新聞嫌い

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 新聞が大きく書けばそれは大事件であり、そうでなければ取るに足りぬ小事にすぎぬ。

 百年に及ぶそういう時代にウンザリした。

ネット大好き、安いものだ

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ムームードメインとロリポップの値段

 このドメイン(satotoshio.net)の年間使用量の請求が来た。先行き1年で1382円。月額に直して115円17銭。これはGMOペパボ(株)の「ムームードメイン」というサービスを通じて使っている。

 これとは別にサーバ代が半年で1620円、月に直して270円。こっちも同じくGMOペパボ(株)の「ロリポップ!」というレンタルサーバのサービスで、「ライトプラン」という安いものを使っている。

 ドメインとサーバと、二つ合わせて月385円17銭。

 安いものである。

昔のメディアは、私如き凡百の一般人の文字など、絶対に取り上げることはなかった

 以前、自分の書いた文字列を世に問うには、自費出版などしか方法はなかった。例え編集者などを介さず、印刷会社と直接やり取りするとしても、また小部数でも、100万円単位でお金がかかった。しかも時間も必要だった。

 既存のメディアを使用するには、例えば自分の意見などを書く場合、新聞の投書欄などしか方法がなかったが、それには新聞の編集方針に(おもね)って、自分の考えでないことを書く必要があった。

 しかし今や時代は違う。書きたいことを好きなように書き、たくさんの人に見てもらうことができるのである。小説だろうと俳句だろうと屁理屈であろうとギャグであろうと、何でもだ。

 そのために払うお金として、1万円よこせと言われると少々躊躇もするが、前述のとおり、〆てたかだか月々385円である。

回線代金とプロバイダ代金は多少かかる

 インフラ代、つまり回線代金とプロバイダ代金がかかる。しかし、その一方で、私は新聞を読むのを何年も前にやめてしまっている。一方通行メディアをやめて、双方向メディアの代金に充てているというわけで、これは無視してよい。

 まったくいい時代になったものだ。

ローマの休日

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 先週家族と買い物に行ったとき、最近よくある著作権切れ映画の激安DVDが本屋のワゴンに並べられており、見るともなしに見ていたら定番「ローマの休日」もそこにあった。

 いつもならスルーなのだが、290円と言う値段もあり、なんとなくヒョイと買った。

 パッケージをぼんやりと眺めていたら、「脚本:イアン・マクラレン・ハンター、ジョン・ダイトン、ドルトン・トランボ」とある。

 えっ、なんだって?トランボ!?

 トランボというと、反骨の脚本家で有名だ。共産主義者だから私とは相いれないが、だが、その廉直と苦労の人生にはとても魅力がある。もうだいぶ前だが、週刊「ヤング・ジャンプ」連載の漫画、「栄光なき天才たち」に載っていたから知ったのだったか。だがたしか、その頃、名作「ローマの休日」の脚本家がトランボだとは、聞いたことがない。

 ググッてみると、なんと、トランボ死後およそ20年も経ってから、実はローマの休日の脚本はトランボが書いたものだと判明し、名誉を回復されるとともにアカデミー賞が贈り直されたのだと言う。平成5年に判明したというから、私が知らないのも無理もない理屈だ。

 のんびりと見始める。オードリー・ヘップバーンの美しさ。

 15分、窮屈な儀礼に泣き出してしまい、御用医師から鎮静剤を打たれたものの、一世一代大冒険、トラックの荷台に跳び乗って逃げ出す王女。

 18分、睡眠薬でグダグダの王女と新聞記者の出会い。

 24分、困惑するタクシーの運転手と新聞記者。

 27分、だいぶきわどい新聞記者と王女。

 30分、あくまで紳士の新聞記者(笑)。そして皇室は騒動。

 32分、ウソがマズいことになる新聞記者。

 37分、編集長に難詰されるうち、真相に気付いて大慌てする新聞記者。

 57分、けっこう楽し気に下町をうろつく王女。あとをつけつつ、逆にオロオロしはじめる新聞記者。スイカ持て余してるのが変。美容院。

 70分、ライター仕込みのカメラ。コロシアム。

 75分、王女様バイクで暴走。警察騒ぎ。

 78分、真実の口。

 83分、船上パーティ。

 88分、黒づくめ殺到、乱闘騒ぎ。

 91分、ビショ濡れ、チュー。

 94分、カワイイなあ、ヘップバーン。

 98分、お別れ。

 106分、傑作写真の数々。

 116分、立ち尽くす新聞記者。

北朝鮮人工衛星寸感

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 ミサイル騒動。つまるところ、これが北朝鮮からの「戦略的メッセージ」というやつである。文書や言葉でメッセージを流すのではない、実動によるメッセージである。北朝鮮は、言葉や文書では、ただの一言も、一行たりとも「これは弾道ミサイルです」などとは言っていない。だが、「これはミサイルだぜ」と(わか)(やす)く行間で表現しているのだ。

