読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第13巻「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」のうち、最後の「詩をよむ若き人々のために Poetry for You」(C・D・ルーイス Cecil Day Lewis 著・深瀬基寛訳)を読み終わった。

 題名こそ「詩をよむ『若き人々』のために」となっているが、著者は少年少女向け、私の読後の印象では小学校高学年から中学生くらいまでを対象にこの本を著したように思われる。というのは、恋愛に関する詩の解説で「みなさんくらいの年齢の方々にはちょっとわからないかと思いますが」というふうに書いてあるところがあるからだ。だが、その割には高度な英詩論がこれでもかと満載にしてあり、はたしてこれがイギリスの中学生に理解できたのかどうか、多少疑問も感じる。さればこそ、訳者による解説には、少年少女だけでなく広く一般に読まれた、という意味のことが書かれてあるのであろう。その点でなるほどと納得できるのである。しかも本書は、その高度な詩論が、平易に、わかりやすく噛み砕いて書かれてある名著だと思う。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「詩をよむ若き人々のために」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.438より

じつのところ、みなさんが旧約聖書をおよみになればみなさんはヘブライの予言者たちの多くはほんとの詩人であったことを知るでありましょう。太古のむかしから詩と魔術とのあいだにはある密接な関係があったのです。

 これはなるほど、本当にそうだ、と同感した。

p.444より

してみると俗語というものは、それを見て、ひとびとがじぶんの想像力をさかんに使用していることが証明されるばあいには、いいものであるが、俗語が惰性的に機械的にしゃべられることを示しているばあいにはわるいものであると考えていいでしょう。

 上の引用は「ことばのひびきはピカピカ光る」と題された一節の最後の一文である。この節は、「詩の機能は、言葉と言葉の出会いによる、言葉の絶え間ない再創造にある」という意味のことをテニスンの詩の一行を例に引いて説いている。私の趣味は俳句を詠むことだが、本節はその上でも重要な示唆を与えてくれている。この一節を読むだけでも、この書を開いた価値が多大にある。

p.490より

皆さんの中には『ハムリン((ママ))の笛吹き』Pied Piper of Hamelin というブラウニングの詩をご存じの方もたくさんあるでしょう。

 ブラウニングというと、妻のエリザベス・ブラウニングも名詩人だ。以前、この全集の第5巻中「現代人のための結婚論」の中に引用されていたエリザベス・ブラウニングの詩を翻訳して書き留めておいたことがある。

 さておき、「ハーメルンの笛吹き」の童話と言うと、私はグリム童話という認識を持っていたが、実はいろいろな記録があるようだ。ブラウニングの詩にこの話があるとは知らなかった。青空文庫にその古い日本語訳がある。

 次は第14巻、「新文章読本(川端康成)/日本文芸入門(西尾実)/世々の歌びと(折口信夫)/俳句読本(高浜虚子)/現代詩概観(三好達治)」である。第13巻とは打って変わって、日本文学一色である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第13巻「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」のうち、四つ目、「世界文学をどう読むか Eine Bibliothek der Weltliteratur」(ヘルマン・ヘッセ Hermann Hesse 著・石丸静雄訳)を朝の通勤電車の中で読み終わった。

 前書「文学――その味わい方」同様、浩瀚(こうかん)な書名リストが付されており、それはヘルマン・ヘッセが推奨する文学リストであると同時に、彼自身の読書目録でもある。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「世界文学をどう読むか」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.392より

 ここらで前置きはたくさんだとしよう! 努力するめいめいの人にとって、世界文学の尊ぶべき画廊は開かれている。量が問題ではないのだから、その豊富さにびっくりする必要はない。一生の間に十二冊ほどの本ですましながら、しかも真の読書家であるという人がいる。また、あらゆるものをあさり散らして、何についても心得顔で意見を述べるが、しかも彼らの骨折りはすべてむだだったという人もいる。なぜなら、教養とは、なにか教養されるべきものを前提とするからである。それらが存在しない場合、教養が実体なしにいわば空虚のなかでおこなわれる場合、知は生じ得るかもしれないが、愛と生命とは生じえないのだ。愛のない読書、畏敬のない知、心情のない教養は、精神にたいする最悪の罪の一つである。

p.417より

高い意味での読書を学ぶことは、新聞とか、たまたま目にふれた現代文学とかによってはできない。傑作によってのみできることである。傑作は流行の読み物ほど甘い味も刺激的な味もしないことが多い。傑作は真剣に受けとられ、獲得されることを欲する。あざやかに演ぜられる舞踏を受け入れるほうが、ラシーヌの戯曲の厳格な、鋼鉄のように弾力のある措辞、あるいはスターンやジャン・パウルのような人の微妙なニュアンスのある、ゆたかに戯れるユーモアを受け入れるより、容易である。

 傑作がわれわれによって真価を証明される前に、まずわれわれが傑作によって自分の真価を証明しなくてはならない。

 次は引き続き同じく第13巻より、「詩をよむ若き人々のために Poetry for You」(C・D・ルーイス Cecil Day Lewis 著・深瀬基寛訳)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第13巻「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」のうち、三つ目、「文学――その味わい方 Literary taste」(A.ベネット Arnold Bennett 著・藤本良造訳)を帰りの通勤電車の中で読み終わった。

 本書は英文学入門、英古典入門と言ってよい内容で、この本に沿って多くの古典を読んでいけばよいように書かれている。本書の終わり近くに浩瀚(こうかん)な書籍リストがあり、ぜひそれらを読むように勧めている。それに従えば非常に広く深い英文学の世界を楽しめるのだろうとは思うが、今はこの世界教養全集を先に読み進めたい。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「文学――その味わい方」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.309より

数学や競技は大したもので、チェスは手ごわく、ヴァイオリンではハイドンがこなせる、というある若い数学の教授が、かつてなにかの本についてのおしゃべりを聞いたあとで、わたくしにいったことがあります。「そうだ、文学をものにしなけりゃ」と。これはいいかえれば「ぼくはうっかり文学のことを忘れかけていたが、他のことはみんなやってしまった。こんどは文学をやってやろう」ということであります。

 こうした態度、あるいはこれに似たものは間違っております。

p.321より

古典は喜びの源泉でありちょうどミツバチが花を見過ごすことができないと同じように、少数の熱情的な人々にはそれをうち捨てることができないので、存続しているのであります。かれらは正しいからというので「正しいもの」を読むのではありません。それは本末を転倒しています。かれらがそれを読むのを好むからこそ、「正しいもの」はそれのみで正しいものなのです。ですから――そしていまこそわたくしがいおうとするところにきたのですが――文学の趣味にたいする一つの重要で欠くことのできないことは、文学に激しい興味を抱くことであります。もしあなたがそれをもっていらっしゃるならば、他のことは自然についてきます。

p.330より

 ある特定の本の価値について議論をしているときに、人々がこういっていることがあります――それは文学者の前では自身の文学的見解を述べるのに臆病な人々ですが――「文学的に見ては拙いかも知れないが、ひじょうにいいところがある」とか、「おそらく、文体はかなりひどいものだろうが、じつにこの本は面白くて、示唆に富んでいる」とか、「わたしは専門家でないから、文体のよさなどはどうでもいい。問題なのは内容のよさだ。それさえよければ批評家がなんといおうとかまわない」などその他同じような意見でありますが、どれもこれも話し手の気持ちのなかには、文体とはなにか補助的なもので、内容と区別できるものといった考え方、つまり古典として残るようなものになろうとしている作家は、まず内容を見つけだして、それを纏めあげ、それからいわゆる批評家という連中のお気に召すように、文体という()(しょう)でお上品に身づくろいさせる、という観念のあることを示しています。

