今週のSOBA満月

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 依然(いぜん)、新型コロナウイルス「COVID-19」は猖獗(しょうけつ)を極めており、世相は増々(ますます)紛糾・沈滞・遅疑(ちぎ)・不信・我執(がしゅう)(おもむき)を加えつつある。企業は休業、役人・司直は徹夜、株価は急落、日本はそれでもまだましな方で、欧州でのこの微生物()は、もはや歴史的水準(レヴェル)を超えようとしている。

 そんな折にあっても、春は深まり、梅も桃も桜も咲く。

 微生物禍などどこのことだとでも言いたげな快晴、暖かな風の吹く青い空の下、読みかけの本を持ってお気に入りの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。

 街の八百屋さんやスーパーの店先には春野菜が出ているから、今日のSOBA満月では、天婦羅を頼めば何かおいしい春野菜が揚がっているかな、と思ってメニューを見ると、季節メニューで「蛍烏賊(ほたるいか)の酢味噌()え」が出ている。これは是非注文しなければ。天婦羅は来週のお楽しみにしよう。

 新潟の銘酒「鶴齢(かくれい)」の純米吟醸がメニューにある。無論酒はこれにする。二合。

 旨い。蛍烏賊の香り、歯ごたえ、軽い味。「鶴齢」を含みつつ、交々(こもごも)箸をのばす。鶴齢の甘からず辛からず淡麗な飲み口に、この肴はぴったりである。

 酢味噌の味噌は濃い味付けに調えられている。

 なにより、付け合わせの「菜の花」の程よい茹で加減、歯ごたえ、香り、申し分なしである。

 飲みかつ喰い、持ってきた本を10ページばかり読む。

 仕上げに生粉(きこ)()ち・十割の「もり」。

 香り、歯ごたえ、味、のど越し、何をとってもこのお店の生粉打ちは旨い。

 帰り、自宅を通り過ぎて、小一時間ばかり歩く。自宅の東の方にある「谷古田(やこた)用水河畔(かはん)緑道(りょくどう)」の桜を見ようと思ったからだ。

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 桜は六分咲き、今が一番見頃であろうか。

 青天白日、桜を見上げながらゆっくりと歩き、SOBA満月で飲んだ鶴齢の微醺(びくん)を楽しむ。

 世間の騒ぎをよそに、私の家の周囲は、かくも静謐・平和である。

SOBA満月

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 山梨の銘酒「七賢」の「おりがらみ」という季節限定を出しておられたので、蕎麦前はそれを冷やで一合。今日は日本酒を注文すると、島根の銘酒「玉櫻」の濁り酒を一杯味見サービスしてくれました。

 肴は御新香。彩り、歯応え、味、酒によく合います。

 蕎麦は「花まき」を生粉打ちで。春寒のこの頃、熱い汁掛け蕎麦はこたえられません。

SOBA満月そば(蕎麦) / 新越谷駅南越谷駅蒲生駅

昼総合点★★★★★ 5.0

SOBA満月

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 このところ天候が不安定である。今日は晴乃至(ないし)曇だったが、明日の関東は所により雪が降るという。

 まだまだ寒い。しかし、通勤時、皇居外濠の桜の芽が色づき、ぷっくりと膨らんで芽吹きそうになっているのを見ると、間もなく春かな、と思う。靖国神社の梅など、気の早いものはちらほらと咲いている。

 今日も自宅近くの蕎麦店、「SOBA満月」へ、読みかけの本を一冊持って一杯やりに行く。ここ最近、大の気に入りの蕎麦店である。

 この店は本当に美味しい。酒はいいものを選んであり、肴もシンプルで飽きのこないものがいろいろある。

 今日の蕎麦前は新潟の銘酒「吉乃川」をぬる燗で二合、肴に「穴子の天婦羅」を頼んだ。この店の天婦羅は先代が揚げていて、年季が入っている。

 対馬~長崎の穴子で、身がしっかりしているのに固くなく、旨い。

 天(つゆ)に漬けてしまう前に、塩を少しつけて食べる。穴子の身の滑らかさと脂、香り、揚がり方も申し分なし。生姜おろしと天汁を交々(こもごも)つけて、やおら吉乃川のぬる燗を(あお)れば、至福と言うほかはない。付け合わせのししとうも(いろど)り鮮やかで、良いアクセントである。

