こどもの日

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天皇陛下万歳。

 「こどもの日」である。国旗を掲揚する。

 毎年書くことであるが、「こどもの日」は実は法定の「母の日」でもある。

 「国民の祝日に関する法律」を紐解いてもらえば、

「こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。

……と記されてあることがわかるだろう。

 子供のある向きは、子供をして妻に感謝せしめれば、子供の人格を重んじ、かつ子供にとっての母に感謝することとなり、一石二鳥である。これは子供だけでなく、家族全般の幸福にも寄与すると思う。

建国記念日

投稿日:

天皇陛下万歳

 建国記念日である。国旗を揚げ、拝礼する。

 皇紀元年元旦、神武天皇が即位されたことをもって、今日が建国記念日と定められてある。旧暦の元日なので、ちょうど今の時期なのだ。ちなみに、旧暦は年によって新暦とのずれが変動するから、今年の旧暦の正月は来週、2月19日だ。

 悠久二千六百七十四年の昔ということになっているが、なにしろ文字すら存在しなかった昔のことであるから、一応形の上ではこのように定めた、ということなのである。「日本と言う国が出来たのはあんまりにも昔のことなので、いつできたのかもはっきりとはわからない。気が付いたときにはもう国があった。ただ、中国の文献などからは千数百年以上前からあるということはだいたいうかがい知れるし、伝説・伝承をよく整理すると、もう少しさかのぼるようだ。多く見積もると二千六百年という数字も出ることは出るので、一応それを採用している」というのが正直なところだと思う。

 このように、いつできたのだか昔過ぎてわからない国柄のわが国だ。共産主義革命の日にちを建国日にしているとか、誰かが独立宣言をした日を建国日にしているとか、そういう、人工的に作られた外国との比較は、できないのである。仕方がないから神話や伝承をもとにした日にちを採用するのだ。それが我が国のオリジナルである。

 さて、せっかくだから、日本書紀にはどう書いてあるか、抜き書きしてみよう。

「辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子神八井命・神渟名川耳尊。故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彥火々出見天皇焉。」初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。」

(佐藤俊夫奉訳

 かのと・とりの年の春、元旦に、神武天皇は橿原宮で即位された。そこでこの年を皇紀元年とした。同時にお妃も皇后に即位された。カムヤイのみこと、カムヌナカワミミのみことが皇子として生まれた。このため、古い伝承には「畝傍(うねび)橿原(かしはら)に、大いに宮を造営し、高天原(たかまがはら)を高くまつり、はじめて即位された天皇はカムヤマトイワレビコ・ホホデミのすめらみこと、と名乗ることになった」とされている。また、国のはじめのこの日に、大伴氏の先祖のミチノオミのみことがオオクメたちを連れてきて、秘密の唱えごとのまじないをし、災いを除いた。このとき「倒語(さかしまごと)」というまじないが世の中ではじめて使われた。)

 とある。

 古事記ではこのあたりはアッサリと簡単で、

「故、如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。」

(佐藤俊夫奉訳
 神武天皇はこのように不穏な情勢の有力者たちをうまくとり収めて和平を実現し、従わない者を退け、畝火の白檮原宮(畝傍の橿原の宮)で即位した。)

 となっている。

 いずれにしても、遠い遠い昔のことだから、「ホントに2千何百年も昔に建国したの?おとぎ話でしょ?」などと文句を言っても、言うだけ詮無いことで、はっきりしないのだから仕方がない。

知性と朝日

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 私がかつて熱心な朝日新聞の読者であったなどというと、ごく最近の私を知る人は、「嘘は泥棒の始まりですよ佐藤さん」と真顔で私を(さと)そうとするのだから参ってしまう。

 だが本当だ。

 どころか、一時期は仕事上の都合もあって、朝日・読売・毎日・産経・日経はもとより、数紙の地方紙まですべての記事に目を通さねばならなかった。朝の忙しい時間にこれだけをこなすのは、苦行に近いものがあった。その頃を思い出すとホロ苦いものが去来する。

 今は、新聞はとっていないし、テレビもほとんど見ない。我ながら極端だ。

 一般認識として、「新聞は読めば読むほど賢い人だ」みたいな空気が日本にあることは否めない。「知性と報道は表裏一体、ともにある」というわけだ。

 そのことを言い立てて、元来新聞をよく読んでいた私がもともと知性のある人間だ、などと主張したいわけでは、もちろんない。むしろ私は知性など糞食らえだと思っているような変な男である。