 これは誤解であります。文体は内容と区別することはできません。作家がある考えを思いつくとき、かれはそれを言語の形で考えます。

p.332より

 悪い文体だが内容がいい、ということはありえません。その点もっと綿密に調べてみましょう。ある人があなたにあるすばらしい考えを伝えたいとします。そしてその人は言葉の形を用います。この言葉の形がかれの文体なのです。

 ……いやもう、一刀両断、バッサリ、である。

p.373より

文学を失った世界では、ごくわずかの例外的な天分に恵まれた者は別として、すべての人々の知的、感情的活動は急速に狭い範囲のものに衰え、かつ委縮してしまうことでしょう。広範で、気高いとか、寛容といったものは、じきに姿を消し、それにつれて人生は堕落してしまうでしょう。なぜなら人を欺く思想やくだらない感情が、天才の思想や感情によって向上されるようなことはないでしょうからです。文学のない社会を考えあわせることによってのみ、文学の機能が平野を山頂の高みにたかめうることを、はっきりと理解できるのであります。

チャールズ・ラム

 著者は文学の入り口としてチャールズ・ラム Charles Lamb の「エリア随筆」に収められた一編、「幻の子ども――夢想」を熟読玩味することを勧めている。この作品から読み始めれば、それを糸口に、広大無辺、莫大な英文学の世界へ入っていける、というのだ。

 日本でも早くからあらゆる文学者に激賞されてきた作家なのだそうだ。だが、恥ずかしいことに、私は名前も作品も聞いたことがなかった。

言葉
桂冠詩人・湖畔詩人

 桂冠詩人の本来の意味はギリシア・ローマの詩人の代表格のことなのであるが、英文学に関して言うかぎり「英王室お抱え詩人」のことだそうな。なんと今でも桂冠詩人はおり、今はサイモン・アーミテージという詩人が桂冠詩人をつとめているという。

 一方、湖畔詩人は「湖水詩人」とも言い、19世紀にイギリスの北の方の「湖水地方」が「詩人ファーム」の様相を呈しており、詩人がうじゃうじゃいたのだそうで、かれらを十把ひとからげに湖畔詩人と言うもののようだ。どうも「湖畔詩人」という言葉自体には、文学への尊敬や古き良き時代への憧憬と同時に、そこはかとない揶揄のようなものも含まれているような感じがする。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.17より

その人たちのうちにはワーズワース(イギリスにおけるロマン派に一時期を画し、のちに桂冠詩人となった。一七七〇―一八五〇――訳者)、サウジイ(ワーズワースとともに湖畔詩人と呼ばれ、のちに桂冠詩人となる。一七七四―一八四三――訳者)、ハズリット、リイ・ハント(イギリスのジャーナリスト、キーツ、シェリーと交わり、詩人としても名がある。一七八四―一八五九――訳者)があります。

 次は引き続き同じく第13巻より、「世界文学をどう読むか Eine Bibliothek der Weltliteratur」(ヘルマン・ヘッセ Hermann Hesse 著・石丸静雄訳)である。

 ヘルマン・ヘッセと言えば、名作「車輪の下」の作者として知らぬ者のないドイツの大作家であるが、彼が著した文学ガイドとは、果たしてどのようなものだろうか。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第13巻、「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」を読んでいる。

 帰りの通勤電車の中で、二つ目の「文学とは何か Introduction à une science de la littérature」(G.ミショー Guy Michaud 著・斎藤正二訳)を読み終わった。

 文学についてそれが一般的な論なのかどうかは私はよく知らないのだが、本書で著者ミショーは、「文学の完成は8割は読者や批評家・評論家によってなされる」と主張しているように思う。実際、本書の物理的分量の、ざっと8割は読者が何をなすべきかという論に()かれており、作者がどのように作品を()むかについて書かれているのは残りの2割に過ぎない。そして、作者がどのように作品を生む「べき」かは、書かれていない。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「文学とは何か」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.204より
厳密な意味では――文学とは「美しい文章」ということである

 上記は、下記の部分に(つな)がる一節のタイトルである。

p.205より

 そこで、われわれは、ごく狭い意味での文学を、定義づけて、こんなふうに、いおうと思う。

 「文学とはすべて、『美しい文章をさしていうのである。」と。

 しかし、それにしても、「美しい文章」の名に値するものとは何かということになると、その判定の仕方は、はなはだ困難である。それに、いったい、だれが、「美しい文章」としての価値のある無しを、聞かせてくれるのだろうか。……

p.221より

サルトル流にいうならば、“作品はまず存在し、出会い、世界のなかに出現するものなのだ”。

p.241より

太古のひとびとの心のなかでは、詩と文学とは、ひとつに溶け合っていた。そこにあるものといえば、ただ歌であり、ただリズムであり、ただ諧調であった。それというのも、太古のひとびとには、「自然」と「超自然」のけじめがつかなかったからである。たとえば、眼前(がんぜん)にめらめらと音を立てて燃える火がある場合にも、かれらには、それが物理現象としての燃焼であるのかそれとも、何かの(おん)(りょう)が焔をあげているのであるのか、このふたつのもののけじめは、はっきりとはつけられていなかったのである。

p.297より

われわれは、文学については、ハーモナイゼーション、そしてオーケストレーションを語ることが、正当の権利として、なしうるのである。じじつ、マラルメがいみじくも(かっ)()したように、文学は、ペンと紙とによって書かれたものであるという点からは、ページにおける一種の同時性が存在するとも、いいうるのである。

 上記の部分は、私には「果たしてそうか?」と感じられ、疑問である。著者はこの部分を含む章で文学を音楽と対比しているのだが、多数の楽器や声部が同時に演奏される音楽に比べ、文学はどうしても、鑑賞の瞬間瞬間には、シリアルに流れる一文字一文字の羅列を消化していかざるを得ず、同時に別のページや段落を著者ミショーが言うように味わうには、一度作品を読み終わった読者の記憶によるしかないから、どうしても音楽と同レベルのハーモニーを楽しむことはできないのではないか。

 この部分は、むしろミショーが、文学が音楽に対して劣る部分を羨望を含めて「ああ、もし文学がこうであったなら!」と言い立てているようにも感じられる。

p.299より

 結論的にいえば、ほんものの作品においては、すべてが切り離しがたく結びついているのである。そして、ひとつの書きかたしかないようにひとつの読みかたしかないのである。だから、われわれが、ひとつの作品を理解し、またその作品とともに生きようと思うならば、われわれは、つねに、作品のもつ多様性を、統一性に従属せしめうるように努めなければならないのである。

