明るい才能の対極

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 「Google後」について論考しようとして、とてものことに私などその器ではないと思い直す。

 タブレットやモバイルにしても、ポンとアイデアを思い付きで出して、運よく資本エンジェルが金出して、スクスク一発屋商売がヒットした、というわけではない。

 私にとってのスマートフォン元年は平成21年の夏ごろだ。ドコモから「HT-03A」が発売されたところから、スマートフォンの盛り上がりを感じはじめた。古くからのiPhoneユーザにとってのスマートフォン元年は、もう少し早いだろう。

 が、これはポンと出してポンと売れたものではない。HT-03Aは、更にそれを遡る2年前に、Googleが組織した「OHA」(Open Handset Alliance)に、日本3大キャリアや有力IT企業が参加して、営々とAndroidの研究を続けていたのである。ようやく台湾HTC社のハードウェアの発売に漕ぎ付けるのにそれくらいかかったということだ。

 そのGoogleにしても、どれほどの努力の年月を重ねたか。

 Web2.0を標榜したAmazonの商売が、やっとこさ軌道に乗るのに何年かかったかを振り返るのも分かりやすい。

 iPhoneにしても、日本での最初のスタートなんか散々なものであったと記憶する。それを、それこそソフトバンクがタダ同然でばらまくようなふるまいに及んで、ようやく今のような市場を握ることに成功したのだ。しかも、それすら、2年後3年後にどうなるかなど、誰も予測できない。

 そこからは、血の臭いすら、する。文字通り血のにじむような営業努力だ。

 Google後はますます、ピカッと光るような才能とクリエイティビティが世界を変える、と、多くの人が考えているように感じられるが、私はそうは思わない。

  死んだジョブズのプレゼンになんか、私は騙されないぞ。

 クリエイティビティの対極にある、ゲロのにおいの、血と苦汁とションベン臭い汗のしたたりにじむ、蟻が地を這うような、サラリーマンのおっさんの活動が、実は世界を変えている。

改革病

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 「土光臨調」「三公社五現業」という言葉は、私などが小学生の頃に新聞やテレビでしょっちゅう流れていた言葉である。社会科の教科書にも出ていたかもしれない。

 私と同じ歳で、──私は昭和41年生まれだ──リアルな耳への実感でこれらの言葉を覚えている人は、多くはないと思う。新聞を読んだりニュースを見たりする子は、同級生にはまれだったものだ。しかし、私は小学校低学年から新聞を読んだりニュースを見たりする変な子供だったので、これらの言葉を実感で覚えている。土光臨調の時には私は中学生だったが、周囲の者は多分高校の受験勉強に忙しかったから、リアルタイムではこの言葉は知らないと思う。知っていたとしても、リアルタイムではなく、後から知ったことだろう。

 臨調、などの言葉は、そのまま「行政改革」につながっていく。改革という文字が新聞に載らない日とてはなく、文盲率の低い文明国の悲しさ、知能の高い人であればあるほど、新聞から脳に、毎日「改革」と言う言葉が注入され続けた。それが、昭和55~57年頃(1981年頃)のことだ。

 土光臨調や行政改革の是非については、私にはよくわからない。だが、その意義や目的を理解することなく、とにかく改革、という人々が増殖したことは確かだ。

 それは、いけないことだったと思う。この時代に成長した人たちは、なんでもいいから引っこ抜き、踏み荒らし、変更し、他人に意思を強要しさえすれば「偉いねえ、頑張ったねえ、すごいねえ」と、親にも先生にも上司にも褒められて育つことになったからだ。

 その人たちが悪いのではない。そのように誰かに吹き込まれて育ったのだから、それを遵奉しようとするのは当然のことだ。そしてまた、時代が悪いわけでも、社会が悪いわけでもない。すべて正しかったのだ。だが、正しいものがすべていいことかというと、それは違う。かつて戦争は正義の眷属(けんぞく)であった、と言えばわかりやすい。

 改革が正義であるから、変えるべきものがなくなってくると、この人たちは言い知れない不安に襲われる。正義が否定されるのだ。人間は正しくなければならない。ただしくあるためには、変更だ、差し替えだ!!優れた人であればあるほど、正義のために自らも変わろうと努力し続ける。いいかげんなことは許さん!!…かくて、目的も理念も忘れた、正義の「ためにする」改革が繰り返され続けていく。

 これがまた、「改め」かつ「あらたなものを露出させる(=「革」という字は、古いカワをはがしてあたらしい中身が出てくるという意味がある)」ことになっていればいいのだが、凡人にはどうしても、「なにかよい手本をよそから持ってきて、差し替える」くらいのことしかできない。カワをはがす(革)ではなく、ペンキでゴテゴテと上っ面の色を小汚く塗り重ねるだけだ。つまり、ただの「変更」だ。そして、たいていの優れた人は、凡人だ。