 どうしてそんなふうに思っているかというと、日本人にとって情報の流入源が単一に近かったことはまことに悲しむべきことであった、と常々考えているからだ。知性と情報の流入が比例するのだとしたら、私が「糞食らえ」なぞと書くのも、無理のないことではないか。

 なぜか。

 朝日新聞が「立派な人は兵隊になる」と書くと、そうだそうだと皆兵隊になった。

 朝日新聞が「立派な人は大陸に攻め込み、武勇の手柄を立てるのだ」と書くと、そうだそうだと皆大陸に攻め込んだ。

 朝日新聞が「天皇陛下万歳」と叫べば、皆で天皇陛下万歳と叫んだ。

 朝日新聞が「マッカーサー様ありがとう」と落涙切々とものすれば、立ち去るマッカーサーに皆で手を振り涙を流した。

 朝日新聞が「立派な人は共産主義を学ぶ」と書くと、そうだそうだと皆共産主義者になった。

 朝日新聞が「立派な人は従軍慰安婦問題を生んだ自らを()じるべきだ」と書くと、そうだそうだと皆反省した。

 朝日新聞が「すんません従軍慰安婦全部ウソです」と書けば、皆そうだそうだ、あれ全部ウソだ!…である。

 これが流入する情報と知性の姿だ。

 こうした姿、態度を間違っているとまでは言うまい。皆が読んでいる同じ文字、同じ記事を同じように読み、そこに書かれていることを広めるように言うことが正しいと、私たちは育てられているのである。今も形を変え、「ツイッターやSNSで皆が韓国なんか嫌いだと言っているから私も嫌い」と、皆が言うことにそうだそうだと口を揃え、誰も何の疑問も持っているまい。

 単に実用上や他人との付き合いということもある。自分の考えがどうとかいうより、家族を食わせるためには己を虚しゅうしてお客さんや出先の論調に合わせなければならないという都合ももちろんあるだろうし、自分がどう思っていようと社員を食わせなければならない、そのためには正しい正しくないではなしに、世の中の潮流に敏感に社の方針をあわせていかなければならない、という経営者のとるべきドライな姿勢もあるだろう。それは生活者として正しい姿勢だ。

 たとえば私が今ここに、「英語でビジネスをすることは間違っている」などと書くと、どうしてそう思うのか、なぜそう考えるのかといった理屈などすっ飛ばして、直ちに、そして反射的に、私はキチガイ扱いされるだろう。「グローバルに日本人が飛躍しなければならないこの時代に、何を言ってるんだ馬鹿め」というわけだ。しかし、グローバル云々というその考えは、本当に自分で考えたことだろうか。

 ひょっとして、朝日新聞に「英語を身につけ、外国人と仕事をすることが正しいことだ」と書いてあったからと違いますか?

 私は知能が低いので語学は身につかず英語は喋れない。にもかかわらず、私自身の考えは前記したこととはほぼ逆である。すなわち「英語を身につけ、外国人と仕事をしていくことも重要なことだ」というのが私の考えである。だが、朝日新聞に書いてあったからそう思っているのではない。

 顧みれば、日本人は世界にもまれな識字率を誇っていた。それは入念に整備された教育制度のしからしむるところである。明治以降だけを見ても、

日本 参考・英国
明治5年(1872) 学制発足 小学校就学率28% 40%
明治33年(1900) 小学校就学率81% 81%
明治43年(1910) 小学校就学率100%、中等教育進学率12% 100%、4%

とあり、明治末年の中等教育では、当時教育先進国であると考えられていたイギリスをさえ抜き去っている。日本では文字で意識を揃えることの困難が早期にとりはらわれていたということだ。ヨーロッパより100年も後にはじめた工業化が目覚しいスピードで進捗したことは、あずかってこれが大きな要因となったことは言うまでもない。

 当のイギリスでは、日本よりもまだなお封建的であった身分制度、つまり貴族エリート、中間、底辺という3層型のヒエラルキーが教育にまで影を落とし、なかなか中等教育が普及しなかった。これはアメリカの事情も同じである。

 昔から文字による情報取得に困難のない人びと、それが日本人であった。

 だが、痛々しいのはそこから先である。少ない情報源から情報を流入させることが識字率の高さにより可能になってしまったのだ。

 もし文盲が多ければ、そうはならなかったろう。マルチメディアを指向しなければならなかったはずだ。すなわち、音にも映像にもたよらなければ、人々に情報を流入させることができず、それには技術の進歩と普及を待たねばならなかった。そう、アメリカのように……。

