雑感その他

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Raspberry Piの生みの親、イブン・アプトン氏が来日

 私もラズパイが好きなので、興味を惹かれたニュースであった。

 最近ラズパイ遊びをしていない。私もちと努力精進が足りないです、はい。

水素水

 いやまあ、だいたいそんなところかなあ、とは薄々思ってました。

 古い話だが、子供の頃「紅茶キノコ」なんてものも流行(はや)ったっけ。あと、「超音波美顔器」を科学的に測定してみたら、超音波は1デシベルも出てなかった、とか。

翁長のおっさん

 なんだか、この翁長沖縄県知事というおっさん、実は逆に「辺野古移転を実は強烈に推進するための逆療法、深謀遠慮的なアレ」をやってンじゃねえか、というような気がしてきた。

 あれくらい支離滅裂な抵抗を煽り立て、結局は敗れた、ということになれば、沖縄県民の側に「どんなに抵抗しようとムダ」というような、厭戦的な実績を積み上げていく格好になり、むしろ沖縄県民を完膚なきまでに押し伏せることが結果として出来てしまう。

 そもそも、この翁長というおっさんは、かつては自民党沖縄県連の中心人物として、辺野古移転を強烈に推進してきたことは知る人ぞ知ることだ。それが一転、県知事出馬に当たり辺野古移転反対を看板にして当選したものだから、その公約を頑なに守っているのである。

 だが、その行動の支離滅裂さは、実は逆方向に舵を切るための荒療治であると見れば、なにやら納得もいくではないか。

デイリーポータルZ

 デイリーポータルZに、また興味深い記事が……。

 この「高さ150mの恋文・チェルノブイリの秘密軍事基地」というのは、チェルノブイリの原子力発電所近くにある「OTHレーダ」の残骸の取材記事である。

 文中、「マイクロ波」と言っているが、言うまでもなくOTHレーダは電離層を利用するため、マイクロ波では建造できない。短波を利用するのだ。

 私なども中学生の頃、家にあった短波ラジオのバリコンを回していると、「ココココココココ……」とか「ヴァー……」というような、独特のOTHレーダの変調音を耳にしたものだった。

 これは単に、最近「太平記」なんかに凝ったから、という、まあ、それだけの理由で「楠公」って言葉にビビビビッと反応しちゃったんだよな……。しかし、こういう飯の炊き方があると言う事自体知らなかった。

プーチン

 この調子だとプーチンは、「人を殺してノーベル平和賞を受ける最初の男」になるかも知れんて。……あ、いや、その前にコーデル・ハルとか、いることはいる、かな。

言葉
袞龍(こんりょう)の袖に隠れる

 虎の威を借る狐、とだいたい同じだと思えばよいが、もうちょっと恐れ多い場合に用いる。例えば「天皇陛下の権威で(ほしいまま)をする」とか。この言葉は「昭和天皇独白録」で見た。

 同書の中では、昭和天皇が東條英機を公平に批評し、首相辞職時の東條の言い分を取り上げて、むしろ「(かば)うような」感じで次のように記されている。

(ママ)の辞職

 東条は平沼から云はれて辞表を提出した。袞龍の袖に隠れるのはいけないと云つて立派に提出したのである。

 私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない、只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く。

却々(なかなか)却〃(なかなか)

 さすがにこれも知らず。これで「なかなか」と()むのだそうな。

 これも同じく「昭和天皇独白録」で見た。昭和天皇の口述として、しょっちゅう出てくる。「〃」は、もう少しひらがな的に続けて書く「踊り字」になっている。

「何がしたいんですか」だって?知るかよ、そんなこと

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 自分のしたいことが何かをわかっておく、ということが大事なことを、例えばコンピュータのソフトウェアの要件を定義するときなどに強く思う。うまくいっていない案件の9割、というか実感としては10割は、自分(あるいは自分たち)が何をしたいのかわかっていない「要求者」の問題に帰するのだ。

