夏人事

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 「夏人事」と書くと、普通は夏の人事異動を思い浮かべることと思う。私の職場なども、夏は一斉の人事異動があり、春と同じく送別会や歓迎会が多い季節である。

 だが、この「人事」という言葉、ビジネスや職務アサインの意味ではなく、もう少しゆかしい意味合いがあることをご存知の向きはあまり多くない。

 辞書を紐解いてみよう。手元の「広辞林」によると、こうした会社や職場に起こることの意味合いとしては「一身上に関した事項。個人の身分能力に関した事項。」と書かれている。だが、これはいくつかある「人事」という言葉の意味の、2番目として書かれており、この広辞林に限ってではあるが、人事という言葉がビジネス用語としての意味合いを第一義とはしていないことがうかがえる。

 では1番目にはどう書かれているのかというと、

「人間社会にあらわれる事件。人世の事実。」

……とある。

 なんだかピンと来ないが、実際のところ、少し古い言葉の使い方では、こちらの意味合いのほうが「人事」という言葉には濃かった。かつてはそういう使い方をしたのである。

 私が俳句を詠むときに愛用している角川の歳時記では、項目の配列が「時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物」となっているが、昔のスタンダードであった古いもの、例えば手元の平凡社のものなどでは、この中の「生活・行事」の項目は「人事」となっていたものであった。これは、他の歳時記でも同じで、私が子供の頃、俳人だった母が所属していた同人「京鹿子(きょうかのこ)」編集の歳時記でも「人事」としてあった記憶がある。

 試みに書店へ行き、何種類かある歳時記を繰っていただくと、「生活」となっているものと「人事」となっているものの2種類があり、古い編集のものほど「人事」とする傾向があることをご確認いただけるだろう。

 さて、この生活や行事と言った意味合いでの「人事」、歳時記でこの項目を見ていて最も楽しいと思えるのは、どの歳時記の人事の項目の中にも、ひとかたまりにまとめられている「食べ物」に関する部分だ。

 季節が夏だと、秋などにくらべて食べ物の記載はあまりないのではないか、と思われるかもしれないが、なかなかどうして、暑くて食欲が減退しそうな季節であるにもかかわらず、結構、夏の食べ物の季語は多い。

 試みに、角川の歳時記から抜き書きしてみると……。

  •  粽(ちまき) 茅巻(ちまき)、笹粽、粽結ふ
  •  柏餅(かしわもち)
  •  夏料理
  •  筍飯
  •  豆飯 豆御飯
  •  麦飯
  •  鮓(すし) 鮨(すし)、馴鮓(なれずし)、押鮓(おしずし)、早鮓(はやずし)、一夜鮓(いちやずし)、鮒鮓(ふなずし)、鯖鮓(さばずし)、鯛鮓(たいずし)、鮎鮓(あゆずし)、笹鮓(ささずし)、柿の葉鮓、朴葉鮓
  •  水飯(すいはん) 水飯(みずめし)、洗ひ飯、水漬(みずづけ)、飯饐ゆ(めしすゆ)、汗の飯
  •  冷麦(ひやむぎ)
  •  冷索麺(ひやそうめん) 冷素麺、索麺冷やす、流し索麺
  •  冷し中華
  •  冷奴
  •  胡瓜揉(きゅうりもみ)
  •  冷し瓜 瓜冷す(うりひやす)
  •  茄子漬 なすび漬
  •  鴫焼 焼茄子
  •  梅干 梅干す、梅漬、夜干しの梅、干梅、梅筵(うめむしろ)、梅酢
  •  麦酒(ビール) ビール、黒ビール、生ビール、地ビール、ビヤホール、ビヤガーデン、缶ビール
  •  梅酒
  •  焼酎 麦焼酎、甘藷焼酎(いもしょうちゅう)、蕎麦焼酎、泡盛
  •  冷酒(ひやざけ)、冷酒(れいしゅ)、冷し酒(ひやしざけ)
  •  甘酒 一夜酒
  •  新茶 走り茶、古茶
  •  麦茶 麦湯
  •  ソーダ水
  •  サイダー
  •  ラムネ
  •  氷水 かき氷、夏氷、氷小豆(こおりあずき)、氷苺(こおりいちご)、氷店(こおりみせ)、削氷(けずりひ)
  •  氷菓 氷菓子、アイスキャンデー、アイスクリーム、ソフトクリーム、シャーベット
  •  葛餅(くずもち)
  •  葛切(くずきり)
  •  葛桜(くずざくら) 葛饅頭(くずまんじゅう)、水饅頭
  •  心太(ところてん) こころぶと
  •  水羊羹
  •  ゼリー
  •  白玉
  •  蜜豆 餡蜜
  •  麨(はったい) 麨粉(はったいこ)、麦こがし、麦香煎(むぎこうせん)
  •  洗膾(あらい) 洗鯉(あらいごい)、洗鯛(あらいだい)
  •  泥鰌鍋(どじょうなべ) 泥鰌汁、柳川鍋
  •  土用鰻(どよううなぎ)
  •  沖膾(おきなます)
  •  水貝(みずがい)

……等々。

 読んでいてお腹が空いてくるような、つばきがわくような感じがしないだろうか。

 中には、例えば「筍飯」や「鮨」、あるいは「ゼリー」などのように、「へえ、これ、夏の季語なんだ?」と、思えるものもあるし、あるいはここにないもの、「新しい蕎麦は夏の盛りにでるけど?」というようなものもある。これは、「夏」というのが立夏から立秋直前までを言うから、というところにも理由がある。つまり、初夏はまだ筍の季節だし、新蕎麦の出る8月はもう秋に入っている、というわけだ。

 なんにせよ、今日も暑いが、なにかおいしいものでも食べて、元気を出したい。

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