 そう、「変更」が正義だ、というところが、困ったことなのだ。「生む・産む」ことではない。「あらためる」ことでもない。オリジナルを産むのではなく、アメリカ風なものに「差し替え」だ。凡人にできる改革など、そんなものだ。

 昭和後半に否定され続けたものは、実は「生まれたもの」でもある。声高にヤレ改革だ革命だと叫ばなくったって、明治維新以来、日本はレボリューションやらイノベーションやら、嵐のような改革と激動に揉まれ続けていた。新幹線が敗戦の痛手から立ち直ってゼロから新しく作られた、などと思い込んでいる向きも多いが、じつは新幹線は昭和の初期から開発が引き続き行われていたことは、満州鉄道史などを少し調べればすぐにわかる。戦時中の航空機開発史などを見ると、信じられないほどの水準と速度でものを生み続けていたこともよくわかる。

 不易流行、という言葉がある。古色蒼然として、カビか苔でも生えていそうな言葉だ。だが、この言葉が好きだ。変わってはならないオリジンの上に、しっかりと変容を受け止めていく。個人においても、組織においても、ゆらぎのない個の確立の上に、変容は迎え入れられる。

 改革だ改革だ、と、憑かれたように言い続ける必要は、ない。明治維新以来の私たちの、もともとのベースに、それは組み込まれている。

ピアノとハゲとデブとダイエットと目標とEVMと血

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 ピアノの腕前の上達は、今の歳の、しかも40過ぎてからはじめた私のような者にとっては、まことに遅々として(はかど)らぬものだ。

 ものごと、何につけても目標を持ってやるように子供たちを指導していきましょう、とは、昨日長女の高校の入学式で、校長先生も担任の先生も言われていたことだ。これはこれで立派なことであり、若者をそのように指導することは、有益なことである。

 だが、私は、ことピアノに関する限り、目標を持たないことにしてきた。「今の『練習』を楽しむ」ようにしている。

 そうしないと、目標と自分の腕前の懸隔に絶望し、続けることができなくなる。幼稚園の頃からほんの数年レッスンしただけの、自分の次女のような小娘にすらかなわないということが情けなくなり、稽古がバカバカしくなってしまうのだ。

 つまり、突然山の麓に立たされて、山頂を見上げてウンザリする感じ、だろうか。

 地面と、ごく周囲の景色だけを見ながら漫歩していて、ふっ、と顔を上げたら、相当高いところまで登ってしまっていた。……そんな行路だって、あっていい。

 だから、私のピアノの稽古は、まことに進歩が遅く、薄紙を一枚一枚、貼り重ねていくような緩慢さである。

 このようなやり方で物事に処していくには、ただひとつ、「時間」を味方にすることだ、と今のところ思っている。

 これは、ダイエットなどにも言えると思う。逆に、肥満の状態も、「時間」が敵だったはずだ。

 どういうことか。

 ダイエットに悩む人は、何も最初から、醜い姿だったわけでも、醜い姿になりたかったわけでも、ないはずだ。

 一日に、ほんのごくわずか、薄紙を貼り重ねるように肥満していったのである。また、一日に、ほんのごくわずか、薄紙を貼り重ねるように「余分なひとくち……」を食っていったのである。

 これは、「ハゲ隠しに珍妙な髪形をしている人」も同じだ。亡くなった軍事評論家のエバケンこと、江畑謙介氏の極端な例を見てみたい。

 何も、エバケンさんだって、若い頃、最初っからこんな珍妙な髪型を目標にしていたわけでは決してあるまい。今日少しハゲたぶんを、ごくわずか櫛で隠しただけであったはずだ。その次の日もそのあくる日も、少し櫛を使っただけだ。そして、1ヶ月、1年、10年。こういう時間の経過が、あのエバケンスタイルを作り上げていったのである。

 思うに、ダイエットも「無闇ヤタラな目標」など、持たないようにしては如何か。今日、ちょっぴり「食わない」。その効果なんか、はっきり言って1日やそこらでは出るはずなんかない。

 私はこの30年ほど、毎日、少しづつ肉体の練成に励んでいる。しかし、スポーツ選手のように強靭ではないし、ボディービルダーのようなマッチョでもない。今日腕立て伏せをしたからといって、明日マッチョになるわけではないのだ。才能や体質もある。

 そこに見出したいのは、エバケンさんの「逆」だ。

 ピアノの稽古にしても、私は、エバケンさんの「逆」をつかみたいのだ。

 社会で仕事をしていると、日々、EVMだの指標だの株価だのケイツネだの本日FP実績だの、そんなものに溺れそうに(まみ)れて生きることに慣れてしまい、また、上下左右の周囲からも必ずどれだけできたかを問われる。だから社会人は、ついついそんな論理を家庭生活などにも持ち込みがちだ。しかし、そんなことは仕事だけにしておくのがいいと思う。

