もう見なくていいんじゃね?

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 テレビの録画を禁止しようという動きがあるそうな。

 いやもう、モメるんなら、もう、テレビなんて見なくていいんじゃね?大して困んねェよ。テレビ衰退したら衰退したで、ほっときゃ誰かが適当に別のモノ考えるんだろうし。

北朝鮮人工衛星寸感

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 ミサイル騒動。つまるところ、これが北朝鮮からの「戦略的メッセージ」というやつである。文書や言葉でメッセージを流すのではない、実動によるメッセージである。北朝鮮は、言葉や文書では、ただの一言も、一行たりとも「これは弾道ミサイルです」などとは言っていない。だが、「これはミサイルだぜ」と(わか)(やす)く行間で表現しているのだ。

 世界は世界で、「これはミサイルだ!」と御大層に理解してやったわけだ。そして、北朝鮮にとっては無料で世界にメッセージングできたわけだ。しかも相当な音量で。人工衛星の開発・打ち上げの費用は別として、このメッセージングにかかったカネは、ほとんど世界中の新聞の購読者やテレビの視聴者がカンパしてやったようなものだ。新聞屋もテレビ屋も、無料でこれを載せ、放送してやったわけだから。

 北朝鮮に言わせれば、「意図したメッセージのとおりに受け取ってくれて、全世界よ、ありがとう!」ぐらいのものだろう。メッセージの作者としてのホクホクと喜ぶ顔が見えるようだ。これほど行間を読む優秀なメッセージの読み手ぞろいであってみれば、北朝鮮にとっては願ったり(かな)ったりだ。

 つまり、世界はいいように踊らされている、ということだ。ここまで来たら、奴らは制裁など痛くも痒くもないだろう。いつものことではあるが、だからこそ、これを北朝鮮が願うとおりに理解してやる必要なんかなかった。結果から言えば、むしろ、「これがミサイル?!んなわけあるかいアホ。貧乏人のくせにギャアギャアうるさいわ。失敗した人工衛星だろ、コ汚ぇ不良だな」という風に、ガン無視、過小評価した方が良かったほどのものだ。

 まあ、日本も冷静に「ああ、ミサイルね、はいはい。じゃ、お約束通りミサイル防衛配置。……ん?なに、終わったの?あ、そう。じゃ撤収」と、淡々としたものだった。これも、大音量ではなかったにせよ、一種のメッセージだ。メッセージだから、実際に撃墜出来るか出来ないかなんて事は後回しの問題なのである。

 だが先行き、日本も老獪に振る舞うべきだろう。ここは合気道の「小手返し」の技みたいに北朝鮮の力をそのまま借り、態勢整備なりなんなり、こっちの都合の良い方に(さば)いてしまうことだ。

 韓国はプレゼンスを発揮するために北朝鮮と対話をして見せようとするだろう、そして、その対話のために北朝鮮の目の前に金を積むだろう。過去そうであったようにだ。韓国はその金の出どころが日本になるように立ち回るだろう。

 それを避けなければならない。もし金を出すなら、韓国に条件を呑ませなければ駄目だ。しかし、彼らは呑むまい。したがって、絶対に韓国に金を出しては駄目だ。韓国と北朝鮮はお互い敵のようでいて、実は一緒くたの一蓮托生、痴話喧嘩で警察沙汰、裁判沙汰にまでなって離婚した夫婦が、どっこい今でも近所住まいでダラダラと関係を続けているみたいなものだ。朝鮮半島は分断されているようでいて実は朝鮮半島として一体のものなのだ。過去2千年の半島のグチョグチョ泥々ぶりから学ばなければなるまい。

 

株で少し損

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 今度の大暴落、さすがに少々損をした。一つは20%、もう一つは17%。

 自作の「株式売買ユーティリティ」は、澄まして損切りメッセージを出してくる。

 7年前の「リーマン・ショック」の時は、このメッセージに従わず、大損をしてしまった。システムが自作であるため、かえって自分のプログラムを信じることができず、ニュースや新聞の記事などから「ここは過敏に行動すべきではない」などと考え、つい買い建玉を持ったままにしてしまったのだ。失敗だった。

 今回はその時の教訓を守り、無情に損切り。冷徹に自作プログラムを信じ、その指示にのみ従う。損切りにあたって、新聞やニュースの論評は一切参考にしないことだ。ブン屋より私のプログラムのほうが正しい。

 今回の暴落では「売り」から入ったので、その分の儲けもあり、傷は浅い。

もう見えない

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 昨日シェアしたYoutube動画へのリンク、もう見られなくなっている。

 木根尚登が出演した「しくじり先生」の動画だったのだが、テレビ番組のコピー動画だったので、権利関係の問題があったものと見える。

今週

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月曜日

○ 竹田圭吾氏の死去がデビッド・ボウイのそれにかき消されてしまっているようであることに、そぞろ「もののあはれ」のようなものを感じてしまった。なんというか、不覚というか。