 正しい意味での“調和の追求”。これこそが、文学作品を読む唯一の仕方であり、究極の目的なのである。

 次は引き続き同じく第13巻より、「文学――その味わい方 Literary taste」(A.ベネット Arnold Bennett 著・藤本良造訳)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第13巻「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」を読み始めた。

 まずは一つ目、「世界文学三十六講 Literaturgeschichte」(クラブント Klabund 著・秋山英雄訳)を読み終わった。

 人類創生、すなわち文学の萌芽から書き起こし、ヨーロッパ、中でもドイツ文学に軸足を置いてはいるものの、エジプト、ギリシアはもとより、中国、日本、アラビアなどまでを壮大な視野に納め、現代のヨーロッパ文学に至るまで一気に語り尽くすという稀有の書である。

 とりわけ、これまで読み進めてきた十数巻の中で、これほどアラビアの文学について広範に噛み砕いて記したものは他になかったように思う。

 著者クラブントこと詩人アルフレート・ヘンシュケ Alfred Georg Hermann “Fredi” Henschke は、享年38で夭逝(ようせい)している。若くして世を去ったにもかかわらず、本著だけでも数百以上の世界文学を紹介している。その眼光たるや億兆の紙背を貫徹しているといっても過言ではなく、38歳で亡くなった人が()し得たこととは、(にわ)かには信じ(がた)い。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第13巻「世界文学三十六講」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.16より

 エホバ、それはなんと驚くべき不倫の神であることか。かれは人間を創り、それに罪を犯させ、そして苦しめ、われとわが手で人間のなかにまいた種子の実ゆえに罰するのだ。かれは復讐の神である。そしてまた、目には目を、歯には歯と説く残酷なおきての神なのだ。エホバ、ユダヤ人の神、マカベールの神であり、愛と恵みの神たるインドの神の概念からははるかに後退した神であった。キリストが、インドの神の概念に戻ることによってはじめて、このエホバにとどめを刺した。この神は慈悲を知らない。アブラハムに対しては息子を殺せと命じたではないか。かれは、祖先の罪には孫代々にまで復讐を呼びかけるのだ。かれは寛容ということを知らない。キリスト以後最大のユダヤ人であるスピノザを、オランダの正統派ユダヤ人たちはどのようにあしらったか(スピノザがユダヤ教団から破門されたことをさす)。

p.69より

“臣民”なる観念が今日なおドイツ人の血に深くしみわたっていることは、国法と権力妄想の哲学者たち、ビスマルクやヘーゲルやルターに大いにその責めを帰さなければならぬ。ところでルターは、そのなかでもだれより重要な、したがって、だれより有害な代表者であった。

 ルターは一般に偉人とされているような気がするが、文学上の立場からこういう非難があるのは知らなかった。意外だな、と思った。

p.102より

最期の戯曲「ヴィルヘルム・テル」で、シラーは“自由”の理念に形を与え、いまいちど“あらゆる国々の被圧迫者”の味方になっている。これは数々の点で処女作「群盗」の血を引いた作品である。どんなに文献をこねくりまわし道徳をてらって詭弁を弄してみても、この戯曲がテルの行為をかりて政治的暗殺を弁護し、賛美してさえいることを、ごまかすことはできまい。どんな戯曲も、テロリストにささげられた祝典劇としてこれ以上適当なものはありえまい。個人的なテロがこの作品ではさん然とした栄光につつまれている。テルはシラーの意識下の深層から出てきた青年時代の人物であるようにわたしには思える。この人物は、ドイツの小邦における専制君主の一象徴として描かれたゲスラー(カール・オイゲン公)に死の矢を向け、ついに自由の身となるのだ。

 ……つまりウィリアム・テルを「テロリスト」呼ばわりしてディスっている(笑)。まあ、ディスるというとアイロニー(皮肉)めいているから、これは「別の角度から評論している」というように書けばよかろうか。

p.121より

 人間的にも詩的にも人を感動させる革命歌「シレジアの織工たち」はハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の作である。

暗い(まなこ)に涙は消えて、
かれらは織機(はた)に向かって歯をくいしばる、
“ドイツよ、おれたちは織る、
お前の(きょう)帷子(かたびら)を三重の呪いをこめて織る。
 おれたちは織る、織ってやる!”

 ハイネほど激しい論争の的となったドイツの詩人はいない。かれは信仰者であって悪徳者であり、ユダヤ教徒であってキリスト教徒であり、善人であって悪人であった。生前にも死後にも、純粋な、そして不純な愚か者たちから、かれが激しく非難される原因となったのは、かれの本質のこの二重性である。

p.123より

 ハイネは新聞記者の典型であり、ヨーロッパで最初のジャーナリストであり雑文家であった。ルードウィヒ・ベルネ(1786~1837)やカール・グツコウ(1811~78)と同じように、かれは客扱いの悪いドイツから逃げ出して、亡命先のパリから“専制君主と俗物”を攻撃した。人々はこの外国からのかれの闘争に気を悪くして、ことにかれのホーエンツォルレン家に対する態度をこころよしとしなかった。しかしかれは政治評論や論文(「フランスさまざま」等)のなかで、まぎれもない勘と炯眼(けいがん)をそなえた政治家であることを示した。かれが「ルテツィア」のなかでヨーロッパの未来をどのように予見しているか一読されるといい。かれはドイツ対イギリス、フランス、ロシアの一大“活劇”、“凄惨きわまる破壊戦争”を予言している。“だがそれは大活劇の第一幕、いわば序幕にすぎないだろう。第二幕はヨーロッパ革命、世界革命であり、有産階級と無産階級との大闘争である。その場合、国民性も宗教も問題にはならないだろう。一つの祖国、すなわち地球と、ただ一つの信仰、すなわち地上の幸福だけが、存在するであろう……”

 ハイネはこういった革命の予防法として、すでに国際連盟の構想をも抱いていた。共産主義についても今日読んでみて驚くほど造詣が深い。

p.156より

 「ロシアはどんな国とも境を接してはいない。ロシアは神と境を接しているのだ」といったある若いドイツの詩人のことばは、ドストエフスキーの口から出たとしてもおかしくないであろう。というのは、すべて偉大なロシア人たちは、西ヨーロッパ的なものを追放し軽侮して(ぱん)スラヴ主義を説いてきたのだが、ドストエフスキーもまた、精神的汎スラヴ主義の理念をきわめて(ちょく)(さい)につぎのことばで述べているからである。“ロシアはキリストであり、新しい救世主であり、神の民である” 汎スラヴ主義に従えば、ひとたびロシア自らが救われたならば、全世界はロシアによって救済されることになる。ロシアなる至高の理念は、汎スラヴ主義者たちにとっては、熱狂してわれとわが肉を切り刻むことを意味するからだ。

p.156より

ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書いたが、最初の三巻を書き終えたとき、自分がまだ序の口にもついていないことを知った。ロシアでは何事にせよ終りというものがない。だから、たいてい初めから手をつけないということになる。人々はどんな種類の理念だって飲みほすばかりか、すぐにへべれけになる。ふつか酔いがあとを断たないのだ。

p.187(解説・秋山英夫筆)より

 本書の著者クラブントはドイツの詩人アルフレート・ヘンシュケのペン・ネームです。

 かれは肺病の詩人でした。巻頭のかれの写真を見ても、なんとなく“影がうすい”という印象を受けます。本書のなかでも、肺結核に悩まされた詩人にふれて、”だれか一度は、肺病だった詩人の文学史を書く必要があるだろう”と書いています。二十世紀も後半の現代においては、幸いに結核はそれほど文学的な病気とも思われなくなりましたが、ドイツ文学の場合をちょっと思い出してみても、シラーからカフカまで、肺病の詩人たちがつぎからつぎと出てきます。クラブントもまたその一人だったわけです。

