禿(ハゲ)と帽子

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 最近禿げ(ハゲ)きた。

 それで、外出時など禿(ハゲ)隠しに帽子を(かぶ)っている。冬はカスケットやハンチングを、夏はパナマや麦藁の中折れを被る。

 夏のパナマや麦藁は高価なものは被らない。2千円~3千円くらいのものを選ぶ。

 ところが、これくらいの価格で選ぶときに困るのがサイズである。

 私は見た目より意外に頭のサイズが大きく、60~61cmくらいある。一方、市販の帽子は安いものほどサイズにバリエーションがない。多分コストダウンのためなのだろう。ボリューム・ゾーンの帽子のサイズは、普通は58cmらしい。一方、私は58cmでも被れなくはないのだが、どうも頭にチョコンと乗せた感じになってしまい、「被っている」感じではない。()(ぶか)く被ろうとすると額のあたりが締め付けられ、頭痛を覚えたりする。

 サイズにバリエーションのある銘柄(ブランド)(もの)の帽子を選ぼうとすると、途端に安いものでも6千円程度、ちょっと知られたところのものは1万円とか2万円になってしまう。私には、たかが禿(ハゲ)隠しの帽子に6千円だの2万円だのを払う気はない。

 そんなわけで、困るという程ではないが帽子のサイズが気になっていた。

 同じような人は多くいるらしい。世の中はよくしたもので、そんな私のような人のために、「ハットストレッチャ」という器具があるのだ。

 さっそく購入した。この器具で帽子を内側から引き延ばしつつ、アイロンなどでスチームを当てるのである。冷めて乾くまで置いておけば、サイズの合わない帽子が引き延ばされて、まことに具合が良くなるのだ。

よく職務質問をされる私

 サイズが合わず、どうも気分の悪かった帽子が、ピッタリになって気分が良い。

一杯

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 到来の酒で一杯。秋田の銘酒「飛良泉」純米大吟醸。少し辛口寄りで、旨い。

泥酔

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〽 ああもう あの頃のことは 夢の中へ

 ……などと、サザンオールスターズの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」を微吟しつつ、泥酔。……まあ、毎週の事ですがね。

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 去年庭に植えた皐月がようやく咲いた。

時事一興

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へえ、この夫婦が、ナァ……。

 なんと、あの億万長者、ビル・ゲイツ、メリンダ夫妻が離婚するのだという。

 二人で有名な「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を運営し、慈善活動に取り組んできたことは、夫婦円満、仲良しの看板であるように私には感じられていたのだが、どうもうまくいっていなかったのだろうか。それとも、これほどの人たちになると考え方も特殊で、離婚なぞ「屁とも……」思っていないのかもしれないが、ニュースだけではそんなことは分からない。

 私など下世話には財産の分与と慰謝料などにどうしても興味が向くが、しかし、14兆ものお金があるなら、もう、2兆でも3兆でもあまり変わらない気がする。私など、「1千万、2千万、えーっと、……その向こうは『すごくイッパイ』」で、数えたり感じたりすることが無理なのである。

テレビを見る

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 新コロ蔓延の折柄、外にも行けないので家でテレビなど見る。もとよりあまりテレビを見ない方なのだが、HDDレコーダーの便利さ、気に入ったものを選択的に見られるのは有難い。

 NHKの「BSプレミアム」で、名画や名作ドキュメンタリーがよくかかっていることを知った。

 これまで知らなかったのである。高い放送受信料を一銭漏らさず払い続けている私としたことが迂闊であった。見なければ勿体ない。

 さすがはNHK、お金を取るだけあってコマーシャルは一切入らず、没頭して見ることができ、気持ちが良い。こうでなくちゃいかん。

 昨日は先週放映された「グラディエイター」の録画を見た。その前はインド映画の傑作「ムトゥ 踊るマハラジャ」、ドキュメンタリー「映像の世紀・ヒトラーの野望」同じく「世界は地獄を見た」、それから「バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1、2を続けて見た。「ダーティ・ハリー」1~3も良かった。

戦争ルール雑想

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 欧米白人はかつて戦争を「馬鹿ばかりでも構わないから()(かく)人手さえ()き集めて並べればどうにかできる技術体系」にまで練り上げ、それで世界を席巻した。第1次欧州戦争頃までがそうであったと言っていい。それ以前は、如何に戦争マニアの欧米白人と(いえど)も、ノーブレス・オブリージュの高い精神性に裏打ちされた貴族と騎士の高度な技術がなくては戦争はできなかった。だが、彼らはそれを「馬鹿と馬鹿を効率よく殺し合わせる技術」にまで引き下げた。

