読書

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 流感(インフルエンザ)で仰臥のまま、先週の月曜日に図書館から借りた本を読み終わる。吉村昭の「ニコライ遭難」。

 明治時代の大事件、「大津事件」を、吉村昭独特の淡々とした、かつ臨場感あふれる筆致で描いた佳作である。

 本当は、先日、司馬遼太郎が高田屋嘉兵衛の生涯を描いた「菜の花の沖」を読んだので、その連想から吉村昭の「大黒屋光太夫」を読もうと図書館に行ったのだが、上下2巻のうちの上巻が貸し出し中で書架になく、がっかりして、ふと目を移すとこの「ニコライ遭難」があったので、あまり深く考えずに借りて帰ったのである。

 しかし、高田屋嘉兵衛も、大黒屋光太夫も、大津事件も、一続きの歴史の事象であるように思えてならない。

 思うに、

「大黒屋光太夫」→「高田屋嘉兵衛」(菜の花の沖)→「大津事件」(ニコライ遭難)→「日露戦争」(坂の上の雲)……

……と読み進むことは、日露関係、ひいては周辺国共産主義陣営との関係を考える上で、なにやら意義ありげな気もする。

 私の読書順は上のように整然としてはおらず、坂の上の雲が最初ではあるが……。

関係資料

文化の日

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天皇陛下万歳

 祝日「文化の日」である。

 いうまでもなく、明治天皇の生誕記念日、「明治節」が変化した祝日だ。

 祖父母が生まれた明治を思う。曾祖父母は当然のことながら江戸時代に生きていた。

 昭和の戦争の時代も激動の時代であったには違いないが、明治もまた、革命的な男の時代だっただろうと思う。

勤労感謝の日

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%e5%8b%a4%e5%8a%b4%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%ae%e6%97%a5天皇陛下万歳。

 祝日・勤労感謝の日である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今日は遠く飛鳥時代、皇極天皇の御世にその起源を(さかのぼ)る「新嘗(にいなめ)祭」の日である。皇極天皇というと「重祚(ちょうそ)」と言って、後に斉明天皇と名を改めて再び即位した女帝であり、これは日本史で習うから、覚えている人も多いことだろう。

 日本書紀巻第二十四「皇極天皇」紀には、

十一月壬子朔癸丑、大雨雷。丙辰夜半、雷一鳴於西北角。己未、雷五鳴於西北角。庚申、天暖如春氣。辛酉、雨下。壬戌、天暖如春氣。甲子、雷一鳴於北方、而風發。丁卯、天皇御新嘗。是曰、皇子・大臣、各自新嘗。

(十一月(しもつき)壬子(みずのえね)(ついたち)癸丑(みずのとうしのひ)に、大雨(おおあめ)ふり(いかづち)なる。丙辰(ひのとたつのひ)夜半(よなか)に、雷(ひとたび)西北(いぬゐ)(すみ)()る。己未(つちのとのひつじのひ)に、雷(いつたび)西北の角に鳴る。庚申(かのえさるのひ)に、(あめ)(あたたか)なること春の(しるし)の如し。辛酉(かのとのとりのひ)に、雨()る。壬戌(みずのえいぬのひ)に、天の暖なること春の氣の如し。甲子(きのえねのひ)に、雷(ひとたび)北の(かた)に鳴りて、風(おこ)る。丁卯(ひのとのうのひ)に、天皇(すめらみこと)新嘗(にひなへ)(きこしめ)す。是の曰に、皇子(みこ)大臣(おほおみ)(おのおの)(みづか)新嘗(にひなへ)す。)

 と、その年の天変などとともにこの新嘗の記述があり、日本書紀の中ではっきりと新嘗の記述が現れるのはこの箇所が最初であることから、これが新嘗祭の起源となっている。

 この新嘗祭は、重要な宮中祭祀であるため、明治時代から祝日として定められていた。

 戦後、「勤労感謝の日」と改められたが、宮中においては今も変わらず、天皇陛下おん(みずか)神嘉殿(しんかでん)において古式ゆかしくこの祭祀を執り行われると漏れ伝え聞く。

 本来、「新嘗祭」は新収穫を(みかど)自らおしいただいて、五穀豊穣を天地神祇に納め祈る日であったことから、無論これは農業を慈しみ奨めることに通じており、これが近代的に発展して「勤労感謝」となったことはおかしいことではなく、当時の政府はGHQの影響下、国民世論をも取り込んで、名称変更を上手い具合にまとめたものだと思う。

年号の表記がわかりにくい

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 先ほどニュースを読んでいたら、
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000080-mai-bus_all

 ・・・文脈中に

「HVを持たないマツダはガソリンエンジンの燃費性能を追求。「清」をベースにした小型車を10年代前半までに発売する方針だ。」

などと、平気で書いてある。どうも最近こういう記事が増えてきた。ナニがおかしいかって?「10年代」ですよ、10年代。約10年前の平成10年からの10年間のことかと思った。先だってなどは、別の何かの記事で「9年度」とあって、一瞬とまどった。

 もちろん、「ああ、『10年代』と言うのは、おそらく2010年代のことであろう。無論、『9年度』というのは2009年の年度であろう。」と想像はつく。この程度ならまあ、寛容しよう。だが、簡単に想像がつかない記事もたまにある。以前など、昭和30年代の話と、太平洋戦争前の世界恐慌の話がゴッチャ混ぜに書かれた新聞のコラムを読んで、反吐が出そうになった。西暦の30年代と昭和30年代が、なんの断りもなく記事中に混在するのである。

 日本は元号を用いる国だ。新聞やマスコミも、基本は元号で年号を記すべきだ。

 「2010年」に「西暦」を冠せよとまでは言わない。だが、2バイト文字で「10」なんて書くなら、「2010」だって嵩は同じはず。だいたい、4月始まりのいわゆる「会計年度」なるものは、元号を使用するべきではないか?

 結婚式を教会でやるなとか、そんな偏屈なことを言うのではない。西暦は宗教色が強いなどと言えば「そんなことを言うなら、元号だって国家神道の総本家、皇室・皇統がよりどころでしょ」と反駁されることもよくわかっている。いや、でも、キリスト教なんてものは侵略宗教なんですがね。おっと、脱線しちゃいかん。

 ややこしいでしょうと言いたいのだ。

 西暦で書きたいときは、よりわかりやすくするため、4桁で書くべきである。百歩譲って、和暦で書くときは必ず元号を接頭する、としてもよいが、もしそうするなら、西暦で書くときは必ず「西暦」と接頭しなければならない。