 蕎麦は今日も「生粉打ち」十割の「もり」にする。繊細に打ってあり、香り、歯応え、味、喉ごし、どれをとっても申し分なく、優しい味の蕎麦(つゆ)によく合う。

 この店独特の濃い蕎麦湯をゆっくりと飲むと、本当に満足する。

薬喰(くすりぐい)~SOBA満月~読書

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 薬喰(くすりぐい)」で一句詠んだりなぞしていると、何やら今晩、肉でも食ってみようかという気にもなる。

 薬喰と言えば無論、冬の牡丹(ぼたん)鍋に紅葉(もみじ)鍋、桜鍋あたりの肉料理のことである。その昔、肉は表向き禁忌で、喰うなら隠れて喰うべきものだったそうだが、山鯨(やまくじら)だの(かしわ)だのと言う隠語も公然として、もはや人目を(はばか)るということ自体が形式でしかなかったようである。

 だが維新後、明治大帝におかせられては「ひとつ(ちん)が文明開化の手本を」とて肉をお召し上がりになり、これを契機に肉食が大いに普及した。日本はそんな時代から、まだ百数十年かそこらしか経っていない。

 ともかく、薬喰は冬の季語とて、今日も寒い。高校3年生は今日センター試験であるという。このところ毎年のことだが、センター試験と言えば東京周辺は雪と決まったもので、今日も雪交じりの冷たい(みぞれ)が降った。

 読みかけの古書、平凡社の世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」を携えて、行き付けの蕎麦店・南越谷駅傍「SOBA満月」へ足を運ぶ。

 今日の蕎麦前は、新メニューの「白子ぽん酢」に新潟の銘酒「吉乃川」をぬる燗で2合。「白子ぽん酢」は昨日から始めたばかりの肴メニューなのだという。この店で魚介の生ものは珍しい。新鮮でみずみずしくクリーミーで、紅葉おろしと(あさつき)の、なんと合うこと。付け合わせに和布(わかめ)と胡瓜の飾り切りが入り、さっぱりする。

 読書しつつ酒を飲み、飲み終わったら蕎麦にする。今日は寒いから、「卵とじ蕎麦」にする。

 熱々のかけ蕎麦に、フワフワのとじ卵がたっぷりかかり、三つ葉と葱のアクセントがおいしい。ふうふう吹きながら手繰り込み、半分ほど食べて、やおら七味唐辛子を効かせると、寒さなどどこへやら、芯からホカホカと温まってくる。

 飲み喰いしつつ、本を読む。

 「現代人のための結婚論」は、結婚ということそのものについては勿論のこと、結婚後の夫婦の日常生活についても多く言及している。それが、夫婦間だけではない、職場の人間関係などにも大いに参考になる、強く共感を覚える示唆を沢山(たくさん)含んでいて、意外に納得感の強い読書となっている。私にとってこの評論は、同じ巻の他の評論に比べて、最も共感が強く、理解もしやすい。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」から引用。
他のblockquoteタグ同じ。

p.438から

 そこに相互性のない愛情を私たちは愛情と呼ばないことにしよう。たとえば、私はイヌを愛する、なぜならイヌも私を愛しているから、という場合はよい。けれども、私は着物を愛するという場合には相互性がない。だが、これだけでは愛情の規定としては充分でない。親子間、夫婦間、恋人間の愛情は相互性をもってはいるが、この相互性ということだけで、「私は愛情のために結婚した」という場合の、愛情の性質を説明することはできない。愛情は人間がちがえばちがった事がらを意味する、というのは、その人々の生活の背景や経験や年齢によって愛情の意味がちがってくるからだ。

p.457から

成熟した人間は服従をとおして真の自由を見つけ出す。ところが未成熟な人間は不服従によって自由をかち取ろうとする。

p.461から

成熟した人間はその行動をコントロールする。

 これはわかりきったことだ。だが、たいへん重要なことだ。自分をコントロールするとは、手っ取り早く言えば、将来のために現在の苦痛や不満を我慢するということだ。自分の現在の欲望や衝動だけを行動の原理とする人間は成人になっていないわけだ。子どもというものは現在の欲望をコントロールすることができないからだ。多くの学生結婚はこうした未成熟の結果であることが稀ではない。彼らは待つことができなかったのだ。自分をコントロールするとは、「待つ」ことができるということだ。

