ブリッジ顛末

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 昨日、歯を抜いた。右上奥の、奥から3番目の歯だ。

 抜いた歯を補うには、位置的にインプラントか入れ歯にするしかなく、インプラントは高いので、ついに人生初入れ歯を入れることになりそうだ。

 私は奥歯が悪い。特に悪いのは右奥歯だ。先天的に奥歯が弱いのではないし、自堕落のためでもない。実はこれは「重労働のしすぎ」と「筋トレのしすぎ」のせいである。奥歯を噛みしばるような労働やスポーツをしてきた者は、歯がボロボロになるのだ。以前から「歯がずいぶん摩滅していますが、なにかスポーツなどをされていますか?」と歯科医によく聞かれた。特に右奥歯はボロボロだ。多分、利き手利き足が右だからだろう、歯だけでなく、患った椎間板ヘルニアも右側、坐骨神経痛も右下肢、有痛性外脛骨も右足である。

 昨日は抑々(そもそも)、外れかかってぐらつき、不快のままだった右上奥歯のブリッジの診察を受けに歯科医へ行ったのだ。

 このブリッジは奥から2番目の失われた歯を補うため、一番奥と、奥から3番目に掛け渡してあったのだが、奥から3番目の歯はあまり丈夫でないらしく、医師からは不安が残る旨、前々から言い渡されていた。

 この奥から3番目、以前にもブリッジが外れたことがある。虫歯になってはいけないと思い、つけ直してもらおうとすぐに歯科医へ行った。ところが、一番奥の外れていないほうが意外に頑丈にしっかりついている。一旦これを外さなければ接着しなおすことが難しく、歯科医は難渋の挙句、相当無理をして一番奥を外した。ショックを加えられたりしたので、私もかなり痛かった。

 外すのに苦心したので、歯科医は「こういう風に無理をする羽目になってしまいますから、今度外れた時には、奥のほうも両方外れてから来るようにして下さい」と言った。私も痛い目にあって懲りたこともあり、医師の指示は(もっと)もだと思った。

 それが4年ほど前のことだ。

 最近になって、3、4か月前からだろうか、その奥から3番目のブリッジの支えがまた外れた。直前にはそのあたりの歯茎が膿んだりして、不快であった。それに、どうも何かが口中に溶け出すのか、朝起きぬけなどいつも口の中に変な味がして、不快だった。もしかしたら口が臭っているかも、と心配でもあった。自分の口臭と言うのは、自分ではわからないものだし、特に職場などではそういうことを親しく注意してくれるような人も周囲にいない。

 しかし、ブリッジが全部外れてから来い、と言われていたこともあり、受診しかねた。

 そのうちに、奥から3番目の舌触りが変になってきて、どうも根本の土台のあたりに虫歯が生じているような気がする。ブリッジはますますぐらついている。歯髄は抜き去った後だから痛みはないが、いくらなんでもこれで一番奥が外れるのを待っていては、病気になってしまうのではなかろうか、と心配になり、昨日受診したというわけである。

 歯科医は「全部外れてから来い」と言った人とは交代しており、別の人だった。レントゲン写真を撮り直し、それを検討したあと、渋い顔をして「いけませんな佐藤さん、これは」と言った。

 「奥から3番目は、もう土台がダメですね。ブリッジを切断して一番奥を残し、とにかく奥から3番目は外しましょう。しかも、奥から3番目は歯槽膿漏もひどい。土台の骨も縮退しているようですよ。一番奥はしっかりしているように見うけられますが、3番目が弱っていることから無理がかかり、こちらも無病健全というわけではなさそうです」と医師は言う。

 なるほど、朝起きぬけのあの変な味はそのせいか、と思った。

 医師はテキパキと一番奥の直前のところでブリッジを切断し、そこを研磨して滑らかにした。ブリッジを取り外して診察し、

「ああ、佐藤さん、これはもうダメですね。歯茎の中で歯の根っこが二つに割れてしまっています。……そりゃあ、ブリッジも外れるというものですよ。これは受診されて良かったですね……。いや、その、佐藤さんがおっしゃる、『全部外れてから来い』と言われたという、前の先生の指示も、ま、わからんではないのですが、それにしても、ねえ……」