 世界は世界で、「これはミサイルだ!」と御大層に理解してやったわけだ。そして、北朝鮮にとっては無料で世界にメッセージングできたわけだ。しかも相当な音量で。人工衛星の開発・打ち上げの費用は別として、このメッセージングにかかったカネは、ほとんど世界中の新聞の購読者やテレビの視聴者がカンパしてやったようなものだ。新聞屋もテレビ屋も、無料でこれを載せ、放送してやったわけだから。

 北朝鮮に言わせれば、「意図したメッセージのとおりに受け取ってくれて、全世界よ、ありがとう!」ぐらいのものだろう。メッセージの作者としてのホクホクと喜ぶ顔が見えるようだ。これほど行間を読む優秀なメッセージの読み手ぞろいであってみれば、北朝鮮にとっては願ったり(かな)ったりだ。

 つまり、世界はいいように踊らされている、ということだ。ここまで来たら、奴らは制裁など痛くも痒くもないだろう。いつものことではあるが、だからこそ、これを北朝鮮が願うとおりに理解してやる必要なんかなかった。結果から言えば、むしろ、「これがミサイル?!んなわけあるかいアホ。貧乏人のくせにギャアギャアうるさいわ。失敗した人工衛星だろ、コ汚ぇ不良だな」という風に、ガン無視、過小評価した方が良かったほどのものだ。

 まあ、日本も冷静に「ああ、ミサイルね、はいはい。じゃ、お約束通りミサイル防衛配置。……ん?なに、終わったの?あ、そう。じゃ撤収」と、淡々としたものだった。これも、大音量ではなかったにせよ、一種のメッセージだ。メッセージだから、実際に撃墜出来るか出来ないかなんて事は後回しの問題なのである。

 だが先行き、日本も老獪に振る舞うべきだろう。ここは合気道の「小手返し」の技みたいに北朝鮮の力をそのまま借り、態勢整備なりなんなり、こっちの都合の良い方に(さば)いてしまうことだ。

 韓国はプレゼンスを発揮するために北朝鮮と対話をして見せようとするだろう、そして、その対話のために北朝鮮の目の前に金を積むだろう。過去そうであったようにだ。韓国はその金の出どころが日本になるように立ち回るだろう。

 それを避けなければならない。もし金を出すなら、韓国に条件を呑ませなければ駄目だ。しかし、彼らは呑むまい。したがって、絶対に韓国に金を出しては駄目だ。韓国と北朝鮮はお互い敵のようでいて、実は一緒くたの一蓮托生、痴話喧嘩で警察沙汰、裁判沙汰にまでなって離婚した夫婦が、どっこい今でも近所住まいでダラダラと関係を続けているみたいなものだ。朝鮮半島は分断されているようでいて実は朝鮮半島として一体のものなのだ。過去2千年の半島のグチョグチョ泥々ぶりから学ばなければなるまい。

 

株で少し損

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 今度の大暴落、さすがに少々損をした。一つは20%、もう一つは17%。

 自作の「株式売買ユーティリティ」は、澄まして損切りメッセージを出してくる。

 7年前の「リーマン・ショック」の時は、このメッセージに従わず、大損をしてしまった。システムが自作であるため、かえって自分のプログラムを信じることができず、ニュースや新聞の記事などから「ここは過敏に行動すべきではない」などと考え、つい買い建玉を持ったままにしてしまったのだ。失敗だった。

 今回はその時の教訓を守り、無情に損切り。冷徹に自作プログラムを信じ、その指示にのみ従う。損切りにあたって、新聞やニュースの論評は一切参考にしないことだ。ブン屋より私のプログラムのほうが正しい。

 今回の暴落では「売り」から入ったので、その分の儲けもあり、傷は浅い。

善意の知性は、屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運ぶ

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 知性は()むべき(かな)

 だが、知性を肯定する表明として私如き反知性主義者が最初にこう書いてみたところで、やっぱり知性は人をして度々(たびたび)罪人たらしめる。例えば原子爆弾の開発経緯を言えば、知性の残酷さを思って胸が千々に乱れざるを得ない。