 印刷物配布による情報普及は、一方通行だ。フォアグラのガチョウが餌を飲み込むように情報を飲み込まされる。ガチョウの存在意義はうまいレバーを肥らせることにあるのと同様、誰かが書いた記事をそのまま飲み込んで自分の脳を他人と同じ色に染め上げるのが知性の意義の一面だ。

 世界一の発行部数を誇る朝日が書けば、まず過半数の日本人は書いてあることを飲み込む。

 もしここに、「特定の主義や主張に日本人を誘導しよう」という勢力があったとすれば、ほかの国とは違って、いろんなところをイジる必要はないから楽なものだ。日本人は賢いから、文字に書けばみんな読む。そして、みんなが読んでいるのはかの大朝日だ。朝日さえいじっておけば、それで日本人に対する工作は終わりだ。そういう時代が何十年と続いた。悲劇である。

 ネットの陰謀論者はそれは中国でしょうロシアでしょういや半島でしょうと言いたがるが、私などは終戦直後のGHQから引き続いてアメリカだろう、と踏んでいる。実際はいろんな国が複雑に関与していて、特定のどこの国の諜者がどうとかいう妄想スパイ小説みたいな単純な話ではないのだろう、とも思っている。

 知性と朝日の短絡が、日本の無意識をねじ枉げる、ということだ。

 だが、ここで、あえてくだくだしく述べよう。私は直ちにそれが排除されるべきだとは思っていない。別に、朝日と知性が短絡してたっていい。新聞をよく読んで考え込むということだって、あっていい。ネットに入り浸って考え込むことがあっていいのと同様に、それは許される。

 私は一度くらい朝日はつぶれたほうがいいのではないかと思っているが、反面、朝日が永久に排除されるべきだなどとも思っていない。一度つぶれて官僚的な社内の諸問題をきれいに片付け、エリート高学歴至上主義の鼻持ちならない空気を一掃したら、また新たにやるといいと思っている。しかも、以前よりもまして、もっとキチガイに、狂信的に、サヨクでエテ公でぶっ飛んでいて、ロックで知性ゼロのヨダレでのたくったような記事が垂れ流されたフザけた朝日になるといいとすら思っている。

 そうでないと、日本のマスコミが日本らしくなくなって、面白くないではないか。キチガイ新聞万歳だ!

 もう20年も朝日なんか読んでいない私が言うことでもないか。

明治大帝超讃頌(さんしょう)

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明治節 さて…。

 キサマらは全員たるんでいる。今日という日を単に「三連休の中日」としか呼べないようでは、何が日本だ何がグローバルだ。0点である。良い学校を出てテストで100点を取っていても、日本人としてキサマらは0点だ。日本人でないものは、国際人ではない。最低限日本人たりえて、初めて国際人と言えるのだ。今日が何の日か答えてみろ。

 「文化の日です」だと?50点だ。

 100点満点の答えは、

「戦後、11月3日は「祝日・文化の日」と定められましたが、もともとこの日は、畏し、明治天皇の誕生日、明治節です。」

…これである。

 今日というこの日に、明治天皇を称揚する人は誰もいない。だから、俺だけがホメちぎることにする。明治大帝超讃頌(さんしょう)である。どうせキサマらは、日本なんか大嫌いなんだろ?日本が大好きなのはこの俺だけで十分だ。日本が大嫌いなキサマらは、ほめなくてよい。俺だけの日本であり、明治天皇だ。キサマらに愛されると明治天皇が汚れる。日本が汚れる。キサマらは未来永劫、日本が嫌いでいてくれ。キサマら如き非国民に好かれなくても十分だ。

 以下、明治天皇をホメちぎるから、そう思え。

○ 文明をひらき、産業を起こし、戦争に打ち勝ち、独自の方法、すなわち五箇条の御誓文をもって議会制民主主義を徹底し、文字通りアジアの人たちを鼓舞した巨大天皇、明治大帝の誕生日が、今日である。

○ 明治天皇は質素の人であった。日清戦争の折には当時天皇として進出できる最大限の戦地近端の要所、広島に行宮をあそばし、古机ひとつ傍に置いたきりで、戦争指揮をされたのである。留まること二百日以上にも及んだという。

○ いつまでも同じ御服(ぎょふく)をお召しあそばし、修理して着るようにされていたが、しまいにはボロボロになってしまった。修理するよりも買ったほうが安いので、周りの人たちが「あのう、新品買ってもいいでしょうか?」と聞くと、「バカモノッ!!値段の問題ではなーいッ!!」とお怒りになったそうだ。資源とか国民への影響とか精神とか、そういうトータルで判断されていたのである。昨今エコが流行っているが、100年以上前のとうの昔に、既に明治天皇はエコであった。