と私に同情してくれるのであった。

 歯茎の中で割れてしまっている歯の根は、抜いてしまうより他に処置はない。医師はさっさと私から手術承諾書をとり、麻酔を打って、まことに鮮やかな手さばきで腐った歯の根っこを抜去した。その痕の歯茎の内部を掻爬(そうは)でもしている気配がする。

「あー、佐藤さん、歯槽骨がもう、ブニュブニュの肉みたいになっちゃってますね。これはいかんなあ……」

 座席を起こして、抜いた歯の根っこを私に見せてくれる。まるで「枯れ木」のように汚い色になって、なるほど二つに割れている。

「先生、この汚れた色は、虫歯ですか?」

「いえ、虫歯と言えば虫歯とも言えますが、歯髄を抜いた歯は、もう栄養が行き渡らないので、文字通り「枯れ木」みたいなものになってしまい、こういう色になるんですよ」

 医師は抜いた痕の処置をし、カルテを書き入れ、こまごまと抜歯後の注意事項を私に与えた。

「この、抜いた後なんですが、そのあと、歯茎の肉が落ち着いて、だんだん縮退します。一番奥の歯はこれまで3番目の支えがきかなかったためにストレスが加わり、根が傷んでいますが、今回そのストレスから解放されたので、今後健康になってくるとも思われます。ですので、それら諸々(もろもろ)が落ち着いて、そのあとでどういうふうに無くなった歯を補うか、それは今後ゆっくり考えてもよいかと思います。今日は化膿防止のために抗生物質を3日分出しますから、全部しっかり()んで下さい。それから痛み止めも出しますからね。月曜日の朝、またお越しください。土日に出血や腫れがひどくなるようなら、ご近所の歯科医さんで診てもらってもかまいませんよ。症状が増悪するようでしたら、日曜の当番医は役所で教えてくれるはずですから」

 そう脅かされはしたものの、すぐに血も止まり、奥から3番目の抜いた痕は肉がツルリとして、なにやら清々(せいせい)する。元々腐って朽ちていたものだったせいか、歯を抜かれたと言うのにほとんど痛みもない。

 しかも一夜明けて今朝起きてみると、あの「変な味」がしない。

 こんなことならさっさと受診すればよかったなあ。一番奥が外れるまで待つなんて、まるでバカみたいだった。

一杯

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 料峭(りょうしょう)、……と言えるほどの晴れやかさでもなかったが、しかし、春らしい、風の光る一日だった。

 今日の肴はちょっと刺身などをはりこんでみる。

 ぬるい燗で安いところを一杯。旨い。

忠魂碑と梅と目白

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 近所に忠魂碑がある。

 目立たない場所にあるが、私の家から駅までの通り道にあるので、いつも早朝にその前を通る。朝早くから遺族会員らしい年配の方々が黙々と手入れをしておられる。

 敷地の柵の(そば)がごみステーションになっているのはいただけないが、それでも四季折々の花が植えられ、静謐な鎮魂の場、あるいは武勇の顕彰の場らしく荘厳(しょうごん)されている。

 今の時季は幾本かの梅が、香りも(ほの)かに、やさしく咲く。

 今日も出かけるついでに忠魂碑前を通りかかった。ふと見ると、それらの梅に2羽の目白が来て蜜を吸っていた。2羽交々(こもごも)、いい声で鳴いている。

 これは春らしくて面白い、と思ったので写真に撮った。

 しかし、何分小鳥のことでじっとしていず、撮りにくいこと撮りにくいこと。何度もシャッターを切って、やっとものにした。

しんどいし暇だ

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 インフルエンザのため寝たままである。非常にしんどいのに、腹だけ猛烈に減る。普段あまり大食をしない私なのだが、何でなんだろう。

 暇なので食ったものなど書き留める。塩煎餅三枚、ぽん柑ふたつ、緑茶大湯呑に二杯……なんぞと書いていくと、さながら子規の「仰臥漫録」めいて、気分が出る。

 子規は今で言うブロガーみたいなものだったように思えるが、病床で暇だったのだろうなあ、ということが実感される。いや、私如き、たかが寝込んで2日くらいなのだが、それでもこんな風に思うわけだから、死病に取り憑かれた子規はもっとそう思ったであろう、というところだ。