 去年、職場の健康管理指導がずいぶんとうるさいものだから、

「じゃあ、普段実績だの効果だのなんだのガタガタ言ってるんだから、毎日、減量のEVMでもやったらどうですか(笑)」

……みたいなちょっとした皮肉もこめてプログラムを書いた。それは「ダイエットのEVM」をやる「鬼痩~Devil Diet~」という、フザケたアプリだ。

 これを盆休暇にPHPで書き、職場に持ち込んでやった。中身は、国立健康・栄養研究所の「EX~METs」の指標を使い、日々のダイエットをEVMにしてくれるというものだ。エクセルでもできるが、ふざけてPHPで書いたのだ。毎日、「今日は駆け足なら何キロ、歩くんなら何時間、水泳なら何キロやれ。そうすりゃ何グラム痩せる。目標の何月何日までに何キロの体重に痩せたけりゃ、今日絶対に何キロ走れ」という計画表が出てくる理屈である。それがEVMグラフとなって出る。PVのガイドには、リニアと対数、それから自然な計画ができるように、レイリー分布を積分した、S字計画などを選べるようにした。

 自分でこれを検証した。

 国立健康・栄養研究所の理論はまことによくできていて、その表の通りに痩せる。もっとも、私はあまり「切りしろ」のない体をしているので、自分でこれを試すのは非常に苦痛であった。

 だが、EVMで痩せることはできる。

 公表したところ、私の皮肉もあって、「こ、これは本当に、『鬼』じゃあ!!」という評判になった。

 実際のところ、人間は金属とか棒、石などではないのだ。「今日何カロリー摂って、何キロ走り、何グラム痩せろ」なんてことを、レイリー分布に沿って言われたって、そんなことができる位なら、肥満なんかしないのだ。私の作ったアプリのEVMのとおりに運動して痩せようとすると、人によっては、「3ヶ月後まで、毎日休まず、一日4時間全力で走れ」などというムチャクチャな命令が出力されるのである。普段数字にうるさい人ほど、無茶な計画を浴びせられるような塩梅(あんばい)式になった。

 本当に、人間は木とか石ではない。切れば赤い血の流れる、矛盾と怠惰と勤勉と精神とウンコを一緒くたに内包した血袋なのだ。

 だから、そんなガンガンガンガン、目標だ実績だと言われたって、そこまでできるもんか。

 毎日「なんのために」という目標もなくピアノの稽古をしたって、いいじゃないですか、楽しいんだから。

 だから、毎日「誰のために」という目標もなく、ダイエットしたっていいと思う、痩身が美しいと思うのなら。

 目標なんかない、勉強が好きだから勉強している、という勉強も、場合によってはいいんじゃないですかね。

 ENIACを建造したエッカートとモークリが、何も、今の高度情報化社会を目標にして毎日図面を引いたわけじゃなかったとも思いますしね。

 ただ、そうはいうものの、間違いのないように、ひとつ申し添えたい。「目標なんかいらん」とまで、私は言ってない。それは、目的と場合によるのだ、ということが言いたいのだ。

猫のハートの纏聞(てんぶん)

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 朝、仕事に出る前、玄関のドアを開けると、半野良猫のハートがスルリとドアの隙間から家に入ってきて、ニャーオ、と餌をねだる。この数年、毎朝のことだ。冷えた体と首回りをさすってやると、尻尾をゆらゆら揺らせながら、体をすりつけてきてニコニコ笑う。猫は笑うのだ。妻がフレーク状の餌を飼ってやると、おとなしく食べる。

 ハートは、5年位前だったか、どこからか私の住む街の一画にやって来た。やってきたばかりの頃、水色のハートの飾りのついた首輪をしていたので、皆からハートと呼ばれるようになった。茶色の縞の、なかなか美しい雌猫だ。

 当時まだ小さかった私の娘たちや、近所の子供たちの話を総合すると、ハートは三、四百メートルほど離れた、築四十年にもなろうかと言う、いわゆる「六坪借家」の群がるあたりで飼われていたらしい。小さい子供は動物と口が利ける。だから、子供たちがハートから聞き出したというその話は、多分本当だろう。

 ハートが私の家の近所に来てしばらくした頃、その「六坪借家群」のあたりは取り壊されて更地になり、土地が売りに出されたりしていたから、概ね子供たちの話と符合する。ここからは完全に想像だが、ハートは多分、年寄りに飼われていたのだと思う。その年寄りは、ほとんどが空き家と化していた「六坪借家群」の、おそらくは最後の住人だったのではあるまいか。

 更地になった「六坪借家群」は私の通勤経路にある。ハートは朝五時三十分頃に家を出ていた私を見つけると、数百メートル離れたその「六坪借家群」のあたりまで、足もとをまとわりつきながらしょっちゅう付いてきていたので、私の想像は多分当たっているだろう。その年寄りは、病気にでもなってどこかへ移ったか、ことによると変事があったのかもしれない。ハートの、どうもおっとりとした、争いの苦手そうな、愛嬌のある物腰も、その想像を裏付けているように思う。