 「文学的な病気」というところに、なんだかちょっと、肺結核と言うものがかつて持っていた「記号性」というか、そういうものを感じて面白く思った。

言葉
冠冕

 冠冕(かんべん)と読む。以前、「ロダンの言葉」を読んだときに、字が逆になっている「冕冠」という言葉が出てきたが、これは「冕」のついた冠、皇帝がかぶる冠のことであった。してみると「冠冕」とは、冠に付ける「冕」、いちばん先端のところ、転じて「すぐれたもの」というような意味にもなろうか。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.17より

そしてかれに仕えた者は、その報いを受けるのだ。“汝死にいたるまで忠実なれ、さらば我れ汝に生命の冠冕を与えん”

 次は引き続き同じく第13巻より、「文学とは何か Introduction à une science de la littérature」(G.ミショー Guy Michaud 著・斎藤正二訳)である。中表紙裏の著者略歴によれば、著者のギー・ミショーは経歴の(つまび)らかでない謎の大文学者らしい。しかし、数々の研究著作により有名なのだそうな。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 本巻収載書の最後、「ベートーヴェンの生涯 Vie de Beethoven : 1903」(ロマン・ロラン Romain Rolland、平岡昇訳)を読み終わった。

 短く、強く、簡潔に、感動と讃仰を以って楽聖ベートーヴェンの生涯を(しる)してある。もはや、半ば散文詩と言ってもよい。図らずもベートーヴェンその人だけでなく、第1次大戦の始まりから第2次大戦の終わりまでの長い間反骨を貫いた筆者ロマン・ロランの魂のありさまが(にじ)み出ているように感じられる。

 短い作品なので、手持ちのCDやYouTubeでベートーヴェンの作品集などを聴きながら読めば、全部聴き終わる前に読み終えられるだろう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「ベートーヴェンの生涯」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.510より

「彼は優しい微笑を浮かべたものだし、人と話すときには、よく親切な励ますようなようすをしていたものだ。それにひきかえて、笑いかたは不愉快で、荒荒しく、しかめっ面になり、それに短くとぎれてしまうのだった」と、モーシェレスはいっている。――つまり、喜びに慣れていない人間の笑いだった。

p.541より

彼の死ぬ四ヵ月前、一八二六年十一月に彼の書き終えた最後の作、作品第一三〇番の弦楽四重奏の新しい終曲(フィナーレ)は、非常に陽気なものである。事実、この陽気さは世の常のものではない。それはあるときはモーシェレスが語っている荒々しい急激な笑いであるかと思えば、またあるときは克服されたおびただしい苦悩を底にたたえた感動的な微笑であったりする。ともあれ、彼は勝利者なのだ。彼は死を信じない。

 (ちな)みに、その「作品第一三〇番の弦楽四重奏」(弦楽四重奏曲Op.130)の終曲(第6楽章)というのは右の曲である。

p.544より

貧しい、病弱な、孤独な一人の不幸な人間が、この世界から喜びを拒まれた、苦悩そのもののような人間が、みずから「歓喜」を創造して、それを世界に贈るとは! 彼は自分の不幸によって歓喜((ママ))を鍛えあげたのだ。それは彼が次の誇らしい言葉で((ママ))いい表わしたとおりだが、その言葉には彼の一生が要約されており、それはあらゆる雄々しい魂にとっての金言でもある。

「苦悩を経て歓喜へ」
Durch Leiden Freude
一八一五年十月十日、エルデディー伯爵夫人に

 次は第13巻、「世界文学三十六講(クラブント)/文学とは何か(G.ミショー)/文学――その味わい方(A.ベネット)/世界文学をどう読むか(ヘルマン・ヘッセ)/詩をよむ若き人々のために(C.D.ルーイス)」である。

 これまでの絵画や彫刻、音楽といった芸術分野とはまた趣を異にし、今度は文学である。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 収載書の五つ目、「回想のセザンヌ」Souvenirs sur Paul Cézanne (E.ベルナール Émile Bernard 著・有島生馬訳)を読み終わった。

 著者のE.ベルナールは自身もポスト印象派の画家として画壇に一隅を占めつつ、限りなくセザンヌを愛した人物である。

 本書には、著者ベルナールが長年私淑していたセザンヌにようやく会い、親交を深めていくことができた喜びが溢れている。時にはセザンヌのことを正直に「偏屈爺さん」とまで書いているが、それはいわば限りない尊敬と愛とによる。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「回想のセザンヌ」より引用。
一部のルビは佐藤俊夫が増補した。
他の<blockquote>タグ同じ。p.479より

いつも翁を軽蔑していた連中が、パリの新聞で翁の評判がいいのを知るや急に寄ってきて、日常の生活や仕事に交渉をつけたがった。「奴らはなにか私が手品の種でも隠しているように、あわよくばそれを(ぬす)むつもりでやってきたがるのだ、(と目をむきだして)だから片端から断わってやった。一人だって、誰一人だって……(とますます怒気を含んで)寄せつけて莫迦にされるものか」

p.495より
エクス・アン・プロヴァンス 一九〇四年四月十五日
親愛なるベルナール君

 本書を受け取らるる前に君はたぶんベルギーからの通信を落手されたであろう。お手紙により芸術に対する君の深甚な同情の確証をえて欣幸とする。

 たびたび説明したと同じことをここに再びくり返すのを許してください。自然は球体、円錐体、円筒体として取り扱われねばならぬ。そのすべてが透視法に従い、物体と(プラン)の前後左右が中心の一点に集注さるべきである。

 この部分は、静物画を得意としたセザンヌの有名な主張である。

p.502より

 ルゥヴルは読み方を教える本に等しい。しかしながら先輩の美しい処方の踏襲で満足していてはならぬ。。自然を研究するためにその園内から踏みだそう。それから精神を解放しよう。各自の()(ひん)に従って自己表現に努めよう。時間と省察とがすこしずつ幻覚を調節し、ついにわれわれが理解に到着するだろう。

言葉
寂か

 これで「(しず)か」と読む。

  •  寂か(漢字ペディア)
下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.484より

 十時が鳴った。王をブゥルゴン町へ送っていった。月光の訪れた寂かな町の間をいつまでも話が尽きずに歩きまわった。

掌る

 「(つかさど)る」である。

p.494より

 一度も挨拶する機会をえなかったマリィ・セザンヌ嬢……翁の妹が家計万端を処理しておられた。家政、毎週の小遣銭、出入商の通帳などの世話まで掌り、誠実な愛情でそれを果たしたのみならず、善良な基督信徒として翁に無形の保護を怠らなかった。

