知らないしウドンで

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 面白くなく、屈託したので、Googleに「知るかアホ」と入力してみた。

 そうしたら、「知るかバカうどん」という漫画家が出てきた。

 何が何だかサッパリわからないが、ものすごくグロナンセンスなエロ漫画家らしい。

 大阪出身の女性、とある。

 左掲のように公刊もされているようだ。覚えておいて機会があったら読んで見よう。……と言っても、国会図書館で読むことになると思うが……。

 天晴(アッパレ)という他ない、素晴らしいペンネームだと思う。

身体

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 舌の右下の裏側の付け根の柔らかいところに、プツッ、と痛いものができた。何かの腫瘍だったりしたら嫌だな、と思う。

 正月前頃から、左足の甲の内側寄り、親指の筋の上あたりに黒子(ほくろ)のようなものができた。今日は1.3ミリほどの大きさだ。特段大きくなっていく気配はない。小さな瘡蓋(かさぶた)のようにも見えるが、取れる気配はないから、瘡蓋ではないのだろう。しかし、日本人は手足に黒子があることはあまりなく、メラノーマなどの癌の恐れもあるから気をつけろ、とも聞く。嫌な感じである。

ああ、生命保険が出ない、なんてことになったら

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 新型コロナウイルス感染症の拡大は、のっぴきならないところにまで来ている。

 もうこうなってくると、運を天に(まか)せ、覚悟を決め、腹を(くく)り、もはや感染して死ぬのも悪くはない……などと、ふと脳裏をかすめるものもあったりする。直後、否、否否、死んでたまるものかと頭を打ち振ってそんな妄念を払い落とす。

 だが、私がそんな無責任な落想を(もてあそ)んでいられるのは、運よく今の働き口で長いこと俸給を貰い、その俸給の一部を割いて、万が一の場合に備え、団体保険、生命保険、個人年金、火災保険、自動車保険は勿論、公的年金や健康保険などにも十分にお金をかけてきているからだ。とりわけ生命保険については、癌保険や入院給付などの医療保険、その他諸々、これまで自分が不安に感じてきた要素に沢山(たくさん)お金を払い込んできた。

 そういうわけであるから、もし私が今日の今日、しかもたった今急死したとしても、妻と2人の娘には、なんとか口を(のり)するだけのものは残る計算である。

 これまではそれでよかった。だが、今般の新型コロナウイルス感染症拡大の状況は、そんな小市民的な安寧(あんねい)(くつがえ)しかねない。

 一般に、保険と言うものは最も困っているときに何の役にも立たないものなのだ。すなわち、「戦争や天変地異など、保険会社が負い切れない急変があった場合は、保険金は支払いいたしかねる」と言う意味の条項が、薄~い紙で「無視していいですよ」とのアピール全開で作られているらしい約款の、しかも最も後ろの方のわかりづらいところに、誰も読まないであろう6ポイント以下の活字で、「読むな」とでも言わぬばかりに刷り込まれているものなのである。

 今般、新型コロナウイルス感染症の拡大により、二度目の緊急事態宣言が出された。

 緊急事態宣言というのは、いうならば、戒厳令みたいなものである。つまり戦争と同じだ。戒厳令と緊急事態宣言の違いは、大雑把に言うと、国家の主権を軍事力が代行するか、通常の政治のままにするか、その違いにすぎない。日本は憲法上、軍事力が国家の主権を代行するということは不可能になっているから、緊急事態宣言はもはやこれ以上の状況はありえないということを意味している。

 そうすると、極端な話、私が今新型コロナウイルス感染症で死ぬとする。で、妻子が私の死亡保険金を請求すると、「今回は未曽有の天変地異ですので、保険金はお支払いできません」という無情な返答が保険会社から返ってくる恐れがあるのだ。

 こんな心配を保険会社にまともに問い合わせたって、納得のいく返答は多分、ない。保険屋の窓口の営業担当なんてものは、保険料を取れば取るだけ、保険金を払わなければ払わないだけ、優秀な社員として()められるものと相場が決まっているからだ。

 つまり、「安心してコロナ自殺する」というわけにもいかないのである。

飲酒と馬日

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 ウイスキーが血液脳関門を通り抜け、頭の中央をじいんと痺れさせてくれる。