 このところ、堀江貴文や酒鬼薔薇聖斗などと言った(まご)うかたなき犯罪人、しかもちょっとした条例違反だのの範疇ではない、よりにもよって物相飯(モッソウめし)を喰らい込んだ正真正明の刑務所(ムショ)上がりが大手を振って(もの)した出版が続出し、これがまかり通るばかりか人々が(こぞ)って買い込むという異様な騒ぎになっていることは、どうしても許容し難い。

 それをまた、誰がどう見ても知性、教養のあるはずであろう人たちが競って(もと)めている。

 私は、犯罪人の手記を出版してそれで金儲けをするような者に(くみ)する気持ちにはどうしてもなれないし、さらには犯罪人を許すことなどできないし、しない。

 良識と知性は同種のものではない。そこから、仮に悪人を理解するということが良識に属し、正しい行いとするならば、悪人とその被害者にまつわる一部始終を興味本位で覗き見るために投げ銭を施すことが、自分と異なる者、すなわち悪人を理解するための正しい行いと言えるだろうか。

 (いな)、これは野次馬根性と呼ぶべきもので、むしろ良識の立場からは遠い。これを知性の働きと言うならば、残念ながら、知性はむしろ悪人の側に属する犯罪的属性であって、これは良識の対極であると言わなければならない。良識と知性は相反するものではないと信じたいが、反面、知性は太古から人を殺してきたのだ。

 たとえ知性はなくとも良識はあると自負する人は、犯罪人の著書をうっかり買ってしまわないことだ。もし著書を買わなくても、少しばかり興味を持ってしまって、こっそりネットで検索しただけだとしても、それだけでも犯罪人どもには莫大な金が転がり込んでしまう。

 だから、一般人である我々は、そういう者に興味そのものを持たないように努めるべきだ。罪を犯して裁判でそれを認め、刑務所に放り込まれて、せいぜい10年がところ我慢してその一部始終を書き記せば、それで知性を称する野次馬どもがわんさか寄ってきて駄本が飛ぶように売れ、一生金持ち安泰などと、そのようなことが許されてよいはずはない。こんなことは被害者を愚弄しているとしか言いようがない。

 アメリカ人がこうしたことを禁ずる法律(Son of Sam law(サムの息子法))を作ったとかどうとかは、この際関係ないことだ。前例やアメリカがどうとかいう話ではない。前例などなくても、良識がこれを許すかどうかだ。アメリカが正義の基準であるかのように言い立てるのはやめてほしい。気分が悪い。

 堀江何某(なにがし)如き犯罪人への興味は、巧妙に新聞や雑誌によって紛れ込まされた文字や音声、写真、映像を読んだり見たりしてしまうことで呼び起こされる。
 
 私など、この種の記事や広告がSNS等でリコメンドやフィードされてきても、即、表示停止にしている。
 
 この種の出版は興味本位でついつい買ってしまうものだが、それは、一般大衆の行動を嘲笑うかの如くに見越した出版社の社長や営業が小(ずる)い商売をしているのだということに、いい加減気づかなければならない。こういう小狡い商人に「そんな商売をしても儲からない」ということを知らせるためには、個人個人が不買、不興味、不見聞の行動をとることだ。

 所詮こんな「売らんかな」の経営者なんてものは、数字しか見ていない。人情や愛、憐憫、涙、痛み苦しみ、そういう切れば赤い血の出る人間らしい心、数字では計ることができない魂の温かさなんて、こういう輩にはどうでもいいことなのだ。つまり、私などとは別の種、例えば宇宙人とか昆虫、電子頭脳のようなもので、数字しか見ていないような自称経営者なんてものと、心が通い合うことはありえない。犯罪人の手記を出す出版社の社長などこの類であって、私などにとっては犯罪人以上の敵である。

 こういう連中を理解しようと本を買ったり広告を見たりすることを、理性的な態度だと思っている善人は非常に多い。ところが、その一見理性に満ちた愛の態度が、奸智にたけた犯罪人や、それで金儲けを企む連中の思う壺なのである。知性のある人の理性的な善意を愚弄し、被害者を踏みにじって金に換えるのが奴らだ。言うなれば詐欺師である。

 「言論の自由」を言い立てるかもしれないが、今時、言論がしたければ莫大な金の動く出版に頼る必要はない。ほかにいくらも手段はある。それゆえ、金儲けありきの出版社が犯罪人の言論の自由を助けているという言い分は通らない。今や出版は「言論をネタに金儲けをするための老朽システム」でしかなくなって来つつある。