 私の住む街には、少子高齢化とはいったいどこの国の出来事かと思うくらい、高校生から幼稚園児まで、沢山の子供たちが暮らしている。ハートには、「子供たちをお守りしてやっている」という自意識があるようだった。ハートが悠揚せまらざる物腰で子供たちと遊ぶようになると、半分野良猫とは言え、大人たちも無残な扱いはできなくなった。時折、残飯などやったり、たまにはキャットフードの缶詰などを奢ってやるようにもなる。

 ハートはそのようにして私の家の近所に住み着き、今日はお隣、その次は向かい、ある日は私の家、というようにあちこちの軒先で眠り、餌を貰い歩くようになった。

 そんなある年の春頃、ハートはプイと姿を消してしまった。

 しばらく経ったその年の夏前のある日、ハートは妙にほっそりした姿で、何かを(くわ)えて、蹌踉(そうろう)と私の家の前に現れた。それを見つけた家内は、これがうわさに聞く、殺した鼠を御礼に持って来るというアレか、すわ!と身構えた。

 しかし、ハートが口に咥えてきたのは、鼠ほどの大きさもない、ふにゃふにゃの子猫だった。近所の子供たちと家内が、唖然と、しかしともかく、ハートが咥えてきた子猫にかまっているうち、ハートはまたスイと姿を消し、また、別の子猫を咥えてきた。

 そうやって、ハートは半日ほどもかけて、どこか遠くから、自分の子猫を一匹づつ、私の家の前に運んできた。子猫は全部で六匹いた。ハートは、一匹につき三、四十分はかけて子猫を運んだ。

 母猫は雄猫から子猫を守るため、隠れたところで子猫を産むという。時間のかけ方から推し量ると、ハートはずいぶん遠くで子猫を産んだものらしかった。

 ハートは、自分と子猫の食い扶持をどうすればよいか、本能で探り当てたのだと思う。無論、子供たちがかわるがわるハート親子を可愛がったのはいうまでもない。まあ、猫の餌ぐらい、どうにでもなる。

 世の中に野良猫を迷惑がる向きも多い。庭に糞をされるのも迷惑だし、野良猫に餌付けをするなどもってのほかだという。実は私もそうした気持ちの持ち主の一人だった。だが、猫の二、三匹が生きていかれる程度の冗長性が町内になくては、人間様も万物の霊長たるの鷹揚悠然に()くるの(そし)りを(まぬが)れまい。

 アラビアの詩人、オマル・ハイヤームの詠むところに、

 この壷もまた人恋ひし嘆きの姿
 黒髪に身をとらわれの我の如
 見よ壷に手もありこれぞいつの日か
 佳き人の肩にかかりし腕ならめ

というのがある。人は死んで土になる。何千年もたってその土は焼き物になって、壷に拵えられているかもしれない、壷と化した美女を無残に扱うな、と言うのだ。してみれば、庭を荒らす野良猫と言えども、前世は人であったかもしれない。命のあるものだ、大切にするにしくはない。

 子猫は子供たちにずいぶんかわいがられ、大切にされた。ハートは子猫と人間の子供たちを等分に眺めて、眼を細めていた。暑い夜などは袋小路になった私の家のある一画の舗装路にねそべって、子猫に乳を与えていた。

 ある日、ハートたちは近所の愛猫家の目にとまってしまった。

 その愛猫家の中年夫人は、「このままに推移すれば、結局は保健衛生上の決まりもこれあり、可哀想なことになってしまう。そうなる前になんとかしてあげることがこの道の慈悲と言うもの」というのだった。まず、もっともなことである。少し無残なようには感じられるかもしれないが、ハートには不妊手術を施し、予防接種もしてやり、子猫たちにはしかるべく飼い主を探してやるのが結局は一番猫の幸せだ云々。

 このように近所の愛猫家に見つけられてしまってはハートもひとたまりもない。

 それで、気楽な半野良猫のハートはついにとっつかまり、私の家を含む向こう三軒両隣、すなわちハートを可愛がっていた子供たちのいる親たちみんなが金を出し合い、近所の動物病院へ連れて行かれて不妊手術をされてしまったのであった。

 痛い目にあったハートが、しばらく近所の人間どもに寄り付かなくなっていたのは当然のことである。

 ハートの子猫たちは、その愛猫家と近所の子供たちが、新越谷駅前で声を張り上げて貰い手を捜し、6匹全部、無事に猫好きの人たちに貰われていった。

 黒白縞の子猫を貰ってくれたある年配夫婦の家へは、次女が時々、子猫の様子を見に行っていた。年配夫婦はいつも次女を歓迎してくださっていたようだが、最近はちょっと次女も足が遠のいているようだ。