 いや、デビッド・ボウイも竹田圭吾も、ハッキリ言ってどっちも知らんのですよ、私。……あっ、デビッド・ボウイのほうは、若い頃に見た「戦場のメリー・クリスマス」に出てたから、ちょっとだけ知ってるっちゃあ知ってますがね。だが、そもそも、だいたいからがして、何の歌を歌ってたどういう人物かとか、全く知らんのですわ。だからと言って、竹田圭吾に至っては「……誰?」状態であって、何の興味も関心もない他所(よそ)の人である。すみません、バカなんです私。

 どうあれ、人が死んだことは悼むべきことなので冥福を祈るが、誰か知らない、自分に関係のない人が死んでも、今いち腹の底からの悲しみは湧きにくいと言うのが正直のところである。

○ 先週のお笑い国会は、もうあれはアレでああいうもの、ということで忘れていたのだが、夕刊ゲンダイの大見出しで「年金4兆円」って書かれていて、笑いが蘇ってしまった。

○ 「菊正宗」のCMって、れっきとした歌手のシングル・リリースの曲だということをある方のFB投稿から知って興味深かった。

火曜日

○ 月曜は祝日ではあったが、泊まり込みの仕事だった。それが引けて、火曜の夜は新年会だった。

 職場の新年会は忙しいこともあって人が集まりづらい。そこで幹事が脳漿を絞り、「持ち寄り会」で気楽に集まろう、ということに一決した。

 帰省していた人などが多いため、北海道から沖縄、はては海外からも山海の珍味酒肴が集まった。

 その中に石川県は能登名産の「河豚子(ふぐこ)」があった。河豚(ふぐ)のはらこを糠漬けにして熟成させたものだ。噂には聞いたことがあったが、実物を食べてみたのは初めてである。

 これは聞きしにまさるもので、誠にうまかった。

 言わずと知れたことだが、河豚の卵巣は有毒で食うことはできない。しかし、石川県名産の河豚子は古くから伝わる独特の製法によって毒が消え、逆に得も言われぬ旨味を生じるのである。河豚子の調理は法律で厳しく制限されているが、石川県の河豚子のみは特に製造を許されているのだという。

 塩辛く、酒に合う。同じく持ち寄りの山形県の名酒「出羽桜」、紙コップに注いだのが、さながら消えるが如くすすむのであった。

 河豚子はネット通販などでも買えるようだ。

○ 突然老眼鏡のフレームが壊れた。何もしていないのに「パチン」と蔓が切れ、レンズがはじけ飛んだのだ。うーん、不吉である。新しい老眼鏡買わなくっちゃ。

○ 「千一夜物語」1巻、読了。2、30年ぶりの再読。面白い。以前どこかで、「旅、食、エロ。この三つが含まれていると、漫画でも小説でも映画でも、おっさん連中は喜んで読む。鬼平犯科帳など、一連の池波正太郎作品なんか、そうでしょ?」という意見を読んだことがあるが、そこへいくと千一夜もそうである。なるほど。

 1巻から2巻へかけての話中話に出てくる鬱陶しい床屋なんか、抱腹絶倒間違いなしの面白さだ。

 引き続き第2巻にかかる。

水曜日

 SMAPのメンバーのうち4人までもが事務所を移籍する、残るのは木村拓哉だけという噂、要するにもうほとんど解散か!?……というような内容の芸能ニュースが流れていた。そうなったらカンニング竹山とかビビる大木などの「コンビ名つけたピン芸人」みたいに「SMAP木村」とかわざわざ名乗るようになンのかなあ、などと想像してワロタ。

 「ピンアイドル」「SMAP木村」て、アンタw。

木曜日

 今週は急に気温が下がった。

金曜日

○ ゴミ捨て当番だったので、ゴミを取りに行ったら前日の当番が仕事をしておらず、前々日もそうだったらしくてオッソロシイゴミの山。シュレッダー屑から食い滓から空き缶から瓶から、とても一人では運べない。さすがに前日と前々日の当番に文句を伝えたら手伝いに来て、なんとかなった。

○ FBのウォールにこういうのがシェアされてきた。

 うーん。私、ここに書いてあること、全部やってるんですけど、貧乏人なんですよねえ。ToDoリストはもちろん作ってるし、テレビなんてほとんど見ないし、読書なんてもう、それ以外の楽しみったら駄文書きくらいだし、有酸素運動なんざ言わずもがなだ。

 ToDoは、私が勤勉・几帳面だから作ってるんではない。どうも私はバカなので、やることを紙に書いて、それに従ってやらないと、忘れたり、混乱したり、うまくできなかったりするんですよ。