 つまり、自分をコントロールする人間の行動は、苦痛とか快楽とかいったものではなく、むしろいろんな原則に基づいて決定されるわけだ。若い人はしばしば、成人になれば何でもかってにできるのだと考えたがる。言いかえれば、自分の行動を制限するものがいっさいなくなること、それが成人になることだと考える。けれどもそんなふうに考えることは、彼がまだ成人になっていない、未熟であることの証明でしかない。成人とは成人の行動原則を自分に課する人間のことだ。たとえば、子供は他人の思想や行動のプライヴァシイ(私的な性質)をいっさい認めようとしない。だが成熟した成人は他人のこのプライヴァシイを充分認める。

p.474から

とにかく、なぜある人間が現在あるような人間であるのか、このことをもし私たちが理解するならば、たといそのような彼を変えることができなくても、私たちと彼との関係をいくらかでも気持よいものにさせることになるだろう。つまり私たちは彼の行動を変えさせることはできない。しかし私たちは彼の行動について私たちの解釈を改めることはできる。そしてこの事自体、意義のあることなのだ。

 上の部分、実に、職場での人間関係においても適用可能な示唆に富む。

p.477から

 忠告(アドバイス)もむずかしいものだ。相手が忠告を求めていないときに忠告するのは、無用であるどころか、有害かもしれない。それに忠告は命令ではない。だがしばしば、私たちは忠告と命令とをとっちがえる。命令だったら、相手がそれを守ってくれるか否かを見守る必要がある。だが忠告は、相手がこれを受け入れようが受け入れまいが、本当はこっちの知ったことではないのだ。世の中には何かをさせようとこちらから働きかければかけるほど、しりごみする人がいる。劣等感がそうさせるのだろう。こういう人に対しては、こちらが相手にしてやる、あるいは相手を助けてやるよりも、相手をしてこちらの手伝いをさせるように仕むけることだ。相手がこっちのために何かを自発的にするように仕むければ、やがて劣等感という心のシコリはほぐれるだろう。

 この部分も夫婦間ではなく、職場における上下関係などにおいても適用可能な示唆に富む。

p.477から

夫婦は大いに話し合い議論し合った方がいいという意見がある。だが、本当はそういうことはむずかしい。なぜなら、議論というものは表面上は理性と論理の上に立っているように見えるが、じつは感情(エモーション)の上に立っている場合が多いからだ。

P.478から

議論のきっかけが相手の行動や考え方に対する反駁であるとすれば、へたな議論をしないためには、この反駁や反論を中途でやめるというか、「反論はできるのだが、今はしたくないのだよ」という態度を示すことがいい。反対論をしばらく括弧の中にくるみこんでしまう態度、それが「寛容」といわれるものだ。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

p.479から

 相手につまらぬことで干渉しないことだ。

 さらにまた、もし諸君が小さなつまらない事がらで相手と意見が一致している、そして一致していることをお互いに気持よく認め合うことができれば、大きな事がらで意見が一致しなくても、諸君は平静にまた効果的に相手を動かすことができる。反対に、諸君が日常の小さなつまらないことでいつも妻と意見を異にしているとすれば、重大な問題で、意見を一致させることはたいへんむずかしくなる。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

言葉
暁天(ぎょうてん)の星

 勿論、読んで字の如く、明け方の星のことであるから、「数が少ないこと」を言う。

引用元前記と同じ。下線太字は佐藤俊夫による。

外から与えられるものを素直に受け取って、そのままそれを実行するような従順な、あるいは個性のない人間なんて、いまどき、暁天の星ほどにもおるまい。

(ふゆ)(うら)らか

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 昨日は旧暦十一月三日で、日中は(ふゆ)(うら)らかに良く晴れていた。