○ 朝鮮人は何かというと明治天皇の悪口を言うが、明治天皇は西郷隆盛の征韓論を非常の命令「勅旨」でもってやめさせた隠忍・自重・我慢の人でもあるのである。

○ あほうな非現実平和主義左翼は、大東亜戦争の惨禍で国民が血を流して勝ち取った議会制民主主義により今の日本の政治がなされているという妄想論をほざくことがあるが、これはもちろん全部誤りである。日本の現在の議会制度は、明治天皇の五箇条の御誓文第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」が今もってなお根拠となっているのである。

○ 明治神宮があそこまで大きいのは、このように明治天皇が偉いからだ。

○ 明治天皇が整えた皇室制度は、なんと、国民の税金は使わなかった。知らない人が多いだろうが、驚くべきことに、戦前の皇室は、「独立採算制」だったのである。そのからくりは林野事業だ。国有林の材木商売で皇室は運営されていた。国民の税金で飲み食いしなかったので、皇室は国民から愛されたが、その礎を確立したのは明治天皇である。戦後、マッカーサーの下品で暴力的なイジメにあい、国有林その他の財産が皇室から全部剥奪されてしまったのは、まことに残念なことであったが…。

○ 西洋式の「ノーブレス・オブリージュ」を取り入れ、元来武士ではなかった皇族を、そのはたすべき義務として、皆軍人として戦うように制度をととのえたのは、明治天皇である。

○ アメリカ・イギリスにだまされて結んだ不平等条約の屈辱を、40年有余にわたる血の努力と呻吟の末、ついにはねつけ返し、日本を完全な不屈の独立国にしたのは、明治天皇だ。

○ 昭和聖帝が大東亜戦争の開戦時に御前会議において繰り返しお読み上げになったという「よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ」の御製は、いうまでもなく、明治天皇が詠まれたものだ。

○ そもそも、日本が核爆弾を二発もブチ込まれるという人類史上類例を見ない核戦争の屈辱を浴びてなお、ジプシーやロマやユダヤのように、「解散!」となって国を失くし、奴隷化して世界を彷徨させられるような事態にならなかったのはなぜか。それは畢竟、明治天皇が整えた国家基盤が強固だったからである。

○ 明治天皇は教育勅語を発せられて教育制度の根拠を強力に定めたが、これにより日本の教育制度はどんな田舎にも迅速に徹底された。明治一桁代(1870年代)には日本の義務教育は制度を完結し、就学率は8割を超えた。が、文明先進国と思い込まれているイギリスはどうであったか。その頃のイギリス人は、なんと全国民の半分くらいしか小学校に行ってない。つまり、日本人みんなが文字を読み書きし、文明の暮らしができるのは、明治天皇の業績によるのであるから万民は感謝すべきである。

○ 鉄道マニアの人に言っておくが、日本に鉄道を走らせてくだすったのは、明治天皇である。安穏と鉄ヲタやってられるのは、明治天皇のおかげである。

○ 明治天皇は映画とかレコードの普及にも尽力されたのである。キサマらオタク連中がアニメだなんだと言って耽溺しておれるのは、もとはと言えば明治大帝のおかげなんであるから、感謝しやがれ。

「はだしのゲン」に関する私の考え

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 「はだしのゲン」が某地方の小学校の図書館において閉架となったことに関する紛糾が、もはや人々から忘れられ、取り上げもされなくなった。世の中なんて無責任なものだ。芸能ニュースとこの種の問題はわけが違うのだが、人々の頭の中ではアイドルも教育も一緒であるらしい。

 私の考えは、「『はだしのゲン』の閉架処置は正しい」。まことに単純だ。

 ただし、その考えにいたる筋道は、どうも人とは違う。自分と同じ考えの人をネット上でも見たことがないから、ここに記しておきたい。

 今更言うまでもないが、「はだしのゲン」問題については、

1 極端な描写の問題。「はだしのゲン」は、残忍な絵やレイプなどの描写があってよくない。戦争?戦争なんかどうでもいい。
2 戦争に関する認識の問題。「はだしのゲン」は、戦争に反対しているから、よくない。描写?描写なんかどうでもいい。

…という、まったく別の角度のことを、一緒くたにしているところにも、紛糾の根があるように思う。ここで、私の考えは、後者、「戦争に関する認識」のところに軸足があることを断っておきたい。極端な描写の問題は、別の問題だ。