呑噬(どんぜい)

 この「世界教養全集」は「ルビ」はあまり懇切には振られていない。しかし、この言葉は珍しくルビ付きで記載されていた。

 「飲み込んでしまうこと、のまれてしまうこと」を「呑噬(どんぜい)する」「呑噬される」という。

p.499より

マルセィユ港外に着いたときははっきり太陽が見えだしたのに、風は依然強く、ところどころに山頂を見出すのみだった。われわれはまったくシムン(サハラ砂漠で隊商を苦しめる熱風で、地中海および南仏の名物であるミストラルと匹敵すべき害風)のために呑噬(どんぜい)されてしまっていた。

頤使

 「頤使(いし)」と読む。「()」は訓読で「(おとがい)」と()み、おとがいとは(あご)のことである。つまり、「アゴで()き使う」ことを「頤使」と言う。

p.503より

どうか絵をかきつつ死ぬようにと祈っている(Je me suis jure de mouriren peignant.)。すべての老人が襲われるところの憐むべき赤ん坊(ガティスム)の状態になって、その暗愚な感覚に従い、心猿の頤使に一身を任すより、その方が万々勝っている。

雲烟過眼

 本文ではなく、有島生馬による解説の方に出てくる。「雲烟(うんえん)()(がん)」と読み、ものごとを軽く見過ごしにしてしまうことである。

p.506より

 私はパリについてから、この一枚のセザンヌを見たには見たが、この無名画家の、はなはだ目立たない作品を、マネの「オランピア」や、ルノワールの「ぶらんこ」や、モネの「カテドラル」と比較しようとしなかった。というより雲烟過眼していた。

窃か

 同じく解説に出て来る。「(ひそ)か」と()む。

 「窃盗」という言葉の「窃」であるが、これは「ぬすみ、ぬすむ」という重意の言葉ではなく、「コッソリぬすむ」という意味であることがこの「窃か」の訓みから逆に解るわけである。

p.506より

一般大衆の注目を惹かないのも、これではあたりまえであるが、大衆の目をひかないほどの陰にかくれながら窃かな光、重さ、大きさを備えている奥ゆかしい芸術というものは類が少ない。

 次は六つ目、「ベートーヴェンの生涯 Vie de Beethoven : 1903」(ロマン・ロラン Romain Rolland、平岡昇訳)である。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 収載書の四つ目、「ゴッホの手紙」(V.ゴッホ Vincent Willem van Gogh 著・三好達治訳)を読み終わった。

 ゴッホと言うと、言わずと知れた「ポスト印象派」の代表的画家でありながら、不遇や、狂気に(さいな)まれ早世した人だとされているように思われる。ところが、画家として精魂を傾けた短い年月に残した作品は驚くほどの量である。その量たるや、たった10年の間に2100枚以上に及ぶという。

 この書簡集を読んで感じたことは、ゴッホは文章にしても、「書いて書いて書いて、書きつくしてなお書いた」というふうに感じられることだ。すなわち、仮に現在知られているゴッホの手紙を全て日本語に翻訳したら、原稿用紙でおよそ7千枚にもなるそうである。今残っているものだけでもこれだけのあるのだから、その量は途方もなく、尋常ではない。

 文章を書くことも絵を描くことも、ゴッホにとっては「表現」ないし「表出」の、燃え出るごとき欲求のやまざるところであったのだ。愛する人々に送った書簡の数々は、息を呑むような美しい風景の描写とそれへの賛嘆に彩られ、かつ、苦悩と自嘲と、それを乗り越えんとする意思とに満ちている。

 もしゴッホが画家を志さず、文筆家を志したら、これも後世評価を得たのではなかろうか、などと感じる。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「ゴッホの手紙」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.455より
(651)〔オーヴェール 一八九〇年七月二十三日〕

 愛する弟よ。

 君の手紙と、同封の五〇フランの手形と、きょう、ありがたく受け取った。

 たぶん、僕は君に向けて書きたいことがいっぱいあるはずなのだが、それを書き始める気にならない。書こうという欲望が、ぜんぜん起らないのだ。なにやら、書いてもむだだ、という感じがするのだ。

 僕は、君の所へ、例の紳士がたお歴々が、よい仕事をもってきてくれるといいがな、と願っている。

 僕自身についていえば、僕は、ひたすらカンヴァスに打ちこんでいる。かねてから敬愛し賛美していた画家たちに負けないような、よい仕事をしたい、と努力している。

 いまや、僕は、どたん場の所まで引き退った。僕は考えるんだが、絵かきってやつは、ますます背中を壁に押し付けられ、ますます窮地におちいりながら、血みどろの戦いをするものなんだね。

 それならば、それでいいんだ。……しかし、画家たちに、むしろ時機遅きに失した感のある、あの団結の有用性を理解させるように努力する時期は、今なのではあるまいか? かりに団結の形態がととのったところで、いっぽうで、残余の者の足並みが揃わなければ、結局、失敗に終わってしまうだろう。何人かの画商が、印象派を援助するために、大同団結することもありうる、と君はいうかもしれない。しかし、それも永続きはしないだろうよ。思うに、先に立って(おん)()をとる人物が無力なんだね。そうなると、僕らにはその経験があるわけなのだから、僕らこそ、もういちど、いいだすべきなのではなかろうか?

 僕は、ブルターニュから送ってきたゴーガンの絵を見たが、ひじょうにいいものだった。彼があそこでかいた、その他の作品も、いいものにちがいない、と僕は思っている。

 近いうち、ドービニーの庭園を描いたスケッチを、君に見せよう。これは、僕がもっとも苦労した絵の一つなのだ。このほかに、藁ぶき屋根の家をかいたスケッチ一枚と、雨のあとの広いムギ畑をかいた三十号のカンヴァス二枚とを送るつもりだ。ヒルシーフから、君に頼んでくれと、いわれたことなのだが、君が僕のためにいつも送ってくれている例の絵の具屋に、同封のリストに従って、絵の具を注文してやってはくれまいか。

 タッセから、代金引換えで、直接本人に送り届けさせる手もあるのだが、それでは、二〇パーセント余分に支払わねばならぬので、ばからしいというのだ。それとも、僕あての絵の具の小包の中に、そいつを同封してくれてもいい。その勘定書を添付してくれるなり、その総額を僕にいってくれるなりして。そうすれば、彼から、その代金を君に送らせるようにする。ここでは、いい絵の具は、なんとしても、手に入らぬのだ。

 僕自身の注文は、ぎりぎり最小限度に減らした。ヒルシーフは、すこしずつ、わかり始めている。僕にはそうみえる。彼は、老校長の肖像をかいたが、よくかけている。――それから、彼は、風景の習作をいくつかかいているが、そいつは、君の所にあるコーニングスに似ている。色彩が、まるきり同じなのだ。そのうちに、ヒルシーフの風景画は、コーニングスそっくりになるか、あるいは、いつか君といっしょに見たことのあるヴェールマンみたいなものになるだろう、と思っている。

