嘘新聞、嘘テレビ、嘘先生、嘘教科書、嘘歴史、嘘電話、嘘メール、嘘広告、嘘ブログ、嘘ツイッター、嘘ホームページ、嘘ニュース、嘘SNS、嘘政治家、嘘官僚、嘘社員、嘘商売人。
もう、ほとほと見飽きた。こうなってくると、嘘でも本当でも、何でもいいような気すらしてきた。
オッサンは生きている。
嘘新聞、嘘テレビ、嘘先生、嘘教科書、嘘歴史、嘘電話、嘘メール、嘘広告、嘘ブログ、嘘ツイッター、嘘ホームページ、嘘ニュース、嘘SNS、嘘政治家、嘘官僚、嘘社員、嘘商売人。
もう、ほとほと見飽きた。こうなってくると、嘘でも本当でも、何でもいいような気すらしてきた。
妻子がつけっぱなしにしたテレビを見るでもなし聴くでもなしに眺めていると、お笑い芸人が詐欺師グループの宴会などに出演した件、いわゆる「宮迫 闇営業」の話ばっかりやっている。
しかしそれにしても、テレビはもうかれこれひと月ぐらい、先月からずっとこの話ばっかりしてないか?
もちろん、いわゆる半グレ、あるいは犯罪人集団、やくざ、暴力団など、そんなものが跳梁跋扈するような世の中では困る。社会への影響力も大きい有名芸能人が大手を振って犯罪人と付き合うようではいけないことは当然だ。
しかし、所詮は芸能人である、と言えばそれもそうではなかろうか。こんな話をいつまでも公共の電波に乗せて引っ張り続けるというのはいかがなものかと思う。40~50年前の昔なんて、興業なんてものは多かれ少なかれ「地元の親分さん」なんてものが仕切っていたもので、芸能人とやくざなんて一緒くた、下手すりゃやくざ兼業みたいな芸能人、映画俳優とどっちが本業だかわからないような親分だっていたわけである。安藤昇とかね。
芸人と犯罪人との関係なんぞ、しかるべく吉本興業なりそれぞれの芸能事務所なりでキチッと処分してだな、公器は他にもっと論ずるべき大事なことを論ずるべきだ。
テレビはこんなニュースをがなり立てることで、何かをごまかそうとたくらんでいるように思う。
朝日が産経に「従軍慰安婦記事は丸出しのクセして、それを撤回する記事とか都合の悪い記事だけメタタグに『noindex, nofollow, noarchive』たあ、どういうことだ、おぉ、コラ」みたいな因縁をつけられている(笑)。
これに対する朝日の言い訳もなんかシドロモドロというか、「いやその、コレ、ちょっとたまたまWeb的な作業漏れというかアノソノ」みたいな感じで、何をそんなに焦っているんですか都合が悪けりゃWeb屋のミスですか、ほぉ~、などとイジメてやりたくなる。
しかし、これをほじくり出したのが、また、例のケント・ギルバート氏で、このアメリカ人もなんか胡散臭いというか、アメリカの工作員とかスパイの類じゃないのかとか、いや、私は右翼だから別にいいんだが、こんなことをアメリカ人に指摘されたり運動されたりしててどうするんだ、日本人は恥ずかしくないのかとか、いろいろと一般的なツッコミどころも満載である。
報道によると、なにやら東京オリンピック開催を睨んで、戦前から再燃しては消えていた「サマータイム導入」の
何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。
日本は明治維新まで、不定時法、すなわち日の出を明け六ツ、昼を順次五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、日の入を暮れ六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツとし、毎日連続量で変化させるとともに、鯨髭のぜんまいを使用した機械式振り子時計でこの不定時を正確にシミュレートさせるなど、明るさや気温、季節に合わせた刻時方法を実現していた。つまり、とうの昔に「連続式サマータイム」を実現していたのである。
この「九・八・七・六・五・四、九・八・七・六・五・四」という数字の繰り返しは、古く支那文化に由来する五行説によるものだ。
だが、そういう天然・自然に即した刻時が合理的でないとして無理にやめたのだ。
それを今更、「欧米が皆やっているからサマータイム導入だ」などと、人工的で不自然なことをワケのわからない理由で強制しようとする。愚劣の骨頂である。どうして「欧米が~ッ」ではなく、「日本ではこうである」と言えないのか。主体性のなさに憫笑すら覚える。
庭
全国各地では停滞する梅雨前線の影響による豪雨被害のために
ところが、一体に関東、特に東京周辺は静かなもので、そのギャップに
Twitterなどちょっと覗いてみると、無策の政府を非難する声と、サッカーの中継以外に能のないマスコミを非難する声が
そんな昨日今日であるが、個人が盲動また妄動してどうなるものでもない。垂れ込めて、引き続き開高健「最後の晩餐」を読む。