 ある時、発達障害(ADHD)の人がなんとか他人に迷惑をかけずに社会生活を送るには、「やることリスト」を作ってそれに従って生活するとよい、みたいなことが書かれたものを読んだことがある。ははあ、俺もToDo作らないとモノを忘れる、ってことは、俺、かなり発達障害じみてンだなあ、などと、なにやら悲哀を覚えてしまった。

 そのことを考え合わせると、金持ちどころか、病気直前じゃねえか俺、……と思うのである。

○ やっとこさ休前日なので、酒はコッチ。

休前日のブラックニッカ・リッチブレンド
休前日のブラックニッカ・リッチブレンド

土曜日

 センター試験に行く長女。頑張るのじゃぞー!と、送り出す。

 今(19時ちょうど)、マフラー巻いて白い息吐いて、地域猫のハートと「ただいま~」と帰ってきた。

FB疲れ

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 以前も2ちゃん疲れとかmixi疲れとかいうことは言われていたが、来るべくしてというか、やっぱり「FB疲れ」なんて言葉が来たねえ。

 テレビと違って、「寝ててもオッケー」じゃないからねえ、ネットは。

善意の知性は、屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運ぶ

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 知性は()むべき(かな)

 だが、知性を肯定する表明として私如き反知性主義者が最初にこう書いてみたところで、やっぱり知性は人をして度々(たびたび)罪人たらしめる。例えば原子爆弾の開発経緯を言えば、知性の残酷さを思って胸が千々に乱れざるを得ない。

 このところ、堀江貴文や酒鬼薔薇聖斗などと言った(まご)うかたなき犯罪人、しかもちょっとした条例違反だのの範疇ではない、よりにもよって物相飯(モッソウめし)を喰らい込んだ正真正明の刑務所(ムショ)上がりが大手を振って(もの)した出版が続出し、これがまかり通るばかりか人々が(こぞ)って買い込むという異様な騒ぎになっていることは、どうしても許容し難い。

 それをまた、誰がどう見ても知性、教養のあるはずであろう人たちが競って(もと)めている。

 私は、犯罪人の手記を出版してそれで金儲けをするような者に(くみ)する気持ちにはどうしてもなれないし、さらには犯罪人を許すことなどできないし、しない。

 良識と知性は同種のものではない。そこから、仮に悪人を理解するということが良識に属し、正しい行いとするならば、悪人とその被害者にまつわる一部始終を興味本位で覗き見るために投げ銭を施すことが、自分と異なる者、すなわち悪人を理解するための正しい行いと言えるだろうか。

 (いな)、これは野次馬根性と呼ぶべきもので、むしろ良識の立場からは遠い。これを知性の働きと言うならば、残念ながら、知性はむしろ悪人の側に属する犯罪的属性であって、これは良識の対極であると言わなければならない。良識と知性は相反するものではないと信じたいが、反面、知性は太古から人を殺してきたのだ。

 たとえ知性はなくとも良識はあると自負する人は、犯罪人の著書をうっかり買ってしまわないことだ。もし著書を買わなくても、少しばかり興味を持ってしまって、こっそりネットで検索しただけだとしても、それだけでも犯罪人どもには莫大な金が転がり込んでしまう。

 だから、一般人である我々は、そういう者に興味そのものを持たないように努めるべきだ。罪を犯して裁判でそれを認め、刑務所に放り込まれて、せいぜい10年がところ我慢してその一部始終を書き記せば、それで知性を称する野次馬どもがわんさか寄ってきて駄本が飛ぶように売れ、一生金持ち安泰などと、そのようなことが許されてよいはずはない。こんなことは被害者を愚弄しているとしか言いようがない。

 アメリカ人がこうしたことを禁ずる法律(Son of Sam law(サムの息子法))を作ったとかどうとかは、この際関係ないことだ。前例やアメリカがどうとかいう話ではない。前例などなくても、良識がこれを許すかどうかだ。アメリカが正義の基準であるかのように言い立てるのはやめてほしい。気分が悪い。

 堀江何某(なにがし)如き犯罪人への興味は、巧妙に新聞や雑誌によって紛れ込まされた文字や音声、写真、映像を読んだり見たりしてしまうことで呼び起こされる。
 
 私など、この種の記事や広告がSNS等でリコメンドやフィードされてきても、即、表示停止にしている。
 
 この種の出版は興味本位でついつい買ってしまうものだが、それは、一般大衆の行動を嘲笑うかの如くに見越した出版社の社長や営業が小(ずる)い商売をしているのだということに、いい加減気づかなければならない。こういう小狡い商人に「そんな商売をしても儲からない」ということを知らせるためには、個人個人が不買、不興味、不見聞の行動をとることだ。