 アジアはそうではなかった。極端な例として明治維新前までの日本を見ればわかる。百姓町人にとってみれば、「(いくさ)なんどというのはお(さむらい)様がなさることで、()(まえ)(ども)には鋤鍬(すきくわ)算盤(そろばん)のことは分かりましても、弓鉄砲(ゆみてっぽう)のこととなりますと、とんと……」というところである。それまでの日本人にとって、戦争は誰にでもできるものではなく、刀槍弓鉄砲のいずれもが長い期間の熟練と精神性を要する特殊技能であった。

 馬鹿でもなんとかなる殺し合いの技術というのは、言い換えれば「誰でも使える銃」すなわち狙って引き金を引きさえすれば女子供でもなんとかなる技術ということである。仮に、射撃が下手糞で2発に1発しか当てられぬ馬鹿兵士揃いでも、これは確率の算段で、10人がところ頭数を掻き集めて一斉に撃たせれば 1-(\cfrac{1}{2})^{10}=0.9990234375 という計算、つまり、99.9%の確率で、少なくとも1発は当てられる。銃の威力は強い。たとえ相手を殺せなくても、手の先であろうと足の先であろうと、体のどこにでもいいから当てさえすれば、それでもう相手は戦う力を失う。欧米白人が考え出したのはこういうこと、つまり「愚か者の殺し合い」である。

 だが、「遅れてきたアジア人ども」が、漸々(ようよう)白人流の「馬鹿でもできる戦争の()(かた)」を身につけて、よちよちと戦争をはじめるや、欧米白人は再びルールを変えてしまった。「特殊で高度な兵器を、しかも大量に駆使しなければ勝てない戦争」にしてしまったのだ。いまや、核兵器はもとより、宇宙船、航空機、艦船、各種地上用兵器はおろか、かつて「馬鹿でも使える兵器」の代表であった小銃(ライフル)ですら、相当な訓練を積まなければ素人には扱えない複雑なものになってしまっている。地域によって歴史は相前後するとは思うが、これが大日本帝国敗戦前後までのことと思ってよいだろう。

 殺す者だけではない。戦争の一方の参加者、殺される者の範囲に関するルールも、欧米白人は変えた。都市無差別爆撃を最初にやらかしたのは誰だと問うと、欧米白人はむきになって大日本帝国による渡洋爆撃、上海への強行空襲、南京だと言いたがるのだろうが、ゲルニカやロンドン、ベルリンのそれに比べれば、否、広島、長崎に比べれば、これなど実に行儀のよいものであった。

 自分が作ったルールで自分が苦しむ。愚かなことである。しかし、今の欧米白人は、自分が苦しんではいない。苦しんでいるのは他の人種である。欧米白人は戦争の世紀から涼しい顔で脱し、悠揚迫らざる物腰で楽をしている。悔しいと思うが、そういう成り行きなのであるから悔しがっても仕様(しょう)がない。

一杯

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 はや晩春となった。まさしく風光る候、窓から入る風も心地よい。

 朝から庭の手入れをし、余った土の始末などする。

 昼、晴れた空の下、行きつけの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。蕎麦前は山形県・冨士酒造の銘酒「栄光冨士 煌凛(こうりん)」を大桃豆腐の湯葉刺しで。

 いつもの「生粉打ち」十割の「盛り」、今日は鹿児島の粉であるそうな。蕎麦は九州はあまりよくないと聞くが、いやいや、なかなかどうして、香り、舌触り、のど越し、申し分なし。

 帰宅し、玉葱と明太子の和え物で更に一杯。

時事愁挙

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訃報

 橋田壽賀子氏、亡くなったという。

 昭和を代表する脚本家と言えた。95歳。

 また昭和の残照が消えた。哀惜。祈冥福(めいふくをいのる)

花一杯

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 家内を誘い、花を見に行った。

 私の住まいの近所には「葛西用水」という用水が通っている。この用水に沿って「谷古田(やこた)河畔緑道」というささやかな園地が造られており、季節には桜が咲き誇るのだ。

 春の午後、よく晴れている。

 桜の他にも地域の人々が手入れをしているらしい様々な花卉(かき)(じゅ)がある。今の季節のことであるから、どれも盛りだ。椿(つばき)水仙(すいせん)鈴蘭(すずらん)酢漿草(かたばみ)、桃……。

 もとより混雑する場所ではないが、それでも例年ならば今の時季は花見気分を盛り上げるべく、近隣町内会の手で提灯などが吊るされ、弁当や酒肴を楽しむ人たちがシートを敷いたりテーブルを据えたりして思い思いに楽しんでいる姿が見られる。しかし、悪疫(あくえき)(しょう)(けつ)の折柄、いつもとは異なって人影も閑散(かんさん)とし、提灯もない。静かな緑道はリタイアしたらしい老人や中年の女など、齷齪(あくせく)しない種類の人達ばかりがゆっくりと歩いている。

 家内とのんびり桜を眺めた。

 帰り道、セブンイレブンで娘二人への甘味のお土産を買い、稲荷の古社((のぼり)()稲荷宮)へ立ち寄って(とな)えごとなどして帰宅。