 幸いなる哉。

 既に正月は馬日・六日の暮れ、関東では松の内の終わり。

 明日は人日・七日。さぞかし粥が旨いだろう。

スクレイピングや奈良漬や「お前のようなアホ」や

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 昨年頃だったか。

 若い人――若い、と言ってもそこそこオッサンだが――とIT活用談義をしていて、この「スクレイピング」という言葉が出てきた。まるで初めて聞く言葉のような気がした。いや、必ずしも「初めて聞く」でもなく、聞いたことがないわけでもなかったのだが、耳慣れぬ言葉ではあった。しかし、その時の会話の文脈と、scraping という英語から意味はすぐに通じ、その若い人に「スクレイピングって、何ですか?」などと()き直さなければ解らないということはなかった。

 今で言う、この「スクレイピング」ということを私が最初にやりだした頃には、スクレイピングという言葉が抑々(そもそも)なかった。だから「無料自動収集」だとか「クローリングしてサニタイズして格納」だとかいうような言葉で表現していた。もっとも、私がしていたこと(他人の過去の言葉尻を(とら)えた掲示板での粘着荒らし行為(苦笑)だとか株価データの収集だとか、特定領域のニュース記事の巡回収集だとか)は個人的なくだらんことで、その仕組みを他人に説明する必要はまったくなかったから、わざわざ無料自動収集などという持って回った言葉を使う必要もほとんどなかったのだが。

 今は Python (など)の言語を用いれば、様々なライブラリやプラグインが豊富にあるらしく、Web を巡回してデータを(あさ)ることなど誰でも簡単にできるようである。しかし、私などがそうしたことを始めた頃には周囲にそういうことをしている人はおらず、ネットを(あさ)っても情報は少なく、いきおい、最初はTCP/IPのソケットから書き起こしたものを用い、次いで Perl・CPAN の「LWP」などという Web ライブラリを用いた。今も現役で稼働させている、株価を Yahoo! から取得するスクリプトは、Perl 内から「wget」を呼び出し、必要なデータを切り出す仕組みだ。

 全くのところ、こんなもの「手作りスクレイパー」もいいところである。フロントエンドのスクレイパーのみならず、現役で株価の分析に使っている自作プログラムは、私に幾許(そこばく)の利益をさながら点滴のようにしたたらせ続けてはいるものの、これなど古めかしいかな生の C で書いたもので、ソースコードの冒頭にはそれこそ「#include <stdio.h>」か、せいぜい「math.h」ぐらいしか書いていない。AI などとは程遠い実に簡単・単純なものでしかないのである。

 それらを動かし始めたのは20年前~15年前のことで、そこから(ほとん)ど進歩させていないし、私の IT 技能もほとんど進歩せず、停滞したまま、否、むしろ後退すらしている。

 私は、自分が必要としていることや自分がしたいことは、自分が理解できるコンピュータ技術やプログラミング技術を使って、大概(たいがい)のことならすぐにできる。だが、それを他人が使えるように工夫してやったり説明してやったりなど、面倒臭くて、もうしたくない。それに、当節流行のビッグデータだの AI だのということは、全然わからないしできない。覚えるのも、いまや奈良(なら)(づけ)のようになってしまっている私の脳味噌には荷が勝つから、もう億劫(おっくう)で、嫌だ。他人を使役できるような身分ではないから、自分にできない何かを誰かに肩代わりして貰えるような人望もないし、だいたい、そんな気がハナッから、ない。

 「お前が勿体(もったい)ぶって隠している、しょうもない、お前みたいなアホでもわかる計算機の秘密をとっとと教えろ!」みたいな、そんな、私をバカにした態度の輩に説明を求められ、それでも私は誠実に少し説明しかけるのだが、大概は私が10秒喋るか相手が100文字読むかしないうちに、もう面倒臭がられて説明は(さえぎ)られてしまう。テメェが説明を遮るのが理解できない原因なのに、「これだからコンピュータ屋は説明が下手糞だと言うんだ!ちったァ日本語を鍛えろ」などと吐き捨てられてしまう。そんな連中のお遊びの相手は、もうほとほと嫌だ。

 そんなアレやコレやが、最近の私の、人様から見れば無気力極まるITへの冷淡っぷりの、原因の幾つかなのだと思う。

お茶子さん

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 NHKの朝の連ドラ「おちょやん」を見るともなしに見ている。往年、「オロナイン」の琺瑯(ホーロー)看板やラジオドラマで知られた大阪の名女優、浪花千栄子氏をモデルにした、涙あり笑いありのドラマである。

