このことは意外に知られておらず、帯広が北海道で二番目の都市だと思っている人も多い。

 旭川は多くの人が “北海道で飲み食いしたもの” の続きを読む

名代・あんこう料理専門店「いせ源」・甘味処「竹むら」

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 このブログに、このような記事を書くことは非常に珍しいが、ちょっと楽しい飲み食いをしたので書きとめておきたい。

 秋葉原の駅を出て「中央通り」を南にゆくと、靖国通りに向かう途中に「万世橋」がある。ここから眺めると左手に萬世の通称「肉ビル」、右手に旧中央線の古色蒼然とした煉瓦造りの高架がある。

 「以前交通博物館のあったところの裏の一画」と言えば、ピンとくる方も多いと思う。

 秋葉原のカラフルなイルミネーションはすぐそこなのに、この万世橋の右手の、煉瓦造りの高架の一画だけ突然時代が遡ったように見えるのはなぜか。それは、あの一画だけ戦時中の空襲の被害をどうしたわけか免れ、戦前のままに街が残されたからである。しかし、米軍側の資料でも、どうしてあの一画を標的にしなかったのかはよくわからないという。

 さて、そんな万世橋と靖国通りに挟まれた秋葉原南西の一画、正確には神田・須田町と、同じく淡路町にまたがるところだが、「大人の人たち」は戦前への愛惜を込めてそのあたりを「連雀町」と呼ぶ。江戸時代、背負子を背負うための肩掛けに使う「連尺」を作る職人がここに住み着いていたので連雀町というようになったのだそうな。

 このあたりには、空襲の被害を免れたため、戦前の建物がゴロゴロと残っている。有名な蕎麦店の「神田・藪」や「まつや」も、この一画にある。

 その「神田・藪」にほど近く、あんこう料理の専門店があり、なんと創業180年(!)と言う老舗ぶりを誇っている。それが名代の「あんこう料理・いせ源」だ。この店は「知る人ぞ知る」名店で、他の料理もあるにはあるが、冬の「旬」になると「『あんこう料理』一本!」で勝負している。店舗は昭和5年築で、戦災を免れたため、東京都の「歴史的建造物」に指定され、保護・保存されている。

 一夕、この「いせ源」に行ってみた。

 あんこうは「七つ道具」と言って、身のあらゆるところがおいしく食べられることもよく知られる。グロテスクな姿態にもかかわらず、食味は繊細・淡白で、食べ飽きることがない。「肝」も俗に「アンキモ」と言われて、フォアグラに匹敵する珍味と言う人もいるほどだ。

 いせ源のあんこう鍋は、このあんこうの「いろいろなところ」を、秘伝の濃いめの割下で炊き上げて食する。仲居さんが何人もいてこまめに面倒を見てくれるから、私のような素人でも心配なかった。

 あんこうの「いろいろなところ」には、コリコリしたところやヌルヌルしたところ、ホクホクしたところや、プルプルしたところ、甘いところなどいろいろな身があり、とりわけ「アンキモ」のうまさと言ったら…!。菊正宗・上撰の熱燗が、それこそ「どこに入ったかわからぬ…」くらい、すいすい飲めてしまう美味しさである。

 あんこう鍋を堪能した後は、あんこうの身の「いろんな味」がじっくり溶け込んだ出汁にご飯を入れ、刻み葱をたっぷりと載せて、煮えばなに溶き卵をかけまわした「雑炊」がこたえらない。これも仲居さんがすばやい手際でこしらえてくれる。

 値段のほうは、あんこう鍋一人前3400円~と、「滅茶苦茶に高いわけではない」値段だ。むしろ、江戸時代から続く暖簾の、戦前から大切に保存されている店舗で、青森産の「本格のあんこう」を食って、和装の美しい仲居さんにお世話してもらってこの値段は、安い方と言えるだろう。

 さて、あんこう鍋で程よく飲んで酔った後、「甘味が欲しくなる」のもままあることだ。「酒後の甘味は体に毒」なぞと言うようだが、なに、言うヤツには言わせておけばよろしい(笑)。

 おあつらえ向きに、いせ源の向かいに、これも戦前からの老舗の甘味処「竹むら」がある。ここも戦災を免れ、都の歴史的建造物として保存指定を受けた、「なんともいえぬ風情の」店舗だ。

 「竹むら」では、最初に出される桜湯をゆっくりと味わい、それから迷わず「粟ぜんざい」をオーダーしよう。700円しない程度だ。ほかほかに蒸し上げた淡白な「粟飯」の上に、品よくこしあんをかけ回した味わいは、一緒に出される濃いめの煎茶ととけあって、「左党」のオッサンでも思わず膝を叩く美味しさだ。

 そして、土産に、老舗・竹むら自慢の「揚げ饅頭」。これは二つで450円。揚げ饅頭のふんわりとした軽い甘味は、家で待っている女子供を喜ばせること請け合いだ。

 いずれの店も、作家の故・池波正太郎が愛してやまなかったことでも有名である。秋葉原から歩いて5分、スグであるので、一度「ハードディスク代金をチト削って…」試してみては如何。

日光

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 ゴールデンウィークのはじまりだ。家族で日光へ行った。一泊二日である。

 初日、ゴールデンウィークの渋滞を避けるため、5時に起きて6時に出発。前日の交通情報では東北道は30キロは渋滞するであろうとのことであったが、朝早く家を出たので、まったく渋滞はなく、余裕を持って日光へ到着できた。

 その日は「日光江戸村」でまる一日遊んだ。以前に一度行こうとして行かなかったことがあり、惜しく思っていた。ようやく行くことが出来た。本当に面白いところである。出し物が非常によく演出されていて、特に、忍者ショーの殺陣などは見ごたえ十分である。

 泊まりは奥日光の「湯守釜屋」というところである。温泉が非常に濃く、かなり効く感じがした。料理もうまい。各種焼酎飲み放題1000円は安い。

 二日目は昭和の日であった。戦場ヶ原をのんびり見て、中禅寺湖へ行って家族でスワンボートを漕いだ。すご~くいいお天気で、行った甲斐があった。二荒山神社でおみくじを引いて、華厳の滝へ行き、エレベーターに乗って絶景に息を呑んだ。昼食はその近くで名物「ゆば」のついた蕎麦などを食べた。「いろは坂」を一気に下り、東照宮へ。のんびり見物して、お土産買って、門前のおせんべい屋さんで大きな焼きたてせんべいを買い、かじりながら帰途についた。

 ちょうどよい二日間の観光コースであった。ゴールデンウィーク中だったが、各行動をすべて早い目早い目に運んだため、混雑して困るということはまったくなかった。混雑のピークと我が家との差は、たった1時間か2時間ほどでしかなかったのだが、私たちの後ろの人たちは、混雑して難渋していた。

 旅行をしたために、昭和の日に国旗を掲げられなかったのはわが千慮の一失であった。