 ハートは相変わらず私の家の前でにゃあと鳴いては、とことこと走り寄ってくる。幸せそうに乳を与えていた自分の子猫の顔を、覚えているのだかどうだか。子猫六匹が周りにいた頃のハートは、本当に貫禄のある、母猫らしい笑顔をしていた。そう、笑顔だ。三日月のように目を細めた笑顔をしていた。

デブ上司の思い出

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 私のブログには職場のことは出てこないが、それは普通の社会人としては当然である。客商売の人がその日店に来た客の容姿のことを縷々書いたり、警官が取調べ中の容疑者のことを書いたり、メーカーの人が開発中の製品のことを書いたり、銀行員が有名人の預金残高を書いたりなど、するわけはない。私もそれは同じことである。

 だが、今日は珍しく職場のことを書く。と言っても、だいぶ前の出来事で、しかも仕事とは関係のないことだ。問題の登場人物は既に定年で辞めてしまい、私や職場とはなんの関係もなくなってしまっている。既に年賀状の付き合いすらない。職務の内容と関係もなく、書いたところで私にはなんの痛痒もなく、職場に損失もなく、それからなにより、話としてはけっこう面白いと思うから書くのである。

 さて、今日取り上げる人物はデブであり、私の上司であった。仕事が関係なければ概ね陽気な好人物ではあったのだが、本来的に怠惰であり、どんなことでも、自分の手間ひまが増えると判った途端、いかにして上司同僚部下に責任をかぶせて自分が逃げるかだけを考えているような矮小漢であった。デブっぷりももはや救いようはなく、身長160センチほどなのに体重は90キロを超え、高血圧、高脂血で、腹囲を測るなんて、やるだけムダであった。ある時など、なにもせずにじっと座っていただけなのに、人差し指の第1間接の曲がるところから突如血が噴き出した。高血圧と動脈硬化の進みすぎである。いずれ、体の内部の奥深いところで同じことが起こり、突然死するだろう。

 最近は「成人病」のことを「生活習慣病」と言うようになり、本人の責任に帰する世の中になったが、このデブは生活習慣を改めようなどと言う気持ちはさらになかった。たしか、5年間だか10年間だか、成人病検診の全項目が毎年続けてアウトになるという輝かしい(笑)レコードをも保持していたはずだ。

 ある夕刻、このデブの退勤の様子をたまたま遠くから見守っていた人があった。その人によると、デブめ、通勤電車内で妙にそわそわと落ち着かないな、と思って見守っていると、突然下車するや、まっしぐらにラーメン屋に向かったと言う。面白いのでそっとついていくと、ものすごい勢いでラーメンを平らげ、また電車に乗ったのは良いが、次の駅とその次の駅でも続けざまに同じことをしたという。ついていった人も物好きだなとは思うが・・・。

 前置きが長いが、厭わずさらに前置く。かく述べる私についてである。このブログでは、Youtubeにリンクした私と娘のトルコ行進曲の連弾の映像くらいしか私の外見がわかるようなものはないと思うが、そこからも見て取れるように私は痩せている。42歳の今も、毎日12kmのランニング、腕立て伏せ150回、腹筋300回、ダンベルカールで片手25kgを上げる膂力を維持している。身長170センチ体重64キロ、19歳の頃から1グラムも増えていない。そのため、その頃にあつらえた背広を今もまだ着ており、喪服礼服も若い頃に買った一張羅のまま、逆に洒落がないと笑われるお粗末である。いや、こんなことを自慢したいのではない。これは今から述べたいことの前置きである。

 問題のデブ上司はそんな私が疎ましくて仕方がなかったらしい。私がなにも言わぬ前に向こうから、

「佐藤君、キミのように痩せている人間は、統計上早死にするんだよっ!!」

とか、

「キミのように肥らない体質の者が、何の努力もしていないのに痩せているからと言って鼻を高くしている今の世の中はおかしいし、キミもおかしい」

とか、

「もし今、世界が荒廃して食糧がなくなり、サバイバルの時代になったならば、キミはすぐに飢えて死に、ボクは生き延びるわけだ」

とか、

「昔はねえ、痩せると『痩せているねえ』と哀れまれたんだよ、食糧に不自由していたからねえ」

・・・とか言い散らかすのである。食糧に不自由ったって、その人が育った時代は昭和30年代で、食糧難は終わっていたのだが。それに、そんなことを言い出すとき、職場中の誰も体重や健康や成人病や脂肪のことなど話題にはしていないのだ。デブ上司は私の姿をじっと見ては、まったく何の脈絡もなく突然言い出すのである。

 今日のこの長大な前置きは、実は、このデブの次の発言にあいた口がふさがらず、後になって思い出しては私が爆笑しており、是非ともここに記録して留めておきたいがためのものだ。