 これを工学的問題と定義し、「要求工学 Requirements Engineering」として研究して、なにがしかの糧を得る学者もいるほどである。

 つまりは、「じゃあ、あなたはどうしたいんですか?」と言う単純な問いに答え得る人は稀有である、ということだ。

 同じようなことは人生行路にも言える。目標を持ち、自分が何者で、何をしようとしているのか。こういう風に言えばなにやら恰好がいいが、実際のところ、それが分かっているような立派な人は1万人に1人いればいいほうで、ほとんどの人はともかく転んで怪我などせぬように、うまく目前の道を歩き続けるのに精一杯だ。

 よくいるのが、転ばぬように歩き続けていたらたまたま手に入った僥倖を「俺はもともとこれを目標にしていた」と、はじめから目標に向かって努力していたように言う手合いだ。いや、そういう態度を間違っているなどと言う気はない。そうではなくて、人間、そういうものだ、それで普通だ、と言いたいのだ。

 であればこそ、転ばぬように道を歩く、という、そのことを卑下することはない。それはまことに、あたりまえで、素朴な尊い人生の送り方だ。

クリスマスの日にち

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 「オイ長女、クリスマスって何日だっけ、24だっけ、25だっけ!?」

……と気楽に質問して、「ええええ~っ、なんだよこの親父ッ!?」みたいな、「信じられませーン」みたいな顔を返される。

 だって、そんなもん、あんた、わからんやろ。クリスマスって、イブとかあって、どっちがどっちだかわかんねえんだもの。

「お父さん、それ、わざとギャグで聞いてない?……ギャグだったとしても、全然面白くもないしさあ」

 ええい、キリストの誕生日が一日ズレたからって、天皇誕生日を間違えることに比べたらそんなもんどうだってええんじゃあ、と叫び出しそうになるが、辛うじて思いとどまる。

 わからん。ワカランに決まっとるッ。なぜなら、私はキリスト教徒ではないからだ。

 では、あんたは何教徒なんですか、と問われるとグッと答えに詰まる。仏教徒ですと答えておけばあたりさわりはないが、仏教徒としての暮らしや精神を守ってなどいないし、神道ですなどとは言うも愚か、禊もしないし拝礼もしていないのであって、宗教的なあれこれなど、はっきり言って何もしていないのである。

 結局、ひょっとすると、俺は「共産主義者なのでは……」とすら思えても来るのである。共産主義者は、そりゃあ、宗教なんてありますまいよ。

徘徊

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 徘徊する。

 と言って、今日は徘徊するつもりでもなかった。子母澤寛の「ふところ手帖」を読みたかったから、図書館に行って、いつものように赤坂の砂場で蕎麦でも、と思っていた。

 その前に、床屋に寄る。正月用に調髪するにはまだ早いが、如何(いかん)せん髪が伸びすぎている。

 行きつけの床屋さん「ファミリーカットサロンE.T 南越谷店」の、顔見知りの理容師の女性は私よりうんと若い人だ。明るい美女で、よく話しかけてくれる。今日はひとつ話題でも、と思い、自分の薄くなってきた頭髪をネタに、

「抜け毛、ハゲというものは、これは俳句の季語になってましてね、『木の葉髪(このはがみ)』と言って、冬の季語なんですよ。有名な俳人、中村草田男の句に、『木葉髪(このはがみ)文芸長く(あざむ)きぬ』なんてのがありましてね」

……などと、無駄な知識を押し付けて差し上げる。……理容師さんには意味が解らなかったかも知れないが、まあ、理容師さんという職業上、髪の毛ネタというのは多い方がよかろうと思ったようなわけである。

 新越谷の自宅からは、半蔵門線に乗っていけば国会図書館のある永田町まで直通一本なのだが、通勤定期で市ヶ谷まで行けばそこから永田町まではふた駅で、この方が安くつく。それで、平日の通勤と同じように日比谷線経由で遠回りしていく。

