引き続き世界教養全集を読む。第25巻の二つ目、アンドレ・ジイド André Gide「一粒の麦もし死なずば Si le grain ne meurt」(堀口大學訳)を休日のファミレスで寿司なぞ
子供の頃、一昨年亡くなった母に
本書はジイドの
オッサンは生きている。
引き続き世界教養全集を読む。第25巻の二つ目、アンドレ・ジイド André Gide「一粒の麦もし死なずば Si le grain ne meurt」(堀口大學訳)を休日のファミレスで寿司なぞ
子供の頃、一昨年亡くなった母に
本書はジイドの
あれはたしか、定年で自衛隊を
その日、私は早めに仕事を切り上げ帰りの電車の中の人となった。都心から北千住に向かう日比谷線は三ノ輪と南千住の間で地上に出る。次第次第に
思うに、こういうのって、記事通りの悪辣非道なドコモ側、って話ではなくて、根拠のない憶測ではあるけれども、客の方がよほど腹の立つ、態度の悪い者だったんだろうなあ、という想像が何となくつく。
接客というのは、実に大変な仕事だ。
逆に、こんなことが問題になるほうがおかしい、接客する側にも人格というものがある、日本の接客が丁寧過ぎるのだ、……というような論もある。
日本の接客が諸外国に比べると過度なほどに丁寧な理由というのは、江戸時代の鎖国にまでその因を
すなわち、鎖国のために商品の需給は完全に内向し、極端な供給過剰となったため、一つの商品にできるだけ多くの関係者がぶら下がって利益を得る構造が出来上がった。これは問屋、卸、仲卸、小売り、……といった再販方式や、傘の骨作り、渋塗り、組み立て、皮貼り、などと言った手工業製品の過度の分業などに表れた。当然、価格は上がる。そのため「買い手市場」を招き、売り手はとことん低姿勢を追及し、
今に至って尚、日本の接客は極めて低姿勢である。
逆に諸外国、特に欧米の接客は、客と対等に口をきき、尊大だったり、チップを要求したりする。客も、日本では「いらっしゃいませ」と店員が挨拶してもプイッと無視するが、欧米だと店員が「ハイ」と言うとあべこべに客の方で「ヘロゥ」と返したりする。これは重商主義時代のヨーロッパでは、商人は貴族の経済を支えるものとして地位が高く、「一般人より偉い人」ということになっていたから、というのも一因だという。日本の商人が、金は多く持っていても、「士農工商」ということで社会の低層に位置付けられていたのとは対照をなしていると思う。
欧米の商人は、王や貴族の行う侵略により外需を得、商品、ひいては経済が侵略先を巻き込んで回るから、自国内で低姿勢になる必要などなかったわけである。
カルロス・ゴーンの逃走というと、これがまたなんだか、女房までが追い込みをかけられている。
しかしまあ、アレだな、前の女房のリタ・ゴーンなんて、文春あたりの
しかし、どうでもいいことだけど、上の文春の記事、言葉が変だなあ。
提携交渉の際に企画室次長だった志賀は「ルノー派」だったことから、ゴーンに寵愛されたのだ。
「寵愛」て……。オッサンの職場の話やろ?ホモかっちゅうねん(笑)。国王の後宮とか側室の話じゃねェんだから、ここは「重用された」とか、「気に入られた」というふうに書くべきだろうね。……っていうか、いや、もしかしてホンマに寵愛されてたのか?最近「おっさんずラブ」とかいうのが流行してるからなあ……。
しかし、いくらダイバーシティってったって、モノには限度っちゅうもんがあるわな。時代によってその限度は変わるにしてもさ。
時事ではないけれど、ダイバーシティからの連想で、チューリングのことを思い出した。
私など計算機関係の技術者にとって、英国が生んだ天才「アラン・チューリング」というのは、記憶しておくべき人物のひとりである。
チューリングというと、「チューリング・マシン」「計算可能問題」等についての
で、このチューリング、戦後、逮捕された。その後、失意の内に自殺したと伝わる。
その逮捕容疑が「ホモ」なんである。
「へ?ホモで逮捕?!」と、若い方なんかは思うかもしれないが、そう、イギリスではごく最近まで、「ホモは犯罪」だったんである。ホモで逮捕されると、ホルモン剤なんかを注射され、強制的に治療されたんだそうである。