 久しぶりに神田「まつや」へ蕎麦を手繰(たぐ)りに行った。

 入れ込みで少し寒い入り口傍の席に座を占め、蕎麦前に酒をぬる燗で一本、肴に焼海苔。

 向かいに座った頑固者らしい不愛想な男が身欠き(にしん)の煮たのを健啖していて、まことに「まつや」らしい一景と感じられた。

 「花まき」の熱いのをふうふう吹きながら手繰った。

 心地よい海苔の香りが立ち上る。蕎麦の喉越し、蕎麦汁の加減、どこをとっても申し分なし。

 程よく(ほと)びた海苔を味わいながら、そう言えばそろそろ新海苔の季節だな、とも思うが、まだ少し早い。名店「まつや」といえども、まさかに11月から新海苔など出すまい。

 海苔は春に収穫されるが、新海苔は冬寒いうちから「初物」を珍重して早々と出るのだ。暮の贈答用に選ばれるということもある。

 宵の口には針のように細く、キリッと尖った三日月が陽とともに沈んでいった。脇にクッキリと宵の明星を従えていく。

 冬らしくなった。明日はもう十二月、師走である。

 今朝は今週の「さえずり派」の季題を出題した。「さえずり派」はTwitterの俳句ハッシュタグ「#saezuriha」で詠む素人俳句だが、名の知られた俳人の方もいる。季題当番は適当に回る。当番は先週の土曜、平坂謙次さん @hedekupauda から回ってきていたのだ。

 「短日」で出題した。実際、とうに秋も終わり、夜長と言うより短日の実感が濃い。(うべな)うべけんや、研ぎすまされた針のような三日月も落日を追いかけようというものである。

さえずり季題~草抜き~As time goes by~SOBA満月~土用鰻~花火

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 先週、今日の「さえずり季題」のお題当番が回ってきた。今日は「土用の丑」だ。それで、先週当番が回ってきた時から、今日は「土用鰻」で出題しようと決めていた。

 朝早くに支度をし、出題する。

 家の周りの夏草が梅雨を吸ってボウボウになっている。厚手のゴム手袋をはめて草抜きをする。ビニール袋3つがパンパンになった。散々蚊に刺される。

 熱いシャワーを浴びてキンカンを塗りたくってひと段落する。

 以前私が編集・作成した動画、「『カサブランカ』名場面ベスト3」というのがある。その中で、ピアニストのサムがヒロインの求めで「あの頃の曲」をせがまれて弾く名シーンがあって、ふと見たくなる。

♪ You must remenber this
A kiss is still a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by

……なんぞと微吟して陶然となる。

 昼、行きつけの蕎麦屋さんへ行く。このところの気に入り店、新越谷駅傍の「SOBA満月」。

 今日の蕎麦前は「長芋の醤油漬け」で新潟の銘酒「吉乃川」を二合。

 この店の酒の肴はシンプルで飽きの来ない、美味しいものが多い。

 今読みかけの本を取り出す。平凡社の世界教養全集第3巻から、倉田百三の「愛と認識との出発」だ。「吉乃川」を呑みながら読む。

 この店は趣味の良い音楽を低く流していることが多い。今日も耳になじむ曲が流れている。読書するのにちょうど良い。気持ちいい……。

 と、そこでハッと気づく。これは、私が家でついさっきまで聞いていた「As time goes by」ではないか。しかも、繰り返し、繰り返し、流れている。

 本当に偶々(たまたま)だったのだが、実に嬉しいではないか。

 盃に一杯ほど酒の残っている頃おいに「おろし蕎麦」を十割の生粉打ちで頼む。

 大根おろしが爽やかで旨い。蕎麦の香りがよい。言うことなしである。

 「今日は花火に行かれるんですか?」と店主殿や奥様に聞かれて、「あ、いや、今日は台風6号による天候の影響で、中止と言う噂があるようですよ」などと、朝妻から耳で聞いたっきり、確かめてもいない情報を提供してしまった。結局、そのあと花火大会は実行されたのだから、ガセネタを流してしまったことになる。