 所詮こんな「売らんかな」の経営者なんてものは、数字しか見ていない。人情や愛、憐憫、涙、痛み苦しみ、そういう切れば赤い血の出る人間らしい心、数字では計ることができない魂の温かさなんて、こういう輩にはどうでもいいことなのだ。つまり、私などとは別の種、例えば宇宙人とか昆虫、電子頭脳のようなもので、数字しか見ていないような自称経営者なんてものと、心が通い合うことはありえない。犯罪人の手記を出す出版社の社長などこの類であって、私などにとっては犯罪人以上の敵である。

 こういう連中を理解しようと本を買ったり広告を見たりすることを、理性的な態度だと思っている善人は非常に多い。ところが、その一見理性に満ちた愛の態度が、奸智にたけた犯罪人や、それで金儲けを企む連中の思う壺なのである。知性のある人の理性的な善意を愚弄し、被害者を踏みにじって金に換えるのが奴らだ。言うなれば詐欺師である。

 「言論の自由」を言い立てるかもしれないが、今時、言論がしたければ莫大な金の動く出版に頼る必要はない。ほかにいくらも手段はある。それゆえ、金儲けありきの出版社が犯罪人の言論の自由を助けているという言い分は通らない。今や出版は「言論をネタに金儲けをするための老朽システム」でしかなくなって来つつある。

 つまるところ、善意を疑わぬ知性が悪を育てる。その知性に善意の自負が強ければ強いほど、それは屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運んでいく。

 私如きがたった一人で不買やアクセス拒否をしても、社会を変えることなどまったくできはしない、それはよくわかっている。だが、私はそれをやる。犯罪人や悪しき出版業者たちがそうであるように、私もまた、思ったことを許容され得る範囲で自由にしてよい、一個にして一乎(いっこ)たる、人格をもった社会人であるからだ。

The decoration meat bun

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 朝起きて、顔を洗って着替え、いつものようにリビングのカウンターに向かうと、妻が朝食を出してくれる。

 いつもはジュース、トースト、目玉焼き、コーヒー、牛乳など、だいたいそんなものだが、たまにはホットサンド、シリアル、ホットケーキなども出る。

 今日も欠伸(あくび)をしながらおはようと言ってスツールに腰をかける。妻は「今日はコレよ」と、「肉饅(にくまん)」を出してきた。前にも一度か二度はこんな朝食もあったが、珍しいことだ。

「いただきまーす!」
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 しかし、今日の肉饅は通常の肉饅ではなかった。肉饅の底面の平らな面が上になっており、普通はそこに丸い経木(きょうぎ)か紙が貼り付いているものだが、それがきれいにはがされていて、なめらかな白い肌になっている。その平らな面が白い生クリームで縁取られ、ショートケーキのようにデコレーションしてあって、赤や黄色のアラザンが振りかけてあり、真ん中辺に薄手のチョコレート片があしらってある。少しばかり金箔が飾られていて、なにやら美しいが、土台は温かな肉饅なのが変だ。

「ふへっ!?……ジュンコ、こ、これは……?」

「……?何、お父さん、これ、知らないの?最近『めざましTV』でやってて、すごく流行(はや)ってるのよ。」

「ははあ、流行りか。流行りならしょうがない。どれ……」

 てっきり、これはこういうお菓子風に作るための専用の肉饅で、中身は悪くしてもせいぜい餡饅(あんまん)だろう、と思ってかぶりついてみたのだが、

「ぐはっ!……かーちゃん、コレは、肉饅ではないか」

「……??肉饅ではないか、って、当たり前じゃない。そうよ。おかしい?」

「い、いや、……。おかしい、っていうか、うーん」

「お醤油つけるのよ、ほら。あと、練り辛子」

「ぬぅ」

 生クリームと醤油と中華オイスターソースの風味がよく利いたひき肉や(タケノコ)の具と練り辛子とチョコレートの珍奇きわまる味のハーモニーである。受け入れがたい。

 だがしかし、「これは流行っているんだ、人々が皆いいと言っているんだ、新聞だってテレビだって、有名な芸能人や評論家がこれはイイと言っているんだ、朝日の社説だって天声人語だってこれをきっと評価するのは間違いない、間違っていないんだ!!だから旨いものなのだ!飲み込め!受け入れろ!」と、無理やり賞味しているところで目が覚めた。

 ああ、中途半端に面白くもない夢だったなあ。

 平成二十七年大晦日、最後の夢が、デコレーション肉饅だったのは、なんの祟りであろうか。業の浅いこっちゃ(笑)。

 せめて明後日、初夢にはもう少し何か、富士とか鷹とか茄子とか、そういう夢を見たいものである。

昨夜録画しておいたテレビ

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 昨夜のNHKスペシャルを見た。

 なかなか冷静な取材がなされており、左翼主義的、反戦主義的なものを煽るような内容ではなかったので、まず、及第点であると思う。

 今日は「新・映像の世紀」の、面白そうなやつがあるので、録画しておいて見ようと思う。