 きょうは、これで失敬する。君の商売の好調を祈っている。ヨーによろしく。心からなる握手を送る。

つねに君のものなる ヴィンセント

 ドービニ―の庭園だが、前景に輝く緑の間にピンクの花の咲いている(くさ)()がある。左には、草藪とライラックの茂みと、葉の(しら)みがかった木の幹。中央には、バラの花壇。右手には、くぐり門、壁。その壁の上に、ヴァイオレットの()(むら)をつけたハシバミの木が、姿をのぞかせている。それから、ライラックの垣根。黄いろい(つぶ)らの()をつけたライムの木のつらなり。家そのものは、背景(バック)に置かれている。青いタイルで屋根をふいた、ピンク色の建物。そこに、ベンチが一つ。椅子が三脚。黄いろい帽子をかぶった黒い人影が一つ。その前景に黒ネコが一匹。空は淡い緑。

 この手紙の日付は明治23年(1890)7月23日、すなわち自傷行為に近い拳銃自殺の4日前の手紙であり、弟テオドール宛のものとして知られている手紙651通の651通目、つまり最後の手紙である。

 次は四つ目、「回想のセザンヌ Souvenirs sur Paul Cézanne」(E.ベルナール Émile Bernard、有島生馬訳)である。ベルナールは、ゴッホにも連なる画家である。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 収載書の三つ目、「ロダンの言葉」(A.ロダン François-Auguste-René Rodin 著・高村光太郎訳・今泉篤男編)を読み終わった。

 ロダンと言えば知らぬ人のない大彫刻家であり、学校の教科書にも「考える人」の写真が載っているし、日本では上野の西洋美術館に「地獄の門」や「考える人」、「カレーの市民」の同鋳作品があるから、多くの人がその作品にも(じか)に接している。

 一方、訳者の高村光太郎というと、日本の誇る大芸術家で、こちらも知らぬ人などない。

 本書の成り立ちについては、「ロダンの言葉」というロダンその人の著作がもともとあったわけではなく、ロダンが数多く残した断章を、高村光太郎が収集・翻訳してまとめたものだ。高村光太郎は、ここにおいては透明な翻訳者であるが、しかし、その選択や表現におのずと高村光太郎の芸術に対する気持ちやロダンへの畏敬が現れ、自然「高村光太郎を通したロダンの言葉」となって本書はまとまり、光彩を放っている。また、さすがは彫刻家であることは勿論、詩人にして歌人、多くの文筆を残した高村光太郎の翻訳で、翻訳専業家や研究者の翻訳とは異なり、日本語として成り立たないような解りづらい表現が少なく、格調、詩的な美などが横溢していて読みやすい。

 本書の底本として挙げられている資料のうち、「クラデル編『ロダン』」というのがあり、ひょっとして「クラデル」というのは「クローデル」の古い書き方で、かのカミーユ・クローデルのことか!?愛じゃないか!……などと少し動悸が高まったが全然違っていて、この「クラデル」というのはジュディット・クラデルというロダンと同時代のフランスの女性ジャーナリストである。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「ロダンの言葉」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.330より

 私の目指すのは、忘れてくださるな、諸君の旅する時ランス、ラン、ソワツソン、ボーヹーという光栄ある道筋を諸君が取るように納得させることである。

 ここで、「ランス」はランス・ノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Reims)、「ラン」はラン・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Laon)であるが、「ソワツソン」「ボーヹ―」は聞き慣れないし、だいいち「ヹ」ってどう読むんだよ、などという声も聞こえてきそうである。これは「ヴェ」と思えばよい。古い翻訳なので、こういう仮名遣いが出て来るわけである。似たような古い仮名遣いには、「(ヴァ)」・「(ヴィ)」・「(ヴォ)」などがある。

 「ソワツソン」は想像のつく通り「ソワッソン」あるいは「ソワソン」で、ソワソン・サン=ジェルヴェ・サン=プロテ大聖堂(Cathédrale Saint-Gervais-et-Saint-Protais de Soissons)、ボーヹ―は「ボーヴェ」で、ボーヴェ聖ピーター大聖堂(Cathédrale Saint-Pierre de Beauvais)のことである。

 本書には他に、「ヹヌス(ヴェーナス)(ビーナス)」「(ヴァ)チカン」「(ヴェ)ネチヤ(ネチア)」というような標記も多々出て来る。

p.336より

ずいぶん長い間、中世期の芸術というものは存在していなかったと定められてあった。それは――わかるまで飽かずに繰り返すが――三世紀間も飽かずに繰り返していわれた侮辱であった。

 上の言葉は、ランスやサン・レミの大聖堂とそのキリスト教芸術に心からの賛嘆を述べた後に出て来る言葉である。

p.346より

 辛抱です! 神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。芸術家の資格はただ智慧と、注意と、誠実と、意志とだけです。正直な労働者のように君たちの仕事をやり遂げよ。

 これは、同じようなことをアランも、ヴァン・ルーンも言っている。アランはミケランジェロの書簡の中にそうしたことを見出して戒めとしている。

p.358より

 芸術家は傾聴さるべきものである。

 ()ねられるのではない。聴かれるのだ!

p.361及びp.380より

 自然を矯正し得ると思うな。模写家たることを恐れるな。見たものきり作るな。この模写は手にくる前に心を通る。知らぬところにいつでも独創はあり余る。

 ……この言葉は、私の趣味の俳句にもあてはまるように思え、感じるところがあった。

 このようにあるためには、家から出て、多くのものを見なければならぬ。それを写さなければならぬ。

p.388より

 (クレールが彼の素描を見て日本芸術を思うといった時)

 ――それは西洋の手段で出来た日本芸術です。日本人は自然の大讃美者です。彼らはそれを驚いたやりかたで研究しまた会得しました。御存知の通り、芸術というものは自然の研究に過ぎませんからね。古代やゴチックを偉大にしたのはこの研究です。自然です。何もかもそこにあります。私たちは何にも発明しません。何にも創造しません。

p.404より

 自分の描形におめかしをする芸術家だの、自分の文体で賞讃をを博そうとする文学者だのは、軍服を着て威張るけれども、戦争にゆくのを断わる兵卒や、光らせるために鋤の刃を年中研いでいながら、地面へそれを打ち込まない農夫のようなものです。

言葉
塋崛

 そのまま音読みすれば「えいくつ」だが、本書中にはこの言葉に「カタコンブ」とルビが打ってある。

 「塋崛」で検索しても判然とはしないが、「塋」「崛」と文字ごとに調べれば、「塋」とは墓地のこと、「崛」とは山などが聳え立ち、抜きん出る、独立している様子を表すという。

 これらの意味からすると、「塋崛」でカタコンブを指すのも、無理はないようには思うが、しかし、同じ「クツ」でも、「窟」をあてて「塋窟」とした方が、地下墓地であるカタコンブには合っているのではなかろうか。……などと思って「塋窟」で検索してみると、やはりこのほうがヒットする。