 日比谷線の上野まで来てふと、床屋に行って頭もスースーするし、そうだ、この前愛用のカスケット無くしたんだった、同じようなやつをアメ横の同じ店で買おう、と思った。

 アメ横と言う所は、意外に店の入れ替わりが激しい。無くしたカスケットを買った店に行ってみたら、とうに別の、何か中華料理屋みたいな店に代わってしまっていた。

 おっさん向けの帽子を置いているところというのは少ない。しかたなしに他の帽子店を探して入ってみたのだが、どうも、1万円とかいう値札が付いていて手が出ない。贅沢をして1万円の帽子なんかかぶったら、もったいなさのために頭皮がかぶれ、ツルッパゲになる恐れがある。

 帽子を買うのをあきらめて、さてどうしようか、と思う。時間も中途半端である。昼近くなってしまったので、今から図書館へ行っても、文庫本1冊全部は読めないし……。

 神田へ行って「やぶ」か「まつや」に行こう、と思い立った。上野から神田はすぐである。秋葉原で降りれば(ふた)駅だ。

 ところが、いざ「やぶ」の前へ行くと、いつも以上の長蛇の列だ。辟易して、並ぶのをあきらめる。それでは、というので「まつや」に行って見たが、「やぶ」以上の行列で、更に気持ちが萎えてしまう。

 うーん、どうしよう。目先を変えて、日本橋のあたりまで出て、虎ノ門・大坂屋砂場へ行って見ようか、と考えを変える。

 新橋の駅で降りて、通りを歩いていく。烏森(からすもり)口というところから出たのだが、大坂屋砂場に向かってしばらく行くと、右手に色とりどりの(のぼり)が並び立っていて、その奥の方に、なにやら鳥居と燈明がゆかしげに鎮座している。

 覗いてみると、「烏森神社」とある。幟には「心願色みくじ」と書いてあって、なんなんだろう、と惹かれた。

 さほどゆかしいところでもないように見えたが、その実、創建縁起を辿(たど)ると、遠く平安時代に遡る古社で、祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だという。倉稲魂命というのは俗に言う「お稲荷(いなり)さん」のことだが、普通の稲荷社とはたたずまいが少し違っている。普通の稲荷社は赤い鳥居が何重にもなっていたり、狐の使者(おつかい)が殊更に赤い前掛けをして狛犬(こまいぬ)座に据えられていたりするものだが、全然そういうことがない。

 沢山の人が参拝していたので、寄ってみた。

 さっそく名物らしい「心願色みくじ」というのへ初穂料を納める。神職さんの説明によると、祈願したいジャンルごとに色分けされた御神籤(おみくじ)をひくというものだ。ではひとつ、今日は金運を祈願してみようと思いつき、それをお願いする。金運は黄色の御神籤だ。

 「中吉」をひきあてた。頂いた(くじ)には、心願をジャンルと同じ色のペンで書き込んで、奉納するのである。私は金運祈願であるから、黄色いペンで願いを書き入れ、奉納処へ結びつける。ヒッヒッヒ、儲かるといいなあ。

 さて、そんなことなどありつつ。

 そのまま通りをまっすぐ西へ行けば、数分で東京屈指の蕎麦(みせ)、虎ノ門・大坂屋砂場に着くのだが、着いてみて残念、休みであった。良く確かめずに来たもんなあ。

 一度蕎麦に決まった口腹の欲求はなかなかひっこめられない。ではというので、スマートフォンでGoogle Mapsにアクセスして、すぐ近所の「巴町・砂場」を検索したら、これがまた、Google Mapsの優秀さ、「今から行っても閉まっています」と即座に警告してくれる。

 うーん。

 そうだ、浅草に行くと、仲見世に帽子専門店が何軒かあったなあ、と思い出す。それなら帽子を買って、それから浅草の並木で蕎麦を手繰(たぐ)ればいいじゃないか、と思いつく。都営浅草線で一本、数駅だ。