 見ているうち、「お(ちゃ)()さん」というゆかしい大阪の言葉が出てきた。

 私は大阪出身ではあるが、大阪と言っても堺市の生まれ育ちで、子供の頃までしか大阪に住んでおらず、そのため、実は大阪の寄席や芝居小屋へなど一度も行ったことがない。だから「お茶子さん」という言葉は、知らない言葉ではないにもせよ、それほど親しみ深く懐かしいものでもない。しかしそんな私にすら、忘れられかけた古い大阪の情緒を思い起こさせる言葉ではある。

 「お茶子」というのは、芝居小屋で客にお茶を出したり()(たく)や片付けなど、細々(こまごま)とした用を足す女性のことだ。ドラマの主人公は大阪・道頓堀の芝居茶屋で奉公をして苦労するのだが、その仕事がこのお茶子なのである。

 見ているうち、次のようなことをふと思い出した。

「寝ずの番」(中島らも著、講談社文庫、ISBN-13:978-4062732796)p.16より引用

 落語会では、咄家と咄家の合い間に座ぶとんを裏返す女の子が登場する。ついでに(かみ)()にある演者名を墨書きした紙をめくっていく。これが「お茶子」だ。

 ところで、淡路島では女性器および性行為のことを「ちゃこ」という。

 ある日、橋鶴事務所に一人面接の女の子がきた。ブルドッグ顔で面接に出たのがうちの師匠だった。

「あの、どんな仕事をすればいいんでしょうか」

 女の子が尋ねた。橋鶴師匠は耳の穴をほじりながら、

「そうやなあ。とりあえずお茶子でもしてもろうて」

「……。私、帰らせていただきますっ」

 女の子はすっ飛んで逃げたそうだ。ちゃこが淡路島でのそういう言葉だと師匠が知ったのは、それからずいぶんたってからのことだそうだ。

 フランク永井の「夜霧に消えたチャコ」、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」が流行(はや)ったときにも、淡路島ではたいへんな騒動になったらしい。

 ……それにしてもこの件、実際に淡路島出身の人に()いて確かめてみる必要はあろう。

 実のところ、私には淡路島出身の知り合いがただ一人だけいるのだが、その人は女性なので、こんなことはとても訊けず、年来そのままとなってしまっている。

 そう言えば、中島らもも、亡くなってもう20年近く経つんだなあ……。

mRNAワクチンの解説

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 SNSでこんな記事が推奨されてきて、思わず引き込まれて読んだ。面白かった。

 私には柞刈湯葉氏の日本語訳の方が親しみがあって読み易く感じられた。

年始慎々

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初詣

 例年のように皇居の一般参賀や明治神宮、名だたる大仏閣などへ出かけるのは新型コロナウイルスを貰いに行くようなものだから、()めるに不如(しかず)である。と言っても、もとより皇居の一般参賀は中止されている。

 元旦は住宅街の(あわい)にしんと鎮座()します近所の小さな稲荷宮を拝みに行った。「登戸稲荷神社」という小さな()(やしろ)で、400年ほど前に創建された鎮守である。

賀状

 最近は年賀状も積極的には出さなくなった。ただ、わざわざ年始から私(ごと)き者に()てて下さる懇篤(こんとく)な方には、返信賀状を出すようにしている。

 しかし、数年前から、年配の方から来る賀状には、チラホラ、「年始の御挨拶はこれで最後にさせていただきます」等の御挨拶が交じり、そうした方々からはプッツリ、もう来ない。大抵は定年後の仕事も更にリタイアし、年金暮らしになったと(おぼ)しい方々だ。

 年賀状については、「虚礼廃止」だとか「日本郵政の損得()く」だとか、はたまた「そもそも賀状のやり取りなんて戦後盛んになった新しい習慣で、昔の人はごく一部の能筆の人々しか手紙なんか出してなかった」などという批判もある。

 一方、年賀状はIT技術などで言う死活監視、つまり Heart beat watch みたいなものだし、人と人とが手を携え、つながるためにも大いに出すべきだ、という意見もある。

 そんなことにあれこれ考えを巡らせつつ、来簡賀状に返信を書く。慣れぬ下手糞な毛筆で、手本を一生懸命写して版下を作り、刷る。

呑んだくれる

 酒ばかり呑んで過ごす。私は()(せち)料理が大好きで、三が日と言うものこればかり食っていても全然食い飽きない。喰積(くいづみ)だけを肴に、元日にはほとんど一升空けてしまう。

 酒はこのところの気に入り、山梨の銘酒「七賢」純米吟醸である。近所の行きつけの蕎麦屋「SOBA 満月」で知った酒で、涼しい味と香りがする。甘からず辛からず、まことに旨い。

