今日は旧暦の七夕。明日は新暦の月遅れ盆、そして敗戦忌。
旧盆の方は去年と違って今年は9月にはならず、新暦8月22日が旧暦七月十五日で、それほど新暦月遅れと違わない。当然ながら、旧盆の夜は、
俳句の季語に「盆の月」というのがあるが、こうして考えて来ると、旧盆は必ず満月であるから、煌々たる月明かりの下で踊ったわけである。名月、所謂「仲秋の名月」の1か月前ということになるが、そこになにやら「盆の月」と言う時の風趣が織り込まれているように思う。
オッサンは生きている。
今日は旧暦の七夕。明日は新暦の月遅れ盆、そして敗戦忌。
旧盆の方は去年と違って今年は9月にはならず、新暦8月22日が旧暦七月十五日で、それほど新暦月遅れと違わない。当然ながら、旧盆の夜は、
俳句の季語に「盆の月」というのがあるが、こうして考えて来ると、旧盆は必ず満月であるから、煌々たる月明かりの下で踊ったわけである。名月、所謂「仲秋の名月」の1か月前ということになるが、そこになにやら「盆の月」と言う時の風趣が織り込まれているように思う。
最近
それで、外出時など
夏のパナマや麦藁は高価なものは被らない。2千円~3千円くらいのものを選ぶ。
ところが、これくらいの価格で選ぶときに困るのがサイズである。
私は見た目より意外に頭のサイズが大きく、60~61cmくらいある。一方、市販の帽子は安いものほどサイズにバリエーションがない。多分コストダウンのためなのだろう。ボリューム・ゾーンの帽子のサイズは、普通は58cmらしい。一方、私は58cmでも被れなくはないのだが、どうも頭にチョコンと乗せた感じになってしまい、「被っている」感じではない。
サイズにバリエーションのある
そんなわけで、困るという程ではないが帽子のサイズが気になっていた。
同じような人は多くいるらしい。世の中はよくしたもので、そんな私のような人のために、「ハットストレッチャ」という器具があるのだ。
さっそく購入した。この器具で帽子を内側から引き延ばしつつ、アイロンなどでスチームを当てるのである。冷めて乾くまで置いておけば、サイズの合わない帽子が引き延ばされて、まことに具合が良くなるのだ。
サイズが合わず、どうも気分の悪かった帽子が、ピッタリになって気分が良い。
〽 ああもう あの頃のことは 夢の中へ
……などと、サザンオールスターズの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」を微吟しつつ、泥酔。……まあ、毎週の事ですがね。
去年庭に植えた皐月がようやく咲いた。
なんと、あの億万長者、ビル・ゲイツ、メリンダ夫妻が離婚するのだという。
二人で有名な「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を運営し、慈善活動に取り組んできたことは、夫婦円満、仲良しの看板であるように私には感じられていたのだが、どうもうまくいっていなかったのだろうか。それとも、これほどの人たちになると考え方も特殊で、離婚なぞ「屁とも……」思っていないのかもしれないが、ニュースだけではそんなことは分からない。
私など下世話には財産の分与と慰謝料などにどうしても興味が向くが、しかし、14兆ものお金があるなら、もう、2兆でも3兆でもあまり変わらない気がする。私など、「1千万、2千万、えーっと、……その向こうは『すごくイッパイ』」で、数えたり感じたりすることが無理なのである。
新コロ蔓延の折柄、外にも行けないので家でテレビなど見る。もとよりあまりテレビを見ない方なのだが、HDDレコーダーの便利さ、気に入ったものを選択的に見られるのは有難い。
NHKの「BSプレミアム」で、名画や名作ドキュメンタリーがよくかかっていることを知った。
これまで知らなかったのである。高い放送受信料を一銭漏らさず払い続けている私としたことが迂闊であった。見なければ勿体ない。
さすがはNHK、お金を取るだけあってコマーシャルは一切入らず、没頭して見ることができ、気持ちが良い。こうでなくちゃいかん。
昨日は先週放映された「グラディエイター」の録画を見た。その前はインド映画の傑作「ムトゥ 踊るマハラジャ」、ドキュメンタリー「映像の世紀・ヒトラーの野望」同じく「世界は地獄を見た」、それから「バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1、2を続けて見た。「ダーティ・ハリー」1~3も良かった。
欧米白人はかつて戦争を「馬鹿ばかりでも構わないから
アジアはそうではなかった。極端な例として明治維新前までの日本を見ればわかる。百姓町人にとってみれば、「
馬鹿でもなんとかなる殺し合いの技術というのは、言い換えれば「誰でも使える銃」すなわち狙って引き金を引きさえすれば女子供でもなんとかなる技術ということである。仮に、射撃が下手糞で2発に1発しか当てられぬ馬鹿兵士揃いでも、これは確率の算段で、10人がところ頭数を掻き集めて一斉に撃たせれば という計算、つまり、99.9%の確率で、少なくとも1発は当てられる。銃の威力は強い。たとえ相手を殺せなくても、手の先であろうと足の先であろうと、体のどこにでもいいから当てさえすれば、それでもう相手は戦う力を失う。欧米白人が考え出したのはこういうこと、つまり「愚か者の殺し合い」である。
だが、「遅れてきたアジア人ども」が、
殺す者だけではない。戦争の一方の参加者、殺される者の範囲に関するルールも、欧米白人は変えた。都市無差別爆撃を最初にやらかしたのは誰だと問うと、欧米白人はむきになって大日本帝国による渡洋爆撃、上海への強行空襲、南京だと言いたがるのだろうが、ゲルニカやロンドン、ベルリンのそれに比べれば、否、広島、長崎に比べれば、これなど実に行儀のよいものであった。
自分が作ったルールで自分が苦しむ。愚かなことである。しかし、今の欧米白人は、自分が苦しんではいない。苦しんでいるのは他の人種である。欧米白人は戦争の世紀から涼しい顔で脱し、悠揚迫らざる物腰で楽をしている。悔しいと思うが、そういう成り行きなのであるから悔しがっても
はや晩春となった。まさしく風光る候、窓から入る風も心地よい。
朝から庭の手入れをし、余った土の始末などする。
昼、晴れた空の下、行きつけの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。蕎麦前は山形県・冨士酒造の銘酒「栄光冨士
いつもの「生粉打ち」十割の「盛り」、今日は鹿児島の粉であるそうな。蕎麦は九州はあまりよくないと聞くが、いやいや、なかなかどうして、香り、舌触り、のど越し、申し分なし。
橋田壽賀子氏、亡くなったという。
昭和を代表する脚本家と言えた。95歳。
また昭和の残照が消えた。哀惜。