 SOBA満月さん、ガセネタ流してごめんなさい。

 家に帰る。夕方まで本を読んで過ごす。いつの間にか眠ってしまう。

 晩御飯に鰻丼が出た。多少値が張るけれども、季節のものだからやっぱり美味しく、またぞろ一杯やりつつ平らげる。

 妻と連れ立って、近所の高所、「相生陸橋」へ花火見物に行く。多くの人が同じ目的で(たむ)ろしている。

 子供さん、お父さん、お母さん、若者、老人、皆ひろやかに花火を楽しんでいる。表情も明るい。

 台風の影響はほとんどないようで、しかも程よく風が吹き、涼しい。気象庁の梅雨明け発表は、関東甲信はまだだが、実感としてはもう梅雨明けと見てよかろう。

 帰りにコンビニでアイスキャンデーを買い、娘どもへのお土産にする。

酷暑トランプ

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 住宅密集地に住んでいる。この季節、外に出ると柿若葉が艶々(つやつや)として美しい。躑躅(つつじ)は完全に終わったが、花皐月(はなさつき)は満開、近所の家々の植栽も彩々(いろいろ)とりどりであり、多少汗ばむにもせよ、季節感横溢して楽しい。

 しかし、こう暑くては外出するにも片影(かたかげ)が恋しく、東西南北に道路の通った地元のこと、舗道を歩むにつけても、南に寄って建物の影を汗ばまぬようのろのろと歩くに()くはない。

 昨日はそうして、最近気に入りの蕎麦舗、最寄りの駅近く「SOBA 満月」へ蕎麦前の酒肴と、そのあとの蕎麦を手繰りに行ったことであった。

 それにしても、翌日、今日は異様な暑さである。北海道では5月と言うのに摂氏39度もの異常な気温を記録したという。これはむしろ災害と言ってよい。現地を案ずる。

 そんな中、米合衆国大統領ドナルド・トランプ閣下の来日だ。当然、国賓である。

 閣下は千葉でゴルフを堪能し、先ほどは国技館で大相撲の千秋楽を観覧、ひきつづき居酒屋で安倍首相と一杯やりつつ歓談の予定であるそうな。さぞかし「Too hot!」、否、「Extremely hot!!」とでも言いたかったことであろう。

 ネットを見ていると、トランプ大統領や大統領夫人の人格にケチをつけたり、大相撲観戦の仕方などにぐずぐずと文句をつけるような手合いが多少いるようだが、先ほど見たテレビの生画像では、国技館の観衆は米合衆国大統領を大歓声をもって迎え奉っており、日米関係は概ね良好に制御されつつあるようだ。

近況片々

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SOBA 満月

 先頃からすっかりファンになった新越谷駅前の蕎麦(みせ)、「SOBA 満月」。このところ毎土曜日昼の行きつけである。

 店主が体調を崩していて、先週、先々週の土曜日は閉まっていて残念であった。今日は本復されたようで、いつもどおりの営業だ。

 今日は季節メニューで「桜エビと新たまねぎのかきあげ」というのが出ていたからそれと、いつものように新潟県の銘酒「吉乃川」で蕎麦前をやって、生粉打ち十割の「もり」で〆。

 美味、至福と言う他なく、やめられぬ。

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 妻と近所の川べりの桜を見に行く。

 地元の隠れた名所で、美しい。

改元令奉祝

 (かしこ)きあたりにおかせられては、(かね)て改元の内意(あまね)く知ろしめられること(おそ)れ多く、去る4月1日、これを奉じた政府によりついに「令和」と布達されたことは誠にもって喜ばしいことである。

 (しづ)、このブログも早速改元に対応し、5月1日以降の日付に遺憾のないようにした。

 改めてテストしてみる。

2019/4/30 23時59分 → 平成31年(2019)04月30日(火)23時59分
2019/4/30 24時00分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時00分
2019/4/30 24時01分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時01分
2019/5/1 0時00分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時00分
2019/5/1 0時1分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時01分