 肴にする「御重のもの」の中では、大海老とか出汁巻などのいわゆる「高いもの」よりも、安いもの、ごまめ、黒豆、数の子――数の子のどこが安いんだ、という話はもちろんあるが、ここでいう「安い」は、「かつて安価だった食品」ということで、その昔は数の子や鰊は肥料にまでしたほどであったのだ――といったものの方が酒に合い、食べ飽きず、旨い。ことにごまめや数の子は砂糖っ気がないのが良い。黒豆は甘いが、これもあまり砂糖の入っていないものの方が旨いと思う。しかし、砂糖をきかせないと日持ちが悪くなるので、「そこのところは加減が難しい」とは妻の弁である。

 酔っ払って啜る雑煮椀の、なんと旨いこと。針柚子と花鰹をたっぷりあしらって食べる。子供の頃は御雑煮というと4杯も5杯もお代わりをして食べたものだが、さすがに50台も後半に差し掛かろうとしてくると、もう、いけない。餅の三つ四つも食べると満腹である。

「いつもなら」と言っても詮なきこと

 例年だと正月二日には、近所に住む姑の家に、私の家族と義兄一家とで集まり、御馳走を食べ、それからカラオケに行ったりするのだが、新型コロナウイルスの感染拡大下、今年はさすがに総勢10人で狭いカラオケボックスに閉じこもるわけにもいかず、それぞれしんとして家に閉じこもっている。

 まあ、だから不安だ楽しくない恐ろしい、などというわけでもない。家にいるのも悪くない。もともと正月と言うのはそういうものではなかったか。

アスファルト敷きや灯油や

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 休みなので、細々(こまごま)と用事をする。

 ネットで靴を買う。今履いている Hawkins の「Traveler」は4年弱ほど前に買ったものだ。天然皮革で、履きやすいので気に入っている。が、さすがに4年弱も毎日毎日通勤に使っていると、穴が開き、踵もすり減り、内張もボロボロだ。同じものを、と思ったが、さすがに廃番のようだ。それで、これから背広を着ることが増えそうなことも考え、Traveler のようなカジュアルはやめ、ビジネスでもなんとかゴマかして履けるような、同じHawkins のプレーン・トゥで、「エアライト Air Light ALIT5 PLAIN5 HB80150 SL/BLACK」という型番のものを買った。年内には届くだろう。

 それから、灯油を始末する。先日、自宅の暖房を都市ガスのファンヒーターに替えたので、使わない灯油が余ったのだ。自宅に置いていても無駄だし、何より危険である。

 4ℓほどの油缶を買ってきて、洗浄や油拭きなどに使う最低限の量だけ少しばかり取りわけ、残り10ℓほどを行きつけのガソリンスタンド「イハシエネルギー」で引き取ってもらうことにした。不要の燃油はガソリンスタンドで引き取ってくれるのだ。残念ながら買い取ってはくれないが……。

 初老の店員が相手をしてくれたのだが、「あ~あ~、勿体ない。だからね、こういうのはシーズンオフに使い切って残りを持ってくるといいんですよ。すごく無駄じゃないですか。2月頃まで置いとくのがいいんですよ。今度からそうするといいですよ」などと教えてくれるのだが、あのなァ、やかましいワイ。お前に教わらんでもそんなこたァ分かっとるわ。だいたい、何が「今度からそうするといいですよ」だ馬鹿。今度からウチは灯油は買わねェんだよ!

 ついでに車にガソリンを入れ、それからイハシエネルギーの隣のロイヤルホームセンターでアスファルト補修材を2袋買う。前から気になっていた家の前の舗装の沈下を補修するのだ。アスファルト舗装の(かさ)が減って沈んで(へこ)み、水を流したり雨が降ったりすると水溜りになって通行にも不便であった。家の前は袋小路でまるで私道の様相を呈してはいるが実は公道で、だから本来は役所に届け出るべきものなのだろうが、役所の工事なんか待っていてもどうせいつまでたっても着手なんかしないだろうし、勝手に補修したからって悪いことをするわけではないのだから、文句なんかどこからも出るまい。

 微妙にお隣の家の前にもかかるので、一応(ことわ)ってから作業を始めようとお隣の呼び鈴を鳴らしたが、どうもお留守のようである。なに、お隣だって自分ちの前が水溜りにならないにこしたことはないだろうから、多分文句なんか出ないだろう。勝手に補修しちまえ。

