所詮キリスト教の道徳如きこんなものである

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 まあ、そんなもん、キリスト教徒とかアメリカとかGLBTとかLGBTとか言うてもね、そんなもんアンタ、こんなもんですわ。カスの集まりですわそんなもん、ええ、ええ。ハハハハ。

銃異聞

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 アメリカでの乱射事件を受けてこういう記事もある。

 しかし日本で朝日がこんな記事書いてもしょうがないことで、次のようなことと併せて見てみないといけない。但しこれは前回のラスベガス事件の時の記事ではあるが……。

 実際のところアメリカ人はビクともしていない。乱射事件も戦争も、田舎のアメリカ人にとっては他人事である。

モデル叩いたって朝鮮叩いたってしょうがねェだろ

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 なんだか、水原希子というモデルとサントリーのプレミアムモルツのプロモーションの組み合わせが気に入らない人がいて、ツイッターで悪口なんか言うものだから、それがちょっと話題になっているようだ。

 頭の悪い好戦右翼である私は、この「リテラ」ってサイトがあんまり好きではないのだが、それにしても、ねえ。そんな私ですら、これはリテラの記事に一理あると思うよ。……まあ、スクリーニングや体系化のプロセスを経た紙媒体から本質ニュースを掴む、というサイトの主義姿勢からは大きく離れ、Twitterで踊っているというところが、この記事のちょっとアレなところなんだけどね。

 右が問題のTwitterのタイムラインとリプライなどだ。リプライはクリックすれば見られる。

 いま現在これを見ると、ボロカスに言ったとされるヘイト・ツイートはそれほど目立たず、むしろ水原希子側に立つツイートに埋もれて見つからないくらいで、一体誰がヘイトなんかやってるんだ、むしろ差別主義者なんて弱小勢力なんじゃねえのか、……などとも思えるが、さておき。

 いやもう、よくこんなことで盛り上がれるな、と思うねえ。ほんと、しょうがねぇなあ。いや、水原希子が政治家だとかなんとか言うんだったら話は別だよ? けど、そうじゃないだろうが。むしろ、逆に炎上気味を狙った製品プロモーションなんじゃねえかとすら勘繰ってしまう。

 モデルや女優なんてものの本領は、美しく目立ってセリフが回って演技が良くって人気がありゃあそれでいい。それが彼ら彼女らの至上命題、任務であって他の事はどうだっていい筈なんだ。多少の社会的な影響を考えて身持ちや慎重さなども要求されはしても、そんなこたァ芸能事務所や媒体が外側から勝手に管理すればいいことだ。タレント風情ごとき、政治家や倫理学者や思想家じゃねえんだからさ。モデルや女優なんか、アメリカ人だろうと朝鮮人だろうと、誰だっていいし、何を言おうが発表しようが勝手だ。その点、水原希子なんて人は、100点か90点かはわからんが、ともかく優秀な才能だろうよ。

 この「天皇陛下バンザイ」な私ですらそう思うんだからさ。

 ただ、この水原希子ってモデルさんも、ミョーに思想的なことなんか言わなければいいのに、ねえ。以前の靖国神社一件騒動に関するコメントとかさ。ほっとけよ、違う考え方の人なんか。どうして芸能事務所の方でそういうことが漏れ出たりしないように管理してやらんのかね。若い女なんだから、失言とか恋愛とか主義主張とか思想的な傾きとか、そりゃいろいろあるだろ。それが彼女の仕事になんの関係があるんかね。プレミアム・モルツの、肉をほおばってビールを飲む映像を見てみなよ、職人と言えるほどの完璧な仕事じゃないか。

共感は誰に

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 先日「野菊の墓」をはじめて読んで、その沁々(しみじみ)とした美しい悲しみと読後感に魂を洗われる思いがした私である。

 せめて中学生の頃にでも読んでいればよかったと思うが、迂闊なことに、50歳にもなって初めて読んだ名作文学だ。

 読んでみて、ふと思ったことがある。

 それは、この小説を翻訳してアメリカ人に読ませた場合、彼らはこれを理解できるだろうか、ということだ。

 アメリカ人なら「そこでなんで好きって言わんのだ」「なんでここで無理やり結婚ってことになるんだ、しかも15歳(満年齢)なんて子供じゃないか」「児童虐待、差別だ」と言うと思う。「あー、違う違う、そこはツッコむところじゃなくって……」などと説明しようとしたところで詮ないことだ。

 アメリカ人どころじゃない、下手すりゃ、現代日本人だってダロ勘でザッと3割くらいの人はそんな感想を持ちそうな気がする。

 彼らに言わせれば、さしずめ、

「ほんの100年前ですらジャパンは未開の蛮地だった。今のアフリカや中東と同じように強制的な児童婚が行われ、女性の学問も制限されるなど、おぞましく、(さげす)むべき後進性だ」

……などと言ったところだろう。

 違うんだ、そうじゃないんだ。進んでいるとか遅れているとかそういうことではないんだ。それぞれ違う次元に住み、歴史を経てきたんだ、……だが、そんな説明など、虚しいものだ。