うーん……。

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 インフルエンザによる風邪籠(かぜごもり)二日目。

 うーん、参った、なかなか熱が下がらんなあ。特効薬「タミフル」についても規定量をきちんきちんと()んではいるものの、まだ二日しかたっていないのだから、やむを得ないと言えばやむを得ない。

 体も相変わらず痛む。節々と言うより、私の場合は手足の柔らかいところのほうが痛む。だるい。思考力が減退し、文章もなんだか変だ。

 ただ、こうした時に良く思う、「あ、これは病勢が変わって、治り始めるところだな」と感じる点が出てきた。痰や鼻糞が黄緑色に変わってきたことだ。私の鼻水はいつもは本当に「水洟」で、無色透明で水のようにサラサラしている。鼻が悪いからで、そのため、洗い流されてしまって鼻糞もたまらない。しかし、風邪やインフルエンザに罹り、いつもの水洟が倍にも3倍にも増えて悩まされた挙句、ある時に至ると、ふと、この「汚い方の鼻水・鼻糞・痰」に変わり、快方に向かうのである。

 付記すると、この、「鼻糞が汚い時」は、持病のアレルギー性鼻炎がなぜかまったく鳴りを潜め、その点でだけ、いつもより逆に健康になる。この現象を、私は種々の情報などから、「普段健康な時はどうでもいい異物に対して無駄に免疫力が指向され、アレルギー反応などを引き起こしてしまうが、肉体がウィルスや細菌に侵されていると、免疫力のリソースがそっちへ全力指向されて払底し、普段の変なアレルギー反応はおさまってしまう」のである、というふうに理解している。

 今回もどうやらそういう兆候が見えてきたので、まず長引くことはあるまい。

 

「A」とな

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 昨夜来「(おお)風邪」で就寝していた。

 今朝は近所の医院で受診した。どうにも寒くて閉口するが、着込んで歩いていく。

 「インフルエンザA型」との診断である。特効薬「タミフル」規定量が処方された。

 近くの調剤薬局で薬を出してもらう。数年前だったかにインフルエンザに(かか)った時は吸入式の「リレンザ」が処方されたが、今回の「タミフル」はカプセルである。薬剤師に「吸入とカプセルで違いがあるんですか?」と雑談がてら訪ねてみたら、薬効に違いはないが、強いて言うなら、「日本人は飲み薬が好き」という傾向があり、このため、多く飲み薬が処方されるのだ、という。

 帰宅してさっそく処方どおり服薬する。

 職場のルールでは決められた期間、「有給休暇により出勤止メ」である。仕事も多少忙しいのだが、私の部下には乳幼児・学童を子育て中の者も多く、その迷惑を考えると休暇もやむを得ない。

 本でも読みつつ寝ているより仕方がない。

一杯

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 一杯。

 さて今日もキコシメそうかな、何か肴は……と思ったが、適当なものがない。

 そういえばこの秋は柚子味噌(ゆずみそ)を作らなかったな、などと思い出す。柚子味噌は晩秋の青柚子でも旨いし、冬のさなかの、黄色く大きく熟れた柚子で作っても旨い。

 しかし、冷蔵庫に柚子はない。

 台所をあさるとレモンがあった。饂飩(うどん)にレモンを絞りかけたり、輪切りを浮かべたりするととても旨いことを思い出した。特に肉饂飩(にくうどん)などには非常に合い、肉が柔らかくなるばかりか、肉の臭み消しにもなる。

 そこでまったくの思い付き、「レモンの焼味噌」を作ってみた。

 レモンを半個輪切りにし、絞って果汁をとる。このとき、種を丁寧に取り除く。絞りかすの内側の果肉を袋ごとスプーンでこそぎ取り、まな板の上で細かく刻み、包丁でよく叩く。これを果汁に混ぜ合わせる。