 小一時間かかってアスファルトを敷き終わり、力を込めて踏んづけ、()らす。

 それから、汚れっぱなしになったままの自動車を洗う。

 いつもだと、自宅前で車を洗うと、その水がお隣の家の前のアスファルトの凹みへ流れ込む。お隣の人に文句を言われたことはないが、なんだか迷惑がかかっている気がして、毎度毎度ばつが悪かった。しかし、今日はしっかり凹みが補修されたので、お隣に水は流れず、実にいい感じに仕上がった。

 それから着替え、行きつけの蕎麦店「SOBA満月」へ蕎麦を手繰(たぐ)りに行く。蕎麦前に野菜の天婦羅、それから福井の銘酒、純米吟醸「福千歳」が入っていたので、それを冷やで一合。天たねは蓮根、馬鈴薯、舞茸、茄子、春菊。いつもながら、ここの天婦羅は本当に上手で、旨い。

 微醺の心地よさ。それから「花まき蕎麦」を生粉打ち十割で頼む。花まきを頼んで一番楽しみなのは、蒸らしのためにしてある蓋を取った時の、ぱあッと広がる海苔の香ばしさである。(つゆ)と海苔、蕎麦を交々(こもごも)、少しずつ(すす)り、手繰る。香り、歯ごたえ、味、のど越し、どれをとっても申し分なし。

 帰りに新越谷VARIEの無印良品へ行って、アクリル製のティッシュボックスをもう一つか二つ買おうとしたが、なかった。「蓋」だけ棚にあり、本体の「箱」がない。店員さんに聞いてみると在庫がなく、入荷の予定もないという。「在庫のある店舗からお取り寄せできますが」と店員さんは言うが、いや、そこまでして欲しい品物でもない。別に本のカバーに使える手帳カバーと、バッグ・イン・バッグに使う黒いポーチを買った。プラスチックのバックルで巻き留めるようになっており、中の網袋はスナップで取り外せる仕組みになっていて、なかなか良い。手帳カバーは、ジーンズの尻に付けるエンブレム用の素材で作られたもので、以前は同じ素材の文庫カバーがあったのだが、今は廃番になってしまった。気に入っていたので残念である。だいたい、無印良品で私の気に入る商品がすぐに廃番になってしまうのは一体何故なんだ(苦笑)。

 それから蒲生のダイソーへ行き、マスクを作るための黒布だとか布ゴムバンド、家事に使う磁石、この前からだいぶ使い減らしてしまった黒いミシン糸の補充を買った。

 明日はガス工事で荒らされた家の東側の砂利の下の、防草シートの施工をやり直そう。

日本ITストラテジスト協会を退会

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 正会員として加入していた「日本ITストラテジスト協会」(JISTA)を退会することにした。

 日本ITストラテジスト協会は、情報処理技術者試験のうちでも最難関をもって知られる「ITストラテジスト」試験の合格者を中心に組織された協会で、全国組織である。会員の相互研鑽や情報発信、ITの普及への貢献など、様々な活動を行っている。

 私は8年前、ITストラテジスト試験に合格したことを機に入会し、一時期は大分熱心に活動に参加していた。しかし、最近4年ほどはあまり参加していなかった。

 このところJISTAは新型コロナウイルス蔓延の影響下にも関わらず、オンラインでの月例会開催などを通じて順調に入会者が増え、全国で800名を超す会員を擁するほどになった。そのこともあってか、協会内では「これまでの『任意団体』を脱却し『法人化』するに()かず」との動きが盛り上がった。縷々(るる)万端(ばんたん)(あい)(ととの)い、きたる2月から社団法人化されることとなった。

 社団法人となって法人格を獲得すれば、これまで困難であった「財産の管理」もできるようになり、また、実費以外は会員の持ち出し・持ち寄りで行われていた運営事務にも報酬が出せるようになる。運営や組織もより明確化するなど、よいことが多いのだ。それに、社会への情報発信力などもこれからより強化されることだろう。()(はか)るに、ゆくゆくは出版や人材育成、情報発信の事業などを通じて利益を上げ、管理し分配することも可能になるだろう。

 私は退会するが、これまでの月例会、テーマ別ディスカッション、毎年のオープンフォーラムを通じた自分の識能の向上や、会員の方々、それもIT業界でそれと知られるメンバーの方々とのあたたかい交流など、思い出は尽きない。

 協会におかれて、今後も益々盛会とされるよう祈念するものである。