 そこで更に考えたことだが、これを翻訳して読ませた場合、共感するような精神を持った人々がいる国はどこにあるだろう。そう考えてきてみると、韓国人・朝鮮人にはわかってもらえるのではないか、と思い当たる。文化的なもの、例えばドラマや音楽でも、前時代的なウェット感など、日本人と朝鮮人は似たようなものに感動するところがある。

 しかし、似たり寄ったりの両国民なのに、些細な違いをあげつらっては、2千年にわたって互いに激しく憎み合っている。多分、今後も永久に解り合えはすまい。誠に残念なことである。

正義の国、てw

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 以前、こんなことを書いたことがある。

 どう考えたって正義からほど遠いような殺戮の嵐に正義の看板をあげたがる、そういうのが嫌なのだ。正義正義言って他人に無理強いを持って来る、そういう人も嫌いなのだ。

 ところが、今日FB見てたら、いやもう、「アメリカは正義の国」という言葉が見えて、吹き出してしまった。

(誤解のないよう書き添えすれば、このサイトさんは「アメリカは正義の国です」などと主張しているわけでは決してない。そういう言葉が文の流れの上で出てくるというだけだ。この記事自体は「いろんな意見があるが、それでも、人類は誠実に平和を希求していくのだ」ということを言っておられるものと理解できる。そのことに私は何ら異存はない。)

 私流の「正義」というコトバ理解だと、「アメリカは正義の国」なんて言うのは「アメリカはガキの国」って言っているのと同じってことになるんだから。

 かえすがえすも、アメリカに正義正義言われると、なんっか、ハラ立つんだよな。

 ゴミ捨てよろしくそういうようなゴタクをダラダラネットに放流というか投棄していたら、ふと気づくと、この前作った核実験場訪問動画の広告収益が無効化されている。

 いや、まあ、アメリカ人はバカとか言っているそばからアメリカン・システムで小遣い稼ごうという私も(ずる)いっちゃあ狡いが(笑)、なに、あれ。突然収益化無効はなかろうぜ。

 ひょっとして、動画の中で「アメリカ人はバカ」って言ってるのが向うのシャクに障ったのかしらん。

 そういや、以前、ツイッターでキリスト教批判をしたら、ツイート消されたことがあった。で、抗議したら、しばらくしてから「いや?消えてないですけど?」という返事が来て、確かめたらいつの間にか見れるようになっていた。知らん間に消して、知らん間に戻しやがったコイツ、と思った。

 そういうシステム管理って、多分、何か名前があるんだと思う。苦情が来てから「いや、何も処置はしてないですけど?」ってすっとぼけるような。……実は、私にも身に覚えがあるのだ。……細部は書きませんが(笑)。

リンドバーグ第二次大戦日記(上)・(下)概見メモ

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リンドバーグ第二次大戦日記(上)・(下)
THE WARTIME JOURNALS OF CHARLES A.LINDBERGH:
Charles A. Lindbergh
Original copyright:Charles A.Lindbergh
This book is published in Japan by arrangement
with Harcourt Brace Jovanovich through
Charles E.Tuttle Co.,Inc.

チャールズ・A・リンドバーグ 新庄哲夫訳
発行昭和49年(1974)1月30日 新潮社

 先日、この本の内容に少しばかり触れたところ、なぜか興味を持つ人が多かったようであったので、特にリンドバーグが赤裸々に書いた下巻の該当箇所を抜書してみようと思う。

p.522

(1944年)6月21日水曜日

 日本兵士殺害に関する将軍の話──数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も太平洋地域で戦闘部隊と行をともにしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく──帰国する前にせめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。

 軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。今こそ日本兵を殺すチャンスだと、その捕虜は軍曹の前に引き立てられた。

「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」

「ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」

 偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。

 このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた。私がそのやり方に反対し、どうしても捕虜を殺さねばならないのなら疚しくない、蛮行に非ざる方法に訴えるべきだと主張すると、私は悠然たる侮蔑と哀れみの態度に接した。「野郎どもがわれわれにやったことだ。奴らを扱うたった一つの方法さ」

p.523

(1944年)6月26日月曜日

 談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の一人が答えた「ところが、我が方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」

「 * * * * *では2千人くらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」

「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と別の将校が調子を合わせる。

「例えば * * *隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」

 話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中の敵のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。もっとも、自分ならそんな真似はしたくないと断わる者が数名いた。「これも、最初はジャップの方からやり出した。奴らがその手を使いたければ、われわれ
にだって同じ手が使えるということだ」。落下傘にぶら下がったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。

p.524

( 1944年)6月28日水曜日

第475飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。我が将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。日本兵の死体から略奪したり、略奪の最中に死者を”野郎(サノヴァビッチ)”呼ばわりしたりすることも意に介さぬ。
(中略)
「ま、中には奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と将校の一人が言い訳がましく言った。

p.532

(1944年)7月13日木曜日

 ……話が日本軍と我が軍が犯す残虐行為に及んだ。我が軍の一部兵士が日本捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残忍な蛮行をやってのけていることも容認された。我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。事実、この点に関する我々の成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

p.558

(1944年)9月9日土曜日

……アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。
(中略)
 将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに、耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。「兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」。行く先先で聞かされる似たり寄ったりの話だ。