 いずれにせよ、古い古い書き方と文字である。決して日本語の普通の文脈に出てくる文字ではあるまい。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.336より

 形律の感動! じつに古くからのものだ。かすかな道すじによって、思念は遡りまた流れ下り、ついにフランス建築の大河の源、塋崛(カタコンブ)にいたる。

靉靆

 「あいたい」と読む。(もや)(かすみ)のかかった、ボンヤリとした様子のことである。「靉」も「靆」も、「たなびく雲」という意味の漢字である。

  •  靉靆(goo辞書)
  •  (漢字ペディア)
  •  (同じく)
p.349より

 この朝は最後の地平線にいたるまで静かである。いっさいが休む。いたるところのんびりとした、整然とした効果に満ちる。幸福はそこら中に見えている。好い日和に色づき薫らされた靉靆(あいたい)の気。

剜型

 「剜型(くりかた)」だが、()み方は(わか)っても、なんのことやらさっぱり知らず、この字で検索しても出てこない。

p.354より

 剜型(ムーリユール)は、その内面精神で、その本質で、製作家のあらゆる思想を再現する。言明する。剜型(くりかた)を見、剜型を会得する者は建築を見る。

 最初のルビの「ムーリユール」で検索しても、さっぱりわからない。

 ところが、「繰形」でWikipediaを見ると、「廻り縁」のことであるとわかり、更にそのフランス語版を見ると、「Moulure」とあって、「ムーリヨ」みたいな発音である。

 しかし、ここで言っている「剜型」というのは、次のようなもののことであろう。

 本書中の他の部分でも、「卵型を埋め込んだ……」云々、と言及しているところがあるからである。

冕冠

 「冕冠(べんかん)」と読む。古い時代の日本の天皇はもちろん、東洋の国王や皇帝が着用した冠のことである。

 「冕冠」の「冕」の字は、「冠」とほぼ同じ意味と思ってよい。

  •  (モジナビ)
p.357より

 私が人体に多くの変化ある美があり、多くの偉大があるという時、私は、閉じ込められているこの傑作の中の魂が、すなわちこの傑作の冕冠であり、主権であるということを、明らかな真理として仮定しているのである。体躯の中から魂を発見しましょう。

盤桓

 「盤桓(ばんかん)」。のろのろと歩き回ることである。

p.361より

 心は傑作の上に盤桓する。われわれは傑作に対してしか心を持たない。

甕想

 これが、辞書を引いても、漢和辞典を引いても、まったく意味が解らなかった。どなたか教えていただきたい。読みは多分「甕想(おうそう)」でいいと思う。意味は、字義から言うと、恐らく胸に抱いている想い、というようなことではないかと思う。

p.391より

世人の考えるところでは、私は何かしらぬ異常なもの、夢幻、文学的彫刻、つまりあの人たちの想像の中にしか存在しないような甕想を求めていたというのです。

 次は四つ目、「ゴッホの手紙 Correspondance generale de Vincent Van Gogh 」(V.ゴッホ Vincent Willem van Gogh、三好達治訳)である。

 美術家のゴッホの手紙を、これまた高名な詩人である三好達治が訳したというものだ。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」を読んでいる。

 収載書の二つ目、「芸術に関する101章 Préliminaires à l’esthétique 」(アラン Alain 著・斎藤正二訳)を読み終わった。

 原題は「美学入門 Préliminaires à l’esthétique 」であるが、訳者(斎藤正二)が原書の著述経緯から、訳書名を「芸術に関する101章」としたものだそうである。

 著者のアランはフランスの哲学者で、日本で言えば明治時代に活躍した。本書は101の掌章からなる芸術論である。一つ一つの章は短いので、肩を凝らせずに読むことができる。内容も正鵠(せいこく)を射る感じがする。翻訳であるから、難しい漢語なども出てこないが、しかし、恐らく書かれた当時の、誰でもが知っている時事などを、「説明するまでもあるまい」と言ったような筆致で織り込み済みにして書いていると思われる文脈があったり、扱っている題材が段落の中で急に変わって飛躍する箇所があったりして、そうしたところは(かい)(じゅう)で、読み(づら)い。

 本書でアランが一貫して説いているのは、芸術における技術(テクニカル)の重要性である。技術もなしに魂だけで何かを目指すというのは不遜だ、というような主張が随所にある。しかし、天才を否定するのではなく、「手を動かす天才」「仕事をする天才」を礼讃している。

 面白いのは、当時出現したばかりで、発展中であった「レコード」や「映画」や「ラジオ」について、決して受け入れようとせず、芸術としては最悪だ、というふうに()き下ろしていることだ。アランは明治元年(1868)の生まれで、円盤型のレコードが実用化されたのは明治20年(1887)、映画が発明されたのは明治27年(1893)、ラジオが登場したのは明治33年(1900)だから、アランの壮年期、レコードも映画もラジオもまだまだ拙劣であったことは仕方がないと思うが、アランはこれを攻撃してやまない。映画なぞボロクソもいいところで、白黒だからいけない、音がないからいけない、それらは永久の欠点だ、と決めつけている。……少し待てば、トーキーもカラーも出て来るのだが……。ただ、(うなず)ける点もある。それは、「レコードも映画もラジオも、俳優や演奏家が観客や聴衆と断絶している。劇場では観客の反応を感じながら演じることができた、拙劣な演技や演奏には、物が投げつけられたり口笛が鳴らされたりした。演じ手はそれによって学習し、より高くなった」という意味のことを説いている点だ。私は、受け取り手の状況など無視して一方的に流し込まれる情報の時代が100年以上も続いたことは、アランの説く通り、人類の悲劇であったと腹の底から思う。そのことを考えるとき、現在のネットを通じた発信者と受信者の双方向のやりとりを、アランは、果たして夢想していたかどうか、興味の尽きないところである。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「芸術に関する101章」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.114より

しかるに現代は、つまらない発明にあふれ、このことが大衆の趣味を堕落させ、いっぽう、識者に非難の声をあげさせているわけだ。しかし、いつの時代でもこのとおりであった、と私は思う。気違いどもが発明している間に、賢者たちは、せっせと模倣していたのだ。模倣者のうちでも、いちばん生気のある者が、おのれの気質を、おのれの絵筆の癖を、おのれの(のみ)づかいの癖を、おのれの風刺を、おのれのアクセントを、そのなかに盛りこんだのであった。

p.115より

 崇高な筆致(トレ)というものは、つねに、しごく平凡なものである。崇高な曲も同じである。多くの作者は、自力でそれを追求したかのような感をいだかしめる。しかも、ついにそれを発見しえた者は、他人の仕事からなにをえたかについては、けっして、語ることができない。ストラディヴァリウス(ここは、イタリアのクレモーナの楽器製造人アントニオ・ストラディヴァリウスをさしている。一六四四―一七三七年)は、新しいヴァイオリンの形を発明したのではない。ゴチックの大伽藍は、誰の発明によるものでもない。