……良く動く。いい感じだ。24時1分、なんぞというところも私の考えた動きである。

旧暦雛祭

 明日は旧暦三月三日、つまり旧雛祭(ひなまつり)。当然月は三日月。晴れれば日没後すぐ、針のような尖った月が日とともに沈むだろう。

東寺展

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 先日から東京国立博物館で「特別展 国宝 東寺――空海と仏像曼荼羅」というのをやっていて、(かね)てから見たいなあ、と思っていた。丁度上野は花見時だ。今年の東京の桜は、今週の火曜頃に満開になりだしたところである。

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 しかし、花冷えで天気はもうひとつ、行こうかどうしようか、と逡巡しないでもなかった。

 そんな(おり)、旧知のI君が、「佐藤さん東寺展を見に行く予定は?」とメッセージして来た。

 I君は私と同年配で、凝り性の趣味人だ。最近は仏像に非常に()かれるようになったという。そこで、こりゃもう、行きましょう、と私も勢いが付き、一緒に見ることになった。おっさん二人で仏像デートという、なかなかシヴい行楽である。

 朝から上野へ行き、I君と待ち合わせをした。

 上野公園は満開の桜で、朝の8時過ぎからたくさんの人がブルーシートを広げて花見の場所取りをしていた。今日の東京の朝の気温は7℃、曇天で日も差さず、夜からは雨もぱらつこうかという天気で、大変寒かった。震えながら鼻水を垂らして場所取りをしている人が少し気の毒でもある。

 そんな花見客を横目に上野公園を通り抜け、国立博物館へ行った。

 「東寺」は言わずと知れた世界文化遺産で、数々の国宝を蔵する大伽藍である。入唐・帰朝した弘法大師空海が嵯峨天皇から賜った国立の戒壇院であり、高野山が空海の拠りどころとするなら、東寺は空海の役所とでも言えるだろうか。

 今回の特別展では、その東寺から、国宝11、重要文化財4、あわせて15もの至宝至尊の他、数々の名宝が展示された。

 私としては「風信帖」「伝真言院曼荼羅」などに非常に興味がある。このうち「風信帖」など空海の真筆については、7年前の平成23年(2011)に一度、「空海と密教美術展」というのが同じ国立博物館で開催されたことがあって、その展示で見たことがある。だが、「伝真言院曼荼羅」については見たことがなく、予々(かねがね)見たいものだと思っていたのだが、念願(かな)って今日はその実物を拝することができた。

 I君は最近仏像趣味が昂じてきているので、是非とも東寺展は見なければならぬ、と思ったのだという。そんなI君が喜んでくれるのではないかと思い、若い頃買った「梵字の書き方」という釈家向けの教科書を携えていった。

 「種子曼荼羅」という、尊像の代わりに梵字を配した曼荼羅があるが、これを見る時にこの教科書を交々(こもごも)引きながら見ると、興味興趣が倍増するというわけである。

 仏像では国宝の「帝釈天(たいしゃくてん)騎象(きぞう)像」がポスターなどで話題になっており、また、この仏像は撮影が許可されている。私も愛用のコンデジで、男前の横顔を撮ることができた。左の写真がそれだ。

 I君とお互いに蘊蓄(うんちく)を交換しつつ、たっぷりと拝観することができた。

 帰りは新橋まで行って、「虎ノ門・大坂屋砂場」で蕎麦前を一杯やり、趣味のことなど語っては天婦羅蕎麦を手繰ったことだった。

 誠に眼福・口福の土曜日であった。

一杯

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 新蕎麦の季節ともなれば、どこかへ手繰りにいかなければやまないところだが、これはおいそれとはいかない。新蕎麦を出すようなところなど、そうそうはないからだ。

 最近すっかりお気に入りの新越谷駅近くの蕎麦舗「SOBA 満月」と言えども、簡単に新蕎麦は出すまい。

 そこで、せめては、ということで、蕎麦掻(そばがき)で一杯飲んで、それを動画に撮ってYoutubeに上げた。近所のスーパーの粉もの棚の蕎麦粉だから、当然新蕎麦だなんて贅沢なことではない。

 だが、まあ、そこは気分というもの。新蕎麦のような気になって飲み喰いする、というところだ。