 ある時、──その時も例に漏れず、このデブは私の姿かっこうをしげしげと見ていた──私が何も言わないのに、また突然向こうから次のように言いだしたのである。

「佐藤君。僕はね、キミなんかよりものすごく健康なんだ。
 つまり、人間の体と言うものはね、切れば赤い血が流れるダイナミックなものなんだ。つねれば痛み、くすぐれば笑う。刺激に対してそれに応じた正確な反応があるというのが健康な人間なんだ。食べて運動しなければ太るというのも、自然の流露というもので、体が正しく機能している証拠だ。
 同じように、塩分や脂肪の取りすぎで高血圧や動脈硬化になるのは、健康な人間の体の、正確で自然な反応なんだ。誰でも中年になると肝機能が衰え、脂肪が分解できなくなってハラ周りに脂肪がつく。これも老化という『入力』に対する、いわば人間機能という名の関数の『戻り値』だ。それが自然な人間だ。
 健康で楽しくお腹が空き、おいしいものを味わってニコニコ笑う、これは精神も健全だということの証明だ。
 ところがどうだ、キミを見たまえ!!キミのように、食べても太らず、40歳も過ぎているくせに10代のころと同じ体重などと言うような、そんな不自然な体があるか。キミの不自然な体は、40歳にもなって毎日12キロもランニングして平然としていると言うような、不自然で狂った、間違った生活習慣から来ていて、どこかにひずみが来ているんだッ!。キミなんかそれが原因で早く死ぬだろう。そのときに気づいても遅いんだよ!!
 キミも技術者ならわかるだろう!刺激に対する正しい反応がないというのは、入力に対する出力がないコンピュータシステムと同じで、不良な状態なんだよッ!だからキミなんか、物品で言えば不良品だッ!!。
 ストイシズムだかダンディズムだかなんだか知らんが、目を怒らせて体なんか鍛えて苦しんで、食べたいものを我慢なんかして、そんな楽しくない人生や精神が健全と言えるか?!
 キミは不自然、不健全であり、つまり不健康なんだ。
 
すなわち、ボクはキミより、健康だッ!!」

 じっと座っていて指から高血圧で血が噴き出し、成人病検診のすべての項目がアウトになるような人物の発言だ(笑)。いやもう、世の中にこんなにトチ狂った、ワケのわからない、かつもっともらしい理論の組み立て方があるものかと、当時の私は自分が侮辱されているということに怒るのも忘れ、感心すらしてしまった覚えがある。このデブは、常日頃からこんな論理構成ばっかりして暮らしていたのだと思う。しかもそのおかしな論理構成っぷりで出世はしているわけだ、私の上司になるくらいだから。

 この発言は、一種の言い訳とも取れる。このデブの場合、頭が悪い人物ではなかったので、自分の脳内に組み立てられている各種の言い訳を、このように言葉に変換して私にぶつけることができたのだと思う。

 だが思うに、おそらく、世間の多くの人たちは、このような言い訳の多くを、言葉にすることはないにしても、脳内で延々綿々と述べ続けては心の平安を得ているのではあるまいか。

お別れドライブ

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 来週はこの間買った新しいクルマが我が家にくる。古いデミオに家族みんなで乗り込んでどこかへ出かけるのは今日が最後だろう、と、「デミオお別れドライブ」をした。

 あいにくと雨降りだったが、朝おそく出発し、成田空港近くにある「航空科学博物館」へ行った。雨も本降りにはならず、小止みの間には博物館の外へ出て、成田空港を飛び立ったり降りたりする飛行機を眺めて楽しく過ごした。

 帰りに同じく成田にある「大和の湯」という温泉へ行き、ゆっくり体をほぐした。晩御飯は越谷の「ベッロカンパーニャ」というイタリアンレストランへ行き、おいしいコースを食べた。

 「ベッロカンパーニャ」はすばらしい人気店なのだが、なぜかウェブサイトなどがない。場所はここだ。

 200キロ弱のドライブ。さらば、デミオ。私は来週、月曜から木曜まで職場に泊り込みで仕事だ。だから家族みんなで乗ることはもう、ない。家族みんなでお前に乗るのは、来週の土曜あたりにトヨタのディーラーへ新車を取りに行くためにお前を乗り付ける時だけだ。事故も起こさず、11年間よく走ってくれた。

専門家に聞くべきこと

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 私は別段、ピアノの独学にこだわっているわけではない。成り行きでたまたまそうなっただけだ。

