どいつもコイツも「ぶっちゃけ」「ぶっちゃけ」言いおって、目障りだ

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 「包み隠さず打ち明ければXX情勢は」というふうに書けばいいものを「ぶっちゃけ、XXは」と表現するテレビ・新聞・雑誌が多いようだ。

「ぶっちゃけ」。

 なんだよ、「ぶっちゃけ」って。汚い言葉だ。どこの方言だ?東京か?

 どいつもこいつもぶっちゃけぶっちゃけ言いやがって、目障りである。

 「ぶちまけて言えば」と言いたいのだろうか。だとしても、「ぶちまけて」というのも、相当下品だ。「ぶちまけて」の「ぶち」というところが駄目だ。

 「正直に言えば」とか「包み隠さず書けば」とか、他に書きよう言いようはいくらもあるはずだ。

 思うに、今上陛下を「今の天皇」と書いたり、皇后陛下を「美智子さま」と書いたりするのと同様の下品さだと思う。

 何?このブログの言葉(づか)い!?……馬鹿者、このブログのような取るに足らぬ貧者の一灯と、多数の高学歴記者を抱えて数千万部を売り上げる朝日毎日読売産経とが同じ評価基準で批判されてたまるものか。

 大会社の大学出の学士様修士様の報道であるなら、もうちょっと自分の親から貰った学歴を汚さぬような言葉で記事をものしてもらいたい。

通勤電車内寸描

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 梅雨も半ばとはなったか、通勤路の紫陽花が曇り空に色を添え、殺伐とした気持ちを少し和らげてくれる。

 近所の駅からいつもの電車に乗る。

 いつ頃からだろうか、通勤客のほとんどがスマホを持ってなにか見ているようになったのは。

 少し前ならスマホのゲームに没頭しているのなど、若者の専売特許みたいなもんだったが、いまや中年どころか、50がらみ、いや、下手すりゃ60代とおぼしい、頭に霜を置いた分別盛りがゲームに没頭している。

 残りは眠っている。

 眠っているか、ゲームしているか。

 私の家には長女が飼っているハムスターがいるが、眠っているか、餌を食っているか、暴れているかの三態なので、通勤時に限って言えば、通勤客よりはハムスターのほうが多態性において勝る。

 そういえば、今私が乗車している周囲5メートル半径だけに限って言えば、「『紙』の新聞」を読んでいる人がいない。いつのまにか車内の景色は変わった。こうなってしまっては、新聞も、もうダメだろう。人々を思想的に洗脳するために、新聞社や新聞記者に工作するのなど、こうなっては時代遅れだということだ。

 私も、もうかれこれ17、8年前から新聞を購読していない。金がもったいないと思うようになったのと、ウソ記事ばかり読まされるのに辟易したのと、大きくはこの二つの理由からである。あの頃はまだ新聞は健在だったから、その点、私は結構新しい。

本日時事雑感

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ゲーム世代

 ……。

 なにしろ、攻撃型原潜だからねえ。そのうちに、「ポチッとな(笑)」とかいうフザけたノリで核戦争をおっぱじめるキチガイも出てきかねない。

いやーっ、ナイわ~……。

 いやまあ、そういう世相なんだろうけど、ナイわー……。こんなの、負け惜しみなんじゃねえの?

妬ましい

 アメリカにせよ、ロシアにせよ。……ハラ立つなあ。

 日本では戦争で倒れた世代は、世界各地を侵略し、アジア全域の女をレイプしまくったカスの集団ということになってしまっている。あまりにも悔しい。敗軍敗国は、ここまで愚弄されなければならない、ということかもしれないが、いや、まて、愚弄しているのは自分たち自身ではないか?