その後、ごく最近になって、イギリスの当局はチューリングの名誉を復活すべく、謝罪声明を出したのだそうな。
私は未見であるが、チューリングについては、4~5年前に「イミテーション・ゲーム」という題で映画化されている。左のようにAmazon Prime Videoでも見ることができる。
聞いた話では「ホモに関するくだりは含まれていない」のだそうで、主題はエニグマの解読にあるようだ。
代議士の杉田
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」
との意見を表明したことが槍玉にあげられ、炎上している。
さすがに、馬鹿右翼の私ですら、氏の「生産性がない」発言はダメだと思う。人間は
だがしかし、人間が「生産性」などという無機質そのものの指標で評するべきものでないなんてことは、GLBTだけに当てはまることだろうか?GLBTであろうとなかろうと、普通の会社員でもオッサンでもオバハンでも、はた子供であろうと学生であろうと、老若男女いかなる人であろうと、人間であるなら皆同じであるはずだ。
そこからすると、今回の騒ぎは幾分、揚げ足取りの傾きが濃厚だ。
私は、GLBTだからと言って、無条件に税金が投入され援助される、というのは行き過ぎだと思う。その点で私は杉田氏がすべて間違っているとは思わない。先の「生産性」というところを除けば、杉田氏の意見には
GLBTに無条件に税金が投入され、援助されているなどという事実があるのかないのか、私は知らない。いや、まあ、言っておけば、調べて確かめる気もないし、そんな義務もない。
だが、今の世相、メディアでのGLBTの取り上げられっぷりには、逆におそれを覚えるのも事実だ。放っておいたら町のいたるところや公共施設内に、何十億円もかけて「GLBT用便所」なんてものが建設されかねない。民間企業だって、「GLBT用温泉・浴室・銭湯・便所・更衣室」なんてものを莫大なお金をかけて建設しなければならなくなるかもしれない。
こういったことに既に公金が使われているのかどうかは知らないが、だが、多分既に役所には「GLBT担当」の役人が置かれたりもしていることだろう。勿論給料つきだ。
こんなの、やりすぎだ。他に考えることやお金をかけることがたくさんあるでしょう、と私などは思うのである。
その点で、杉田水脈氏には気を確かにしていただき、うっかり言い過ぎたところを改め、落ち着いて論考を深くしてもらいたいものである。氏の主張には正しいところも多いのではないかと思うのだ。……ほかにどんなこと言ってるのか、知らんけど(笑)。
私は、レズが先でもゲイが先でもない、そんなもの、どっちだっていいと思っている。
この順番がどうこうという部分に引っかかるような奴は差別主義者だと思う。「レズが先だ!」なんてことを言うこと自体が差別だ。
痴漢による列車事故が年間1万件を超えるようになり、政府もこれを無視看過すべからざる事態となった。
だが、男の側からの「痴漢騒ぎの多くは冤罪だ!」という声も次第に大きくなり、政府も無視できなくなった。痴漢冤罪を未然に防止するべく、ついに、公共交通機関には男性専用車両、あるいは男性専用区域の設置が鉄道法等の関連法で義務付けられることとなった。痴漢冤罪などという面倒くさい状況に我が身を置きたくない向きは、男しか乗っていないことが保証されているこの専用車両に乗れば安心である。
しかし、そんな専用車に乗ることを推奨・励行するほどまでにはラジカルでない人たちが世の中の大多数だ。過去も昔も痴漢なんかせず、
しばらくはこれでうまくいくかに思われた。
しかし、人間の性的嗜好は多様性に富む。ウハウハと鼻息の荒くなり出したのはホモ、ゲイ、カマと言った連中であった。これらが男性専用車両を「ハッテンバ」と看做すようになってしまったのだ。無論、女性専用車両もレズ、ナベと言った手合いの楽園となってしまった。
こういった連中が車両内でヌチョヌチョグチョグチョと性行為
「何がダイバーシティだ」「ふざけるな。男は男、女は女だ」
……というふうな論が興奮の気味を帯び始める。
