天皇陛下万歳。
国旗を降下する。良く晴れた天皇誕生日であった。
オッサンは生きている。
天皇陛下万歳。
国旗を降下する。良く晴れた天皇誕生日であった。
今日は旗日です
マンションの狭い通路に国旗を掲揚するのはちょっと無理があるので
靖国神社に行ったとき卓上の日の丸を買ってきました
色んな事情で国旗が飾れない人は、これでもお祝いの気持ちにはなれますヨ pic.twitter.com/AcSNqrWZjC— たみ (@mbaby48443861) December 22, 2016
よろしいッ! それでこそ日本人であるッ!!
こんな、いかにも「教員そのもの」の男が、大学の構内のこういう所にこんなデカい看板持って立っててだな、ボードにシール貼らせる式の公開投票なんかしてみろ、こんなところでこんなこと聞くような男なんざ、「軍事研究断固反対」の活動家だって顔に書いてあるようなモンじゃねえか。
そんな男が通行する学生に向かってだな、「オイッ!投票しろ!」なんて睨みつけながら迫ったら、そりゃ、学生は単位欲しいんだし、いい点数付けてほしいんだから、「はいいいいっ!軍事研究反対に投票しますっ!」って、ソッチにシール貼るに決まってるだろ。教員なんて公権力みたいなもんで、それで言えば教員と学生は、いわば「権力関係」にあるんだからさ。
こんな不公平、不誠実な投票なんかあるもんかい、北朝鮮の選挙じゃあるまいし。
「退位」という言葉については、まあ、この前の「譲位という言葉には『譲る』という天皇陛下の能動的な意思が含まれ、政治への容喙という憲法違反の恐れがあるから云々」という屁理屈を百歩譲って聞きおくにしても、「今の陛下」とはなんだ、「今の陛下」とは。不敬だこんなものは。断固不可だ。
オスプレイが沖縄で墜落した。
まるで「鬼の首でもとったような……」「祭りだワッショイ」のような、不謹慎なマスコミの騒ぎっぷりに腹が立つ。
私としては、負傷した搭乗員の一日も早い回復を祈るとともに、今後の軍務に支障が出ないよう、心ばかりながら見舞いを申し上げ、同時に、一般の
操縦者は傷ついた機体を巧みに操縦し、冷静な判断の上で真夜中の海上に機体を落下させた。無論、意図せざることとはいえ、空中給油モジュールをプロペラにひっかけたのは操縦者の責任だ。だがしかし、機体の無残な壊れ方から、正常な機動は極めて困難であったことは素人にも想像がつく。不幸中の幸い、操縦者の卓越した技術により絶妙な地点に落下し、2名の重傷者は出たものの、それでも全員命はあった。いわんや、沖縄県民に被害を出さなかったことは本当に良かった。
彼ら搭乗員は、遊んでいたのではない。なんのため、誰のために深夜の空中給油という困難な技術を要求される仕事をしていたのか。アメリカに故郷と家族のある者、大の大人が、それを、何のため、どこの上空でしていたのか。それは、誰のためなのか。なぜ今なのか。そんなことをなぜする必要があるのか。
クリスマスだのハロウィンだの、そんなキリスト教行事に浮かれる私たち日本人には、少し考えればわかることだ。たとえそれが自ら願ったことではないにもせよ……。
もとより、合理的なアメリカ人はしなくていいことなんかしない。危険を冒す必要も、アメリカ人が金を払う必要もさらさらない。だが、それをしなければならなかった。
それを日本中のメディアが
しかし、沖縄の副知事と面談したニコルソン中将も、まんまと副知事の挑発に引っ掛かってしまった。これは痛い。ここは腹が立ってもグッと我慢するべきだった。
ニコルソン中将が顔をゆがめて
つまり、この