いやー、わからんでもないが、しかしさー……
以下引用

個人の記憶についてもう1つ言えるのは、ある個人が自分の戦争体験をよく覚えていても、それについて話さないということだ。例えば兵士であれば勝者側と敗者側の双方、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者や終戦時のベルリンでソ連軍に強姦された女性たちなど、戦争を体験したたくさんの人々は当時の暴力や恐怖について語ることをしなかった。

年がたってから口を開く人もいるが、一生語ることのないまま亡くなる人もいる。後になって話し始める人たちは、自分の物語が社会に受け入れられるようになった、という共通の記憶の変化に反応して口を開くことが多い。個人とは社会的文脈の中で思い出すわけだ。

戦争を体験したことのない世代の個人の記憶も同じように構築されるが、戦争そのものというより戦争について話される物語を覚えているというように、より非直接的な記憶になる。しかし、これらいわゆる「ポスト・メモリー」も、戦争体験と同じくらい力を持ち得るだろう。

 これで集団の記憶は正しくなるよ、みたいなことを言われても……。日本の場合、もう当時の大人としての記憶を形式知にできる人は、90歳を超えちゃって、絶滅しつつあるもんなあ……。

結局、わかってないんだわ。

 これって、なんか、口喧嘩の応酬みたいなことなんだろうけど、核兵器がそういう、言葉のやり取りのアヤでちょっと間違って発射しちゃって人の2~3人が死んでどうにかなる、とかいうような、シャレで済むようなものじゃない、ってことを、やっぱり実感としてわかってないのよ、コイツら。所詮死ぬのは国民だ、みたいな。

家に置いてけよ

 人それぞれの勝手だとは思うし、事情もあるんだろうけど、どうも、この、旅先にまで犬なんか連れて行こうという、そのあたりがわからんなあ……。いや、盲導犬とか、そういうどうしても必要な場合はあるだろうし、大きな転勤、移住ってのもあると思うんだが、そうでないような、遊び半分の旅行なら、人に預けていくとか、やりようがあると思うんだが。

ハハハ、そりゃ言うまでも

 アハハハ、根拠と覚悟って、文春をはじめ、週刊誌だけじゃなくって、テレビだって新聞だって、それどころかマスコミ全部、そんな、「覚悟」なんてもの、あるわけないじゃん。ゼロだよ。

ホーキング博士追悼・続

 愛すべきところの多々あった人だったんだなあ、と改めて認識。祈冥福。

こういうの、定期的に出るなあ

 「まあ、そうだろうねえ」という感じと、「そんなの、Android自体、それそのもの全体がマルウェアみたいなもんだろ、電話番号から写真から何もかもアメリカの支配下にあるクラウドに送ってんだからさ、何を今更」という見方もあって、笑ってしまう。

ほほ~……

 ほほ~……。

あ、ノーベル賞狙い、っていう下卑(ゲビ)な見方もあるんだ?

 ……というか、ドナルド・トランプじゃなくて、金正恩(きんしょうおん)がノーベル平和賞貰ったら、もう、おかしくってハラ抱えて笑っちまうな。

美しくないねえ

 あー、ゼニカネ、ですかやっぱり。なんでもかんでも安くすれば正義、入札でさえあればオッケー、という愚かなやりかたのせいで、残すべきものが滅んでいくわけですわ。

思いとどまる

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 昔から根本敬のファンだし、「映像夜間中学」にサインを貰いに行ったこともある私だ。それで、一瞬、ちょっと、投げ銭的に払おうという気になったのだが……

 ……だが、思い止まった。なんか、軽はずみな感じがする。

Twitterは最善ではないが、マシだと思う

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 う~ん?これは、こんなふうに伝えるアメリカの新聞やテレビ、あるいはアメリカの新聞やテレビがそう伝えていないのだとすればこんなことを言うNHKの方がおかしいんじゃないか?

 ワケのわからんヘンな記者が思うさま捻じ曲げた嘘記事を読まされたり、自称ジャーナリストのテレビタレントが都合の悪いところを端折り、都合のいいところばかり切り取って伝えるニュース紛いなんか見せられるより、本人の直接ツイートでも見た方が、よっぽどましなんじゃないか?新聞やテレビに「コイツの言っていることは間違っていますよ」と教えられるより、直接本人のツイートでも見て、「あ、コイツの言ってることは間違ってるな」と自分で思った方がよっぽどいい。そのほうが新しいと思うけどなァ。

 発信側の政治家にしたって、そうしたほうがよっぽど国民とインタラクティブに交われるのと違うか?ドナルド・トランプはウソばっかり報道されて足を引っ張られたから、新聞やテレビを全然信用してないんだろうし。

 「つぶやくなーッ!」って言うのが一般の人だったらいいんだけど、新聞やテレビが「つぶやくなーッ!」はないと思うんだよな。お前ら、呟くより前に取材してちゃんと書けよ載せろよ、と。だいたい、そういう本来の仕事をしてないから、お前らが書いたり撮ったりする前に呟いてしまうんじゃないの?