 独学しているのには、たいした理由はない。せいぜい、

  •  レッスンに使うお金がない。
  •  他人に追い立てられ、せかされるのがイヤ。
  •  レッスンにいく時間が自由にならない。

 ・・・こんな程度である。できることなら、優れた先生に指導してもらいたいものだと思っている。

 しかし、だからと言って「アナタはピアノのレッスンに通うべきです」と指図されたいわけでもない。

 かの億万長者、投資家のウォーレン・バフェット氏は、何かの講演で、聴衆の一人が

「株式投資を私はやったことがないのですが、これからの時代、やはり投資をやるべきでしょうか?」

と質問したのに対し、

「そのご質問は、床屋さんに行って、床屋の大将に『私は散髪したほうがいいですか』と聞くようなものです」

と答えたという。

 私はこの話が大好きだ。さすがはバフェット、世界一の投資家にして世界経済を左右すらする人。「俺に聞けばヤレというに決まってんじゃん。聞く相手間違えてるヨ」と答えて見せるのは、大家の余裕の表れとも言えようか。加えて、この答えには「経済だのなんだの言ったって、所詮俺は株屋さ」といった謙虚すら隠されているふしがある。

 私は昨日・一昨日、車を新車に替えたいなあと思い、カーディーラーを2~3軒回った。もし自分の古びた98年式のデミオを指して「どうしたもんでしょうかな?買い換えたもんしょうか?」と営業員に問えば、そりゃ、「今が買い替え時です。ぜひ買い換えるべきです。古い車は危険ですし、しかも今は50年に一度の税制優遇チャンスです」と答えるに決まっている。実際、トヨタもマツダもホンダもニッサンも、どのカーディーラーの営業員も全員そう答えた。

 ピアノの先生に「ピアノのレッスンに通うべきでしょうか?」と問えば、勿論「絶対にレッスンに通うべきです。一人で学ぶと変なクセがつきますし、進歩が止まりやすいです。そうなる前にきちんと教わり、体系的な技術・知識・精神を身につけるべきです。なにより、よりよい刺激があるでしょう。」と答えるだろう。先生ならずとも、ピアノを教わって身につけた人もそれに近いことを言うに違いない。

 専門家には「どのようにそれをすべきか」を聞くのがよく、「私はなにをしたいのでしょうか」なんてことを聞くものではない。

 私は計算機方面の技術者なのであるが、そんなわけで、最近は

「ウチのWebサーバはapacheで、3層クラサバで運用しています。phpで動的にアイコンを作りたいのですが」

というような質問には

「GDを入れるといいでしょう。大抵のLinuxディストリビューションにはデフォルトで入ってますよ。Redhat系でしたら、php-gdで探せばRPMがどこかに転がってるはずです。」

などと答えるのだが、

「コンピュータを買ったほうがいいでしょうか?人生にプラスになるような気がするのですが」

「私はエクセルを身につけたほうがいいでしょうか。仕事に有利になる気がするのですが」

などという質問には、

「買ってはいけません。今は買うべきではないし、アナタのためにもなりません。人生にはマイナスになってしまうでしょう」

と冗談めかして答えることにしている。できれば私は、あまり繁盛していなくても、腕は確かな床屋の大将でありたいから。

 そういえば、一度こんなことがあった。私は視力が良い。両眼1.5である。そのために老眼が早く来た。42歳の現在、自分の腕時計の文字を読むにも老眼鏡なしでは読めぬほどになってしまっている。

 最初に老眼の症状を覚えたのは37歳くらいの時だったので、いくらなんでも老眼には早過ぎると感じた。「ひょっとして脳や神経などの、何か重大な病気なのでは・・・?」と心配になり、近所の眼科で診てもらった。

 眼圧を測ったりだの、最新機器で視力を測ったりだの、実にいろんな検査をしてもらった。最後に先生の前に引き据えられ、戦々恐々診断を待った。私の「緑内障とかなんとか言われるのでは?」という心配をよそに、判決は

「老眼です」

と一言に尽くされてしまった。そもそも、「老眼」の『老』という漢字がよくない。そりゃあ、老眼なんて誰でもなる、病気とすら言えないようなもので、反面病気としては緑内障は恐ろしく、そんなものにはならないほうがいいわけだが、まるで「お前は老人である」と判定されてしまったような気がしたのである。心配するよりむしろ、ホノカに重大な病名を期待する、若者ぶりたい自分がそこにあったのは笑うべきことであった。

 さて、その先生は忙しくカルテになにやら書き込みながら、「で、・・・どうしましょう」と言った。

私  「・・・は。何がでしょう」

先生 「いえね、老眼鏡の処方箋なんですがね・・・。私のほうで処方しますと、そりゃあ、まあ、精度はいいですし、アナタの場合、ごく軽い乱視があるようですから、それも一緒に補正する眼鏡は作れるんですがね・・・」

私  「はあ、ではゼヒお願いしたいと思いますが?」

先生 「いや、そのう、アナタの老眼はこれからどんどん進むんですよね。はっきり言って、毎年、眼鏡を換えることになります。で、私の処方だと、2万とか4万とか、そういうお値段でしょう?でも、アナタの乱視はごく軽いし、老眼も病的なもんじゃない。医者の私が自分で言うのもアレなんですけど、100円ショップの老眼鏡をどんどん買い換えると安く済みますよ。いやほんと、不熱心な医者ですみませんが」