 着いてみると浅草は相変わらずの混雑っぷりだ。外国人の多いこと多いこと。紺碧の空にスカイツリーの屹立、そりゃあ観光にもってこいだ。

 人をかき分けて新仲見世通りを歩いていくと、「銀座トラヤ帽子店」の浅草店があった。

 こういう帽子専門店は値段が高い。だから立ち寄ってもダメかな、うーん、どうかな、と思ったのだが、年末らしく表に「2千円から」の札の出たワゴンがあって、形の古いものなどがたくさんある。二~三ひっくり返してみると、下のほうから軽くて黒いカスケットが出てきた。思いがけずなかなかいい品物で、縫製も布もしっかりしている。

 カスケット(キャスケットとも)というのは、ハンチングの一種だ。普通のハンチングは前後にまっすぐ縫い目が通り、「3枚はぎ合わせ」が普通だ。ところが、この「カスケット」と呼ばれる帽子は、中心から放射状に6枚はぎ合わせになっているのが特徴だ。戦前の公務員などがよくかぶっていたこと、また、有名なところでは「レーニン」がカスケット好きで、これをかぶった写真が多く残っている。

 乃木将軍と東郷提督が二人でカスケットをかぶった写真も有名だ。

 で、おお、これこれ、こういうのが欲しいんだよな、と手に取っていたら、店員さんが出てきて、「お客さん、掘り出しましたねえ。これ、処分品なんですけど、カシミヤで、なかなか出てない帽子なんですよ。お安くなってますから、いかがでしょう?」と薦めてくる。もとより、これは大変気に入ったので、即決、3千円で買う。かぶって帰る旨伝えると、きちんと値札を切り取り、袋をつけずに手渡してくれる。

 所詮(しょせん)、飛び込みでヒョイと買った安物だ、と気楽な気持ちでいたのだが、後でタグをひっくり返して見たら、この帽子は大掘り出し物だった。「ボルサリーノ」の銘品なのである。

 この帽子の型番は「BS249」というのだが、後でネットで検索したら、なんと1万6千円である。これはまったく、掘り出したものだ。

 ボルサリーノのカシミヤのカスケットが3千円というのは安かった。

 それから、並木通りの方へ出て、「並木藪蕎麦」へ行ったのだが、もう14時過ぎにもなろうというのに、(みせ)前は行列である。驚いた。

 それでも、15分ほど並んでいたら入ることができた。

 ぬる燗で酒を一本。ここの通しものは固く練った蕎麦味噌で、辛口の菊正宗によく合って、うまい。

 いつもなら蕎麦屋の酒は一合くらいにしておくのだが、なんだか(あきた)りない感じがして、焼海苔でもう一合。ここの焼海苔も火の(おこ)った炭櫃(すみびつ)で出してくれ、ホカホカのパリパリに乾いていて旨い。

 一杯ほど酒の残っている頃おいに、「ざる」を一枚。並木藪蕎麦独特の塩辛い蕎麦(つゆ)は、何度来ても飽きないおいしさだ。

 蕎麦湯をたくさん飲んで、ホカホカに温まって舗を出る。今日は冬麗(とうれい)にも拘わらず気温が低いが、それすら快く感じるほどの酔い心地と温まり方である。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足す。

 せっかく浅草にきたのだから、と神谷バーに寄る。

 電気ブランを一杯。肴に枝豆を頼んだら、店員さんが「すみません、今日枝豆ないんです」と珍しいことを言う。仕方なしに、たまたま目についた「公魚(わかさぎ)の天婦羅」を頼む。単に安いから頼んだだけだったのだが、これがなかなか大ヒットの旨さで、よく揚がっているし、種も美味しく、思いがけない口福が得られたことであった。

 酔っ払って帰宅。

賀状書く

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