 まあ、何年か先、日本もこうなるワケだよ。

メディアとしての憲法

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 やろうと思えばまだできる、という時期に「もうしません、永久にやめました」とアピールするのと、やろうと思ってももうできない、という時期に同じことを言うのでは、相手の受け取り方は全く違う。

 前者なら、「よくぞ言った!偉いッ!」と受け取られたかも知れない。

 後者だと、「いや、永久にやめましたもヘッタクレも、そもそもお前んとこ、元からそんなこと出来ねぇだろうがよ。ナニわかり切ったこと言ってんだ。アホか」とバカにされるだけだ。

 私などは「何が憲法改正だ。改正などとは手ぬるい。最善は『破棄』である。それができないくらいなら、いっそ一切何も手を付けず、千年くらいこのままがよい」などと(うそぶ)いている。これを聞く人は「またこの変人佐藤が、キチガイみたいなこと言ってるぜ」と笑って流してくれるが、私は大真面目なのだ。

「何が『緊急事態の宣言』だ!ここは『戒厳令』と書かねばならぬ。条文もあんな臭い口語体ではダメだダメだダメだッ!『天皇ハ戒厳ヲ宣告ス 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム』にせんかァ!」

「おいおいおいおい佐藤さん、それは旧帝国憲法のパクりでしょうが」

「キミキミっ!今『旧帝国憲法』と言ったね!?『旧』とは何だ『旧』とは!まだ生きているものについて言うのに『旧』なんてつけなくていいんだッ!『大日本帝國憲法』、と言いなさい、この際、『国』という字は旧字体で『國』と書いたものを音読する気持ちで、さあ、言ってみよう、さん、ハイッ!!

「(……またはじまったよ、マジ面倒臭いオッサンだなあ) ハイハイ、わかりましたって(笑)」

……なぞという狂った会話を普段からしていれば、そりゃあ誰も相手になどしてくれないのは当然ではあるが……。

 だが、落ち着いて考えれば、癇癪を起して、喧騒(けんそう)、興奮、混乱、分断のうちに改定ないし破棄するというのも慌て過ぎだ。

 反面、喧騒や興奮などすれば、諸外国はそれに注目する。憲法に盛り込まれた文言は、内に向かっては、その縛ろうとするものが権力であろうとはた国民であろうと、外に対しては、日本が諸外国に向かって誓約する宣言としての機能が大きい。

 つまりは最高法規の姿をした強力な媒体(メディア)となることは疑いない。そう思う時、喧騒、興奮、混乱、分断もまたそれに期待される機能を自然に持つのだ、とも思う。

ドブネズミ

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 青雲の志に燃える若い人の純真に水を差したいわけではないが、だが言わずにはおれない。

 戦争や軍事や軍隊や軍服や銃や戦闘機や軍艦が、美しくかっこいいものだなんて思うのは、馬鹿のすることだ。

 どれもこれも、しんどく、悲しく、重く、深刻で、複雑で、汚れ、厳しく、ややこしく、嫌になるようなものばかりである。

 最近、防衛問題に関心を持つ若い人が増えているのは結構なことだが、どうも、単純に考えすぎているのではないだろうか。

 テレビに映る美しさ、新聞に書かれるかっこよさなんてものは、大げさに言えば全部嘘である。人間とは悲しいもので、嘘は美しくかっこいいから、金を払って買ってしまうのだ。だがそれを間違っているとは言うまい。逆に考えると、真実の残酷さ、リアルな汚さ、そんなものに金を払うのは酔狂には違いない。スカトロ狂が普通人の目にどのように映るかを考えれば、人々が嘘に金を払うのはやむを得ないことだと解る。

 そんなわけで、メディアには真実は載らない。

 そういったことをわきまえたうえで、「ドブネズミのように美しくなりたい」のなら、止めはしない、己の信ずるところに従うがいい。しかし、実相を知ってから「騙された」だの「やりかたが間違っている」だのとゴタクをほざくのは、馬鹿より更に愚者のすることであると知るべきである。