 私はこの先生が好きになった。人間こういう簡単なことが言えるようで、なかなか言えないものだ。日々の小さな成績に一喜一憂するガツガツした暮らしを送っていると、どうしてもこういう場面で自分の儲けを追及してしまうものなのだ。

 チナミにその眼科は患者が大勢つめかけて大変はやっている。床屋も本当にウデが良ければ、一人二人の客を断ったとしても、繁盛する可能性がなくもない。

禁煙所感補遺

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 私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。

 一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。

 だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。

 "zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。

 zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。

 さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。

  •  脳について

 禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。

 これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。

 性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。

 「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。

 煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。

 これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。

  •  血液がらみのこと

 煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。

 煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。

 だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。

テーブルを買う

投稿日:

 三郷に最近できた「IKEA」でテーブルを買う。通常は6人がけ、ちょっとした機構を操作すると8人がけにエクステンドするというやつで、しかも質実剛健なムク木のすぐれものだ。3万1千円ちょい。

 白いの、ビーチ材、バーチ材の3種類あるが、ビーチ材のにする。

 今までのテーブルは、グラグラする適当な安物を使い続けていたのだが、それはノコギリで四すみを切り縮め、脚を切って低くし、妻用の座りパソコン机に改造。

君子防未然(くんしはみぜんにふせぎ) 不處嫌疑間(けんぎのあひだにをらず)

投稿日:

以下引用

自衛官、路上で女性触る=痴漢で現行犯逮捕-埼玉県警

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080711-00000043-jij-soci
7月11日11時9分配信 時事通信

 路上で女性の体を触ったとして、埼玉県警朝霞署は11日、県迷惑行為防止条例違反の現行犯で、朝霞市膝折町、陸上自衛隊朝霞駐屯地の一佐中川一光容疑者(53)を逮捕した。容疑を否認している。

 調べによると、中川容疑者は同日午前1時40分ごろ、東武東上線朝霞駅近くの路上で、知人男性(26)と話していた無職女性(28)に後ろから近づき、体を触った。男性が気付き、その場で取り押さえた。同容疑者は酒を飲んでいたという。

以上引用

 どんなことをしても──極端な話、たとえ正しいことを正しく行っても──「間違っている」とボロカスに言われる自衛官のことだ、ひょっとしたら女性の尻などまったく触っておらず、何もしていなかったのかもしれない。

 しかし、

瓜田不納履(かでんにくつをいれず)
李下不正冠(りかにかんむりをたださず)
嫂叔不親授(そうしゅくはしんじゅせず)
長幼不比肩(ちょうようはひけんせず)

 現代において、女性の後ろやそばに立つなど、不注意と言うほかはあるまい。それこそ「李下に冠を正し、瓜田に履を納れる」類である。

 私など、電車で座ったときに、女性が向かいにいるだけでも車両を換える。なんとなら、私は通勤鞄を抱えて席に座るのだが、その鞄を指して、女性が「盗撮している!!」などと騒ぐかもしれないからだ。実際、鞄の底にデジカメを仕込んで、向かいの女性のパンツを撮影する痴れ者もいると聞く。

 そばに女性が来たら、できるだけ早く逃げる。誰も知らないうちにその場から遠ざかるのが良い。

 いや、私だって、女は好きだ。女性をわざわざ避け、好き好んでニンニク臭のするオッサンのそばになど座りたいわけではない。

 だが、今はそういう時代ではないのだ。混雑した電車では、女は災厄のみを持ってくるのだ。女性のそばに立っていただけで、貴方は知らない間にチカンにされセクハラ爺ィに仕立て上げられ、逮捕され裁判を起こされて貴方はクビになり、貴方の家族は路頭に投げ出されて即飢えるのだ。たとえ裁判に勝ってもそのために費やされたリソースはまず取り返すことなどできず、大きなダメージを貴方に与える。

 女性が満員電車に持ち込む災厄を避け、未然に防止するのは、家族を養い、責任を持って仕事をしている男の義務であると思う。たとえ情けない姿であろうと、その情けなさ、みじめさに耐えて行くのが男の修行である。

 私は、鉄道なら全ダイヤ全車両の半分を女性専用車にして、しかも終日実施して欲しいと思っている。そばに女性がくると、本当に迷惑するからだ。人口の半分は女なのだ。全電車の半分が女性専用車でなにがおかしい?そしてなお、この区分厳守を義務として法律化してほしい。この区分に違反した場合は懲役6月以下ぐらいの刑事罰でよかろう。

 ナニィ?「電車内でカノジョとチューしたいから、男女完全分離電車はダメ」だと?そういう痴れ者は死刑。(笑)