政府は困惑する。たとえ少数者に過ぎない性的逸脱者達であろうと、平等に人生の幸せを享受し、人権が保証されて生きていかれるよう、折角これまで苦労して、政治を変え、世の中を変え、差別なき社会を目指してきたのだ。ダイバーシティは緒についたばかりなのだ。痴漢どものせいでこういう逆行的な差別論が復活してしまうと、政府のこれまでの苦労も水の泡である。
そこで、公共交通機関の乗車区分は更に細分化されることになった。「男性専用車」「女性専用車」「女性同性愛専用車」「男性同性愛専用車」、すなわちこれである。8両編成の列車であれば、2両づつそれぞれに割り当てる。4で割り切れない両数編成の場合はノーマル男性専用車とノーマル女性専用車の編成数で調整する。
だが、
女性同性愛専用車に押し込められた連中も同じようなことを言い出す。「フザけんじゃないわよ、アタシはあんな連中とは違うのよ!」というわけだ。バイセクシャル、トランスジェンダー連中も大声を上げ始める。「政府はナニやってんだ!アベ政治を許さない!」……オイオイ、それは違うでしょ、などという普通の人たちの声など、この際完全に無視されるのであった。
人間は差別をやめられない。差別を餌にして生きているばかりか、寧ろ差別を
ついに公共交通機関は厳密な性的乗車区分を施行せざるを得ない。「男性専用者」「女性専用車」「ホモ専用車」「レズ専用車」「ゲイ専用車」「オカマ専用車」「オネエ専用車」……
混乱を生じ始める。なんとならば、ノーマルな「男性専用車」と「オカマ専用車」とでは、事情や状況が根本的に異なる。すなわち、男性専用車に乗っているノーマルな男連中は男に性的興味なんか抱かないから、性別乗車により性犯罪が起きなくなるのだ。ところが、ホモ専用車に乗っている連中は互いにホモが好きなのだから、やっぱり車内はハッテンバになってしまうのであった。これは「レズ専用車」も同じである。
ところが、思いがけずこれに異を唱えだしたのはダイバーシティ活動家連中だ。「こんなのは差別を助長するばかりだ。人間は多様なんだ。多様な人と人との間に壁を設けてどうする」というのである。
政府も馬鹿揃いで、またしても行政措置を変更する。「
この異常な混乱を解決するため、性的逸脱者の乗車方法を統一することになった。ホモ、ゲイと言った連中は女に興味がない。逆に女の性的逸脱者も男に興味はない。それで、「性的逸脱専用車」を設け、これにさながら「市松模様」のように、生理的男と生理的女を、交互に規則正しく乗せることになったのである。
これはつまり、車内で隣り合い、くっつき合う者同士、お互いに興味はないわけだから、痴漢冤罪は生じないという理屈になる。
既に規律や規則正しさなどということには興味を持てなくなって久しい我々日本人である。従ってこのような乗車方法を徹底するのはまったくのところ困難を極めた。警察官が動員され、規則正しく交互に性的逸脱者を電車に乗せるのだ。
ホームに警察官の警笛の音が「ビーッ、ビッ、ビッ!」と響き渡る。「そこのホモの方っ。列を乱さないで下さい!出生時の性別に従い、規則正しく交互に乗車して下さい!」
列を乱すような者は「人類から差別を撤廃し、多様性を認めるべく改革に邁進する社会に対して、挑戦し反逆している
数年前に流行した戯れ唄よろしく、男女男女男女、女男女男女男……という規則正しい整列こそが人類の多様性を守る行動の象徴となってしまった。
人々は「
こうして、今日も差別を満載し、市松模様に男女が塗り分けられた珍妙な痴漢防止満員電車が東京へと走り去っていくのであった。呵々……。
俺はホモは嫌いだが、コイツの言っとることは正しいと思う。
日本の性的マイノリティに必要なのは、反原発、反米軍基地、反皇室、反安倍内閣、etcから切り離された純粋なゲイリブだと思うんだが、どうよ?
— 桜庭 恭一 (@SKRBKY1) August 10, 2016
ゲイパレードに参加していたつもりが何故か隣の人が憲法9条を守れと書かれたプラカードを掲げていたでござるの巻、ってのが無くならない限り、性的マイノリティに理解を深めて貰う為の活動なんて根付かないと思うんだわ。
— 桜庭 恭一 (@SKRBKY1) August 10, 2016