 私の「『はだしのゲン」の閉架処置は正しい」という考えには、条件がついている。「はだしのゲン」を小学生が自由に読めないようにするなら、明治天皇や東郷平八郎や乃木希典、木口小平、下って佐久間艇長、加藤少佐、金光少佐、若林中尉、坂井中尉といった戦争の英雄の話や、「のらくろ」だとか「紫電改のタカ」だとかいうような、戦争がカッコよく見えるようなマンガや本もまた、小学生が自由に手にとって読むことをできなくするべきである、という条件である。

 そんなものが、前提として、これまで小学生に自由に読めたのであれば、であるが…。

 つまり、逆に、「はだしのゲン」を、小学生がいくらでも自由に手にとって読める状態にするのならば、明治天皇も東郷平八郎も乃木希典も木口小平も佐久間艇長も加藤少佐も金光少佐も若林中尉も坂井中尉も「のらくろ」も「紫電改のタカ」も、どの物語も平等に、自由に小学生が手にとって読むことができなければならない。

 それができない以上は、「はだしのゲン」もまた、戦争という観点からは自由に読んではならないのだ。

 難しいことではない。それらの本は、世の中に存在している。単に、これまで、あらゆる学校から棄却・排斥されてきたと言うだけのことだ。

 子供には、一方に偏らず、幅広く物事を俯瞰させるべきだ。

白村江(はくすきのえ)国家総動員

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PHM02_0060 日本書紀をダラダラ読み進める。残り最後の冊となると、読み惜しむ気持ちも出てくる。

 「白村江(はくすきのえ)の戦」に、日本は2万7千の兵を投じたという。

 ここで、当時の人口を考えあわせたい。

 研究には諸説あるが、1500年前の日本の人口が1000万人あったとするものは、どうやら、ない。300万人程度が妥当なところであるようだ。つまり、ざっと今の43分の1と見てよい。

 白村江の戦への人的負担が現代に置き換えるとどれほどであったかは、つまり、単純に43倍すればよいことになる。

2万7千人 × 43 = 116万1千人。

 これは半端ではない国家総動員である。

MS-IME用歴代天皇辞書

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 このブログの右側の、「読書リスト」にもあるとおり、私は最近、日本書紀を読んでいる。

 感想をFacebookなどに書き込むことが多いが、そのたびにイライラすることがある。「歴代天皇の名前がほとんどかな漢字変換できないこと」である。

 常々、MS-IMEを使っているが、本当に日本語の語彙に乏しく、不自由する。いやしくも「『日本』語変換」をするのならば、畏し、日本の歴代天皇くらい最初から全部登録しておいたらどうだ、と思う。

 何も、1万語の専門用語を載せておけ、などと言っているのではない。日本の歴史上の、著名人の範疇に入る人名リストがたった126人ぶん、北朝を入れても131人ぶんではないか。それしきのものが入っていないというのは、なにか特別の理由でもあるのかと、言いたくもなるではないか。

 それとも、Microsoftごとき外資系企業から見ると、日本の天皇などばかばかしくて入れる必要がないとでもいうことなのだろうか。…いやまさか、考えたくもないが、またしても「アジア近隣諸国への自主的配慮」か!?

 まったく、いきどおろしいことである。

 そこで、不肖・佐藤、意を決し、自ら歴代天皇の登録用テキストを作って公開しておくことにした。

 必要とされる向きは、次のリンクからダウンロードして辞書登録するとよろしかろう。天皇の御諡号がサクッと変換できるようになり、まことに具合がよくなる。

 登録のしかたは簡単だ。

  1.  上のファイルをダウンロードして、PCの適当な場所に保存する。
  2.  IMEの「ツール」のボタンをクリックし、「単語/用例の登録」を選ぶ。
  3.  表示されるツールダイアログの一番下に「辞書ツール」ボタンがあるからそれをクリックする。
  4.  ウィンドウの上部にあるメニューを「ツール(T)」 → 「テキストファイルからの登録(T)」の順でクリックし、適当な場所に保存しておいた上のファイルを選ぶ。
  5.  歴代天皇がすべて登録される。既に登録されているものがあれば、自動的にスキップされる。

 なお、漢字の異体・旧字体は両方登録してある(例えば、「いとくてんのう」で、「懿徳天皇」・「懿德天皇」(徳・德の違い)の両方が候補に出るようにしてある。)。また、「じんむ→神武」も、「じんむてんのう→神武天皇」も、両方「人名」の品詞で登録してある。