p.115より

模倣し、模倣しぬくべきなのである。そして、模倣しながら発明すべきなのである。模倣することによって飛躍をうる芸術上の独創の秘密は、じつは、ここに隠されているのだ。それは、音楽家が、巨匠の書いた曲を弾くことによって、みずからの飛躍をうるのと、ちょうど同じである。

p.136より

ミケランジェロの彫った首一つを見ただけでも、もっとも驚嘆すべき独創というものが、きわめてありふれた事物に近いことを、悟らされるだろう。それは、まったく、凡庸と紙一重である。だが、才能のない職人と比べてみるならば、その差異は、はっきりしているのだ。

p.137より

今日の芸術家たちが、目先の新しいものとか、前人未到のものとかを、躍起になって追い求めているさまを見ると、私は、ふきだしたくなるのである。

p.142より

 『第九交響曲』のいおうとすることを、一ページか二ページの散文でわからせることができると仮定したならば、もはや、『第九交響曲』は存在しないであろう。音楽が風の音や雨の音を模写するとき、その音楽は、時間を浪費しているのだ。音楽が悲劇的情熱を叙述するとき、その音楽は、時間を浪費しているのだ。一言でいえば、ある芸術作品が芸術作品たりうるのは、それが、おのれ自身しか表現していない場合である。すなわち、それの表現しているものが、他のどんな言語にも移しかえられないという場合である。

p.184より

教養とは、最良のモデルを前にしての、絶えざる物真似であり、絶えざるサル真似である。

p.184より

ひとを説得する技術は、けっして、聴く者の意見を変えることにあるのではなくて、かえって、これに、理性らしい外観をじょうずに与えることにある。

p.190より

宮廷人であったゲーテは、お化け(オンブル)をばかにしたが、そのことによって、ゲーテ自身もまた、お化けであった。しかし、ゲーテは「永遠なもの」をも見た。「あらゆる人間は、その立場において、永遠である」と、彼はいった。芸術とは、物事をけっしてばかにしない、こうした記憶をいうのである。ファウストは、それ自身によって、永遠に存在する。

p.208より

だから、名将軍である以前に、まず、将軍であらねばならないのである。つまり、実際の敵軍を前にして、実際の軍隊を指揮しなければならないのである。

p.220より

 懐疑論者のなかでも、おそらくいちばんの変り者であるヒューム(デーヴィド・ヒューム。科学を信ぜず、ひたすら経験と観察とによって普遍的原理を探求しようとしたため、懐疑的実証主義と呼ばれる。1711-76年)は、直線が円と接することは不可能だということを、おもしろがって唱えたものである。――なんとなれば、この二つの線に共通な点が一つなければならない。ところで、円上のもっとも小さな点も、つねに円に属している。すなわち、曲がっているはずである。また、直線状のもっとも小さな点も、つねに直線である。ゆえに、この二つのものは、合致することができない。そう、ヒュームはいった。

 上記のことは、無論、「接線とは何か」を考え抜くことによって微分法に到達したライプニッツと、「速度とは何か」を考え抜くことによって微分法に到達したニュートンによって、同時に整理されてしまっている。本書中でも、上の引用の直後の部分に「ライプニッツはそれをはるかに超越した次元からこの()(ろん)の風景を眺めていた」という意味のことが述べられている。

P.246より

 私はミケランジェロの手紙を読んだ。あなたがたにも、一読をおすすめしたい。まるで、石工の仕事場にはいったような気がするだろう。このどえらい男が、一度も、美ということを念頭におかなかったのは、明らかである。彼は、一つの作品を手がけたかと思うと、すぐに、べつの作品へと移っていった。彼の心労の種子(たね)はといえば、大理石をどうやって手に入れるか、石切り職人や船頭や車引きに支払う金をどうやって手に入れるか、ということであった。彼は「すばらしい霊感がやってきてほしい」などとは、絶対にいわない。そのかわり、彼は「材料と時間とがほしい。新しい教皇が、前任者の計画を続けてくれればよいが、と思う」というのだ。長期にわたる、困難な仕事のことだけが問題なのであって、完璧な美しさに仕上げたいとか、感情を表現したいとかいったことは、どこにも書いていないのである。その語調は、あくせくと心を労し、気むずかしい主人を持ちつつ、稼業に精だして働く、辛抱強い男のそれである。自意識というものもなく、名声を欲する考えもない。私には、これほど、自分自身に対して身を潜めた、滅私の芸術家がいた、とは思われない。このような男にあっては天賦ということも、仕事がうまいという以外のものでは、絶対にありえなかったし、趣味の悪さということも腕の悪さにしかみえなかったのだ、とまでいいきることが必要であろう。バッハも、同じように、だめな音楽家のことを、「あいつは、自分の稼業に通じておらん」といったかもしれない。こうした見識は、天才に特有のものである。

p.298より

「指揮をとってる最中には、人間(オム)などという名詞は、どこかへ吹っ飛んでしまう、などといったひとは、かつていたためしがありませんでした。ところが、僕の中隊長は、僕にそういったのです。僕は、彼の部下の一人でした。僕は、一人の人間にすぎなかった。人間か! という言葉。人間以上に侮蔑されたものが、他にあったでしょうか。人間以上に()(とう)され、忘れられ、やすやすと消費されるものが、他にあったでしょうか。しかし、人間(オム)という言葉は、響きがいい。それは、すべての位階の上にある位階です。僕は、人間の名にふさわしい値うちをもっているでしょうか。いずれにしても、僕は、人間であることを選んだのです。」

p.303より

こうして、定型詩がもっとも美しいということ。定型詩のうちでも、韻が美しくさえあるならば、韻を踏んだ定型詩こそが、もっとも美しいということ。そのことを、私は理解するのである。

 日本の定型詩である歌や句が美しいということに通ずるものがあり、むしろ逆に古風だな、とも感じた。

言葉

 普通に訓読すれば「かて」であるが、本書中で一箇所、「やしない」とルビを振って()ませているところがある。手持ちの大修館諸橋新漢和にもその訓みはない。

 しかし、「やしない」とはゆかしい言葉であって、違和感もなく、意味も字義も通っているように思う。

下線太字は佐藤俊夫による。以下の<blockquote>タグ同じ。p.215より

あらゆる武器に装飾がほどこされてあるということは、驚くべきことだ。このことは、おそらく、戦争に関するわれわれの思想が、やはり(やしない)を求めているということを、りっぱに(あか)しだてている。

かなつんぼ

 恥ずかしながら、この言葉を全く知らなかった。「ひどい聾」で、まったく聴こえないことをこう言うそうな。

p.296より

あまりにみごとすぎる言いかただね。それでは、世界(モンド)は、人間のうちにあるあの非人間的な部分、機械のように話したり行動したりする部分ということになってしまう。そして、その部分は、物体がそうであるように、人間に対してはかなつんぼだということになる。

 次は三つ目、「ロダンの言葉」(A.ロダン François-Auguste-René Rodin、高村光太郎訳、今泉篤男編)である。

 オーギュスト・ロダンは言わずと知れた彫刻の巨匠である。日本にも作品はあり、上野の西洋美術館前にある同鋳の「地獄の門」や「考える人」、「カレーの市民」を知らぬ人はあるまい。