ベデカー(独: Verlag Karl Baedeker)は、近代的旅行案内書の草分け的存在を出版しているドイツの出版社、および、その会社が出版する旅行案内書。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。
2 「手沢本」の略。
類語
手垢(てあか)
食通。著書に「食」。
しかしマァ、ボンボンそのものではあるワナ。そりゃ、世界各地の野食美食のあれこれに精通もできようて。
ずぅ~っと、ずっと、「ていえいかん」だとばっかり思っていた。漢字の
しかし、Googleに「ていえいかん」と入れると、検索アシストに「
小さい頃から可愛がってくれた伯母だ。弔電を打ち、香典を書留で送る。しかし折柄、身動きもならぬ。仕方もなし。
じっとしているより他ない。夕刻、バタピーなぞで一杯やる。言うなら「乾きて
アホらしい。
もっとも、北朝鮮側は同時にこんなパフォーマンスに余念がない。
ちょっとタイミング悪かったね。
もうそんなになるんだなあ……。首相在任当時は「若手」って言われてたけど。
オバハンの乱入動画その他のまとめにはさすがに苦笑してしまったが、さておき。
私はスポーツが嫌いだ。だからでもあるが、この件を私は無視というより冷視している。なぜか。
こんなの、怪我をした・させた、双方の当事者が、弁償するなり賠償するなりなんなり、勝手にやればよろしい。傷害などの刑事性があるなら警察をはじめ公訴組織が、争いがあるなら民事も含めて裁判所をまじえ、関係者が真剣勝負で好きににやればよい。
……というふうに思っているからだ。
また「マスコミ」だ。マスコミが悪い。
だからテレビも新聞も嫌いなんだ。
飽きた。
へぇ~、……まあ、そりゃあ、そうだろうなあ、という感想。
そりゃ、そうだろ。私がプーチンだったら、こういうふうにするよ、ロシアのために。東側が東側と手に手を取るのなんて、そんなの当たり前だろ。
いやもう、最近、頭の悪い右翼の私でさえもが、産経新聞にすら辟易してきた。産経も読売も朝日も毎日も日経も、全部どうでもよくなってきた。
マスコミなんてどいつもこいつも全部一緒だ。馬鹿馬鹿しいからネットで読むのすらやめてしまおうかしらん。
……上のように題して、ちょっとこういうアンケートをした。
新聞やテレビは「絶対に許されない」と報じているように感じられるのだが、私が設置したこの「無責任なアンケート」によると、まあ、ほぼ、こういう結果ですな。
現時点で125件回答があったが、そのうち、1~4の「1: 正しい。これからも積極的に拡充すべき。」「2: 正しい。現状を淡々と維持すべき。」「3: 正しい。しかし、あまり大ごとにせず、静謐にすべき。」「4: 正しいが、少し様子を見るべきで、今しなくてもよかった。」への投票は101件で、これは81パーセントにあたる。
「謎のサンプル区域」「謎の母集団」でアンケートしただけであって、しかも125件なんて数では、この81パーセントという数字の信頼度の評価すら不可能だから、さすがにこんな非科学的なアンケートを根拠にマスコミがおかしいなどと言うわけにはいかない。
ただ、ずいぶん差が感じられますなア、と、こういう程度の話である。
この男、後藤輝樹のあほうもない映像、ちんこだのまんこだの連発の記念碑的政見放送を見ていて、ふと、先日の狂人による大量殺人事件との関連を思った。
相模原の狂人は、「自分は人のためになることをしたのだ」という。
これが否定されるのは、「この男如き者が独断で刑を執行する資格など、ない」からである。植松何某ごとき狂人には、たとえ自ら正義だなどと理論づけたところで、人を殺す権限などないのだ。
そうすると、である。翻って、放送局やマスコミは、果たして、「法執行機関」なのだろうか?表現の自由をはじめとする基本的人権を保持する個人が発出したものを切り刻み、何を言っているかわからないように強制的に改変することが許されるのだろうか?
否、企業には強制的に法を執行する権限はない。
常識に照らせば、なんだいやらしい、バカじゃねえのか、この後藤何某の映像など一切放送するな馬鹿野郎、という感じはする。個人的にはこれは「×」だろう、とは思う。だが、その主張を強制的に切り刻み、改変したり停止したりする執行権限は、一企業に過ぎない放送会社にはないのではないか?
放送会社は、「この映像はどうすればよいでしょうか」と、裁判所等の令状でもって放送の是非の許可を得るべきではないだろうか。
例えば警察では、覚醒剤をばらまき、人を殺し、物を盗み、詐欺を働くような、誰がどう見たって死んだ方がマシな糞のような奴をしょっ引くのにだって、裁判所に伺いを立てて、令状を取るのだ。
同様に、テレビ会社も強制的な執行をするためには、すべて法執行機関の判断を仰がなければならないのではないだろうか。