 レモンの皮も細かく刻み、包丁でよく叩き、これも果汁に混ぜ合わせる。

 八丁味噌を大(さじ)(ふた)匙ほど、上記果汁に混ぜ合わせる。

 電子レンジで3分ほど火を通す。

 熱く煮え、水分が少し飛んだ味噌を木杓文字(しゃもじ)か木(べら)に塗り付け、火で(あぶ)って()がせば出来上がりだ。

 ほろ苦く、香りがよく、塩気が利いて旨い。好みで葱のみじん切りなどを混ぜても旨いだろう。

 写真に木箆ふたつ分が写っているが、これで4合くらいは飲んでしまえそうである。

皇居一般参賀~明治神宮初詣

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 去年の正月、皇居の一般参賀に行ったが、今年も行くことにした。

 9時頃自宅を出、東京駅丸の内南口が10時半頃。

 ゆっくりと行列の尻に取り付いたが、なんと混雑すること。

 後でニュースを見たが、平成最多の13万人近くが訪れたというのだから、さもあるべし。


 そうは言うものの、せいぜい3時間待ちというところで、12時40分頃には長和殿前広場に入ることができた。午後最初の御光臨は13時半で、それに先立つ50分ほど前だから、まあ、丁度良いというところだろう。

 それにしても人、人、人の波である。

 天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、皇族方が定刻にお出ましになり、巨大な波のように人々がどよもす。

 私も感極まって「天皇陛下万歳!」と、肺腑も破れよとばかり絶叫し続けていたら、すっかり喉が枯れ、ルイ・アームストロングか浪花亭綾太郎ばりのシヴい声になった。

 しかし、去年のように周囲に面白いおじさんや迷惑な男女がいるわけではなく、まあ、至って平静な感じの参賀であった。()いて言うなら私の他にも天皇陛下万歳を叫び続ける人が数列ほど後ろにいたことと、私の万歳につられて左隣にいた年配のご主人が天皇陛下万歳を叫び出したことと、右隣にいた白人の夫婦が異物でも眺めるような視線で私を凝視していたことだろうか。

 今年はたまたま、背伸びなどしなくても長和殿のバルコニーが直視可能なごく近いところに位置することができたのだが、残念ながら逆光で、しかも皇居の豊かな緑がガラスに照り映え、御龍顔(ごりゅうがん)御光顔(ごこうがん)は全然見えなかった。だが、これは「無月、あるいは雨月の月夜」と同じで、「そこに在らせ(たも)う」のが良いのである。

 遠回りして乾門まで散歩する。

 竹橋まで歩く。東西線・竹橋から飯田橋、JRに乗り換えて代々木、代々木から原宿まで行く。

 明治神宮に参拝するのだ。今上天皇を参賀したら、今度は明治大帝を偲び、(おそ)(ぬか)づこうというわけである。

 こっちも大変な混雑。

 ともかく参拝を済ませる。わずかな奉納で聖寿万歳から世界平和から自分の生活までよろしくと神頼みするのだから、そりゃまあ、虫の良すぎる話ではある。

 お守りに鏑矢(破魔矢)を一つ頂き、御神籤をひく。明治神宮の御神籤は吉だの凶だのとは一切書いておらず、明治大帝の「おおみこころ」が書き記された誠にありがたいものである。

 朝から何も食わずに家を出、新越谷のスタバでコーヒー一杯飲んだだけなので、夕方にもなってくるとさすがに腹が減り、北参道(JR代々木駅側)を出たところの露店でお好み焼きなぞ喰う。たまには良い。

 家に帰り、御重のもので一杯。

 酔っ払ってベランダに出てみると、思った通り、今日の月齢は望で、大きな大きな、明るく真ん丸のお月様である。

 今日いただいてきた明治神宮の鏑矢と、多摩陵・多摩東陵両陵墓印(大正天皇・貞明皇后)・武蔵野陵・武蔵野東陵両陵墓印(昭和天皇・香淳皇后)を並べてみて、また今日参賀してきた今上天皇陛下・皇后陛下の聖寿万歳を思い、前世紀と今世紀について深く考えるのである。

 (ちな)みに右が今日のGPSトラックである。