いくら武闘派、軍人中の軍人である海兵隊中将と言ったって、中将と言う極官にある者が、しかも元来は明るく楽天的なアメリカ人が、ちょっとやそっとのことで激怒なんかするものか。おそらく、この一部始終を報じる新聞記事には、意図的に削除された行間がある筈だ。安慶田副知事の口汚く狡猾な挑発について全ては書かれていないということが、この前の「土人」事件の一連の報道から容易に想像することができるのだ。
さればこそ、……。オスプレイの搭乗員を庇う発言が、日本側から出る前にニコルソン中将から出てしまったのは、なんとしても惜しかった。
ニコルソン中将は、部下を
ニコルソン中将にしても、かの「ディベート」などという、品のない文化が
更に書きつのるなら、「やはり
「辺野古移転絶対反対普天間死守闘争断固完遂猛進激烈突撃激昂玉砕!!」
……みたいな、なんで、どうしてそうなンのよ、という、もう
うっすらと感じるのは、沖縄県民一般も勿論、沖縄をネタに活動する思想家の急先鋒も、自分たちが何をどうしたいのか、どういう生活を得たいのか、さっぱり
私はさきに、山下奉文中将が、この作戦中に一度も笑顔を見せず、絶えず何ものかに向かって怒りをぶつけているようであったと書いた。
その怒気をふくんだ表情の裏をさぐってゆくと、彼の理想とする軍と、当時の陸軍の間の思想の距離がまざまざと計り出される。
むろんこれは、どこまでも職業軍人としての陸軍のことであって、民間人としての一般兵隊のことではない。
一般の兵隊は、前にも記したように、
少く とも個人的な生活のすべてをなげうってご奉公を考えさせられている。その間には悲しいあきらめや郷愁は存在しても、戦うことがより正しい世界の創造に通ずるであろうということを、疑う余地など全く与えられていなかった。その意味では、近衞の新体制以来の東亜共栄圏建設の理念とかけ声は、そのまま彼らに滅私の奉公を強いる、何のかけ値もかけ引きもない
縋 りの綱になっている。日本人の中で、もっとも無邪気に正義の灯をしたって行動したのは天皇と、そして、その愛児であるこれら庶民の兵隊たちであった。天皇と庶民とはどちらも、辞任などという言葉でその責任を回避することのできない「日本人」であったからだ……
この見方と、今上陛下の譲位について並べ論じるというのも面白いだろう。
日経新聞の前身は「中外商業新報」といい、明治時代までバックナンバーを遡ることができることを知る。
国会図書館の場合、デジタル(日経テレコン21)で調べるときは昭和50年までしか検索できないが、マイクロフィルムは明治9年のものからある。
そのことに気付いたので、以前作った皇族薨去等時の報道の文言に関する資料を少し修正する。
祝日・勤労感謝の日である。国旗を掲揚し拝礼する。
今日は遠く飛鳥時代、皇極天皇の御世にその起源を
日本書紀巻第二十四「皇極天皇」紀には、
と、その年の天変などとともにこの新嘗の記述があり、日本書紀の中ではっきりと新嘗の記述が現れるのはこの箇所が最初であることから、これが新嘗祭の起源となっている。
この新嘗祭は、重要な宮中祭祀であるため、明治時代から祝日として定められていた。
戦後、「勤労感謝の日」と改められたが、宮中においては今も変わらず、天皇陛下おん
本来、「新嘗祭」は新収穫を
祝日「文化の日」である。国旗を掲揚する。
文化の日の趣旨が「自由と平和を愛し、文化をすすめる。」ことにあるのは、「祝日法」によって明らかであるが、その制定経緯を
戦後、政府は明治大帝の天長節(天皇誕生日)であった明治節を、「文化の日」として定着・記念することに成功した。GHQの影響まだ極めて大なる時代であるにもかかわらず、である。
当時の国民の選択と、またその選択をできる限り
畏み慎んで心から哀悼したい。
皇族最後の軍人であらせられた。戦後は平和と反省を真摯に訴え、学術の振興に尽力された。
また、私としては、また一つ、昭和をしのぶ