 つまるところ、善意を疑わぬ知性が悪を育てる。その知性に善意の自負が強ければ強いほど、それは屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運んでいく。

 私如きがたった一人で不買やアクセス拒否をしても、社会を変えることなどまったくできはしない、それはよくわかっている。だが、私はそれをやる。犯罪人や悪しき出版業者たちがそうであるように、私もまた、思ったことを許容され得る範囲で自由にしてよい、一個にして一乎(いっこ)たる、人格をもった社会人であるからだ。

The decoration meat bun

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 朝起きて、顔を洗って着替え、いつものようにリビングのカウンターに向かうと、妻が朝食を出してくれる。

 いつもはジュース、トースト、目玉焼き、コーヒー、牛乳など、だいたいそんなものだが、たまにはホットサンド、シリアル、ホットケーキなども出る。

 今日も欠伸(あくび)をしながらおはようと言ってスツールに腰をかける。妻は「今日はコレよ」と、「肉饅(にくまん)」を出してきた。前にも一度か二度はこんな朝食もあったが、珍しいことだ。

「いただきまーす!」
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 しかし、今日の肉饅は通常の肉饅ではなかった。肉饅の底面の平らな面が上になっており、普通はそこに丸い経木(きょうぎ)か紙が貼り付いているものだが、それがきれいにはがされていて、なめらかな白い肌になっている。その平らな面が白い生クリームで縁取られ、ショートケーキのようにデコレーションしてあって、赤や黄色のアラザンが振りかけてあり、真ん中辺に薄手のチョコレート片があしらってある。少しばかり金箔が飾られていて、なにやら美しいが、土台は温かな肉饅なのが変だ。

「ふへっ!?……ジュンコ、こ、これは……?」

「……?何、お父さん、これ、知らないの?最近『めざましTV』でやってて、すごく流行(はや)ってるのよ。」

「ははあ、流行りか。流行りならしょうがない。どれ……」

 てっきり、これはこういうお菓子風に作るための専用の肉饅で、中身は悪くしてもせいぜい餡饅(あんまん)だろう、と思ってかぶりついてみたのだが、

「ぐはっ!……かーちゃん、コレは、肉饅ではないか」

「……??肉饅ではないか、って、当たり前じゃない。そうよ。おかしい?」

「い、いや、……。おかしい、っていうか、うーん」

「お醤油つけるのよ、ほら。あと、練り辛子」

「ぬぅ」

 生クリームと醤油と中華オイスターソースの風味がよく利いたひき肉や(タケノコ)の具と練り辛子とチョコレートの珍奇きわまる味のハーモニーである。受け入れがたい。

 だがしかし、「これは流行っているんだ、人々が皆いいと言っているんだ、新聞だってテレビだって、有名な芸能人や評論家がこれはイイと言っているんだ、朝日の社説だって天声人語だってこれをきっと評価するのは間違いない、間違っていないんだ!!だから旨いものなのだ!飲み込め!受け入れろ!」と、無理やり賞味しているところで目が覚めた。

 ああ、中途半端に面白くもない夢だったなあ。

 平成二十七年大晦日、最後の夢が、デコレーション肉饅だったのは、なんの祟りであろうか。業の浅いこっちゃ(笑)。

 せめて明後日、初夢にはもう少し何か、富士とか鷹とか茄子とか、そういう夢を見たいものである。

島にイノシシどこから 海渡り? 厄介者急増中 山口:朝日新聞デジタル

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 自然の呼び声にしたがって自分で泳いでくるというんでは、どうにもしょうがない、止めるわけにもいかんわなあ……。

 ……っつーか、猪って、泳げるんだな。映像の様子では、「身を守るためにやむなく泳いでいる」というのとは全然違う、まるで水棲動物のように悠揚迫らざる様子だ。

 イノシシが田畑を荒らしたり、住宅地に出没して暴れたりする例が各地で相次いでいる。そんな中、山口県東部でイノシシの捕獲数が急増中だ。どこから現れたのか、陸続きの地域だけではなく、周防大島町や平郡島(へ…

情報源: 島にイノシシどこから 海渡り? 厄介者急増中 山口:朝日新聞デジタル

サイパンの慰霊関連施設 中国人客急増「手がつけられず」 (産経新聞) – Yahoo!ニュース

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日本の慰霊碑や旧日本軍施設への悪質な嫌がらせ行為が相次ぐ背景には、日本人観光客の – Yahoo!ニュース(産経新聞)

情報源: サイパンの慰霊関連施設 中国人客急増「手がつけられず」 (産経新聞) – Yahoo!ニュース

もうダメだな。